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89 手駒

 ロレンツォが目を覚ましたのは、士官学校の救護室であった。

 キルルージャ家の派閥に属する子爵家、男爵家の子弟達も全員が拘束された状態で目を覚ました上、救護室には本来いるべき救護教官がいなかった。


「目を覚ましたようだな、ロレンツォ・ド・キルルージャ」


 救護室の中には、コーヒーの芳ばしい香りが漂っていた。

 士官学校校長のシュターガー・ランドルトと向かい合うように座っていたのは第13王女アルトリリア・ランドルト。彼女も優雅にコーヒーカップを傾け、香りのいいコーヒーを楽しんでいる。


「さて、では話を始めようか。貴様らがなぜこの場で拘束されているか、わかるな?」

「あ……あの……」


 ロレンツォの両手両足が氷のように冷たくなっているのは、拘束されていることだけが理由ではない。

 全身から冷や汗を流し、ガチガチと歯が鳴る音を止められなかった。


「ロレンツォ・ド・キルルージャ、貴様は機密情報盗聴の現行犯、それも再犯として、今こうして拘束されている。軍法会議では機密情報の盗聴に対する刑罰は何か、わかるか?」

「わ……わかりません……あ、あの、校長先生——」

「忘れたか? 私は今、士官学校校長として話をしていない。ランドルト王国軍総司令官として話をしている。それから、そこにいるのは士官学校理事のアルトリリアではない、王国陸軍アルトリリア・ランドルト准将だ」


 いっそのこと気を失ってしまいたい、と思うほどの強い目眩が、ロレンツォの平常心を奪っている。

 動揺したままの頭で、必死で考えを巡らせていた。

 ロレンツォは、士官学校内でアルトリリアとシュターガーの姿を見て、西の辺境伯カーン・ロガンの言葉を思い出していた。


『噂というものはな、恐ろしいものじゃ。容易に捻じ曲げられ、どこの誰がどう関わったかも解らぬ。左様な不確かな、あやふやなものに振り回されるなかれ』


 老獪な、歴戦の軍人の言葉は、ロレンツォの頭に深く強く刻みつけられた。


『確かめなければ』


 若き公爵令息はそう考えて、行動に移してしまった。

 よりによって、子飼いの家柄の者たちを見張りに立たせ、国軍総司令官がいる校長室のドアに耳を当て会話内容を聞こうとした。

 が、幸か不幸かロレンツォが何かを聞く前に、見張りの二人はリュウとリュッケンによって無力化されている。

 当然ながら、校長室には防音の魔道具が設置されているため、ドアに耳を当てた程度では情報が漏れることはない。が、『情報を盗み聞こうとした』という時点で、立派な機密情報の盗聴行為が成立してしまった。


「つまり貴様は、軍の最高機密を盗み聞きした。前回は初犯で、しかもこの士官学校内での行いであったために見逃した。だが、本来機密情報の盗聴は国家反逆罪に問われる行為。それも再犯で反省が見られないとなれば、刑罰はただ一つ」

「ま、まさか、その——」

「死刑だ。連れて行け」

「ま、待って、待って下さい! 誤解です! これは違うんです! そんな、盗聴しようなんてことは考えていません!」

「それを決めるのは貴様ではない。残念だな、キルルージャ公爵家にも貴様の罪が及ぶものと思え」

「お待ちください、総司令官閣下」


 コーヒーカップを丁寧に皿の上に置いたアルトリリアは、ことさらに仰々しい仕草で『総司令官閣下』と声をかけた。


「成績を確認する限り、キルルージャ公爵家令息はなかなかの成績を修めております。その才能を問答無用で『消す』というのは、いささか惜しいような気もいたしますわ。それに、キルルージャ公爵家には令息の国家反逆罪で改易にするか、それとも、総司令官閣下の支持に服従するか、どちらかを選択する最後の機会を与えてもよろしいのではなくて?」

