88 国の未来
ランドルト王国士官学校の校長室には、若い娘二人と男が二人、4人が顔を合わせていた。
「ご無沙汰しております、アルトリリア殿下。殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「ありがとうございます、アンビュランス少佐。エントラッセン帝国との講和会議以来、ですかしら?」
「はっ、変わらずお美しく、ご壮健にあらせられ祝着至極であります」
「うふふ、ありがとう少佐。でも、そんなに畏まらなくてもよろしくてよ? ベルの言葉遣いとの落差が激しくなりすぎてめまいがしそうですわ」
同室の大柄なエルフの男は、イザーク・アンビュランス。東の辺境伯アルフォンス・ステルベンの右腕を務める男だ。
「しかし、訓練試合とは総司令官閣下もなかなか思い切ったことをなさいましたな。聞けばキルルージャ公爵家からの提案であるとか」
「うむ。まぁおそらくは合同演習での汚名返上の機会を少しでも多く持ちたい、という下心であろうがな。今のところは上位クラスが恥の上塗りを続けている」
「左様でありますか……」
「まぁまぁ! 良いじゃないですかそんなことは。さっきも試合を見てましたが、いやぁ実に良いものを見た。あのヘタレ極まるリュッケンがついに! 奥手で初心で純真無垢なミナ君に公開告白したそうじゃないですか! いやぁ惜しかった、その一部始終を全部、くまなく、じっくりたっぷり見ていたかった! 軍学の初歩の授業なんてしてる場合じゃありませんでした」
「ベルナデッタ嬢、軍学の講義は士官学校でも重要な科目だ。『なんて』とは聞き捨てならんな」
「何言ってるんです校長。国の未来を担う若者同士が、何の不安もなくイチャイチャと色恋に興じていられる、これこそがボクたち軍部の人間が目指すべき社会だ。違いますか?」
ベルナデッタがまともな答えを返すこと自体、シュターガーにとってもアルトリリアにとっても意外であった。
「本来、僕たちの世代なんて異性同性関係なく、もう色恋のことで頭がいっぱい、脳内がまっピンクに染まっていて然るべきです。それが平民だの、平民に毛が生えた程度の騎士爵や準男爵ともなればなおさら。彼らがなんの憂いもなく、ただただ思春期の若者らしくキャッキャウフフとイチャつける世の中、それこそが繁栄する国の姿の一つの側面なのでは?」
「ふむ、なるほど……さすがはアーノルド・ヘルセネンとアンジェラ・カンフル・ヘルセネンの一人娘。弁えるべきことは弁えている、か」
「当然ですとも、総司令官閣下」
通常、士官学校内では誰もがシュターガーのことを『校長』と呼ぶ。
それを、ベルナデッタはあえて『総司令官』と呼んだ。
つまり、これからこの校長室で話す内容は、士官学校に関する話題ではなく『国家と軍に関する話題になる』ということだ。
「そうでしょう? 議題も当てて見ましょうか。我らがランドルト王国の未来を導く暁の星、レオポルト王太子殿下がやらかした、外交上の致命的な失策と、中央貴族と四辺境伯の分断について——ではありませんか?」
「ふむ。これでまだ20歳にもならぬ小娘というのが、頼もしくもあり恐ろしいな」
シュターガーは片方だけ、口角を上げて腕を組んだ。
「レオポルトは、いわゆる『知能の高い犬』といえるだろうな」
レオポルトは決して無能ではない。
個人の武力としても熟練の騎士に肉薄するほどであり、軍学においても士官学校時代には第3席の成績を修めていた。
王族として、王太子としての義務についても強く自覚しており、常に威厳ある振る舞いを心がけている。
ここまでは、レオポルトは突出した能力こそないものの『王族として及第点』といえるだろう。
「あの小僧には、致命的な欠点がある。それは王族としてはもはや取り返しがつかぬほどの欠点だ」
