81 異端の王女
「あらベイン、珍しいですわね、お一人ですの?」
「あ、アルトリリア様……」
ふら、と少しよろめきながら立ち上がったベインは、士官学校が休みということもあり王都の国立図書館へと出向いていた。
義父となる筆頭軍師アーノルド・ヘルセネンから『このリストにある書籍はぜひとも読んでおきたまえ。キミの人生において大いに役立つだろう』と指摘されたものを読んでいたところに、側近のシーナを伴ったアルトリリアが歩み寄ってきた。
「おいどうしたベイン、その目の下のクマは何だ」
「シーナ先輩……い、いやぁ、これはその、なんというか——」
「ベルですわね? まぁ、縁談で舞い上がっているに違いありませんわ」
「まったく、あいつは本当に加減というものを知らんな……どうせ盛り上がって夜通しのおしゃべりに付き合わされているのだろう」
「あはは……」
実情としては『おしゃべり』などという可愛らしいものではない。
義父から精力剤まで差し入れられて、この日もほとんど夜通し『たっぷり搾り取られた』後、義父アーノルドからの課題を言い訳に家を出たところである。
「早く士官学校の授業が始まらないか、待ち遠しいです……」
「勤勉ですわね、ベイン。素晴らしいことですわ。その学びに対する貪欲な姿勢は、士官学校において模範とすべきものでしてよ」
「はぁ……ありがとうございます。それで、アルトリリア様とシーナ先輩はどうしてここに?」
「私も本を読むことくらいはありますわ。それで、筆頭軍師が認めたベイン君は何を読んでいらして?」
アルトリリアがベインのすぐ脇に積まれている本の一冊を手に取る。
メディコ大陸国際政治史と大書された重厚な本は、つい2年ほど前に発刊された政治学の専門書である。
さらに、平積みになった本は『代数幾何概論』『軍学学会誌特報・緊急論文、兵站における輜重部隊の運用と鉄道の有用性について』『家庭の医学、各種族の女性の身体について』『こどものまほう 〜エーテルはともだち〜』『すぐわかる! 火魔法の基礎』と、実に様々なジャンルの書籍である。
「それに何だこの本、こんなモノが国立図書館にあったのか?」
シーナが手に取ったのは『エルフ女を燃え上がらせる性の技法百選』という、いわゆる夜の生活の指南書である。
「……おいベイン、お前まさか——」
「シーナ先輩……読書って良いですよね……明るくって、穏やかで……」
「ベイン? おい、ちょっと待て。ベルとはまだ婚約なんじゃないのか? まさか婚前交渉とかしてるわけじゃないだろうな?」
「シーナ? あのベルですわよ? 彼女が目の前にベイン君という大好物をブラ下げられて、『待て』が出来ると思って?」
「あー…………無理ですね……なぁベイン? お前飯は食ってるか? 何なら連れて行ってやろうか?」
「いえ、あの、食事はヘルセネン家の皆さんが用意してくれますんで……なんかこう、やたらと精がつきそうなものばっかり、延々と、エンドレスで……あは……」
「もういいベイン、休め。とりあえず本と目を閉じろ。私がここで見ててやるから、とりあえず30分仮眠しろ」
シーナがどすん、とベインのすぐ隣の長椅子に腰を下ろすと、呆れたような苦笑を浮かべて向かい側にアルトリリアが腰掛けた。
アルトリリアが顔をベインに向けた時には、もうベインは机に突っ伏して白目を剥いて寝息を立て始めた。
何しろほぼ徹夜でベルナデッタの相手をする生活が、これで5日目である。さすがに若く鍛錬を積んでいるシルバー級剣術士とはいえ、毎夜毎晩サキュバスのように搾り取られては消耗するというものだ。
「まったくアイツは……」
「まぁ、ベルも珍しく盛り上がっているのですわ。新婚ですもの」
「まだ婚約です」
「同じようなものですわ。個人的には、男女仲睦まじいのは喜ばしいことと思いますわよ」
