71 神聖サミッツ皇国
メディコ大陸において覇権国家と呼べる物があれば、それは間違いなくエントラッセン帝国である。
10を超える構成国からなる連合国家で、『王の王』として君臨する皇帝アン・エントラッセンが率いる工業先進国であり、軍事力、経済力、そして文化文明の面で他国の追随を許さない。
魔導機関を用いた工業技術の発展も著しく、最新兵器である魔導ジャマーなどはその技術の結晶とも言える存在だ。
商業国家として世界中に大流通網を持つのがカホウ連合王国で、盟主ショウ・カンロンが事実上の王として治めており、エントラッセンと同じく複数の国々からなる連合国家だ。
世界中から様々な民族や物資、情報が集まる国であり、現時点において名目上はエントラッセン帝国と友好関係にある。
盟主ショウ・カンロンはドワーフ族の男であり、元は小間物を扱う露天商から商売を始めた苦労人であるが、類い稀な商才と『そこに金の匂いがするなら、矢の雨の中でも屋台を引いていく』、『あの男はどこにでも現れる。それも、必要なものを必要なだけ携えてくる』と語られるほど、特に軍を相手とした酒保商人として名を馳せている。
生粋の商人、ショウ・カンロンをして『あの姐さんとは商売でけへん』と言わしめたのが、神聖サミッツ皇国の教皇、アンナマリアである。
「教皇聖下、お呼びでございますか」
神聖サミッツ皇国の大神殿、その最奥に背の高い女が跪いていた。
豪奢な祭壇の前に膝をつき、手を握り合わせ俯いたまま何事かを呟いている。
「大精霊からの託宣でございましょうか」
「はい」
エルフの女、アンナマリアはゆっくりと立ち上がり、侍従の男を見下ろす。
聖職者の頂点、教皇にのみ身につけることを許された帽子には細かな刺繍と装飾が施されており、祭壇に立てかけられた杖は青白く冷たく輝く希少金属、ミスリルで作られている。
杖一本で、下手をすれば小国の国家予算1年分ほどの価値になるだろうか。多くの精霊信仰の信者から寄せられる寄付や布施によって成立する皇国は、非常に潤沢な資金力を持って運営される宗教国家である。
「各騎士団の団長に指示を。奸賊ベネディクト・ランドルト4世に正義の鉄槌を下します」
「左様でございますか……ついに戦争を?」
「100年……100年、この時を待ちました。大精霊より、彼の国に政変の兆しありとの託宣がありました。この機を逃す手はありません。ランドルト王国のロガン辺境伯に共闘をもちかけるのです。辺境伯はベネディクト4世に冷遇されていると聞きます。信仰心の有無については、この際度外視しましょう。本来ならば、出家も出来ないような、大精霊様への帰依が薄い者との共闘などあってはならぬこと。ですが、仇敵ベネディクトを倒すためならば致し方ありません」
アンナマリアにとって、大精霊に帰依していない不信心者との共闘など、控えめに言って悪夢である。
本来ならば、この世界は大精霊の教えに心の底から帰依する者だけのものであるはずだ。
創世の大精霊『サジタリウス』が作り上げた世界なのだから、その世界に生きる者はすべからく大精霊の教えを心から信じ、大精霊の栄光を称えるためにこそ生きるべきなのだ。
「本来ならば……ロガン辺境伯もこの大神殿へ自ら赴いて、今までの不信心を涙を流して悔い改めて、信仰にのみ生きるべきなのです。信仰心が足りない者と歩みを共にするなど、本来ならばあってはならぬこと。あの魔女、アン・エントラッセンなど、精霊の怒りに触れてさっさと斃れればよいものを」
「きょ、教皇聖下、左様なことをおっしゃいますな。大精霊の使徒たる聖下のお言葉の品位が——」
「この世界はすべて大精霊の創造物。そうであれば私たちは造物主たる大精霊への信仰を忘れるべきではありません。そうではありませんか?」
興奮冷めやらぬ教皇の前に進み出たノーム族の侍従、シルルジアは内心辟易としていた。
