75 北の精兵
「総員! 気を付け! 敬礼!」
ざっ、と短い音と同時に、一糸乱れぬ敬礼の姿勢を取るカンフル辺境伯軍は、ランドルト王国内でも精強無比をもって知られている。
そのいずれもが、『最低でもマスター級』を修めた武の達人揃いであり、なんと部隊長はいずれもグランドマスター級という猛者揃い。兵数で言えばステルベン辺境伯軍と同規模だが、その攻撃力、突破力に於いては西のロガン辺境伯家、南のヴィンガーダルム辺境伯家と比較しても頭一つどころではなく飛び抜けている。
「お母様ぁ、お久しぶりですぅ」
いつも通り、のんびりと間延びした喋り方でセシリアが声をかけたのは、ドレスとは程遠い『鎧下』と呼ばれる動きやすい厚手の服の上に、革製の稽古鎧を身に着けた美女である。
女辺境伯アニエス・カンフルは、当世第一の槍の達人であり、現在唯一の『槍聖』として知られる女傑である。
美しいつややかな黒髪は短く整えられており、頬にかけて大きく残る傷痕はむしろ美貌を際立たせる要素になっている。
「あぁんおかえりなさいセッちゃん!」
そんな女軍人とは思えないほどに甘ったるい、娘を甘やかす母親モード全開のまま、アニエスは愛娘セシリアを抱きしめる。
「遠かったでしょ? 疲れた? お腹へってない? おやつにする? それとももうご飯にするぅ?」
「んふふふ、大丈夫よお母様。それよりほら、お客様」
セシリアが流し目のような素振りで振り返った先に、呆然と立ち尽くすリュウ達Gクラスの面々がいた。
部外者の存在に改めて気付かされた女辺境伯は、一つ咳払いをして、背筋を伸ばしてつかつかと四人のもとに歩み寄る。
「遠路ご苦労、士官候補生諸君。私が北の辺境伯、アニエス・カンフルだ。槍聖の二つ名を戴いている。諸君は軍務を果たしてシュターガー総司令官から休暇を言い渡されたのであったな。大変結構。その若さで軍務を全うするとは見上げたものだ」
セシリアに抱きついたときの、完璧に『娘を甘やかすママ』と同一人物とは思えない豹変ぶりだった。
「それから——君がリュウ・ノーチだな。アルトリリア殿下やステルベン卿、それにシーナやセシリアからも噂は聞いている。その体格で闘神と呼ばれているそうではないか」
「え、そうなんすか」
「ちょ、ちょっとリュウ! あの、す、すみません辺境伯閣下! リュウはその、平民で——」
「構わん。そういう細かいことは気にするな。そういう君はサージェリー準男爵家令嬢のミナ君だな。君の話も聞いている。それに、アルム・ファーマシー君にリュッケン・クロア君。ようこそわが辺境伯領へ。歓迎しよう。思う存分物見遊山を楽しむも良し、男女の仲を深めるも良し、我が軍の猛者たちと腕を競い合うも良し、存分に楽しんで行きたまえ」
アルフォンス・ステルベンと比較しても、アニエス・カンフル辺境伯は思想的にアルトリリアに近い。
時には国王ベネディクト4世に対しても公然と口答えし『軍を嘗めないで頂こう。文句があるというのなら、我が手勢を率いて王都へ攻め込んでも構わんが?』と言い放ったことすらある。
そんな彼女が、家庭に戻ると『娘を溺愛する母親』になることは、カンフル辺境伯家の者ならば知らぬものはいない。
セシリアが母と同じ槍ではなく剣を選んだのも、剣に対するズバ抜けた適性が有ったから、というよりも、母アニエスの『槍を選んでしまうと娘を甘やかしてしまう自分が指導をすることになる。そうなれば武を修めることなど出来ない』という苦渋の決断によるものだ。
実のところ、千年をかけて練り上げられたカンフル家の武の血統の最高傑作、セシリアは槍を持てば槍の、弓を持てば弓のグランドマスター級を修めることすら可能なほどの武才を持ち合わせている。たまたま今気に入っている気に入っている武器が剣だ、というだけの話だ。