「ふむ」


 シュターガーとアルトリリアが同時に、顔から完全に血の気の引いた令息を見下ろす。

 もはや、ロレンツォに選択肢など残されていなかった。彼は今まさに『処刑を受け入れるか、服従を誓うか』の二択を迫られている。


「貴様の父、宰相のジョルジオをここに呼ぶ。それまでに自分が何をしたのか、よく考えておけ」

「し……司令官閣下……あの、じゅ、准将閣下、私は——」

「不用意なことをおっしゃらない方がよろしくてよ、ロレンツォ君。あなたの言葉の端々、一挙手一投足にキルルージャ家の運命がかかっていると思いなさい。建国以来の功臣キルルージャ公爵家が今日終わるのか、それとも今後も栄光とともに家名を保つのか。自分がどうすれば良いのかよくよくお考えなさい」

「わ、私は……私はその、ど、どうすれば……」

「さぁ、そこはご自分でお考えなさい? 1年の軍学の成績は、確か学年4位でしたわね? ベイン・ジーケンハウス、リカルド・ステルベン、リュウ・ノーチに続いて」

「ま、まさか! そんな、ベイン・ジーケンハウスはともかく、リュウ・ノーチにも私は劣っていたというのですか!」

「あら、ご存知ありませんでしたの? 自分がどの位置にいるのか、自分の上に誰が、下に誰がいるのかを把握することは大切ですわよ?」


 茫然自失の状態でうなだれるロレンツォから、さも興味が無さそうにアルトリリアが視線を外しコーヒーカップに手を伸ばす。

 士官学校校長室のドアが静かにノックされたのは、ロレンツォが目を覚まして2時間後のことであった。


「入れ」

「し、失礼する」


 ドアを開けて姿を現したのは、やや大柄なエルフ族の男。ジョルジオ・ド・キルルージャ公爵であった。


「そ、総司令官、これはいかなることですか」

「何だ公爵、貴様使者から事情を聞いていなかったのか?」

「聞きました……が、その、倅が、国家反逆罪とは……その、それはなにかの間違いでは」

「何かの間違いか否かを決めるのは貴公ではない。軍の総責任者であるこの私だ。残念だが、卿の子息ロレンツォはこの校長室での最高軍事機密に関わる会話を盗み聞きした。それも、今回が2度目だ。これは紛れもなく、意図的な軍事機密の盗聴、国家反逆罪に該当するものである。よって——」


 かん、と硬い音を立て、シュターガーは手に持ったマグカップを机の上に軽く叩きつける。


「ロレンツォ・ド・キルルージャは処刑。キルルージャ公爵家も連座、国家反逆罪の容疑で当主であるジョルジオに公爵夫人、使用人に至るまで全員を即刻拘束する。軍事法廷は開いてやるが、反逆罪は家族全員が連座で責任を負うことになる。卿も生き恥を晒したくはなかろう? 遺言書を書く時間くらいはくれてやろう。ペンと紙はここにあるものを使うがいい」

「お待ちください! これはなにかの——」

「お待ちなさい」


 間違いです、と言おうとしたジョルジオは、とっさに言葉を引っ込めた。

 自分の首筋に、小さく鋭いナイフが突きつけられていることに気づけたのは、中央貴族として暗殺を何度も切り抜けた経験が役に立ったと言えるだろう。


「お待ちなさいリュッケン、それにリュウ」


 公爵の首にナイフの刃を当てているのはリュッケン、そして椅子に拘束されているロレンツォの耳に長い棒手裏剣を突き立てているのはリュウであった。


「なんだ、殺さねぇの?」

「国家反逆罪って確か、死刑しか無いんだよな。アルトリリア様?」

「司令官閣下のお言葉を聞いていませんでしたの? 遺書を書く時間くらいは待つ、とおっしゃいましたわよ」

「じゃあ書いたら殺っていいんだよな?」

「えぇ、それまではお待ちなさい」


 リュウとリュッケンは、平然と恐ろしく物騒なセリフを吐く。

 そのあ(・)ま(・)り(・)に(・)も(・)い(・)つ(・)も(・)通(・)り(・)な口調は、かえって公爵家の二人の背筋を凍りつかせた。


「な、何だ貴様ら……いつ、どうやってこの部屋に入った……」


 ジョルジオは、部屋に入ってからもリュウとリュッケンの存在に気付いていなかった。

 武之内流の『隠形(おんぎょう)』を極めた二人は、たとえ肩に手が届くくらいの距離にいても、気配を殺せばその接近に気付けるものはほとんどいない。

 戦場からの生還を最優先事項とする武之内流の隠形を使えば、ジョルジオとロレンツォの親子のように、首筋にナイフを当てられて初めてその接近と、自らの命が完全に握られていることに気付くことになる。


