86 お手本
すでにAクラスは2敗、もはや後がない崖っぷちであった。
おまけに中堅として名を呼ばれたのは、Gクラスは魔神、闘神と恐れられ、士官学校内でも『エントラッセン帝国軍の軍曹を手玉に取った』と噂される戦闘力の権化、リュウ・ノーチである。
誰もが尻込みするかと思いきや、鼻息も荒く立ち上がったのは他ならぬAクラス中堅の男、アルフレッド・ランゲルハンス侯爵令息である。
「ようやく……ようやくだ! この時をずっと待っていたぞリュウ・ノーチ! ここで会ったが百年目! 積年の恨み、兄上の仇、ここで晴らしてやる! 八つ裂きにしてやるぞこのド平民が!」
口角泡を飛ばす勢いでまくし立てたのは、大柄なノーム族の青年であった。
「家名を穢された無念……あれ以来我が家は屈辱にまみれていたのだ! この恨み晴らさでおくべきか! このアルフレッドが貴様に天誅を下してくれる!」
「………………え、誰?」
こめかみに血管を浮き上がらせた男を目の前にして、リュウは本当に『ちょっと何言ってるかわからない』といった表情を浮かべる。
「兄上が貴様の卑劣な策略に貶められてはや1年……まさかこのランゲルハンス侯爵家の名を忘れたわけではないだろうなァ!」
「いやー……マジで分かんない。どっかで会ったっけ?」
「きっ……貴様ァ……ッッ」
「え、なにこわーい、ねぇマーゲン先生、こいつ何でこんな初っ端からキレ散らかしてんの? 俺こいつ知らないんだけど」
審判を務めるグレゴリオ・マーゲンは特大のため息を吐いて、心底呆れ果てたような顔をリュウに向けて見下ろした。
「リュウ・ノーチ、貴様覚えとらんのか。入学してすぐの頃に、上級生と賭け試合をしたことがあっただろう。名前も聞き覚えはないか?」
「やー、喧嘩売られるのとか日常茶飯事すぎて、いちいち覚えて無いっすよ」
「……貴様、どうやらその様子だと本当に覚えておらんようだな?」
「だって俺、こいつ知らねぇもん。え? マジで誰? どっかで会った? ……ってそうだ! 思い出した!」
ぽん、と手を打ったリュウは目の前の中堅の男アルフレッドを指さした。
「お前アレだ、前期のほら、えっと、いつだっけ? 先月か先々月か、購買部で俺が最後のメンチカツ取って、それでコロッケしか残ってないって騒いだやつ!」
「違ァう‼」
「えー? じゃ誰だよ、わかんねぇよ。ヒントは? 学校の前のコロッケ屋……じゃないよなぁ? お前貴族だもんなぁ」
「き……貴ッッ様ぁ……」
プルプルと怒りに震えるアルフレッドは、すでに魔力の制御も失いつつあった。
「ね、ねぇリュウ? その人ひょっとしたら、アルバート・ランゲルハンスの弟か誰かじゃない? ほら、リュウが喧嘩売られて、賭け試合になったあの上級生の。私がほら、賭けに勝って沢山お金もらったあの時の」
ミナの言葉に、Gクラスの面々もぽん、と手を叩く。ミナ以外の全員が覚えていなかったのも実にGクラスらしいところだ。
「あっ、あの時の……」
「あー、いたなぁ、何かそんなの」
「あの雑魚の弟?」
唯一覚えていたミナに、ある程度控えめなベインを除くと、のほほんとしたリュッケンとアルムの態度はあからさまにアルフレッドの逆鱗をグリグリと刺激するものである。
「黙れ! 貴様ら低級貴族ごときが、我が栄光のランゲルハンスの名を軽々しく口にするなァ! リュウ・ノーチ! 貴様はこの場で八つ裂きにしてもなお飽き足らん! 全員の前で這いつくばらせて、土下座をさせてくれる!」
「んー……駄目だ、やっぱ思い出せねぇや。誰だっけ? そのアルバートなんとかっての?」
突如アルフレッドは、マーゲン教師の合図を待たずにリュウに切りかかった。
訓練用に刃引きをしてあるとはいえ、当たりようによっては命を奪うほどの威力がある剣で、全身全霊をかけた初撃である。
が、不意打ちの初撃は、リュウの最小限の体捌きで躱されてしまった。
