82 宰相の器
薄暗い邸宅の一室では、ボトル1本で市民が半年暮らせるほどの値段のワインが惜しげもなく開けられていた。
キルルージャ公爵家は、ランドルト王国が帝国の一部であった頃から、王を支える宰相を務めている家柄であり、王家に次ぐ長い歴史を誇る。
その由緒正しき公爵家の当主、ジョルジオ・ド・キルルージャは、すでに数十年もの間宰相として国政の頂点に君臨し続けている。
「ほうほう、珍しいものじゃ。この時期に生の果物とは、これは贅沢ですなキルルージャ卿」
テーブルについて美味そうに果物を食べているのは、西の辺境伯カーン・ロガン老。
だだっ広い部屋の中には、キルルージャ公爵とロガン辺境伯の二人、それに給仕に加えメイドが2人の合わせて5人だけしかいなかった。
「なに、王都への流通網が育ったおかげだ。たしか……マルコ・シーネとかいう若造だったか。魔法陣学に詳しいらしいが、その男が冷蔵の魔道具を作って以来だな。王国辺縁部の農村から新鮮な野菜を王都まで運べるようになった」
「ふぅむ。左様じゃな。確か冷蔵の魔道具の開発には、亡くなられたヘルセネン子爵夫人も関わっておられたと聞くが」
「女に何が出来るというのだ。まったく、カンフル辺境伯といい、最近の女は慎みというものを知らんと見える」
ジョルジオは無能な男ではない。
むしろ政治家としては極めて有能であり、特に多数派工作に関しては天才的と言える手腕を持つ、名宰相と言っても過言ではない男だ。
彼の息子ロレンツォは現在士官学校2年生のSクラスとして在学している。
「アルトリリア殿下にも困ったものだ。どうも国を割るなどというとんでもない野望を抱いているそうではないか。おまけにフェルンバンド家の子息との婚約も破棄に至ったとか」
「ふむ。その話は儂も聞き及んでおりますな。フェルンバンド家のご令息が男爵家令嬢を見初め『真実の愛に目覚めた』などと、公衆の面前で浮気を認めたそうじゃな」
「まったく嘆かわしい……エルフの女ならば、夫の愛人の二人や三人、むしろ誇るべきではないか。卿は西のフェルンバンド家の派閥であろう? フェルンバンド卿から何か聞いておらんのか?」
「いや、何も」
ロガンは晩秋には珍しいイチジクの薄皮を器用にむいて、上品にナイフとフォークで捌いて口へ運ぶ。
「宰相閣下には、フェルンバンド卿から婚約破棄について何かお話は?」
「無い。そもそも財務卿を務めるフェルンバンド公爵の手腕も、前々から疑わしいと思っていたのだ。決算報告の提出は度々遅れる、息子の手綱を操ることも出来ん。よくもあのザマで公爵を名乗れるものだ。そうは思わんかロガン卿」
「いやはや、全くですな」
「我々貴族は、もっと気高くあるべきなのだ。そして何よりも有能で、優秀であらねばならない。無能な貴族など切り捨てられて然るべきである」
いつの間にか、キルルージャ公爵は立ち上がっていた。彼の評判は真っ二つに分かれているが、どちらの評価においても彼の演説好きは長所とも短所とも取られている。
「確かにベネディクト陛下は浪費がすぎる。後宮予算は年々かさむばかりだ。だがそこはフェルンバンド公爵ら財務省が管轄すべきであって、軍の予算を削ったりするべきではないのだ。帝国を抑え込んだステルベン卿の功績には是非報いねばならんが、軍部の予算を削ってしまった今となってはそれも難しい」
「左様ですなぁ。儂ら軍部のものの予算をいの一番に削られては、国の境を護る儂らも動きが限られようもの。先日も神聖サミッツ皇国のシルルジア枢機卿猊下からの書簡を携えた騎士が参りましてな。なんでも猊下のもとにレオポルト殿下が書簡を送られたとか」
「何……だと?」