「そうだな、リュウ、リュッケン。とりあえず殺すな。ただし、妙な動きを見せたら即座に両足の骨を折れ」

「了解」

「うぃっす」


 ふん、と苦笑を漏らして、シュターガーは悠然とジョルジオ公爵へと向き直る。


「軍法会議に照らせば、卿は息子の監督不行き届きで、普通の刑罰なら連座で一族郎党全員が死刑。どれだけ軽くても改易、投獄ののち、鉱山での強制労働だ。当然私は軍総司令官として、軍法に照らし規定通りの対応を考えている。——が、ここにいる陸軍准将アルトリリア・ランドルトからの『提案』に従うのであれば、対応を考えないこともない」

「て、提案……とは……あ、アルトリリア殿下——いや、准将、提案とは一体……?」

「そうですわね。詳しくお話する前に——セシリア」


 アルトリリアがぱちん、と指を鳴らす。

 その瞬間、リュウとリュッケンも含んだ全員が、その場に長身の女が『突然現れた』と感じた。

 実際のところ、腰に双剣を帯びた剣聖、セシリア・カンフルは最初から室内にいた。が、彼女の隠形の術は、リュウを持ってしてもその気配を察することが出来ないほどに極められたものである。

 全員が『今までそこに誰もいなかったのに、突然姿が見えるようになった』と錯覚するのも、無理からぬことであった。


「はぁい、リリア様ぁ」

「これから話す『提案』にキルルージャ公爵とご令息が首を縦に振らない場合——」

「斬りますかぁ?」

「えぇ、そうして差し上げて」

「うふふ……大丈夫ですよぉ? 痛みを感じる前に首を刎ねて差し上げますからぁ」


 氷のように冷たい殺気に、公爵家の二人は文字通り震え上がった。

 セシリアだけでなく、自分たちの背後に立つリュウとリュッケンも、簡単に自分の命を奪えるということが本能的に理解してしまった。


「さて、状況は理解できましたわね? ではこちらの『ご提案』をご説明しますわ。きっと快く承諾いただけるものと信じておりますわよ? キルルージャ公爵」


 この日、日没後空が真っ暗になり、輪のかかった月が天高く登った頃に士官学校を出た公爵とその令息は、まるでズタボロの幽鬼のようになりながら、馬車に乗せられて公爵邸へと向かうことになる。

 翌日、突然の体調不良で欠勤となったキルルージャ公爵は、病気を理由に、建国以来手放さなかった宰相の地位を手放すべく、王弟シュターガー・ランドルト大公に辞表を提出している。

 が、この辞表はシュターガーの預かりとなり、『責任感というものがあるのなら、仕事に穴を開けるな。楽になろうなどと甘ったれた考えは許さない』と言い渡されてしまった。かくしてキルルージャ公爵は、晴れてシュターガーの傀儡に成り果てている。

 ロレンツォは士官学校に戻るが、なぜかSクラス筆頭、リーダーの立場をステルベン辺境伯家令息のリカルドに譲る。

 キルルージャ公爵家の周囲、特に政府の中央にあった他の3つの公爵家からは質問状が送られたが、キルルージャ家は沈黙を守ることになった。


「ロレンツォ様! 一体何があったんですか!」


 しびれを切らしたリカルドは、廊下でロレンツォへ駆け寄った。


「リカルド……皆の前で話したとおりだ。私は……Sクラス筆頭の立場を退くよ。私は、迂闊にも踏み込んではならないものに踏み込んでしまったようだ……」

「ロレンツォ様……?」

「リカルド、良いか。君も気を付けるんだ。この国では何かが起きて——」

「何かが? ど、どうしたんです? 一体何が?」

「いや、コレ以上は君も踏み込むべきじゃない。いや、君は巻き込まれるかも知れないが、私の口から言えることは、もう何もない……もう何も聞かないでくれ。お願いだ」


 かつては、敗北から学び立ち上がろうと意気軒昂であった公爵令息は、力なくそう話すと、とぼとぼと校舎の廊下の奥へと消えていった。

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