彼自身、大聖霊教会において枢機卿という地位にあるが、教会を二分する『信仰派』と『世俗派』のうち世俗派に属する立場だ。
教皇アンナマリアのように狂信的とも言えるほどに強い信仰心と比較すると、シルルジアは不信心者に見えるかもしれない。
「確かに、おっしゃる通りでございます。ですが、この世に生きる者には教皇聖下のように清廉に生きることが出来ぬ者がいるのも事実。そのような者を救うのも、我ら大精霊のしもべの役割ではございますまいか」
「確かに、愚かな衆生を教え導き、救うのも大聖霊教会の役目なのかもしれません。ああ、そうであればなおさらです。立ち止まっているわけには参りませんね。早くあの俗物ベネディクトに、大精霊の正義の鉄槌を下さなければ」
「……は、仰るとおりでございます。早速、ランドルト王国の西方の守りの要、ロガン辺境伯へ使者を送りましょう」
「よろしく頼みますよ、シルルジア。今こそ私たちの信仰が試されているのです」
教皇は祭壇に歩み寄り、静かに跪く。
彼女は一日の大半の時間をこうして祈りに生きている。
無尽蔵とも言える聖属性の魔力、いわゆる法力を持つ彼女の祈りは、皇国全域を覆う強固な結界となっていた。
国境の数カ所に開けられた関所を除けば、何人も出入りは出来ない上、魔法による攻撃すら完全に遮断してしまう。
皇国が事実上の鎖国状態を維持できるのは、ひとえに教皇の常軌を逸した信仰心と法力があってのことだ。
皇国への入国条件は非常に単純、他の一切の信仰を捨て、大精霊のみに帰依するという宣言である。それも、『信仰派』が掲げる非常に厳しい戒律に従うことを誓わなければ、入出国は認められない。事実上、皇国は聖職者だけが暮らしている特殊な国家だ。
カホウ連合王国の商人には、大聖霊教会に入信している者も少なくない。そのため、間にランドルト王国を挟む形でカホウ連合王国と神聖サミッツ皇国とは比較的盛んな交流が確保されている。
が、両国間には公的には国交がないということになっている。非常に複雑な国情ながら、世界中に点在する熱心な信者達は、巡礼という形でサミッツ皇国を訪れる。
世俗派の枢機卿として、実生活の豊かさを確保しつつ信仰を保つ、ということを重視してきたシルルジアにとっては、教皇のあまりにも原理主義的な姿勢は頭痛の種である。
本来ならば、国を開きより多くの巡礼者を受け入れ、多くの信者を獲得するべきなのだ。
皇国の国土は狭く、畑や農地などに乏しい国柄である。
狭い土地に、多くの神殿に聖遺物の保管庫、修道院がひしめき合っている。この国は、いわゆる民衆というものが存在せず、『騎士と聖職者たちの国』とも呼ばれる完全な宗教国家である。
が、騎士であれ聖職者であれ、食べなければ飢えて死ぬ。
通常の国ならば、国内にいる農民の生産力向上で食料事情を向上させることもできるだろう。が、この国は、いわゆる民衆というものが存在せず、『騎士と聖職者たちの国』とも呼ばれる完全な宗教国家である。
信者からの寄付や、かろうじて交流のあるカホウ連合との交易で手に入れる食糧で食いつなぐ日々。あまりに頑迷な原理主義思想は、かえって国を苦しめる原因のひとつになっている。
「まったく……何が清貧だ、食えなければ死ぬということが、あの女狐は分からんと見える……」
大聖堂の通路を、ほぼ駆け足の一歩手前くらいのスピードで歩くシルルジアは、およそ枢機卿としては不適切極まるセリフをつぶやいていた。
国内に存在する4つの騎士団に属する騎士たちを食わせる糧食も、維持するための資金もかなり逼迫している状況だ。
「金、金だ。世の中を動かすのは、所詮金だ。金がなければ飯も食えん、騎士団を維持することも出来ん……なぜそのことが分からんのだ。信仰心があれば、金やパンが空から降ってくるとでも言うのか」
