04 Gクラス
「やー、散々な目に遭った。ンだよ試合に勝ったら呼び出しとかさぁ」
ガラガラ、と教室の引き戸を開けるなり、実に緊迫感のない声をあげて、小柄な黒髪の少年が入ってくる。
ボリボリと黒髪をかきながら、面倒くさそうにため息を吐いて
「あっ! リュウ、お前大丈夫だったのか!? 上のクラスに勝ったから退学って聞いたぜ!?」
「え、俺退学になるの? 初耳なんだけど」
実に緊張感のない返事を返した、クラスで最も小柄な少年リュウ・ノーチは、やはり緊張感など欠片もないような表情で自席に腰を下ろす。
かろうじて雨漏りだけは免れている古い校舎の隅、実にお粗末な教室には、数名の士官候補生達がリュウの帰りを待っていた。
この日の朝早く、学校の教室に入ってきたリュウを待っていたのは、担任教師の『リュウ・ノーチ、生徒指導室へ来い』という短くも残酷な言葉だった。
生徒指導室でマルコ・シーネ博士と生徒指導主任教官であるグレゴリオ・マーゲン教諭にガン詰めされてから、リュウが解放されるまでたっぷり20分を要した。
「なんかさっき、凄い牛の声みたいなの聞こえたよ?」
「あぁ、それじゃ牛がいたんじゃね? シメたら食って良いのかな」
自席に腰掛けたリュウに隣から声をかけたのは、ノーム族の大柄な女、ミナである。
彼女は昨日、半ば強制的に参加させられ、有り金を全部賭けさせられた大博打で大金を手にし、そのほとんどを実家の準男爵家に送金していた。
「で? 退学ってホント?」
「なってないと思うけどなぁ。だって俺、何も悪いことしてないもん」
「だよな? リュウは悪くねぇよ」
後ろの席から声をかけてきたのは獣人族の男、リュッケンだ。
実に珍しい赤狼族と呼ばれる種族で、ランドルト王国に併合された自治区で暮らす族長の息子である。
名目上、自治区を治める名主としての立場を持たせるため、リュッケンの父は騎士爵を与えられている。
この他にも、Gクラスには騎士爵家出身の『魔法を使えないエルフ』のアルム、同じくエルフ族出身の準男爵家、Gクラスでも学科において筆頭であったベインがいる。
Gクラスは別名『追い出しクラス』とも呼ばれており、このクラスに配属された時点で退学を申し出た者がほとんどだった。
卒業しても軍での出世の道は閉ざされたも同然、むしろ学内での底辺としての扱いに耐えられそうにない、実力が伴わずプライドだけが高い貴族の子弟たちは、文字通り入学初日に退学していった。
残ったのは、現在だだっ広い教室にいるリュウ、ミナ、リュッケン、アルム、ベインの5名だけである。
Fクラスは50名、Eクラスも60名ほどが在籍しているなか、Gクラスだけは、あきらかに扱いが異様であった。
そんな扱いでも耐え忍ばなければならないものだけが、今このクラスに残っている。
ミナは借金まみれになってしまった実家を助けるため。
リュッケンは誇り高き赤狼族の戦士として、そして父の名誉のため。
アルムは、魔法を使えないエルフとして、同族の誰からも見放されており、他に行く場などどこにもない。
ベインも準男爵家の跡取りとして、何としてでも士官学校を卒業しなければ、実家が爵位を返上せざるを得なくなってしまうほどに困窮している。
それぞれに、追い詰められている若者たちだった。
「正直さ、せいせいしたよな」
「同感」
ベインが小声で囁くと、普段口数が少なく物静かなアルムも呟いて頷いた。
「なぁリュウ、お前やっぱ身体強化とか使えるのかよ。やっぱそうでもなきゃ侯爵家相手に勝つなんてムリだよなぁ?」
「いや、俺魔法とか使えないし」
「嘘つけよオマエ、じゃどうやって勝ったんだよ」
「知りたい?」
最底辺のGクラスに会っては、教師が授業をすっぽかすということも日常茶飯事だ。