「えぇ、お兄様は『国のために民がいる』と心の底から信じておいでですわ。私とは真逆ですわね」
「ふむ、民のために国がある——か。ディートリッヒの教えだな」
「あら、叔父様もご存知でしたのね?」
「知らいでか。本来ならば、王族すべてが弁えているべき、国家論の根幹だ。国家とはなんのためにあるのか、そのことすら正しく理解できんような小僧が何をトチ狂ったか、とんでもない失態をやらかしてくれたものだ」
「まったくですわ。ですがそのおかげで、私たちも動きやすくなりますわね」
「あぁ、その通りだ」
とんでもない失態、それは紛れもなく、レオポルトが神聖サミッツ皇国の教皇アンナマリアに『自らの帰依を交換条件に、エントラッセン帝国へ侵攻するための軍勢を出してほしい。ゆくゆくは自分が父王ベネディクトを廃し、偉大なるランドルト王となるための後押しをしてほしい』という、身の程知らずにも程がある要求の書簡を送りつけたことだ。
「レオポルトの行動で何より厄介なのは、あやつは純粋な正義感と善意から動いているところだ。その行動に悪意でもあれば、まだ救いはあったのだがな」
「お兄様のもっともたちの悪いところは、まさにそこですわ」
「そうだ。そしてもっとたちの悪いことに、アルトリリア、お前以外の王子王女はすべてがレオポルトの劣化版にすぎんということだ。第二王子ゲオルグは兄と同じで女にしか興味がない。王女たちは着飾ることと茶会と夜会、男漁りにしか興味が無いときた」
「嘆かわしい限りですわ」
「まったくだよ。ボクたち貴族の子女の立場からしても、リリア様と大公閣下以外の王族は正直言ってクソだ。王室歳費をほんの1割削るだけで、王国全土に治療院を建てられる。税金だって遥かに軽くなる。国民の健康水準と生活水準を上げられる。なのに敢えてやらない。なぜか? 国民の生活向上と引き換えにしているものは一体何か、大公閣下はどうお考えになりますか?」
「見栄、矜持、虚飾。要は、膨れ上がった承認欲求だ。隣りにいる者よりも良い生活をしたい、大きな宝石が欲しい、大きな影響力を手にしたい、一人でも多くの軍勢が欲しい、資産を1クローネでも多くしたい……自分が、周りよりも少しでも優れていると実感したい、そういう欲望だな」
「さすが閣下です! そう、王家も、高位貴族の連中も、そのバカげた考えにとりつかれている。今日食べたパンを焼いたのが誰なのか、パンに使う粉を挽いた者はどんな生活をしているのか、麦を育てる者たちが普段何を食べていて、どんな服を着ているのか。パンを運んだ者の子供がどんな学校に通っているのか、そのことに考えが至らない。だからこそ、この国はクソだと言えるんです」
ベルナデッタは大真面目であった。
子爵家の令嬢としては、ベルナデッタは紛うかたなき変人である。
が、一人の個人としては、貴族に対して圧倒的多数を占める市民の基準からすれば、ベルナデッタはむしろ常識的であった。
だからこそ貴族としては異端とされるが、彼女の考え方や行動様式は、王都だけでなく地方都市や農村によくいるただの村娘のようである。
そこに、全貴族の中でもトップクラスとなる頭脳と、国家最高の教育、常識にとらわれない父の理解を得たことで、他の誰にも真似も出来ず、追いつくことも出来ない天才ベルナデッタ・ヘルセネンという人物が生まれることとなる。
「大公閣下、リリア様。ボクはレオポルトの行動がどうしたって理解できないし許せない。アイツがどうして、よりによって不可侵条約を結んだばかりのエントラッセンに攻め込もうとしてるのかが理解できないし、その行動で自分が『玉座にふさわしい人物だ』とアピール出来ると信じている、そのロジックも全くわからない。でもコレだけは言える。あいつはクソだ。いや、そんなこといったら馬糞に失礼なくらいだ。あいつだけは、絶対に王にしちゃいけない」
