09 柔軟であれ
「いぎぃっ!」
相変わらず日当たりの悪い、Gクラス用の広場に奇妙な悲鳴が響き渡ったのは、授業を終えて寮での夕食が始まる少し前のことだ。
「アルム、お前身体硬いなぁ」
「ゔっ……ムリ……これ以上曲がらない……」
馬歩の鍛錬と基礎的な歩法の鍛錬を終えた後、『今日からは、鍛錬のかなりの時間を柔軟体操に使うことにする。身体が硬いと怪我するだけじゃ済まないし、身につけられない技術も出てくる』というリュウの言葉に、アルムとベインが顔を引き攣らせたのだ。
「ベインも硬いねぇ。何? エルフ族って身体硬いの?」
ベインもアルムもエルフ族の出身だが、部族が異なる。
白い肌に金髪、そして緑色の瞳というベインはホワイトエルフ族。
やや浅黒い肌に赤毛のアルムはレッドエルフ族だ。
本来ならばエルフ族は樹上生活を好む部族であったが、都会に順応して3世代目くらいに当たるアルムとベインは、木の上での生活など経験したことがほとんど無い。
アルムは出身地が田舎であったこともあり、まだベインよりも自然に接する機会は多かったが、狩人としての訓練しか受けていないためか、能力が非常に偏っていた。
二人に共通するのは、エルフ族であるということともうひとつ、関節の可動域が狭いということだ。
「おらアルム、押してやるよ。オラもっと股ひらけよ」
「ねぇリュッケン、言い方もうちょっと考えようよ? アルムは女の子なんだから」
開脚しての前屈、所謂『股割』をしているベインとアルムだったが、大柄なミナとリュッケンがそれぞれ背中を押しているため、エルフ組2人は先程から悲鳴を上げている。
「あのさベイン、アルム。あとミナも。3人とも最低でもこれくらいのことは出来るようになってもらうからな?」
ひょい、とリュウが片足を上げると、Y字バランスどころか『I』字バランスの姿勢になる。完璧な開脚だ。
「お、それなら俺も出来るぜ。オラよっ」
「え、ちょっとリュッケン? 何でそんなに身体柔らかいの? 私そこまで上がらないよ?」
リュウに並んで軽々とI字バランスの姿勢を取ったリュッケンに負けじと、ミナも挑戦するがY字が精一杯だった。
「ミナもまだ硬いなぁ。やっぱり獣人族は身体柔らかいよな」
「まぁな。でもミナもやるじゃねぇか」
「一応柔軟もやってたけど……にしても二人とも、すごく柔らかいんだね。その格好って男の骨格じゃ出来ないとか聞いたけど」
「出来るよ。ほら、リュッケンもやってるだろ」
前屈の姿勢で全く手が前に行かないアルムは、かなり不機嫌そうにI字バランスのまま並んで立つ2人の男子を睨みつけている。
「アイツラは別枠……」
「だ、だよね……いたたた、これほんとに身体が前につくのかな」
「エルフにはムリ。これは仕方ない。種族的限界なはず……多分」
「多分そうかも……いや、きっとそうだ」
「あらぁ? そんな事は無いわよぉ、子猫ちゃん達」
いつの間に現れたのか、美しい黒髮のエルフ族の女がベインとアルムのすぐ後ろに立っていた。
美しく艶のある声に、やや癖のある喋り方。
「え、何しに来たんすか、カンフル先輩」
「あら、私の名前を覚えててくれたのね、可愛い子猫ちゃん?」
「子猫ちゃん……」
「ふふふ、1年生なんて私たち3年生から見れば、子猫ちゃん同然よ。あぁ、リュウ君、君は別格。君は下手に手を出すと指を噛まれるだけじゃ済まなさそうだわぁ。さしずめ子猫のカゴの中に入った虎、みたいな感じかしらぁ?」
「その子猫ちゃんに何の用なんです? ホント何ていうかこう、3年生ってヒマなんですか? 王女様といい、シーナ先輩といいベル先輩といい」
