07 軍人王女
ランドルト王国には、多くの王子と王女がいる。
年長のものは既に20歳を超え、最年少は昨年生まれたばかりの赤ん坊まで、かなり年齢にばらつきがあった。
現国王は非常に精力旺盛であり、戦争を繰り返しては占領した小国や街の女を次から次に側室に加えていった。
「私の母上も、そんな小国の王女でしたわ」
「はぁ……あの、王女様ってことは、将来は女王様なんですか」
「いいえ。第13王女という立場上、王位継承権を持っておりますけれど、この国では女である私が王位を継ぐ事はございませんわね。クーデターでも起こさない限り」
「え、じゃあ起こせば良いじゃないですか、クーデター」
王女、つまりSクラスが使うカフェテラスに似つかわしくない少年は、とんでもない事を口走った。
周囲にいるAクラスの上級生達は一気に色めき立ち、小柄な少年を睨みつけた。
「あなた、面白いことを言いますわね。ますます気に入りましたわ。軍人たるものそれくらいの胆力があって然るべきですわ」
「はぁ……あの、ご存知ないかもしれないですけど、俺は平民で、孤児です。礼儀作法とか知りません」
「一向に構いませんわ。王女であるこの私が許すと言っているのです。他の誰に断る必要も、遠慮する必要もありませんわ」
「そうですか」
「えぇ。リュウ・ノーチでしたわね? あなたには、私にかしこまった言葉を使わないで良い、という赦しを与えますわ。誰かに何か文句を言われたらこの私、アルトリリアが赦したと言いなさい」
「わかりました。それで——」
リュウは視線だけを動かして周囲を観察する。
周囲の人数、配置、性別、種族、帯剣の有無を一瞬で判断する。
明らかに貴族の令息令嬢であろう者たちが、武器を帯びている。とは言え間合いの長い槍やハルバード、薙刀のようなものはない。全員が片手剣か短剣かのいずれか。
いわゆる『一刀一足の間合い』、一息に刃を届かせる事が出来る場所にいるのはわずか3人。
リュウが警戒対象と認めたのは、その3人だけだ。
「俺、ここに居て良いんすか?」
「当然ですわ。私があなたを招いたんですもの」
「護衛の人たちはそう思ってないみたいっすけど」
「あら、気付いたんですのね」
3人は、アルトリリアの護衛を兼ねた士官候補生である。
ランドルト王国におけるランゲルハンス侯爵家を凌ぐ武門の名家、カンフル辺境伯家の令嬢は、若くして剣術の天才の名を恣にしており、士官学校在学中にハイマスター級の称号を得ている。
また、東方の国境において『王国の盾』と呼ばれるステルベン辺境伯家の次女は、盾術と素手での格闘ならば既に士官学校内で敵なしである。
王国中央、国軍総司令部にあって首席軍師を務めるヘルセネン子爵の一人娘は、軍学において士官学校入学以後、首席の地位を守り続けている軍略の天才だ。
「気にする必要はございませんわ。彼女たちは私の親友ですもの」
「いや、俺が気にするんですけど」
「あら、意外と繊細ですのね?」
「こういう場所に来たら、そりゃ臆病になりますよ。言ってみれば敵地ですから」
「うふふふ、素晴らしい。常在戦場の心得ですわね? でも安心してもよろしくてよ。ここは王立士官学校の学内ですもの。明白な敵はおりませんわ」
「でしょうね。名目上は」
帯剣していない、大柄な令嬢シーナ・ステルベンは足音を立てずに2人の席に歩み寄った。
「おい、さすがに無礼だぞ1年生」
「シーナ、私が赦したのですよ?」
「ですが殿下、コイツは平民です」
「あら、それがどうかして?」
「コイツは先日、ランゲルハンス侯爵令息のアルバートを再起不能にしました。訓練試合であればこそ罪には問われませんが、本来ならば貴族に対する暴行です」
「そうでしたかしら? 戦闘訓練も受けていない、身体強化術も使えない、魔力も持たない平民の15歳の少年に再起不能にされる貴族なんて、士官学校には存在しないはずですわ。もし存在したとして、そんな役立たずに侯爵なんていう立場は荷が勝ちすぎているのではなくて?」
「殿下、お言葉が過ぎております」
アルトリリアはにっこりと微笑み、拳を握りしめている令嬢をやさしく制する。
この場では、唯一王族であるアルトリリアが絶対の存在だ。たとえ高位貴族の子弟であろうと、自身が爵位を持つ貴族であろうと逆らうことは許されない。
唯一例外があるとすれば、そのアルトリリア自身が赦しを与えた相手、つまりリュウだけだ。
「リュウ、私は強者を求めておりますの」
「であれば、Sクラスの人たちが強いんじゃないですか」
「爵位で区切られたクラス分けなど、クソくらえですわ」
「殿下、お言葉が」
王女とは思えない言葉が出たことに、再度シーナは眉間のシワを深くする。
リュウにとっては、シーナが割って入ってこようとするのを、アルトリリア王女に止められない方が良かった。
シーナは、明らかに武を修めている。
一切隙のない立ち姿、流れる足運び、体捌き、そして視線の配り方、重心の動き、全てが一流の武芸者である。