この時限も、教師は教室にやってきていない。ちなみにこの時間を担当するはずだったのは、軍学担当のストマック教諭である。彼は先日、侯爵家令息を平民が打ち負かした試合の審判をつとめた、ということで事情聴取中である。
「リュウは不思議な歩き方をしてた」
アルムがぼそ、と呟くと、全員の視線がやや小柄なエルフの少女に向けられる。
「リュウはなにか、変わったカラダの使い方してる」
「へぇ、アルムってさすが、元狩人だよな。目の付け所が鋭い」
「褒められると照れる」
「まぁ俺のアレは特別っていうか、武術だね」
「武術?」
全員の声がハモった。
無口なアルムですら、全員と同じテンポで同じ言葉を口にする。
「そう。俺が使ってるのは武之内流兵法っていう武術なんだけど、もともとは戦場でどうやって生き残るか、どうやって効率的に敵を『壊す』かを追求したものなんだ」
「え、待って待ってリュウ、何か怖いよぉ」
ミナが少しだけ身を引いて嫌そうな顔をする。
彼女は準男爵家のお嬢様で、ノーム族ならではの怪力を誇ってはいるものの、荒事の経験は一度もない。
「まぁ、実際さ? あのなんとかっていうパイセンと立ち合って解ったけど、全然大したことない」
「は!? おいリュウ、ちょっと待てよ! 貴族が使う身体強化って、アレとんでもない術だぜ!? ヒト族だってあの術を使えば、赤狼族に身体能力で勝てるんだぜ!?」
「いや、それはリュッケンがカラダの使い方を知らないからだろ? 現に俺、単純な腕力だけならミナとかリュッケンよりも弱いよ? それでもあのなんとかっていうお坊ちゃまに勝てたんだぜ」
しばらくの沈黙。
クラスの5人の中で、誰一人として声を出せなかった。
本当は彼らも、リュウの戦いっぷりを目の当たりにして解っていたのだ。
リュウが身体強化など全く使っていない、言わば生身の状態で戦っていたこと。
おまけにその相手が、身体強化術を重ねがけしていた上級生であることを。
「リュウ、僕たちも……強くなれると思うかい?」
呟くような声を漏らしたのは、Gクラス筆頭のベインだ。
彼は下位貴族の準男爵家の嫡男で、他の子爵家や伯爵家など、父が所属する派閥の家の子弟から執拗なイジメを受けていた。
父からは『上位のものに逆らってはいけない』と厳命されていたために、上位の家の子弟からの嫌がらせは年々エスカレートしている。
おとなしそうな顔立ちに、獣人族のリュッケンと比べれば華奢な体つきから、もはや誰もが『ベインは何をしてもやり返してこない』と思っていた。そしてベインは、実際に何をされても口答えもせず、やり返すことも出来なかった。
「その、武術っていうのが何なのか分からないけど、僕たちでも、今より強くなれるだろうか」
「なれるよ。特にミナとリュッケンはね。ベインもアルムも。武術っていうのは、言ってみればただの技術なんだ。技術である以上誰にだって習得できる。要は出来るまでやる覚悟を持てるかどうかだけどさ?」
ぎり、と小さな歯ぎしりの音。
頼りない肩が震え、嗚咽のような声が唇から漏れ始める。
「僕……僕も、強くなりたい……妹や弟が、他の家の奴らにいじめられて泣いて帰ってくるような、それでもやり返せないようなのがずっと続くのは、もう嫌だ」
頼りない声。
だが、絞り出すように漏れでたのは、魂の叫びとも言える言葉だった。
「俺もだよ。赤狼族が、獣人族が魔法を使えないからってバカにしやがって……俺だって赤狼族の戦士として、部族の誇りとして戦える力が欲しい」
「私もよ。お父様を騙して金を巻き上げた奴らに何も出来ないなんて、そんなのはもうイヤよ」
「私は、見返したい」
最も小さい声を挙げたのはアルムだ。
「私は許せない。私を捨てた同族が、私をバカにした先生達が、上のクラスの奴らが、出来ることなら皆、この手で殺してやりたい」
声は小さかったが、その声に隠された激情は、アルムが最も熱く燃え盛っている。