「待たんかァ! アルフレッド・ランゲルハンス! 開始前の攻撃は反則! 減点5だ!」
「動くなリュウ・ノーチ! 貴様だけはこの手で殺してやる! 殺してやるぞ平民め!」
もはや誰の制止も効かない状況。
怒りに我を忘れてしまった状態にもかかわらず、アルフレッドの剣筋は一定の品質を保っていた。
2年生にして剣術ブロンズ級の認可を受けているアルフレッドは、一応の基礎だけはしっかりと出来ている状態である。
「武の名門! ランゲルハンス家の剣を受けてみるが良い! 正々堂々と勝負しろぉ!」
「いや、不意打ちするやつが言うセリフじゃないよな、それ」
「黙れ平民! お前らは貴族に傅いていれば良いのだ! 身の程を知れ!」
怒声を浴びせながらの剣撃は、ことごとく空を切る。
今の時点で、剣術シルバー級を修めたベインにとっても、アルフレッドの太刀筋は容易に見切れる程度の水準である。
「なぁベイン、ブロンズ級ってあの程度なのか?」
「い、いやぁ……でもまぁ、全体的に粗いというか、なんというか——」
「お粗末」
かなり気を使ったベインのコメントに、一切の情け容赦がない言葉を被せたのはアルム。そして凄まじい風切り音を立てるアルフレッドの剣に『はわわ』と情けない声を上げているのがミナだ。
「大丈夫ミナ。あんな風車、リュウにカスることだってない」
「で、でもアルム? 凄い迫力だよ? あんなの当たったら怪我しちゃう」
「いや、大丈夫。アルムの言うとおりだよ。彼の剣は予備動作も斬りかかる動作も大きすぎて、リュウにとっては避ける程度のことは造作もないと思う」
ベインはじっとアルフレッドの豪快な剣とリュウのコンパクトで地味な脚捌きに視線を向けていた。
とにかく動きが大きく豪快なアルフレッドの攻撃は、ベインの指摘通り、リュウにとっては『今から下段を突きます』『次は上段の袈裟斬り』『胴突きを出します』と大声で予告をしているようなものだった。
「クソッ! 卑怯者め! 正々堂々と戦え! 逃げるな!」
「いや、避けるだろ、常識的に考えてさ。もうホントさっきから何言ってんのコイツ」
「お前が卑怯な真似をしなければ、兄上は負けることなんて無かった! わがランゲルハンス家が屈辱を受けることも無かったァ!」
「いや、負けたんだからしょうがないだろ。負けた方が弱いんだよ。お前の兄ちゃんとか知らないけどさ」
「うおおおああ! 死ねェリュウ・ノーチ! 大人しくこの剣のサビになれ!」
「いや、だから避けるって」
はたから見ればまるで茶番、コメディにも見えるやり取りだが、少なくともアルフレッド・ランゲルハンスにとっては真剣であった。
兄アルバートは、士官学校内の試合でリュウに『壊され』て以来、ずっと邸宅から一歩も外に出ることが出来ないでいた。
両腕、両足の関節を完膚無きまでに破壊され、今でも介助がなければ自力で車椅子に乗ることすら出来ない。
さらに、事実上賭けに負けてしまったがために、ランゲルハンス侯爵家はその家計が大幅に傾くこととなってしまった。それだけの金額が、Gクラスのミナ・サージェリーのもとに流れ込んだことになるのだが、貴族が家門の名において約束した内容は、何があろうと果たさなければならない。
結局、アルバートは最高の治療院への入院を断念し、今も自宅内で継続して法術士の出張治療を受けている状態だ。
「兄の仇! 避けるな! 逃げるな! それでも貴族か貴様ァ!」
「だから平民だって言ってんだろ、しつっこいなぁコイツ。マジで誰だよ……」
さすがに一方的に剣を振り回し続けて数分、大柄なアルフレッドも呼吸が乱れ、ただでさえ雑であった太刀筋がさらに大雑把になってきた。
「あーもう面倒臭ぇなあコイツ。もう良いや。——リュッケン! 手本見せるから見とけよ! あとアルムも!」
「見る。超見る」
「おっ、頼むぜリュウ!」
リュウの声に反応したアルムとリュッケンは立ち上がり、身を乗り出してきた。