ぴたり、とキルルージャ公爵の動きがとまり、鋭い目を老ドワーフへと向けた。
この情報は、ランドルト王国の隅々まで情報網を張り巡らせているジョルジオも知らないものだった。
「卿はその書簡とやらの中身は——」
「もちろん、存じております。シルルジア枢機卿猊下から、その書簡の真意を尋ねられましたでな。いやはや、我らが王国の暁の星、次代の王レオポルト殿下は憂国の士であられる。が……いささかその行動には思慮が伴っておらぬとみえますな」
ロガンは懐から紙片を取り出し、ジョルジオの前に差し出した。
間違いなくランドルト王家の封蝋が施されていた書簡は、やたら装飾が多く読みづらい字体で書かれている。
「な……なんだコレは……私は聞いていないぞ! 何だ、一体どういうことだこの書簡は!」
「はて、中央におられる宰相閣下がご存じないとは、これは異な仰せですな。正直なところ、枢機卿猊下にはなんと返答したものかと困り果てておりましてな」
書簡は、なんと教皇に直接宛てたものであった。
形式上、ランドルト王家も大精霊教会に毎年寄進をしている立場であり、世俗派の信徒でもある。とはいえ、国教として定めているというものでもなく、国内においてはある程度信仰の自由が認められている。
そんな国の王太子が、なんと『汚らわしいドワーフが治める、西の辺境伯領を皇国に献上する。だからエントラッセン帝国を打倒するために、精強無比な鉄十字騎士団、精霊の剣騎士団をステルベン辺境伯領へ派遣されたし。ただしその際の費用と兵站は貴国に負担願いたい。成功の暁には、褒美として美しき教皇アンナマリアを正妃として迎えることもやぶさかではない』という、不遜にも程がある内容であった。
もしもこの書簡が教皇アンナマリアの手にわたっていたとしたら、どれだけことを穏やかに収めても国際問題は避けられない。
最悪の場合、『教皇聖下への許されざる侮辱、大精霊を冒涜する古今類をみない愚挙である』とされ、ランドルト王国と神聖サミッツ皇国との戦争が起きてしまう。
「どうやら枢機卿猊下が、この文章を教皇聖下に本当にお見せして良いものか、その文書の真意を我が国に問いただしに来た、というワケですな。まぁわざわざ鉄十字騎士団300騎も揃えて来たのは、『やるならやるぞ』という意思表示でありましょうなぁ。儂もこのレオポルト殿下からの文書は全く持って知らぬものでしてな。レオポルト殿下の教育とその動向、スケジュールの管理は四公爵家の管轄となるべきもの。儂は返答は避けておりますがな、いずれにせよ公爵家の方から非公式にでもシルルジア枢機卿猊下に返答せねばならぬじゃろう」
「あっ……あの、あの男は……あのバカはいったいどこまで……」
「儂も、恐れ多くもベネディクト陛下より西の守りをお預かりする身。その西の地を突然皇国に献上する、割譲するなどという内容で、正直困惑しておりましてな。王家としてのお考え、宰相閣下のお考えをぜひとも糺したいところ。さて宰相閣下、この文書の内容以前に、レオポルト殿下が対外的に出してしまった文書の存在を閣下がご存じないということ自体、大問題では?」
「……申し訳ないロガン卿、私は急用が思い出した。どうぞごゆるりと、酒と食事を楽しまれよ。ここからは息子がおもてなしさせていただく」
足早にジョルジオが部屋を出た直後、廊下に宰相の怒声が鳴り響く。
にわかに公爵家が慌ただしくなった。
「……小童が、この程度で狼狽えおって。斯様な小物が宰相の椅子にしがみついておっては、やはりこの国の未来は暗いと言わざるを得ぬわい」
とびきり高いワインを一気に飲み干すと、ボトルを自分の手元に引き寄せてどぼどぼと豪快にグラスに注ぐ。
