78 急な仕事
「すまないな、いささか急ぎの仕事が入ってしまった。せっかく娘の友人たる諸君を歓待したいのだが、どうも難しくなりそうだ」
リュウ達一行がカンフル辺境伯邸へ到着した翌日の夜のことだった。
妖艶な、やたらと露出の多い装束を身に着けた女辺境伯は、心から申し訳なさそうな顔を、なぜかミナとリュッケンに向ける。
「い、いや、俺達はその、別に、なぁミナ?」
「えっ? ……う、うん、まぁ……」
「申し訳ないミナ君、お詫びに今度ベッドの上でのテクニックを伝授してあげようか」
「へ? いいいいえいえ! あの、そ、そんなことより閣下、お仕事って……?」
「あぁそれは——まぁ構わんか、この子達も士官候補生だし、セッちゃんのお友達だし、アルトリリア様のことも色々知っているはずだな。なら良いとしよう」
はた、とリュウとアルムの手が同時に止まり、顔を見合わせる。このあたりの呼吸の合い方など、まるで長年連れ添った夫婦のようである。
「なぁアルム、ヤな予感しねぇ?」
「する。超絶する」
小声で囁きあったリュウとアルムの予感は、最悪の形で的中することになる。
「もうすぐアルトリリア様が、偉大なる我らが王ベネディクト4世陛下に対し奉り、反乱を起こすことは知っているな? シュターガー総司令官は諸事情をご存知だ。反乱の後、国の西と南はシュターガー総司令官が偉大なるクソ王を蹴落として次の王となり、北と東はアルトリリア様に属することが決まっている」
「やべぇ、どう考えても機密情報だよ……」
「ど、どうしよリュッケン、私達アレだよね? 何も聞いてないよね? ねっ?」
「心配無用だミナ君。諸君もここに来た時点でほら、あのー……アレだから」
「アレって何なんですか閣下ぁ!?」
「ほら、あのアレだ。……なんて言ったっけ? ねぇセッちゃん?」
どう考えても国家の一大事な話題なのに、セシリアは優雅に食後のコーヒーにたっぷりと砂糖を入れ、ジャリジャリと音を立ててスプーンで混ぜる手を止めない。
「片棒を担いだ、でしたっけぇ? お母様?」
「そうそう、それぇ! さすがセッちゃん」
それぇ、という言葉など、やや鼻にかかって甘ったるい言い方だったが、ここにGクラスの4人は見事にランドルト王国軍の事態のど真ん中に放り込まれた形になる。
「……それでだ。西のロガン辺境伯はシュターガー総司令官、アルトリリア殿下とすでに密約を結んでいる。南のヴィンガーダルム家がオッケーの返事を出せば、機を伺って一気呵成に、という段階だったんだが……」
「な、何か有ったんですか?」
部屋の中では最も真面目なミナが、ごくりと音を立てて生唾を飲み込む。
全員の視線が妖艶な辺境伯に向けられた。
「ロガン辺境伯のところ、サミッツ皇国の騎士が来たらしい。いざ一戦交えん、という感じではなくて、こちらの動きを牽制する使者であったようだ。細かい意図は掴めていない。まぁ、あまり友好的ではない様子で『下手に動くなよ』と釘を刺しに来たようだな」
「いや、『らしい』って……そ、それヤバくないですか? だってその、サミッツ皇国ってめっちゃ騎士団が強いらしいじゃないですか。そんな国が下手に動くなって、それって……まさかその、アルトリリア様の動きが漏れてる?」
「当然、漏れている。信徒は世界中どこにでもいるし、王宮内にもいるからな。事実上サミッツ皇国は世界最強の諜報国家とも言える」
リュッケンは、もはやあいた口が塞がらない。
せっかくの辺境伯家の『北の食材をふんだんに使った美味』も、記憶から吹っ飛んでしまった。
これは明らかに、ランドルト王国の内情に対する干渉、いわば内政干渉である。
おまけにちょっかいをかけてきたのが、大陸でも最も原理主義的かつ強硬な宗教国家、神聖サミッツ皇国である。
「ロガン辺境伯は、どちらかというと大精霊教会の『信仰派』だ。それもあって、ほとんど鎖国状態のサミッツ皇国ともある程度良好な関係を保っていたんだがな、アルトリリア様がエントラッセンに行って、帝国との相互不可侵条約と友好通商条約を結んで来ただろう? アレが気に入らなかったようだ」
神聖サミッツ皇国とエントラッセン帝国、両国間の険悪な関係はメディコ大陸を超えて世界的に有名である。
