05 異様な光景
早朝の士官学校学生寮の片隅、日当たりの極めて悪い区域で、Gクラスの5人が奇妙な体操をしているという噂が立ったのは、アルバート・ランゲルハンス侯爵令息が士官学校を退学した直後だった。
「あの子達、何をしているのかしら?」
そんな彼らの姿に目を留めたのは、長い金髪を美しく編み込み、腰には細かい彫金が施された剣を帯びている。
「あぁ、Gクラスの奴らです。殿下がお気にとめるような価値もありません。我々Sクラスと同じ空間にいるだけでも身の毛がよだつような奴らです」
「それはどうでもいいのです。あの子達は、一体何をしているか、どなたかご存知ありませんの?」
『殿下』と呼ばれた快活そうな美女は、じっと5人へと視線を向けていた。
妙に小柄で飄々とした黒髪の少年は、他の4人を指導しているように見えた。
4人は腰を落とし膝を曲げ、背筋を伸ばした状態で静止している。
これは中国拳法で言う『馬歩』という基礎鍛錬法であり、足腰を徹底的に鍛えるものだが、ランドルト王国においてそのことを知るものは誰ひとりいない。
「リュウ、わ、私もうダメ、もう無理ぃ……」
「おい、これいつまでやるんだよぉ……」
「……もう限界……」
「僕はまだだ……まだ行ける!」
古い訓練場で、寒い空気の中、Gクラスの4人は全身から異様な量の汗をかいている。
ミナは泣きそうな顔で、まるで許しを懇願するかのような表情をリュウに向ける。
獣人族のリュッケンはすでに脚ががくがくと痙攣を始めている。
アルムは必死で歯を食いしばり、限界寸前の状態で耐えているような状況だ。
ただ、ベインただ1人が心が折れていなかった。
汗が地面に何度もぽたぽたと落ち、さらに脚は痙攣が止まらず、全身をガクガクと震わせながらも『まだ行ける』と精一杯の強がりを続けていた。
「はいじゃああと10秒、9、8、7、6——」
「き、キツい! 何なのよぉこの鍛錬! 私もうホント無理!」
ミナは泣きそうな顔で、まるで苦痛を紛らわすように頭を振る。
「5、4、3、2、4、5」
「おいリュウ! ふざけんなお前、増やしてんじゃねぇよ!」
リュッケンは本当に赤狼族特有の牙をリュウに向けてむき出しにした。
「6、5、4、3、2、1、0.9、0.8、0.7、0.6」
「リュウ、あとでシバく……」
アルムは、本当に殺気のこもった目で、リュウを睨みつける。
賑やかに楽しげな話ながら、4人が『静止した状態での鍛錬』を続けるという異様な光景を、豪奢な建物の廊下からじっと眺めていた金髪の女は、取り巻きの言葉などまったく耳を貸すこともなかった。
「リ、リュウ、もう僕も、限界だ……」
「なんだ、ベインももう無理か。しょうがないな、初日は軽くしておこうか。はいじゃあ終わり」
ぱんぱん、とリュウが手を叩くと、4人は一斉に石の床に崩れ落ちた。
「いたたた痛い痛い痛い! 攣った! 脚攣った!」
「あああ脚の、脚の感覚がない……」
ベインとミナは苦しげにのたうち回り、身体能力に優れる獣人のリュッケンは自らの脚を必死でマッサージしている。
「休憩終わったら柔軟だね。その後は立ち方の稽古」
「た、立ち方? おい、馬鹿にすんなよリュウ、立ち方なんて誰だってわかるだろ」
「いや、全然わかってない。特にベイン、お前は立ち方がまるでなってない」
「立ち方って……」
「まぁとりあえずその話は朝飯食ってからだな。行こうぜ」
「待ってリュウ」
アルムが何とか立ち上がるが、まるで生まれたての子鹿のように膝が定まらない。ガクガクと激しく震え、ただ1人立ち上がれたリュッケンにしがみついていた。
「無理、歩けない」
「それでも歩くんだよ。例えば今、この状態で魔物とかBクラスの奴らが殴りかかってきたら『今歩けないから待って』って言うのか?」
言い返せるものは、誰もいなかった。
震える脚、筋肉が痙攣をやめない脚を強引に動かして、ミナとベインの2人もようやく立ち上がり、Gクラス用の食堂へと向かった。
その姿をじっと上階から眺めていた女に、後ろからやたらと背の高い女が歩み寄った。
「……殿下、行きましょう。朝食が冷めますよ」
「……そう、アレがリュウ・ノーチ……あのいけ好かないランゲルハンス侯爵のキザ男をシメた1年生ですわね」
「殿下、関わってはいけません。それに『シメた』など、平民の言葉を殿下が口にするのは——」
「その平民の身分のGクラスに負けたランゲルハンス侯爵家は、これからどうするのかしら」
金髪の女は、楽しげにそう言い放つと、悠然と廊下を進む。向かう先は食堂だ。
学生寮では、クラス別に給食が出される事になっている。
Sクラスは専用、AからFクラスはそれぞれ合同の食堂を使うが、Gクラスもある意味専用である。
「なにチンタラやってんだいガキども、飯だよ。さっさと喰いな」
雑に差し出されたのは、豆と野菜、それに肉が入ったスープにバカげた大きさの黒パン、そしてB級品のソーセージと、南国の蛮族が食べるという黄色い不気味な果実。