「うふふ、シーナとベルの言うとおり、君ってずいぶんつれないのねぇ。レディの扱いになれてないのかしらぁ? うふふふ……可愛い、色々教えてあげたくなっちゃう」
リュウは盛大にため息を吐く。
「なんかいちいち味付け濃いぃんだよなぁ……」
「ん? 何か言ったぁ?」
「なにか聞こえました?」
「あぁん、そのちょっとだけ意地悪そうな顔も可愛いわぁ……ゾクゾクしちゃう……ねぇ? 子猫ちゃんたちにどんな芸を教えてたのか、おねえさんにも教えてくれない? 例えば、これだったかしら?」
妖艶な声で話しながら、美しい黒髮のエルフ女はゆっくりと片足を上げ、美しいI字バランスの姿勢になった。
「……嘘、出来てる……」
「で、出来てるね……エルフでも出来るんだ」
「もちろん、日頃の鍛錬次第よぉ? さぁ、子猫ちゃんたちも頑張って」
つい見とれてしまっているベインとアルムは気付かなかったが、アングルの少し違うリュッケンとミナは別の場所に目を向けていた。大きくめくれたスカートである。
「ちょ、ちょっとリュッケン、レディのスカートの中とか覗いちゃダメだよ」
「いや、覗くっていうか……アレはさすがに不可抗力じゃね?」
「あら、ウブな子たちね? うふふふ、心配しなくてもいいわ。今日は黒のレースよ?」
「すっげ、大人だ……」
思わず率直な感想を漏らしたリュッケンとリュウに、Gクラスの女子2人は鋭い視線を向ける。
「リュッケン、だ、だから見ちゃダメだってば、失礼だよ?」
「リュウはケダモノ」
「ケダモノじゃねぇよアルム、それ、どっちかっちゃリュッケンだろ」
「おいリュウ、聞こえてんぞ? 獣人族にケダモノは禁句だからな」
「あらあら、本当に可愛い子猫ちゃんたちね? じゃれあっちゃって。それで? 子猫ちゃん達は何のために、そんな事してるのかしら?」
「ただの柔軟ですよ。体術に柔軟は大事ですから」
「あらぁ、そうなのね? ……にしても、このエルフの子たち2人はずいぶん硬いわねぇ? お姉さんが手伝ってあげるわ。ほぉらアルムちゃん? 脚をもっと開いてぇ?」
カンフル辺境伯家令嬢、セシリアは、貴族令嬢とは思えないほどに他者との距離が近かった。
アルムの背中に豊満な胸を押し付けるようにして、なぜかしなやかな手でアルムの胸をまさぐりながら器用に後ろから脚を開かせる。
これは、カンフルの『やたらと可愛いものを愛でるのが好きで、身体的接触を好む』という性情からくるのだが、辺境伯家と対立する派閥の家のものからは、『好色で淫乱』だの『実はサキュバス』だのと散々な噂を立てられている。が、当のセシリアや辺境伯家当主であるセシリアの母は全く気にしていない。
「うふふふ、ほら可愛い子猫ちゃん、恥ずかしがらなくても良いのよ? もっと大きく足を開いて、お姉さんによぉく見せて?」
「い、痛いっ……痛い、もうムリ……お願いゆるして……ッッ」
「わかるわ、初めての時って痛いのよね? でも、痛いのは最初だけよ。すぐ気持ちよくなるわ。ほぉら、私がもっと良くしてあげるから。力を抜いて?」
「あぁっ……だ、ダメ、お願いやめて……ッッ」
「あの、カンフル先輩。ただの柔軟をなんかエロい感じにするの止めてもらって良いっすか」
呆れ顔のリュウが、呆れはてたため息を漏らすと、Gクラス用の劣悪な環境の訓練スペースに数名の男たちが歩み寄ってくる。
「アルム・ファーマシーはいるかァ!」
怒声にも似た大声。
歩み寄ってきた男たちはいずれもエルフ族の男子である。
「うわ……最悪」
「え、アルムの知り合い?」
「……遠縁の親戚」
ひときわ身体と声がでかいエルフの男は、ズカズカとアルムに歩み寄ると、細腕に手を伸ばした。が、その前に立ちはだかったセシリアの姿を認めると、慌ててその手を引っ込める。