世界中に多くの信徒がいる『大精霊教会』の総本山にして、全信徒の頂点である教皇を要する皇国は、国土こそ狭いもののその影響力は絶大である。
教皇の一言で、それこそ数万の信徒がいつ牙を向くかもしれない刺客へと変貌する。
すべての聖職者の頂点である教皇と聖女、聖者達を要する聖堂は、事実上世界中の医療の根幹を支えるインフラである。
皇国を敵に回すことは、その国の医療そのものを危険に晒すことに直結する。だからこそ、世界中の国々はサミッツ皇国に対して明確に敵対することはほぼなく、むしろ『寄進』として莫大な額の金を皇国に支払い、『奉仕』と称して多くの騎士たちを派遣している。
「まぁそんなわけで、皇国は金も有り余ってるし、防衛力もかなりある。一筋縄ではいかん国だな」
「え? じゃあその、サミッツ皇国の軍事力って、ぶっちゃけ……他所の国の軍隊ってことですか?」
「そうとも言えるな。皇国には4つの騎士団があるが、実際は自前の軍隊は無い。全部周囲の国から『派遣』されて、教皇を護るために『奉仕』してるという形になっている。だから皇国には聖職者しかいないし、一般市民もいない。実に変な国なのだよ」
「何でそんな危ないことするんすか? そんな、他の国の軍隊に自分の国を守らせるとか、正気とは思えない」
「ほう、そこに気付くか。そう、そこが『信仰派』の人以外、我々にはわからないところだな。信仰派にとっては、聖地である皇国を護る任務に就くのは、一生の名誉らしい。おまけに信徒の国が金も出すだろう? 色々な国が兵や騎士を出し合ってるから、逆に抜けられない。『もうやーめた』となったら、『あの国は異端に堕ちた』『教皇に背いた国は滅ぼすべし』となるからな。一度関わると、二度と抜けられない」
「……ンだよそれ、まるっきりカルトなヤクザじゃんか……」
リュウが呟いた言葉は、隣に座るアルムにしか聞こえなかったが、アルムにも『カルト』と『ヤクザ』という言葉には聞き覚えはなかった。
「……ん? どしたアルム?」
「リュウ、カルトなヤクザって?」
「あぁ、まぁどっちもヤバい集団って意味だよ。しかし……考えようにとっては、そのサミッツ皇国って国のやり方は恐ろしく効率的、ってか合理的だな」
リュウの言葉に、美貌の辺境伯、アニエスがピクリと片眉を上げる。
「だってさ、考えてもみなよ。自分たちは何も売らないし失わない。ただ、『大精霊を信じてる奴らが、勝手に軍と金を差し出して聖地を護る。おまけに聖地を守ってる国同士はお互いに監視し合ってて、離反とかも難しい。何カ国かが共謀して聖地を乗っ取ろうとしても、下手に動けば自分の国の医療が崩壊する』ってなったら、事実上国民を人質に取られた状態で国を護らされてる、ってことじゃね?」
「ほう? リュウ君、君はなかなか鋭いな? ……ね、セッちゃんこの子凄いじゃない。ベイン君って子も凄いって聞いたけど、この子もセンス良いわぁ」
「んふふふ、でしょ? お母様、彼ってね? あんな身体も小さいのにすっごく強いのよぉ?」
「や、セシリア先輩の方が強いっすよ……多分、武器持ってる先輩と俺じゃあ、まず勝てないです」
「あらぁ? そう?」
「無理なモンは無理っすよ。俺だって自分より強いやつと戦ったことはありますから。なんとなくわかります。『あ、無理』っての」
「えー? じゃあおねえさんは駄目ぇ?」
「駄目っす。俺、多分セシリア先輩に謝れって言われたら、とりあえず謝ってから『俺なにしたんすか』って聞きます」
アルムにとってもミナにとっても、そして何よりリュウの最強を信じるリュッケンにとっても意外なことだった。
リュウが極めた武之内流の武術を持ってすれば、たとえ剣聖セシリアといえど及ぶところではないのではないか、と本気で考えていた。
「いや、この世にはいるんすよ、バケモンが。セシリア先輩と、辺境伯は間違いなく『そっち側』です」
「あらぁ、そうかしらぁ? リュウ君も『こっち側』でしょ?」
「まぁ、ミナとかリュッケンと比べれば『そっち側』かもですね。アルムも俺と同じ」
アルムは相変わらず表情が乏しいまま『ん』と小さく返事をして、デザートにと差し出されたタルトを口に放り込む。