「リュッケンも思い出せよ? 踏み込みと、身体の軸と、螺旋。それから呼吸だからな」
リュウはあからさまに体ごとリュッケンとアルムの方を向き、アルフレッドにとんでもない隙を見せる。
「うおおおおおお! リュウ・ノーチ、討ち取ったぁ!」
これが士官学校内の訓練試合であることを綺麗さっぱり忘れさったアルフレッドの怒声が響くなか、リュウは落ち着いて大柄なノームの青年に向き直る。
「呼吸! そして踏み込み!」
ずん、と小柄なリュウの足音と思えないほど重たい足音が響く。大きく踏み出し強く脚を踏みしめる『震脚』だ。
リュウが、身体を大きくねじるような動作を見せた。
踵から膝へ、膝から腰へ、腰から背骨へ、背骨から肩へ、肩から肘へ、肘から手首へ、そして手首から掌底へ。
全身の関節を柔らかく、螺旋を描くかのように連動させて放たれた掌底は、アルフレッドの鳩尾に導かれるようにめり込む。
どずん、とまるで巨大な鉄柱で腹を突かれたかのような音が響き、発剄をカウンターで食らったアルフレッドの身体は、巨大な猛牛に轢かれたかのように弾け飛んだ。
中国拳法においては発剄と呼ばれ、武之内流では『通し』と呼ばれる、当て身技の『奥伝』の技である。
闘技場の木製の壁を突き破り、Aクラスの副将と大将が待つ席まで吹き飛ばされたアルフレッド・ランゲルハンスは、その場で気を失った。
「勝負あり! まったく……開始の合図も待たずに切りかかった上、審判の指示に従わなかったな。まぁ判定するまでもあるまい。勝者、Gクラスのリュウ・ノーチ! 先に3勝したGクラスが、クラス対抗戦勝利であァる! 次ィ! 副将、Gクラスはリュッケン・クロア!」
闘技場から降りるリュウとすれ違うように、円形の石の舞台に登った獣人族、誇り高き赤狼の戦士の子リュッケンは、もはや戦意を失いつつあるAクラスの副将に背中を向け、なぜかGクラスのクラスメイトの下へと歩み寄った。
「ん? どしたリュッケン? トイレか? ウ〇コならさっさと行って来いよ」
「違う! いや、その……」
何かを思い詰めたかのような表情のリュッケンは、不自然に何度か深呼吸を繰り返し、『っし』と呟いてから胸をそらす。
「ミナ!」
「えっ? ……え? ど、どしたのリュッケン? お腹痛い?」
「だから違う! あの……お、俺! 必ず勝つから! だからその、あの……」
不意にしん、と闘技場が静まり返る。
全員の、審判のグレゴリオ・マーゲンの視線までもがリュッケンに向けられた。
「俺が勝ったら! ミナ、俺と付き合ってくれ!」
周囲のクラスの女子達から黄色い歓声が上がった。
普段階級意識丸出しの士官学校のクラスであるが、十代なかばから後半にかけての女子にとって、このような『公開プロポーズ』に近い告白は、爵位や階級を問わず憧れるものである。
自然と、全女子生徒の視線は舞台の下で真っ赤になって立ち尽くし、『あ、あの』『えっ? えっ?』『はわ、はわわぁ』と情けない鳴き声を漏らしているミナに向けられる。
完全にダシにされて憤懣やる方ないAクラスの副将は、周囲からいないものとして扱われ、なぜか同じAクラスの面々からも敗北を願われる羽目になったが、これは決して彼の日頃の行いだけが原因とは言えない。
「ミナ、リュッケンの心意気に答えるのも、女の器量」
「ふ、ふえぇアルム、あの、あの、私——」
「ほら、リュッケンに何か言って」
いつの間にかミナに歩み寄っていたアルムが、優しくミナの背中に手を添える。
「——え、えっと、リュッケン」
「おう!」
ミナは何度か不自然に深呼吸をしてから、大きめの手をギュッと握りしめて、闘技場に向けて突き出した。
「頑張って!」
「——ッしゃあ! 見てろよミナ! ソッコー終わらせる!」
ズンズンといつになく気合が入ったリュッケンの耳には、今度はミナの『やだ、もうやだ、恥ずかしいよぅ』というボヤキは届かなかった。




