85 逆鱗
今回の訓練試合では、Gクラスの相手は上位から2番目となるAクラスであった。
侯爵や伯爵家といった爵位の家の子弟が所属するクラスで、その実家の殆どが中央貴族、つまり文官か軍の中央にいる家柄だ。
中には生粋の軍人武人の家の出自の者もおり、代表の5名はそんな武門の家の出身者だった。
「ではGクラス先鋒はアルム・ファーマシー! Aクラス先鋒、ブランドン・デュルダンス!」
闘技場の中央に歩み出たのは、かなり背の高いエルフ族の男だった。
短い杖を手に持っていることから、魔法を武器として戦うタイプであることが見て取れる。
「お前がアルム・ファーマシーか。知っているぞ? ファーマシー士爵家の忌み子、慰み者か」
大柄なブランドンの言葉に、ぴく、とアルムの眉が少しだけ動く。
「あーぁ、あのデカいの死んだぜ」
「だよな……まぁしょうがねぇよ。わざわざドラゴンの逆鱗撫で回しに行ったようなもんじゃね?」
「やれやれ……マルコ先生、法術士を用意しておいたほうが良いかもしれません。アルムが本気で怒りますよ」
リュウもリュッケンも、そしてベインもアルムの気配が変わったことを敏感に感じ取っていた。
「今の内に負けを認めれば、優しく可愛がってやる。俺は心が広いからな。さぁどうする? 俺は身体強化も魔法も遠慮なく使うぞ」
「ブランドン・デュルダンス! 私語を慎めェい!」
「ククク……良かったなぁ? Gクラスなのに先生に守ってもらえて。可哀想になぁ、お前はこの先一生這い上がれないだろうな。忌み子はせいぜい、エルフの男のモノを咥え込んでれば良いんだよ」
「ブランドン! 貴様審判の注意に従わなかったな! 減点——」
「構わない。どうせこいつが喋れるのはこれで最後になる。今のうちに思う存分囀ればいい」
アルムは腰のポーチから使い慣れた縄鏢を取り出すと、先端のクナイをぶらんとぶら下げた。
「ハゲ先生、早く始めて」
「誰がハゲかァ! 吾輩はグレゴリオ・マーゲンであァる! では両名構え! 始めェい!」
ブランドンは素早く後ろへ飛び退いて距離を取り、短い詠唱の後火球をアルムに向けて打ち出した。
1発だけではない、矢継ぎ早に何発も火球がアルムめがけて撃ち出された。
通常なら、魔法を連発するのは上級者にしか出来ない芸当だ。ブランドン・デュルダンス侯爵令息は魔法の名門の家の令息だけあって、その技術は熟練の域に達している。
通常なら、魔法を使えないエルフ族の少女など、炎に怯えて身体も硬直し、戦いにすらならないはずだった。
「……ナニやってんだアルム、何で攻撃しない?」
リュッケンが不思議に思うほど、アルムは大人しかった。
手に持った縄鏢もいつの間にかポーチへしまい込み、その手には小さな手裏剣が握られているだけだ。
「あっはっはっはァ! そぅら逃げろ逃げろ! 無様に逃げ惑え! 今から降参しても優しくしてやらんぞ!」
かなり派手に火球を連発するブランドンが操っている魔法は、魔力の消費も小さなものであるが、それだけにある程度の魔力量を持っていれば、ほぼ無尽蔵に連射を続けることが出来る。
ブロンズ級魔道士の認可を受けたブランドンにとって、火球の連発など文字通り一晩中でも続けることが可能だった。
「アルム、大丈夫かなぁ……調子悪いのかな」
「いや、アルムは……あれはキレてるな」
「キレてる?」
「あぁ、あのデカ男、多分エラい目に遭うぜ」
アルムが火球の魔法から逃げ回ること数分、まだブランドンは息切れも起こしていない。
対するアルムは手裏剣の一つも投げていなかった。
「さぁて、どうやって可愛がってやろうか……選ばせてやるよ、前からがいいか後ろからが良いか」
Aクラスの者たちは、下卑た笑みを浮かべ舌なめずりをするブランドンの勝利を信じて疑わなかった。
コレまで上位クラスの者に対し大逆転を繰り返し、不自然なほどに無敗を誇っていたGクラスに、ようやく身の程を思い知らせることが出来る。
周囲で観戦していたBクラスやCクラスの者たちも同じことを考えていた。
それだけに、アルムの腰のポーチの内の一つが、いつの間にか空になっていることに気付くものはいなかった。
「クククク……そうだなぁ、オマエ胸も無いから後ろから——」
「黙れ」
言葉の途中であったにもかかわらず、ブランドンはまるでアルムの言葉が上官の命令であるかのように、即座に身体を地面に叩きつけた。
「…………な……? な、なんらこれは」
顔を闘技場の地面から起こすことも出来ず、ブランドンはなんとかして身体を起こそうとする。が、まるで全身の骨が抜けてしまったかのように這いつくばった姿勢から身を起こすことが出来なかった。
「なるほど、経絡か」
「けいらく? 何だそれ?」
リュウが腕組みをしてじっとアルムの指先に視線を向けた。
細いアルムの指には、ギリギリ目視出来るレベルの細い針があった。
「アルムはただ避けてたんじゃない。あのブランドンの身体の『ツボ』に針を打ってたんだよ。アルムに教えたのはマッサージに使えるものだったけど、まさかここまで使いこなすとは思わなかったなぁ。いや、やっぱ凄ぇや。アルムって器用だな」
ブランドンの全身には、すでに十数本の針が打ち込まれており、さらにその針にはご丁寧に筋弛緩作用がある薬が塗られている。