「何事かしらぁ? 殿方がよってたかって、こんなか弱い子猫ちゃんに手を伸ばすなんて、紳士がすることじゃないわよぉ?」
「カンフル辺境伯家令嬢……そこをおどきいただこう! 我々はレッドエルフ族の男子として、そこの魔力なしの出来損ないのエルフに、身の程を分からせねばならんのです」
「あら、魔力なしだとエルフ族だと出来損ないになるのかしら」
「その通り! 我らエルフは魔法を操ってこそ! 魔法を使わないエルフなど、家畜にも劣るのです! こいつは身の程も弁えずに士官学校になど入ってきて……来い! 我々尊い身分のエルフの男子が、また慰みものとして使ってやるからありがたく思え」
どこまでも下卑た言い分であるが、何よりもたちの悪いことに、彼らは自分たちの考えが正しいものであると信じて全く疑っていなかった。
エルフ族の多くは母系社会で女性が強いケースが多い。が、一部の部族ではあからさまに女性が虐げられているものもあった。
特に、魔力を持たずに生まれた『忌み子』に対しては、ほぼすべての部族で悲惨な扱いを受けることになる。
男子であった場合にはただの労働力として扱われ、女子であった場合には、労働力に加えて部族の男たちの慰み者として扱われることも珍しくない。
アルムが生まれたレッドエルフ族は、エルフ族には珍しい男性上位の部族であり、忌み子として生まれた女はそもそも同じ生き物として扱われない、という徹底的な差別が風習として根付いていた。
だからこそであろう、教室に乱入してきたレッドエルフの男たちは、アルムは『慰み者として扱われて当然』と考えて、それが間違ったことであるかもしれない、などと考えたことすら無かった。
「聞き捨てならないわねぇ? おバカさん達」
「なっ……辺境伯家のご令嬢と言えど、我らエルフの男子にご意見は無用——」
「魔法を使わないエルフの女が家畜にも劣る? それはこのセシリア・カンフルが『魔法を使わないエルフの女』だと知っての発言だと思って良いのよねぇ?」
びき、と音を立てて訓練スペースに生えている樹が凍りつき、そして炎を上げる。
セシリアは腰に帯びていた1対の双剣を音もなく抜くと、その切先をだらんと提げた。
「二刀流か……出来るな、あのセンパイ」
「ね、ねぇリュウ? 何アレ、何なのあの剣?」
ミナが少し怯えたような顔でリュウに歩み寄ってくる。ちゃっかりと大柄なミナの後ろに隠れるように、『家畜にも劣る』と呼ばれたアルムは身を隠していた。
「知らね。でも近寄らないほうが良い。あのセンパイめちゃくちゃ出来るうえに、ヤバいキレかたしてる」
「だよな、俺知ーらねぇ」
「ぼ、僕は少しだけ聞いたことがある……カンフル辺境伯家では、子供の頃から武術の厳しい鍛錬を積むっていう噂だ。セシリア様は、今の時点で剣術のハイマスター級、最年少でのグランドマスターの認可も間違いない、って言われてる」
「へぇ、グランドマスター……って凄ぇの?」
「凄いなんてモンじゃないよ! グランドマスターは『世界的な第一人者でその道を極めたもの』にしか許されないランクなんだ。世界中合わせても、剣術のグランドマスターは10人もいない」
「ふぅん」
ベインは思わず『いや、ふぅんって……』と口を開こうとするが、その口から言葉が漏れ出ることはなかった。
彼らが、やたらと色気たっぷりなセンパイ、セシリア・カンフルの圧倒的な強さを目撃することもなかった。
何故ならば、ほんの少しのあいだ、リュウとリュッケン、ベインの男性陣の短い会話の間に、エルフの男たちは音もなく両手両足の腱を切断された上、気絶して床に転がっていたためである。