シルルジアのストレスは、容赦なくその胃を責め苛んでいる。このところ、カホウ連合王国の商人から入手した胃薬が片時も手放せない状況が延々と続いている。
「枢機卿猊下、今少しばかりお時間よろしいでしょうか」
不機嫌を隠そうともしないシルルジアに声をかけたのは、純白の法衣の下に鎧を着込んだ、神殿を護衛する『聖地の盾騎士団』の副団長である。
騎士団に所属する騎士たちは、いずれもが『信仰派』であり、教皇に心からの忠誠を誓っている。シルルジアに言わせれば『狂信者』だ。
「これは副団長殿、いかがなされた」
「先ほど教皇聖下から騎士団の団長に指示がございました。ついにランドルト王国に大精霊の教えを知らしめる日がくるのですね」
「……まぁ、そのようですな」
「このオルト・ペディア、大精霊と教皇聖下のため、粉骨砕身、獅子奮迅の働きをご覧に入れる所存です」
「副団長殿は相変わらず、篤い信仰心をお持ちですな。大変良いことと思います」
「はい。皇国の民の一人として当然のことであります」
ドワーフ族の女騎士オルト・ペディア副団長は、ほぼ四白眼になるほど見開かれた目を爛々と輝かせ、鼻息も荒くシルルジアに詰め寄ってくる。
「しかるに枢機卿猊下、自分は最近の『世俗派』の堕落に大変心を痛めているのです。口を開けば金のことばかり、大精霊への帰依が足らぬと思えるのですが、猊下はどのようにお感じになりますか」
間接的どころか、直接面と向かっての批判だ。
騎士団の副団長といえど、皇国において教皇に次ぐ地位にある枢機卿への直接的な批判は、下手をすれば宗教裁判ものの暴挙である。
だが、騎士団に属するもの、特に上位になればなるほど狂気にも似た異様な信仰心を持っている。オルト・ペディアもその例に漏れず、教皇のためならば迷うことなく業火の中にも飛び込むであろう、と言われている。
「オルト副団長、お気持ちはお察しします。が、我々も食べねば飢えて死にましょう。騎士団とて食糧がなければ——」
「何をおっしゃいます! 大精霊への信仰心があれば、我々騎士団は食糧などなくとも戦えます! それに信仰に殉ずるのであれば、皇国の騎士として本望であります!」
それはそうだろう、お前たちはな。
危うく口にしそうになった言葉を飲み込み、シルルジアは咳払いでごまかした。
「いやはや、さすがは騎士団の重鎮。素晴らしい信仰心ですな。このシルルジア、感服しました」
「恐れ入ります! であれば猊下、ぜひともこの機会に『世俗派』の引き締めを!」
ドワーフ族とノーム族では、身長差がかなりのものになる。オルト・ペディアはシルルジアを遥かに見上げているが、法衣の下の重装鎧も含めた体重はシルルジアよりも遥かに重い。
重装騎士で構成される聖地の盾騎士団は、全員が守りのスペシャリストであり、皇国の防衛を担う立場である。
団長から末端の騎士に至るまで、全員が狂信的な大精霊教会の信徒であるためか、その士気は常に、かつ異常なほどに高い。
その高すぎる士気のために、これまで『大精霊の教えを知らしめる』活動のために、国内の集落を全滅に追いやったことも一度や二度ではない。
「慈悲深い大精霊様の御心のままに、ですな」
「まさしく! さすがは枢機卿猊下、すべての世俗派の信徒も猊下のようであればよいのですがな! では小官は団長と打ち合わせがありますので、これにて失敬!」
どすどすと重たい足音を立てて、小柄ながら総重量300キロをゆうに超える重装騎士は、聖堂の廊下の奥に消えていった。
「……やれやれ、これでは……これは迂闊に見せられんな」
シルルジアがポケットの中に手を入れて指を触れたもの、それはこの日の早朝に彼の元に届いた一通の書簡である。
「厄介なものを送ってくれたものだ、あの青二才め」
ランドルト王家の封蝋で封印されていたその書簡の最後には、『ランドルト王国王太子レオポルト』と署名されていた。