「あの、よろしくお願いします。ミナ・サージェリーです。この度はセシリア先輩にお誘いを頂いてお世話になります。……ってほら、リュウもリュッケンも、お辞儀して。アルムも」
「はっははは、Gクラスの筆頭はベイン・ジーケンハウス君と聞いていたが、どうやらこの中で一番のしっかり者はミナ君のようだね。そう固くならないでも結構。娘の友人が訪ねて来てくれたんだ。我が家だと思ってくつろいでくれ」
実におおらかで、寛容な女貴族の口ぶり。
だが、ほんの数分前の『ママモード』を見てしまったあとでは、どうにも強い違和感を覚えずにはいられない。
「すごぉい、お母様新記録。貴族モードがもう5分も続いてるぅ」
「でしょ? でしょぉ? ママ頑張ってるの。もうセッちゃんがお友達連れてくるって言うからぁ、お部屋もキレイにしたのよ? お泊りするんでしょ? お宿取ろうかなーって思ったんだけどぉ、やっぱりほら、娘のお友達のお泊り会ならお家のほうがいいじゃない? せっかくおもてなしの準備してるんだもの、泊まってって? ね? ほら良——」
振り返り、ミナやリュッケンと視線がぶつかった瞬間、アニエスは一瞬停止して再び咳払い。
どうやらアニエスの『威厳あふれる貴族モード』は、5分程度が限界であるようだ。セシリアの前では、少しでも気を抜くとすぐに『甘やかしママモード』に戻ってしまう。
「あー……諸君を歓迎する用意をさせてもらった。部屋も用意してある。遠慮せず我が家でゆっくりと過ごしてくれたまえ。このカンフル辺境伯領はランドルト王国最大の穀倉地帯でもあるからね。それに養豚に養鶏、牧畜にも力を入れている。今年のチーズは出来が良いからね。はっはっは、諸君が未成年なのが残念だ。去年のワインも出来が良かったからね」
セシリアに徹底的に甘い声をかけるアニエスを見て、彼女がひとたび戦場に出たら『槍を持った悪夢』『悪鬼羅刹の化身』『鬼』『死の女神』と呼ばれる傑物である、と想像できるものは、カンフル辺境伯領の住民以外にはいないだろう。
「ところで諸君の部屋割りだが、セシリアとヘルセネン家の娘、ベルナデッタから『リュウ君とアルム君、そしてリュッケン君とミナ君をそれぞれ同室に』との連絡が来ている。当然部屋は用意してあるから安心したまえ。若い二人の邪魔はさせないが、何か用がある時には遠慮なく使用人に声をかけるんだ」
「え、ちょ」
「ちょ、ちょっとあの! へ、辺境伯閣下!?」
「さすが」
「うん、いや、俺はまぁ良いんだけどさ」
前半の二人がリュッケンとミナ、後半がアルムとリュウであることはもはや言うまでもない。
「男女仲睦まじいのは良いことだ。君たちは軍人の卵である前に思春期の男女だ。思うところも大いにあろうし、見たところリュウ君とアルム君は随分と『仲良し』なようだね? 重畳重畳。子孫繁栄につながるのは大変結構なことだ。大いに励みたまえ。部屋を汚しても構わないぞ? 部屋など掃除させれば良いだけだからな」
あっけらかんととんでもないことを言い放った辺境伯を、げんなりとした視線で見上げるのはリュッケンただ一人だった。
リュウとアルムは固く腕を組んだまま平然と頷きあい、ミナは真っ赤にした顔を両手で覆ってうつむいてしまった。
「あ、あの、閣下……それってその、不純異性交遊で士官学校にバレたりしたら——」
「何だリュッケン君、君は随分と真面目で慎重と見える。良いかね? 軍においても引き際を見極めるのも大事だが、逃げてばかりではいかん。時には無謀に見える突撃が、唯一の活路だったりすることもあるのだよ。私は戦場でも社交の場でも、ベッドの上でも何度も経験してきた」
「あー! あの! 俺達一応未成年なんですけど!?」
「大丈夫だ、私は気にしない。同意の上なら何も問題にはしない。シュターガー総司令官も、そう細かいことは気になさらんはずだ。何ならゴネ倒せばいい」