「な、なぁリュウ? お前ホントか? 本当にお前、セシリア先輩とやり合ったら……」
「勝てねぇよ。入学したばっかの時点だったら5回やって2回勝てるくらいは自信あったけど、今は10回やって1回勝てるかどうかだな。辺境伯……閣下? で良いんすかね。閣下には多分100回やっても1度も勝てない」
「マジか……え? マジ?」
「リュウが? あのリュウがそんなに? ……ホントに?」
リュッケンもミナも信じられないといった面持ちだが、アルムは全く動じる様子もなく、タルトを飲み込むと大柄なカップルに顔を向ける。
「多分、リュウが言ってることは正しい。リュウとセッちゃん先輩だったら、セッちゃん先輩の方が圧倒的に強い。それより強いのはセッちゃんママ」
「あらやだぁ、アルムちゃんカワイイ。ありがと。タルトもっと食べる? マーマレード入りのケーキもあるわよぉ?」
「食べる。美味しい」
「やぁんアルムちゃん本当にカワイイ、セッちゃんの妹にしたい」
「私はリュウのヨメ。身も心もリュウのもの。特に昨夜から」
「あらららら? そうなのぉ?」
セシリアとアニエスが同時に、そっくりな顔をアルムに向けてほほ笑みを浮かべた。なぜか二人ともに嬉しそうだ。
「や、それは良いとしてですけど、その西の辺境伯ってどうしたんすか? その皇国ってとこから騎士が来て? 余計な真似すんなって言ってきたんすよね?」
思わず『甘やかしママ』モードになっていたアニエスは一つ小さく咳払いをして、言葉をつなげる。
「そうだな。ただ、ロガン辺境伯はその辺がかなり——良く言えば老獪、悪くいえば狡賢い方だ。一応ここにもロガン卿から書簡が来ていてね? 『ロガン家は大精霊の教えに帰依している。望むものは平和で豊かな、大精霊の恩寵と慈愛に満ちた社会である。国王陛下にも常々その旨を申し伝えており、ランドルト王国も偉大なる王ベネディクト4世陛下と叡明なる王太子レオポルト殿下のもと、常により良い国のあり方を模索している。これは大精霊の御心に沿ったものであると信じている……と返事をしておいた。が、皇国は王国の動向を警戒しておるゆえ、ゆめゆめ警戒を怠るなかれ』……だそうだ。何も断言しない、どうとも取れる、のらりくらりと躱した返答だな」
国の四方の国境を護る辺境伯はいずれも武門の家柄で、ロガン辺境伯家はドワーフ族の家系だ。
ランドルト王国がエントラッセン帝国の一部であった頃の勇将、コッヘル将軍の縁戚と言われており、現在の当主は非常に慎重かつ守りに優れた武人として知られている。
特に守城戦においては『ただの一度も城を落とされたことがない』と言われるほどの名手であり、ランドルト王国の前王フランシスコ5世からは『護城候』とまで呼ばれていた。
これほどの守りの名手を国の西側、サミッツ皇国との国境に配置したのは現在の王ベネディクト4世である。それだけに、国王がサミッツ皇国をどれだけ警戒しているかがよく見て取れる。
「それでねぇセッちゃん? ママちょっとロガンさんちに行って、お話し合いしてくるわね。だからセッちゃん? お友達をちゃんとおもてなししててねぇ?」
「はぁい」
思わずミナが『それで良いの……? えっ? これって、そういうのでいいの?』と変わって慌ててしまうほどに呑気な言葉を残して、その日の昼過ぎには馬に乗って南西へと向かっていった。
随伴はたった二人。弓使いと法術士だけである。
「……ホントに3人で良いんすかね、仮にも辺境伯って、偉いんじゃないですか? ……ってそっか、閣下もたいがいバケモンだった。そりゃ下手に護衛とかいたらかえってジャマか」
「んふふふ、そうなの。だから大丈夫よぉ。リュウ君もお母様のこと、心配してくれてるのね? 優しいなぁ……アルムちゃんがメロメロになるの、おねえさんわかるなぁ」
「リュウは私のもの。私はリュウのもの」
セシリアに見せつけるように、アルムはぎゅっとリュウに力を入れて抱きついて、いつもの無表情なジト目でピースサインを見せた。
「あら仲良しさん。リュッケン君とミナちゃんも、二人みたいに素直になればいいのに」
ちら、とセシリアが目を向けた先の、大柄な二人の間には、まだ拳一つ分の距離があいていた。