「それにも限度というものがあります。まぁベインもその、若い男ですから、目の前に女のカラダがあって触れて良いとなると、手を引っ込めることは難しいでしょうが……」
「仲良きことは美しき哉、ですわね」
「まぁ……いがみ合うよりは遥かに良いでしょうが……そんなことよりリリア様、本当に婚約を破棄されたんですか? 父から聞きましたが」
「えぇ、一昨日正式に破棄が成立しましたわ」
平然とした顔で、シーナが机に置いた『性の技法百選』をぱらぱらとめくりながら、平然ととんでもない言葉を口にする。
「シュターガー叔父様から、『東西南北すべてこちら側に付いた』という知らせを頂きましたわ。最後の最後まで返事を保留していたヴィンガーダルム卿も、ヘルセネン卿の策に乗ることにしたようですわ」
「あの沈黙の巨人がついに、ですか……それでは、公爵家は王家側に、辺境伯家はリリア様と大公閣下につくことになりますか」
「えぇ、そうなりますわね。事実上国が真っ二つに割れますわ。西のフェルンバンド公爵家の子息ともあろう男子が、『私と手に手を取って、ともに血塗られた修羅の道を征く覚悟はあって?』と聞いただけなのに、それ以来、婚約者である私を避けて、よりによって派閥の男爵家令嬢と浮気をしているようですわ」
シーナは肺の中身を全部吐き出すかのような特大のため息を吐いて頭を抱えた。
「全く男という生き物は、脳が下半身についてるとしか思えない……」
「悲しいものですわ。私、生涯の伴侶となる殿方に『ともに歩む覚悟』を尋ねただけですのに。まぁ、腰抜けのヘタレのマザコンお坊ちゃんに、私の伴侶など務まるはずもありませんわね」
「同感です。まったく、リリア様も私と同じく、婚約者なし組の仲間入りですか」
「えぇ。せいぜいベルとリュウをからかってあげましょう」
「リュウも、ですか? あいつ今度は何をやらかしたんです」
「何かをしでかした、というものではありませんわよ? 同級生のアルム・ファーマシー嬢と婚約したようですわね。リュウの実家への挨拶も済ませているそうですわよ?」
「あいつら……マジか、うらやま——いや、いつの間にそんなことに」
「うふふふ、シーナ? 本音が漏れ出ていましてよ?」
武門の家柄、ステルベン家長女のシーナには、いまだ婚約者がいない。候補としてはカンフル辺境伯家の分家の男か、父の同族、ノーム族であるヴィンガーダルム辺境伯家の男子に嫁入りすることになる見込みだが、現時点では縁談は持ち上がっていなかった。
高位
貴族の子女ともなれば、幼少の頃にはすでに婚約を済ませておくのが通例だ。が、ランドルト王国の四方を守る辺境伯家は、下手につながりを強めてしまうと王家に対抗する力を持ってしまう。かと言ってつながりを絶ってしまうと、いざというときに連携が難しい。非常に難しいバランスを保たなければならい難しいものだ。
例外と言えるのがカンフル辺境伯家とステルベン辺境伯家で、互いの当主同士が義理の従姉弟になるくらいに強い結び付きを持っている。
「まぁ、母上がカンフル辺境伯家の分家出身ですし、私はおそらくヴィンガーダルム家に嫁ぐことになるでしょうが……」
「女子として生まれたからには、一度くらいは身を焦がすような恋に身を投じてみたい、と思うのは自然なことですわね。そういえばヴィンガーダルム卿のご次男はまだ婚約者がいらっしゃらないそうですわね? 取り持って差し上げましょうか?」
「リリア様、今はそのような話にうつつを抜かしていられる状況ではありません。ヴィンガーダルム卿も『こちら側』に付いたということは、四公爵家にもすぐに伝わるでしょう。となれば、国王陛下と王太子殿下も早晩動くとになるはず」
「あら? 私にとっては側近のシーナの縁談も一大事でしてよ?」