「な、なんだろう、なんでか俺、ベル先輩と話してる気がしてきた……」
「あぁ、さもありなん。ベルナデッタは私の姪に当たる。彼女の母親は私の妹だ。残念ながらもうこの世にはいないがね。ちなみに、ステルベン辺境伯の正妻、つまりリカルドとシーナの母は私の従姉だ」
「え」
とんでもないことをあっけらかんと暴露したカンフル女辺境伯は、満足気に娘に向かって振り返る。
シーナとセシリアは、実は又従姉妹の関係で親戚であった。アルトリリアの3人の側近は、カンフル家を中心とした女系の系譜で見れば、割と近しい親戚である。
アルトリリアがセシリア、シーナ、ベルナデッタを側近に選んだのは、彼女たちの実力が抜きん出ていることも大きな理由の一つであったが、この女系の血筋も要素として入っている。
エルフ族は基本的に母系社会であり、家によっては男性は家系図に名前すら記されないこともある。
アルムの生家、ファーマシー家はエルフ族の中では珍しい家父長制の家だった。
「マジすか、道理で」
「あああ、つながっちゃった、繋がっちゃったよぉ、とんでもないものがとんでもないところに、とんでもない形で」
「さすがベル先輩。そして閣下もつよい」
「そうだろうとも。さ、アルトリリア様の友人、そして我が娘セッちゃ——セシリアの友人ともなれば我が子同然。ここを母の家だと思って存分にくつろいでくれたまえ。荷物を置いて少し休んだら茶にしようか。カンフル辺境伯家では茶葉も名産だ。極上のグリーンティーを飲ませてあげよう」
それだけ言い終わると、アニエスとセシリアの親子はベタベタとくっついて『もぉ、ママ寂しかったのよぉ?』だの『それでそれで? いい男見つけたぁ?』だのと、早速溺愛ママモードの口調で話しながら辺境伯邸へと入っていく。
呆然と立ち尽くすGクラス4人に、セシリアの護衛騎士が歩み寄ってきた。
弓術のハイマスター級、リディア・アキレスは平然と4人に言葉をかける。
「まぁ、色々驚いたかもしれんが、慣れてくれ」
「な、慣れ……っすか」
「当家は万事こういう感じだ。辺境伯閣下は仁知勇を兼ね備えた軍人の中の軍人、武人の鑑ではあるが、セシリアお嬢様が絡むと……まぁ、その、アレだ。見てのとおりだ」
「は、はぁ……あのぅ、私たちその、本当に泊まらせていただけるんですか? その、何も手土産もないのに」
「ミナ嬢、そこは心配しないで結構だ。辺境伯閣下は落差はあるが表裏の無いお方、『我が家だと思ってくつろいでほしい』と仰ったからには、本気でそう考えておられる」
「ミナ、ここはセシリア先輩と閣下に甘えるべき」
アルムは余裕の笑みで長身のミナを見上げてきた。
「保護者公認。二人きりの部屋。リュッケンと同じ部屋で思う存分イチャつける。これはチャンス」
「チャンスって……そ、そんなぁ……」
「リュッケンはヘタレ。ミナからガっと行くべき」
「い、いや、でもぉ……女の子からそんな、恥ずかしい……」
「私は行った」
「え」
「大願成就」
「い、いや待って!? えっ!? あああああアルム!?」
大慌てな女子二人から少し離れた男子二人も、おおよそ似たような状況である。
落ち着きのないリュッケンの大きな背中を、小柄なリュウがバシバシと叩いて何事かをしきりに話しかけている。
「ミナ、ひとつアドバイス」
「え、な、なに?」
ちょいちょいと手招きをするアルムの口に耳を寄せるようにミナが少しかがみ込んだ。
「獣人族はお腹をモフられると喜ぶらしい。これはベル先輩情報」
「アルムっ!?」
なかなか家に入ってこない客人を心配したのか、セシリアが4人を呼びに来たときには、リュッケンは体毛の上からでもわかるほどに、そしてミナはもう隠すことが出来ないくらいに顔を真赤に染めてしまっていた。