Bクラスよりも上の階級の者たちからは、『我が領地の豚の方がまだ良いものを食っている』と嘲られるメニューである。
「量だけはあるけど……私だって柔らかい肉と白いパンが食べたいなぁ……」
文句を言いながら、誰よりも勢いよくスープをかき込んでいくミナは、ようやく脚の痙攣が治まったのか、早々にスープのおかわりをもらいに行った。
学生寮において、学生はいくら飲み食いしても無料である。ただし、口にできるものは階級によって明確に違う。
「強くなるためには、もっと良いモン喰わねぇとダメなんだろうな」
リュッケンが口惜しげに呟いて、豪快に黒パンを頬張る。
誰もがリュッケンの意見に『だよな』と言いそうになったが、リュウだけは違ったようだ。
「いや、これでいい。むしろこれが良い。もっと言えば、理想的だ」
丁寧にスプーンでスープの具材をすくう。
「豆はタンパク質を始めとする栄養素が豊富だ。筋力鍛錬の後に食べるのは理想的だな。それに肉も硬いモモ肉だろうが、むしろ余計な脂肪が無くて良い。野菜も豊富だし、それにこの黒パンだ」
ずっしりと重く、そして硬く歯ごたえだけは十分な黒パンは、貴族の間では『貧者のパン』と蔑まれている。
「白パンは、あれは食べやすいが栄養が乏しい。ライ麦で作られた黒パンはビタミンもミネラルも食物繊維も豊富だし、何より高カロリーだ。鍛錬でカロリーを消費する俺達には、むしろ今のこの食事内容は理想そのものだぞ」
「リュウの言葉は、時々分からない。びたみん? とか、みねらるとか? タンパク質とかいうのも初めて聞いた」
「まぁ、そういう成分だと思ってくれれば良い。AクラスとかSクラスが何食ってるか知らないが、強くなりたいならこの食事を食えるだけ食ったほうが良いな」
「そうか。リュウがそう言うなら、僕は信じるよ」
ベインは細身な身体に、無理やり詰め込むように黒パンを口にねじ込んでいく。
「……クソっ、しょうがねぇ、俺もリュウを信じるって決めたんだ。こんな飯くらいでメゲてて赤狼の戦士を名乗れるかよ」
リュッケンもスープを豪快に飲み干すと、空になった器を持って給餌の男の元へと向かう。
「リュウが言うなら、食べる」
アルムはリュウと同じく小柄な体格だが、かなりの量を食べる。
エルフ族は、大昔は『森で採れる樹の実か果物しか食べられない』と噂されているが、実は弓矢を使い獲物を仕留める、肉食の狩猟民族である。
アルムの実家は、両親が魔法使いとして従軍し功績を上げたことから騎士爵を頂いている。魔法に於いて、アルムの家は実はそこそこ名の知れた実力を持つ名家だ。
が、エルフ族の中には極稀に、アルムのように魔法を全く使えないものも生まれる。
アルムはファーマシー家の末娘として生まれ、姉たちは魔導学院や騎士団に入り魔法を使って生計を立てている。
魔法を使えない彼女は『忌み子』と蔑まれ、両親の関心すら得ることが出来ず、ひたすら奴隷のように扱われていた。
やがて士官学校への入学が出来る年齢になったアルムは『忌み子のお前を育てるのは今日までだ。出ていけ』と放り出され今に至る。
「強くなるためなら、何だってする」
「アルムは強くなれるよ。その気持ちが有れば、間違いなくね」
「頑張る。超頑張る」
スープに黒パンを浸して、豪快にむしゃむしゃと食べ続けるアルムと同様、リュウもかなり健啖である。
Gクラスの5人は、コックの老人夫婦が呆れるくらい大量の朝食を食べてから、軋む廊下を歩いて教室へと向かっていった。
「リュウ、教えてくれ。僕たちはまず何をするべきか」
「ベインも良い面構えになったな。負け犬根性が染み付いた坊っちゃんじゃなくなってきた」
「からかわないでくれ。僕たちは本気だ。本気で強くなりたいんだ」
「そうか。まぁじゃあ歩きながら聞いてくれ。リュッケンも、ミナも、アルムも」
5人が歩く中、3人分の足音が廊下の壁に反響する。
森の中で狩人として動いていたアルムは、自然と自分の足音を消す技術を身に着けている。
リュウの足音は、森で獲物の気配を感じ取る技に長けたアルムですら聞き取れないほど、ほぼ完全な無音である。
「俺が教えるのは、武之内流という武術だ。戦場でいかに生き残り、相手を殺すか。そのことだけを何百年も追求した技術体系だ。俺はこれしか出来ないし、教えられるのもこれしかない」
校舎から最も遠くに配置されたGクラス寮から続く廊下は薄暗く、人影もない。
それだけに、こうして話をするのには絶好の環境だった。
「まずは4人とも、基礎を徹底的に叩き込む。言っとくが泣くほど辛いぞ。強くなるには、それだけの痛みがいるんだ」
ごくり、とベインが喉を鳴らす。
リュッケンも息を潜め、ミナは眉をひそめた。
「やる」
だが、アルムの返事は簡潔だった。
一切揺るがない覚悟が見て取れる目で、じっとリュウに視線を向ける。
「僕もやる」
「わ、私もやる……」
「当然俺もな」
武ノ内隆造は、ついぞ持つ事が無かった弟子。
自らの代で潰えるはずだった、室町時代から続く武之内流兵法の入門志願者が現れたのは、実に数十年ぶりのことであった。