「殿下、お戯れが過ぎています」
「戯れではありませんわよ。あなたがヴィンガーダルム家に嫁げば、東と南のつながりが強固になります。それはひいては、将来私の国とシュターガー叔父様の国とのつながりの強化に直結しますわ」
「で、殿下?」
びくっ、とベインが全身を痙攣させる、ジャーキング現象を起こしてなお『うぅん、もう無理です』『引っ張らないでください』『もう何も出ません』と謎のうわ言を小声で呟きながら眠っている。
「……女性恐怖症とかにならなければ良いんだがな……今度ベルのやつには注意しておくか」
「そうですわね。私の国の将来を担う軍才を、干からびるまで搾り取られてはたまったものではありませんわ。それからシーナも、ヴィンガーダルム家との縁談はお父上のステルベン卿にも打診しておきますわね?」
「り、リリア様? まさかその、本気で?」
「あら、冗談だと思ってらしたの? シーナとは長い付き合いですのに、まだまだお互いわかり合う必要がありますわね」
「い、いや、あの、申し訳ありません……」
「良いのですわ。私ももっとシーナのことを知らなければなりませんわね。何しろこれから、ランドルト王国は公爵家と辺境伯家、公家と武家が正面からシバき合う事態になるのですから」
「リリア様、『シバき合う』などという下賤の言葉は——」
「何しろ公家はしたたかですわよ。決して侮ってはなりませんわ。リュウにアルム、リュッケンとミナ、そしてベイン。加えて私の可愛い燕たち……休暇が終わったら、獅子奮迅の働きを見せていただかなくてはなりませんわね」
ぴり、と図書館に緊張した空気が漂う。
図書館を利用していた客の数名が同時に立ち上がり、あるものは出口へ、あるものは書架へと移っていく。
この中に、アルトリリアが言う『公家』の間諜が潜んでいる可能性は十二分にある。むしろ、常に間諜がつきまとっていると考えなければならない。それほどに公爵家の情報網は細やかに張り巡らされている。
「リリア様、ならばなおのこと——」
「あら、シーナ? まさかあなた、私がなんの考えもなしにぺらぺらと話をしていると思って? ますます私のことを知ってもらわなければいけませんわね」
「……そ、それはどういう……?」
ぱたん、と静かに『エルフ女を燃え上がらせる技法百選』を閉じると、アルトリリアは妖艶に微笑んだ。
「よろしくて、シーナ? ことを起こすには大義名分が必要ですわ。私がここでロガン卿の名前を出さなかったのも、私が婚約破棄をしたという話題を出したのも、すべて『聞かせるため』ですのよ?」
「そ、そうだったんですか……」
「アルトリリア様は、あえて公爵家側に手を出させようとしている、ということですか」
いつの間に目を覚ましたのか、少しスッキリした顔のベインが机に突っ伏したまま小声で囁いた。
「アルトリリア様が公爵家令息との婚約を破棄、それも令息側の浮気が原因ともなれば、中央の公爵家の求心力は低下します。そこにシーナ先輩が縁になってヴィンガーダルム辺境伯家とステルベン辺境伯家が強く結びつく、となれば公家勢力になびく層は尻込みする。となれば、実働部隊を四方に持つ辺境伯家側がさらに有利になる——」
眠たそうな目をこすりながら、ベインは身体を起こすと、だらしなく大あくびをする。
「すみません、レディの前で失礼しました……ただ、アルトリリア様はそこまで読んで、あえて静かな図書館で話をしたんじゃないですか?」
驚いた表情のシーナがアルトリリアに顔を向けると、王家にあって最高の傑物と名高い王女は心の底から嬉しそうな、それでいて不敵な笑みを浮かべている。
「素晴らしいですわベイン君。あなたはやはりヘルセネン卿の跡継ぎ、ベルナデッタの夫にふさわしい殿方になりますわね」