全身の『筋肉を弛緩させる、全身のコリに効くツボ』に打ち込まれた針の作用により、ブランドンは自分の舌すらまともに動かせなくなりつつあった。
「このド変態。間男。強姦魔。オマエみたいな男は、すべての女の敵」
アルムは静かに語りかけながら、這いつくばるブランドンにゆっくりと歩み寄る。
その手には、小さな両刃のクナイが握られている。縄鏢の先端にくくりつけられているものだ。
鋭いクナイの切っ先をブランドンの目の前にぶら下げて、アルムはしゃがみ込んだ。
「私はオマエみたいなコドモじゃない。だから選ばせてあげる。前からが良いか、後ろからが良いか」
「な、あ、あえ、あい……」
舌も動かせず、顎も動かせない。ブランドンの表情は全く変わらないが、これは表情筋すら弛緩しきっているせいだ。
言葉すら出せないために、降参の意思表示も出来ない。
完全に詰みどころか、絶望の状況である。
「返事がない? なるほど両方? さすが強欲なエルフ男、欲しがる」
「あ、あぇ、あっひぇ……」
ぺち、とクナイの刃をブランドンの顔に当てると、ゆっくりと刃を当てて動かしていく。
エルフ族特有の整った顔に、赤い線が刻まれていった。
「言うに事欠いて、人妻に『前からか後ろからか』なんて言うからこうなる」
「あ、あぁ、ああああ」
「大丈夫、丁寧に丁寧に刻んでやる。痛みも感じない。ほら、その証拠にオマエは気付いてない」
「あ? ぇあ、あぉあぃぇあ……」
改めてアルムがブランドンの目の前にクナイをぶら下げる。
その鋭い切っ先から、赤い血がぽたぽたと落ちていた。
長身のブランドンの背中、首の付け根の少し下あたりに小さな穴が開けられていた。軍人の傷としては、取るに足らないほど小さなものだ。
が、その傷はエルフ男の脊髄深くにまで達する深さであった。
「痛みが無い、ナニをされてるか解らないのは怖い?」
「お、ぉあえ、あ、あぃお」
「リュウから聞いた。身体には神経というものがある。それが切断されると、切られた先の感覚が失われる」
アルムの無感情な、落ち着いた、穏やかな言葉は、ブランドンの耳には死神の声のように響いていた。
ブランドンはすでに、首から下の感覚がまったくない。何なら自分の両手足が地面に付いているはずなのに、その感触すらなくなっていた。
「このままオマエを豚小屋にでも放り込んだら面白そう。豚は何でも食べる。肉も食べるって知ってた?」
ブランドンの血走った目から涙がボロボロとこぼれ始める。
「豚に聞いてみれば良い、オマエを前から食べるか、後ろから食べるか。どうする? どっちからが良い?」
ぐる、とブランドンの目が白目を向き、恐怖のあまりか、強制的に全身の筋肉を弛緩させられたためか、麗しいエルフ族の侯爵家令息は無様に失禁、脱糞したまま意識を失った。
大きくため息を吐いてからアルムは立ち上がり、大柄なエルフ男の身体から丁寧に針を抜き取っていく。
「ハゲ先生、どうする? このまま続けても良いけど」
「しょ……勝負あり、だな……アルム・ファーマシー、この男に一体何をした」
「試合の上での不幸な事故。法術で神経がつながれば良いけど」
「……ふむ。では先鋒戦はGクラス、アルム・ファーマシーの勝利である! Aクラス! ブランドン・デュルダンスを救護室へ運べ! 次ィ! 次鋒戦、Gクラス、ベイン・ジーケンハウス前へ!」
ベインと入れ替わるようにリュウの元へ戻ってきたアルムは、当然のようにリュウと密着するように椅子に腰を下ろす。
「やるじゃんアルム、アレ教えてないよな?」
「私は1を聞いて10を知る女。リュウのマッサージからヒントを得た」
「こ、怖ぇなぁオイ、意識があるのに身体が動かない、感覚も無いってこと?」
「そう。尋問なんかにも使える。リュウが私のカラダに色々教え込んだ。私はリュウに仕込まれた女」
「そっかぁ。リュウのマッサージかぁ……マッサージってアルム!? えっ? ちょ、待って? 仕込まれたって? リュウにその、そんな、触らせて——」
「しー。ミナ、大丈夫。寮に帰ったら色々教えてあげる」
相変わらず純真無垢なミナは、アルムの唐突な下ネタへの対応が追いつかない。
実際のところ、カンフル辺境伯邸でリュウとベッドを共にしたアルムは、『リュウのカラダをほぐして疲れを癒してあげたい』とマッサージのコツを聞いたときに、経絡や神経といった知識を手に入れている。
実際にリュウの手と指で自分の身体を使って教わった知識と体験は、早速こうして戦いの現場に活かされる事となる。
「実際あるんだよ。武之内流でも『点穴』っていう技法なんだけどさ。いやぁ、でも針を合わせて使うってのはさすが、器用なアルムならではだな。多分俺でも出来ない。俺だったら指とか棒とかで押すくらいかなぁ」
「リュウ、私凄い?」
「凄い。ホント凄いよアルム」
「……もっと褒めて。私、危うくあのデカいのに犯されるところだった」
「だよなぁ、ホントあり得ねぇよなアイツら。誰のヨメに手ぇ出そうとしてんだよ」
「よ、ヨメって…………良いなぁ……」
再び呟いたミナの声。
リュッケンの鋭い聴覚は、ベインがあっさりとAクラスの次鋒を一方的に仕留めた悲鳴と歓声の中でも、最も大切であろう相手の声を聞き漏らすことはなかった。




