74 北の温泉地
「うわぁ! すごいよアルム! ほら見てみて、山から煙が出てる!」
馬車から降りるなり、ミナはただでさえ高い背丈をさらに伸ばすように思い切り背伸びをして、遠くへと視線を向けた。
ランドルト王国の北の端となるカンフル辺境伯領は、国の防衛の要であると同時に国内有数の温泉地としても知られていた。
ステルベン辺境伯軍を凌ぐほどの、精強無比な軍として知られるカンフル辺境伯軍の兵士や騎士たちは、日頃の厳しい訓練で負った傷を温泉で癒していると言われている。
「すっげぇ、本当に山から煙が出てるんだな……俺初めて見た」
「リュッケンも? 私も初めて……うわぁ凄い……」
いつの間にか馬車から降りた長身の二人は、まるで寄り添うように並んで、はるか遠くに連なる山へと顔を向けていた。
その背後で負けじとリュウの腕に自分の腕を絡めて、身体を擦り寄せているアルムの様子になど気付くはずもない。
「私は見たことがある。あれは火山」
「へぇ、アルム知ってんだ。まぁ俺も見た記憶はあるな」
前世では、武之内隆造として地下格闘技場での戦いに明け暮れたリュウは、日本の温泉地を訪れた事がある。
住まいが有った群馬県内の草津温泉や、埼玉県の西部にある秘境の温泉など、秘湯巡りも趣味の一つであった。
「私の、もと実家の近くが火山だったファーマシー家の領地は火山で、硫黄が採れてた」
「なるほどなぁ……って『もと』実家?」
「私の今の実家は、リュウの孤児院」
「そうなの?」
「なぜならば、私はリュウの嫁だから。嫁であるからには夫の実家が私の実家」
「そうなんだ……エルフ族の風習?」
「きっとそう。それ以前に、私は夫に尽くす嫁。今もリュウとの既成事実を虎視眈々と狙う女」
「うん、だからか。なんか目がキマってると思った」
事実、エルフ族には『結婚相手の実家が新たな実家になる』といった風習はない。だが、アルムがリュウとの既成事実を狙っていることだけは、誰の目にも明らかであった。
優雅な身のこなしで馬車から降り立ったセシリアは、美しく編み込んだ黒髪を揺らしながらリュウとアルムの二人に歩み寄る。
「んふふふ、さっそくじゃれ合っちゃって、可愛い子猫ちゃんたちね? あっちもいい雰囲気じゃない? あの子達もこの旅行中でシアワセになれると良いわねぇ」
「あぁ、うん。まぁそっすね。アイツらもういい加減くっつけばいいのに」
「リュッケンはヘタレ」
「だな。俺もなんかそう思う」
「ミナは奥手で自分からは行けない。リュッケンから行くべき」
両片思いとなってもう1年近いミナとリュッケンは、未だにGクラスの面々の前では手をつなぐことすら出来ていない。
が、実は二人きりで周囲に人がいない状態になると、ミナの方からリュッケンの毛深い手を軽く握ることがある。
もはや『好意を打ち明けていないだけ』の状態が続いており、互いに好意を持っていることは薄々感づいているものの、確証がないために最後の一歩を踏み込めない状態。
「だよなぁ……ミナもあんだけあからさまにリュッケンのことチラ見してるし、さっさと告っちまえば良いのにな」
「リュウ、ミナは女の子。それも、心優しい純真な乙女。自分から行くのは無理」
「そっかぁ。じゃやっぱリュッケンがヘタレなせいだな。ったく」
「うふ……うふふふふ……たまんなぁい……おねえさん、こういう『恋が始める直前の、もどかしくて甘ったるい空気』って大好き……」
「えー、セシリア先輩マジっすか……俺はなんかこう、さっさと行っちまえよとしか思えない」
ギリギリ会話の声が聞こえない距離で、まさか3人からさんざん陰口を叩かれているとは全く気づかない大柄な二人は、拳2つ分ほどの微妙な距離を開けて並んで立っている。