「ベル。深呼吸なさい。私もまったくもって同じ意見ですわ。叔父様もそうなのではなくて?」
「あぁ。我が兄ベネディクトも酷かったが、レオポルトは救いようがない。どうせ『強大な国家エントラッセンを相手に一歩も引かぬ、強靭にして戦神に愛された強い男』としてのアピールが出来ると考えたのだろうが……その行動で何人の兵が死ぬか、どれだけの民が辛酸を舐めるかを考えておらん。だからこそ、私は年長の王族としてあの小僧を玉座から遠ざける責任がある。その責任を果たすのに最も確実なのは——」
ちら、とシュターガーは部屋の入口へと視線を向ける。
素早くアルトリリアに目配せをすると、それだけで何かを察したのだろう、アルトリリアは小さくうなずき、ゆっくりと立ち上がる。
音もなくドアに歩み寄ると、勢いよくドアを開いた。
「あっ——」
「盗み聞きとはお行儀が悪いですわね。レディの秘め事に聞き耳を立てるのは、紳士として誇れる行いではなくてよ? ロレンツォ・ド・キルルージャ」
「……あ、アルトリリア殿下……」
廊下の奥から、何者かが走り去る足音。その直後、くぐもった悲鳴のような声に続いて何か重たいものが倒れる音が響いてきた。
「リリア様、コイツら逃げようとしたからとりあえずシメといたけど、殺さないほうが良い?」
「えぇ。後でじっくりお話を聞いて差し上げますわ。とりあえず連れて入っていらして。リュウも、アルムも、それにリュッケンも」
「骨は折ってある」
「よくやりましたわアルム。さすが、リュウとは息がぴったりですわね?」
「私はリュウのヨメ。これは夫婦の共同作業」
「だな」
苦笑を浮かべたアルトリリアは、いつの間にかロレンツォの襟元を掴んでいた。
「さて、キルルージャ公爵令息であるあなたが、国軍総司令官と国軍准将の会話を盗み聞きとは、これはただごとでは済まされませんわね?」
「お、お許しを……これはその、ち、違うのです! 私は何も聞いてはおりません!」
「それを決めるのは貴様ではない、ロレンツォ・ド・キルルージャ」
低く穏やかな声がロレンツォの心臓を鷲掴みにする。
睥睨という言葉がこれほど似合う目つきもなかろう、というほどに冷たい目で、シュターガーは若き公爵家令息を見下ろした。
「校長先生! こ、これはその、違うのです! 私たちは偶然校長室前を——」
「貴様は、今自分が誰と話しているかも分からんのか。私は士官学校校長として話しているのではない。国軍総司令官として話をしている。そもそも貴様、盗み聞きは初犯ではないだろう。これで2度目だ」
ロレンツォの顔から血の気が一気に引いた。
これが『士官学校内で校長の話を偶然耳にした』という程度ならば、叱責や訓戒程度で終わるだろう。だが、総司令官と国軍准将の会話となれば話は別だ。
おまけに再犯ともなれば、もはや情状酌量の余地などない。間違いなく逮捕され裁判にかけられる。
それも、爵位など何の意味も持たない、軍法会議だ。
「ロレンツォ・ド・キルルージャ。貴様どうやら、軍事法廷というものによほど興味があるようだな」
「ぐ……軍事、法廷……」
ふら、とよろめいたロレンツォがもたれかかったのは、大柄な獣人族のリュッケンだ。
リュウ、アルム、リュッケンの3人が運び込んだのは、いずれも士官学校の1年生から3年生の学生で、キルルージャ公爵家の派閥に属する家の子弟だ。
「残念だな、ランドルト王国の将来を担うであろう若者を、このような下らんことで消さねばならんとは断腸の思いだ」
「えぇ、まったくですわ閣下。さて、ロレンツォ・ド・キルルージャ、何か言い残すことはあって? 最期の言葉くらい、聞いて差し上げてもよろしくてよ?」
校長室に捉えられた4人の若者は、あまりの恐怖に同時に気を失ってしまった。




