06 特別授業?
士官学校の授業は様々な物がある。
基本的にクラス別に行われるものがほとんどだが、合同演習など全クラスが一斉に参加するものもある。
この日は通常授業、クラス別に行われるものだが、軍学の講師を務めるストマック男爵の授業はこの日も休講になった。
午後の時間が急にヒマになったGクラスでは、『自習』としてなぜか小柄な黒髪の少年、リュウが教壇に立っていた。
「武之内流の最終目的は単純だ。生き残ること。ただただ死なずに生き残ることが何よりも大切だ」
「おい待てリュウ、それは、騎士や戦士の誇りよりも大事だってことか? 戦士の誇りを捨ててでも生き残れってことなのか?」
「何言ってんだリュッケン、当たり前だろ。戦士の誇りとか、騎士の名誉みたいなモンで大切なものを守れるか? もしお前の後ろに小さい子供がいたとして、その子供の命は戦士の誇りと引き換えに出来るのか? 無様に負けても、泥水をすすってでも逃げて生き延びる。最後の最後に生きて立ってたやつが勝ちなんだよ」
赤狼族は誇り高い戦士として知られている。
部族がランドルト王国に併合されたときには、戦士の誇りのために多くの男たちが自ら命を絶った。
結果、残されたのは赤狼族全体の大幅な弱体化だ。
「最後に生きて立ってた者が勝ちなんだよ。死んだらそれまで。名誉の敗北なんて存在しない。負けたらどうなる? 味方は皆殺し、女は犯され子供は奴隷だ。財産も、先祖伝来の土地も、文化も、信仰も、言葉すら奪われる。それが誇りか?」
「……違う……な」
「だろ。いいかみんな、武之内流ではまず生き延びることを第一に考える。逃げることだって立派な戦術、技術なんだ。だからこそ武之内流で一番大切になるのは、脚力だ」
ぱん、とリュウが自らのフトモモを叩いた。
「今日から朝食前と、学校が終わって夕食前には皆で走る。学校の訓練場が1周1キロくらいだったか。とりあえず10周が目標だな。ベインはまず5周走れるようになれ。ミナとリュッケンは今日は10周がノルマ。アルムは走れるだろ? 俺と15周走ろう」
「わかった」
「ちょ、ちょっと待って!? 訓練場を10周? な、何でそんな走らないといけないの?」
思わずミナが立ち上がる。
彼女は腕力こそ強いが、長距離を走るのが苦手であった。
「なぁミナ、考えてもみてくれ。俺達がいるのは、士官学校だ。ここを卒業したらどこに行く?」
「そ、それは、軍……かな?」
「そう。軍だ。軍は何をするところだ? 戦争だよな? 戦争はどんな大義名分があろうと、所詮殺し合いだ。自分より強いやつは必ず現れる。そういうやつが自分を殺そうと向かってくる。さぁどうする?」
「んっと……逃げる?」
「その通り。逃げるんだよ。無様だろうが惨めだろうが、どれだけカッコ悪かろうが情けなかろうが、ひたすら逃げる。逃げ切るまで逃げる。そのときに優雅に歩いて逃げるか?」
「いや、走って逃げる。僕なら走る」
ベインが静かに、落ち着いた声を上げた。
彼は、Gクラスの中では学科はナンバーワンだったが、体力に乏しかった。重たい槍を持つことも難しい。
準男爵家は平民と変わらないくらいの経済状況であることが多く、ミナの実家も例外ではない。
ベインの生家であるジーケンハウス準男爵家は、下手をすると平民の商人よりもさらに貧しかった。
ベインが士官学校へ入学したのも、いわば口減らしである。
幼い弟や妹に食べ物を分け与えるため、自分のスープの皿からほとんどの具を幼い弟妹に譲り渡す、そんな優しい男だ。
実家の経済状況が困窮していることなど、言われるまでもなくよく理解している。
士官学校へ入学すれば、無償で食事付きの寮に入ることが出来る。それに、卒業出来れば軍への就職も保証されている。
『僕は士官学校に入って、軍人になって、父さんと母さん、それに家族みんなに楽な暮らしをさせたいんだ』