アルムがじっと凝視する二人の背中では、リュッケンもミナもそわそわと所在なさそうに手を動かしていた。
「ほら見てぇ? ミナちゃんたらリュッケン君と手をつなぎたいのに、恥ずかしくて出来ないのね? リュッケン君もあんなに手をモジモジさせちゃって……あぁん、2人ともカワイイ」
「セシリア先輩、とりあえず、今日の予定って何かあるんすか? もしなかったらもうさっさと宿に行って、あいつら二人きりにしたいんですけど」
「んふふ、良いわよ? じゃあちょっとあの子達には酷だけど、声かけて来なきゃね?」
セシリアは全く音を立てない歩き方で二人に歩み寄る。
剣術グランドマスターであり、現在序列第4位に昇格した剣聖であるセシリアの接近に気付ける者はほとんどいない。
残念ながら、リュッケンもミナも、その段階にはまだ到達していなかった。
「おふたりさん? どうするぅ? ここでのんびり景色を見てても良いけど、せっかくだから私の実家に行かなぁい? ご飯もあるし、それにぃ」
セシリアがミナの耳元に顔を寄せて、優しくふぅ、と息を吹きかけると、『おひょぁあ!?』と奇妙な悲鳴を上げてミナがとびのこうとする。が、剣聖の足さばきはそんな逃げを許さない。後ろに倒れ込もうとしたミナを優しく抱きとめて、真っ赤になっているミナの耳に何事かをぼそぼそと囁く。
「ひ、ひぇ……あ、ああああの、あのっ、セシリア先輩……?」
「んふふふ、ね? 大丈夫よぉ? おねえさんが手伝ってあげる。ほらほら、リュッケン君? ミナちゃん起こしてあげて? 宿に行きましょ」
「あ、はぁ……って何? おい何だよリュウ、アルムも、何見てんだよ」
「別にぃ? 何も見てないぜ? な? アルム?」
「見てない。リュッケンがミナのお尻撫でようとしたところなんて全然見てない」
「え、リュッケン!?」
慌ててミナがスカートの後ろを押さえるような素振りを見せる。
「おいふざけんな! してねぇよ!」
「あらぁ? それってミナちゃんに触りたくないってことぉ? ミナちゃんてこんなにカワイイのにぃ? きっとすっごく柔らかくてあったかいわよぉ? 触りたくならないのぉ?」
「え、あ……い、いや、あの、それは——」
顔も体毛で覆われているリュッケンは、顔色の変化がほとんどわからない。が、付き合いの長いリュウとアルムには、リュッケンが赤面していることがよくわかっていた。
「ちなみに私はリュウならいつでもウェルカム。リュウは好きなときに、私の好きなところを好きなだけ触れる」
「ほう、その心は?」
「なぜならば、私はリュウの嫁だから」
「だと思った」
もはや熟練夫婦漫才の域に達しているリュウとアルムは、隠す素振りすら見せず堂々と手をつないでいた。
辺境伯令嬢であるセシリアには、随伴の護衛騎士が二人に侍女が一人ついているが、彼女たちの目がある中でもアルムはリュウに対するアプローチを一切隠そうともしない。むしろ見せつけようとしてすらいる。
「あのさアルム」
「ん? 何? キス?」
「じゃなくて。凄ぇ今更なんだけど、ホントに俺で良いの? こう言っちゃなんだけど、俺も『キレイな身体』じゃないぜ。人に言えないようなことも沢山してきたしされてきたし、ぶっちゃけ人の命を奪ったこともあるし」
「なんだ、そんなこと」
リュウにとっても意外な答えだったのだろう。すぐとなりでぎゅっと強く手を握るアルムの顔に目を向けると、いつも通り表情に乏しい横顔が目に入る。
「私だってキレイな身体じゃない。エルフの女で忌み子はそういう扱いを受けるのも珍しくない。魔力のないエルフの女なんて、ただの慰み者」
「あー…………アレか、去年のあの、教室に殴り込んできた、アルムの遠縁の?」