おそらくはランゲルハンス侯爵家の、もはやリュウは名前すら覚えていないお坊ちゃんなど、ものの数分でボコボコに出来る水準だろう。
さて、戦うとするならばどうするか。
体格差は明らかだ。獣人族のリュッケンよりも大柄で、筋力はノーム族のミナを凌ぐだろう。そこにさらに身体強化術となれば、体重が軽いリュウは軽々と持ち上げられてしまう。
いや、むしろ持ち上げさせるべきか。自分を持ち上げる手を両手で掴み、一息に小指を折る。
痛みで怯まなければ次は親指。
リュウが知る限り、この世界における全ての人類は、手の構造は一緒だ。獣人族の一部には四本指の種族もいるらしいが、原則として全てが五本指。指の配置も人間と変わらない。
である以上、小指を失えば握力の半分近くを失い、そして親指を失えばものを掴むことが出来なくなる。
握力を失った状態での戦い方を知らない相手ならば、親指と小指さえ使えなくすれば、戦力は半減するだろう。
そこから先はいつも通り、視界を奪い、音を奪う。だがまだ油断は出来ない。
ステルベン辺境伯家は、大柄で頑健なノーム族の家だ。ミナを観察していて、リュウもノーム族の膂力をよく知っている。
力が強いものを制するには、身体の末端への関節技か急所へのピンポイント攻撃が有効だ。
利き手を壊した後は、その体重を支える脚。動きを封じてから、その辺にいる上級生の腰から短剣を拝借して、腱と関節だけを狙えば良い。
「おい1年生、何をジロジロ見ている」
さすがにじっと見ていた時間が長すぎたか、リュウの視線に気付いたシーナは、明らかに不機嫌そうな顔をリュウに向けた。
「いや、なんでも無いです」
「あら、私が目の前にいるのに、シーナに目を奪われていたんですの? 嫉妬してしまいますわね」
「殿下! お戯れが過ぎています!」
「あらあら、怒らないでシーナ? 私、殿方に袖にされたらかえって燃えるタイプかも知れませんわ」
「で、ですから殿下!」
「あの、俺もうそろそろ帰っていいですか? 昼休み終わったら剣術の授業なんです」
「もうそんな時間でしたかしら? 楽しい時間はすぐに過ぎてしまいますわね」
うふふ、と本当に楽しげに笑ってアルトリリアは悠然と立ち上がる。
その姿、身体の動かし方、関節の使い方は、明らかに剣術の手練と呼んで差し支えないものだ。
「王女様も、鍛えてるんですね」
「まぁ、わかりますの?」
「いや、なんとなくです」
「嬉しいですわ。リュウ・ノーチ、あなたと私は分かり合えそうな気がしますの。また明日、お昼休みになったらここのカフェテラスにおいでなさいな」
「遠慮しときます。同じクラスの奴らと飯を食ったほうが良い」
「貴様! 平民の分際で殿下のお誘いを断るとは何事だ!」
シーナはリュウに掴みかかろうとして、その寸前で手を引っ込めた。
大柄なシーナの全身に、冷たい汗が吹き出している。
彼女はほんの一瞬だが、リュウと組み合ったすぐ後の展開を予測していた。
格闘士としてマスター級を修めたシーナは、特に蹴り技と組み技を得意とする。達人と言って差し支えないレベルにある彼女は、相手の構えや重心の位置、視線から、相手とどのように戦うかを極めてリアルに想像することが出来る。
その彼女が想像したのは、自らの関節や骨が無惨に破壊される姿。
さらにすぐ側にいる王女の短剣を奪ったリュウの剣の一閃で腱を切断され、無力化された姿。
果ては、脇の下にある太い血管を切られ、失血で命を失う姿までが、この上なくリアルに目に浮かんだ。
「やめてくださいよセンパイ、怖いなぁ」
全く感情の籠っていないセリフを口にして、ゆっくりとリュウは立ち上がった。
「じゃ、もう良いですかね。まだ昼飯食ってないんですよ。Gクラスの学食って遠いから、走っていかなきゃ間に合わないんで」
「構いませんわ。次の剣術の授業、たしかジプス先生でしたわね? 授業開始を30分遅らせるように伝えておきます。ゆっくり食事をなさい」
「え、そんな事出来るんですか?」
「あら、私を誰だと思って? 序列は低くてもこの国の王女ですのよ? ご存知ありませんでしたの?」
「知らなかったっすね」
心の底から楽しげにけらけらと笑い、アルトリリアは無防備にリュウに歩み寄った。
隙だらけで、明らかに攻撃の意思が無いことが見て取れる歩き方だ。
「リュウ・ノーチ、あなたの名は私の記憶に深く刻みつけておきますわ。あなた、Gクラスの生徒に何かの鍛錬をさせていますわね? 大いに結構ですわ、存分に鍛えなさい。文句を言うものは、たとえ相手が教師でも、高位の貴族の子弟でも、私の名をお出しなさい」
「あの……何でそこまで? 俺、ただの平民の孤児ですよ?」
「それがどうしたのです? 私が気に入ったから、ただそれだけで十分な理由ではなくて?」
「そういうものっすか」
「そういうものですわ。さ、それでは学食へお戻りなさいな。ごきげんよう、リュウ・ノーチ」
「はぁ。それじゃ」
ぺこ、と軽く頭を下げてから、リュウは悠然とSクラス専用のカフェテラスを後にする。
その足音が全く聞こえない事に気づいていたのは、アルトリリアとシーナだけであった。