そう語る心優しい長男を、ジーケンハウス準男爵と夫人は涙を流して送り出した。
「僕は何があっても死ねない。弟や妹がちゃんと成人するまで、何があっても生き延びないと」
「だろ。だから、走るんだ。走れるようになっておかないといけない。今日からしばらく、走り込みと朝やった馬歩の鍛錬、それから立ち方と歩き方。これが武之内流の基礎の基礎だ。基礎をおろそかにするヤツには上達は——」
「おい、チビがずいぶん偉そうに演説こいてんじゃねぇかよ。あ?」
突然、粗末な木製の戸が開き、数名の男がぞろぞろと教室に入ってきた。
「アルバート様に大変なことしてくれたなぁ? あ? おい、ざけンじゃねぇぞクソガキが。おい、ビビってんのか? あ?」
本来、士官学校において授業中の勝手な抜け出しは懲罰ものである。
が、こうしてGクラスの教室に乗り込んできた者たちは、今さら懲罰など気にしないほど素行が悪いことで知られている。
ちなみに、士官学校は『軍人養成』という性質から、ある程度の暴力沙汰は黙認される傾向が強い。
「お前よォ、貴族の世界で生きていけねえようにしてやろうか。あ?」
非常にガラの悪い上級生は、手を伸ばして小柄なリュウの制服の襟首を掴んでねじりあげる。
本来ならば、下級生は怯えて震えながら許しを請うところだ。
が、彼らが襟首を掴んだ少年は、平然と顔を横に向け、クラスメイトに緊張感のない表情を見せた。
「うん、ちょうどいいや。こういうときどうするか、説明するからとりあえず見といて」
「ちょ、リュウ?」
いつも冷静なアルムも、あまりにも場違いなほどリラックスしたリュウの姿にあっけにとられている。
「まず、こうやって襟首を掴む。これはハッキリ言ってバカがやる最悪の行動だ。力しか取り柄のないザコの典型だね」
「なっ、て、手前ェ!」
「こういう時に力を入れて身体を硬直させる、っていうのはまったくの逆効果だ。こういうときは、相手の親指を握って、全身の力を一気に抜く」
がくん、と大柄なニンゲン族の上級生は、突然手に巨大なおもりでも載せられたかのように前のめりにバランスを崩した。
「で、最初にやること。利き腕の親指の骨を折る」
ぱき、という軽い音の直後、大柄な男は口を開いて大きく息を吸う。
悲鳴を上げようとしたところで、顔面にリュウの靴のつま先がめり込んだ。
「相手が口を開けたら膝でも肘でも踵でもいい、とにかく顔面に思い切り入れる。舌でも噛んでくれたら儲けものだな。あ、拳は使わないほうが良い。歯っていうのは硬いからね、当たると拳でも傷めるよ。出来れば革のブーツの、硬い踵が理想的。それから、相手が怯んだらすかさず目潰し」
何のためらいもなく、リュウは上級生の両目に指を突っ込み、容赦なく視界を奪う。
「次に耳を攻撃して音を奪う。目と耳を奪えば、大抵の奴らは無力になる。それに顔面に手が届くのであれば、徹底的に顔面を攻撃する」
リュウの攻撃は、本当に全く容赦がなかった。
明らかに防衛だけではない、非常に効率よく人体を絶命させるためのテクニックだった。
「お、おい! やり過ぎだろうが! おいやめろって! ふざけんな手前ぇ!」
「で、こうやって次の奴が襲いかかってきたら、とりあえずどこでもいいから急所を潰す、出来れば目を奪うのがオススメかな」
ぱぁん、と手のひらを二人目の上級生の顔を平手で叩き、その動作でまぶたの中に指を突き入れる。
「とりあえず目を攻撃するあたり、リュウは容赦ない」
「な、エゲツないよな……」
アルムとリュッケンはある程度戦いの経験があるだけに、リュウの攻撃の異常なほどの無慈悲さに戦慄を覚えている。
「で、相手が棒立ちになったらこうやって、相手の利き腕の自由を奪う」
立った状態で肘や肩関節を極める、武之内流の関節技である『小手堅め』である。