こくり、と小さく頷くと、アルムはリュウの手を握る指に力を込める。
「私は、アイツらに犯された事がある。何度も何度も、抵抗できないのを良いことに。私はアイツらを、ファーマシー家の奴らを、私が犯されてるところを笑って見てた姉さま達を絶対許さない。一人残らず、この手で殺してやりたい」
「……なんかゴメンな、ヤな事思い出させたか」
「私のこと嫌いになった?」
リュウに顔を向けたアルムの顔には、珍しく表情があった。
ただ、それは笑顔などではない。悲痛で、まるで耐え難い痛みを無理やり抑え込んでいるような表情だ。
「やっぱり結婚する相手は処女じゃなきゃだめ? 私みたいに穢れた女は——」
「アルムのどこが穢れてんだよ。誰かがそう言ったのか? なら俺がそいつを叩き潰してやる。アルムはきれいだよ」
山肌は少しばかり赤みを帯びてきていた。
陽が傾いて、夕日が火山から立ち上る水蒸気を黄金に輝かせている。
「なぁアルム」
「ん?」
「アルトリリア様のさ、手伝いとか色々終わって落ち着いたらさ」
「うん」
今度は、リュウがほぼアルムに握らせていただけの手に優しく力を込めた。
「デアハルスってとこ、行ってみようぜ。俺のほら、孤児院の父さんと母さんがそこ出身らしいんだよ。もし帰れたら孤児院も移るかもしんないけどさ。そしたら父さんと母さんが教会やることになるから、そこで結婚式するか」
「リュウ……それは、プロポーズ?」
「だな。まぁほら、でもまだまだ俺等って士官学校の学生じゃんか。とりあえず卒業しようぜ」
「ん。頑張る。超頑張る。とりあえずセシリア先輩とリリア様とシーナ先輩に気に入られとけば、卒業後の進路は間違いない」
「そうそう、それだよ。どうなるんだろうなぁ、ランドルト王国ってさ。士官学校出たら軍に就職すんだろ? 俺等が卒業するまで、そもそも国が残ってるかどうかって話だよな」
「大丈夫、そうなったらそうなったで」
アルムの表情からは、苦痛の色は消えていた。
これまで、リュウにも親友のミナにも、クラスメイトのベインにもリュッケンにも見せたことがない、嬉しそうにはにかむ笑顔だった。
エルフ族の娘の笑顔は、どれもおしなべて美しいものだ。それが夕陽に照らされた、浅黒い肌に赤毛のレッドエルフの娘ともなれば、その美しさはひときわ目立つものになる。
「私とリュウなら、どこにだって行ける。どこでだって生きていける」
「だよな」
にっ、と実に嬉しそうに、楽しそうにリュウが笑顔を見せると、アルムは珍しく声を上げて笑い始める。
「やっぱアルムってさ、良い女だよな」
「今更?」
「あははは、ゴメンて」
楽しげに笑顔を交わすリュウとアルムに向かって、大柄なリュッケンとミナが微妙に離れて歩みよってきた。
「おいおいなんだよ二人とも、手とか繋いでよぉ。ずいぶん見せつけてくれるじゃねぇかよオイ」
「アルム、どしたの? なんだかすごく嬉しそうだけど、良いこと有った?」
「あった。超絶有った。でもミナにもまだ秘密。私がこのキレイな景色を見ながらリュウからプロポーズされたなんて、口が裂けても言えない」
「えっ?」
アルムの言葉にその場にいる全員が、それこそ随伴の騎士とセシリアの侍女までが驚きの表情を浮かべて、最も小柄な二人へと視線を向けた。
「えええええっ!? おいおいおいちょっと待てよリュウ! おま、え? マジで? 何やって……えええ!?」
「う、うわぁ……プロポーズ……プロポーズだぁ、見たかったぁ……」
慌てふためくリュッケンと対照的に、なぜかミナまで幸せそうにとろんとした表情で、これみよがしにリュウと腕を組むアルムに視線を向ける。
大柄なノームの娘の顔が赤らんでいるように見えたのは、決して夕陽のせいだけではないだろう。