皿の上には鴨肉のローストに柑橘のソースがかかった絶品の料理が載せられている。キルルージャ公爵家の料理人はかなりセンスが良いようである。
「失礼します、ロガン辺境伯閣下」
少し静かになった廊下から、ドア越しに若者の声が聞こえてきた。
メイドが静かにドアを開けると、まだ若い青年が姿を現した。引き締まった表情の若き公爵令息、ロレンツォ・ド・キルルージャである。
「父が大変失礼いたしました。ここからはこのロレンツォが、おもてなしさせていただきます」
「ほう、宰相閣下のご令息か。いや大きくなられた。覚えておるかの? まだ幼い頃に一度お会いしたことがある。確か今は士官学校の2年生と聞いたが?」
「はい。2年生のSクラスに在籍しております」
「そうかそうか、2年のSクラスであれば、アレじゃ、ステルベンの小僧も2年生であったか」
「はい。リカルドは親友です」
「ふむふむ、結構結構。若者が切磋琢磨する姿は老人には眩しく見えるものじゃ。さぁ席につかれるが良い」
「ありがとうございます」
律儀に一礼してロレンツォはロガン辺境伯の向かいに腰掛けた。
びしっと背筋を伸ばし、背もたれに背中を付けずに座るその姿勢は、いかにも軍人のたまごである。
「辺境伯閣下、1つ質問をお許し頂けますか?」
「ふむ、若者の学ぶ意欲というものは老人には嬉しいもの。儂に答えられるものならば答えよう」
「ありがとうございます。実は……士官学校のSクラスの家の者の間で、良からぬ噂が立っております。アルトリリア第十三王女殿下が、恐れ多くも国王陛下に反旗を翻す計画を立てている疑いがある、というものですが、これは本当ですか」
「ふむ……ロレンツォ・ド・キルルージャ、その質問に答える前に、儂から一つ尋ねよう。それが本当であった場合、嘘であった場合お主はそれぞれどう動く?」
「えっ?」
ロレンツォにとって意外な反応であったのだろう。少し面食らった表情で少しばかり考え込んでから、ゆっくりと顔を上げた。
「本当であれば、お諌めするのが王家の臣としての義務である、と思います。王家の、王国の秩序を乱すような行為は、王族として厳に謹んでいただくべきかと」
「ふむ。嘘であれば?」
「その噂の出所を確かめます。誰が、どのような意図でそのような噂を立てたのか、特に噂の発生源が国外である場合には、どの国の、どのような思惑が絡んでいるのかを調べる必要があります」
「ほっほっほっほ、これはこれは、宰相殿も将来が安心であろう、若君がこう優秀であれば、後顧の憂いはなかろうて」
「そ、それで閣下、アルトリリア殿下の噂の真偽は——」
「噂は噂じゃ。よろしいかキルルージャの若き麒麟児よ。噂というものはな、恐ろしいものじゃ。容易に捻じ曲げられ、どこの誰がどう関わったかも解らぬ。左様な不確かな、あやふやなものに振り回されるなかれ、場合によっては『噂について疑いの考えを抱かせること』そのものを目的としたものもある」
「そ、それはっ……そうか、噂が真実かどうか以前に、『噂で精神的に動揺させる』ことそのものが目的だとしたら……私は、この噂の黒幕の術中にはまるところだった、ということですね?」
ロレンツォは明らかに『真実に気がついた』とでも言わんばかりの明るい顔で、テーブル上のマスカットに手を伸ばした。
実に満足げな顔で、この後はロガンの世間話としか言えないような質問に答えていたロレンツォは、夜も老け『どれ、年寄りになると夜も朝も早くなるものでな。そろそろ失礼しよう。宰相閣下によろしく』と言い残し、馬車で去っていく老辺境伯を見送ったときも、そしてその後も気付くことはなかった。
ロレンツォの質問に、ロガンは全く答えていなかったということに。