通常の柔道や格闘技なら、関節が極まった時点で勝負ありだ。
だが、武之内流は『兵法』であり、戦場格闘技だ。
「そして関節を極めたら、すぐに折る」
ばき、と嫌な音の直後、男の悲鳴が教室と廊下に響いた。
「ほら、口が開いたろ? そしたら顔面に踵」
ぐちゃ、という音の直後2人の上級生は静かになった。
廊下の向こう側からバタバタと騒がしい足音が近づいてくる。
まるでその足音も聞こえていないかのように、リュウは教壇に戻ってリュッケンやミナ、それに青白い顔をしているベインに語りかけた。
「これが、武之内流だ。この程度のことは、ベインだってすぐ出来るようになる。ただの技術だからね。問題は、覚悟だ。相手を壊す覚悟をすぐに決める。それが一番大事になってくるからな」
「何の騒ぎだァ!」
「あ、ストマック先生。いやぁ怖かったですよ。いきなりセンパイ達が襲いかかってきたんです。真面目に自習してたのに」
「なっ……」
リュウの視線を避けるように、ストマックは顔を伏せて地面に倒れ込んだままのニンゲン族の2年生2人を見下ろした。
「お、お前か……お前がまたやったのか」
「ヤだなぁ、人聞き悪いですよ先生。先に襲いかかってきたのはセンパイたちです。だってほら、ここGクラスの教室でしょ? なんで授業中なのにセンパイ達がここにいるんです? ねぇ? センパイ?」
ちら、とリュウが視線を向けた先には、腰を抜かしたままで動けないでいる、エルフ族の上級生がへたり込んでいた。
「私も見ておりましたわ」
廊下から非常によく通るアルトの声が響く。
おそらくは3つ向こうの教室まで響き渡るであろう声の直後、教師のストマックをはじめとするリュウ以外の全員が反射的に跪いた。
姿を現したのは、側近と思しき女子生徒を引き連れた、落ち着いた雰囲気の女子だ。
身なりからして、SクラスかAクラスといったかなり上位の階級の子女であろう。
「ストマック先生、この事は私から叔父様に——学長に報告しますわ。よろしいですね?」
「で、殿下! それはその、誤解です!」
「そもそもこの時間、1年のGクラスは軍学の授業であるはず。であればストマック先生、これはあなたの監督下で起きた事件、そうですわね?」
「い、いえ、その、俺様、いや私は体調を崩しておりまして! その、自習を命じていたんですが、この落ちこぼれどもが勝手にこのような不祥事を!」
「あら、私は褒めていたつもりなのですよ? 優秀な軍人を養成するこの士官学校において、不意の襲撃にも冷静に、適切に対応する事が出来る生徒を育てたのだと思っていたのですけれど、どうやら見込み違いでしたわね? 彼らが勝手にやった、というのであれば、この騒動を収めた実績は彼らのものということですわね?」
ストマックは先程から顔色が赤くなったり青くなったりと、非常に忙しい。血圧の乱高下が激しいのだろう、血管にも健康にも良くない状態に違いない。
「私、第13王女アルトリリア・ランドルトが褒めて遣わします、Gクラスの諸君。軍人のタマゴたるもの、こうでなくてはなりませんわ」
「え、王女て」
ただ1人、平民であるために王女の顔を知らないリュウは、呆然と立ち尽くしている。
本来ならば処刑ものの無礼であるのだが、幸いなことにアルトリリアはそのような事を気にするほどの小物ではなかった。
「あなた、リュウ・ノーチですわね? お話したいことがありますの。ついておいでなさい」
くる、と軽い身のこなしで踵を返したアルトリリアは、無防備にリュウに背中を向けて教室を後にする。
数歩歩いてから振り返り、ぽかんとあっけにとられているリュウに笑顔を向けた。
「さ、何をぼさっと突っ立っているのです? こちらですわよ?」
リュウがちらりとベインに視線を向けると、ベインは全力の口パクで『良いから行ってこい』と訴えていた。