「リュウ、頼む。その武術っていうの、僕たちにも教えてくれないか」
「やめとけ、修練はかなりキツいよ。多分音を上げる」
「あげない」
アルムは小さく、だがきっぱりと言い切った。
「何があっても。私だってもう逃げたくない。強くなりたい、昨日のリュウみたいになりたい」
Gクラスの、リュウ以外の4人の視線が、最も小柄なリュウにじっと注がれる。
しん、と静まり返った教室のドアが、突然ガラガラと雷のような音を立てて開いた。
「全員席につけェ! 授業をしてやる、ありがたく思えこのクソムシども!」
男爵であり、軍学教諭であるストマックの息は酒臭かった。
彼は、朝からつい先程まで、士官学校の教頭に延々『訓練試合における貴族の失態』について追求された挙句、自らの部屋でやけ酒を飲んで来ていたのだ。
「ったく……本来なら俺様の授業は、お前たちみたいな落ちこぼれにはもったいない! あぁ実にもったいない! どうせ言っても分かりはするまい! だァが! 俺様も仕事だからな、仕方なく授業をしてやる! 本来ならお前ら、俺に謝礼の酒でも献上するべきだぞ!? 解っとるのか!?」
ストマックは、典型的なランドルト王国の貴族だった。
強いものには弱く、弱いものには徹底的に強い。
彼も男爵として領地を持ってはいるが、その領地運営はお世辞にも善政とは言い難いものだ。
「アルム!」
「え、なに」
「オマエはGクラスでは一番顔がマシだからなぁ。乳はノーム族のミナか……おい、女子2人はここに来い。教師を接待せんか」
ミナとアルムはうつむいてじっと手を握りしめている。
低位貴族の子女は、こうして高位の者の慰み者となってしまうことが珍しくない。
ミナは準男爵令嬢だが、男爵が相手ともなればセクハラをされても逆らうことなど到底許されない。
アルムに至っては騎士爵家である。ほぼ平民と同格ながら、エルフ族特有の美しい容貌を持つ彼女は、今までに何度も貴族の男たちから慰み者のように扱われていた。
「クソが……たかが男爵じゃねぇかよ……」
思わず呟いたリュッケンの言葉は、不幸にもストマックの耳に入ってしまった。
「あ!? 誰だ今のは!? おい! 名乗り出ろ!」
「はーい、俺でーす」
だが、立ち上がったのはリュウである。
無防備に脱力して立ち上がったリュウの手には、手袋が握られている。
「ストマック先生、ちょっと貴族の風習について聞きたいんっすけど」
「な、なっ……何だオマエ! 平民風情が! 身の程をわきまえろ!」
「貴族って確か、手袋投げつけるのが決闘の申し込みでしたっけ?」
ひゅっ、と変な音を立ててストマックが息を呑む。
リュウがひらひらと手袋を手に持って、ちらりとストマックに視線を向ける。
「貴族の男子たるもの、正当な理由をもって、下位のものから挑まれた決闘は受けなければならない。決闘から逃げることは男子一生の恥である。……でしたっけ?」
「な、何が正当な理由だ! オマエに一体どんな理由があるというんだ! ええ!?」
「え? そりゃあほら、昨日の試合で俺から不当に減点したじゃないっすか。10点も。俺は深く深ぁく傷つきました。なぁんにも悪いことしてないのに。昨日は傷ついて泣きますたよぉ? どうしてくれるんすか、真面目な学生を傷つけてくれちゃって」
「あ——」
ストマックの顔から血の気が一気に引いた。
彼は、2年次Aクラスの中でも『性格はともかく、実力は間違いない』と称されるアルバートがボコボコにされる様を、目の前で視ていた。
もしもあの無慈悲な攻撃が、自分に向けられたらどうなるか。
ストマックはあくまで軍学の教師であり、武人ではない。
武の心得などほとんどない、基礎の剣術を使える程度である。そんな彼が、侯爵家令息を再起不能にした気味の悪い少年から決闘を申し込まれたりしたら。
「……じ」
「じ?」
「自習だッ! 不愉快だ、全くもって不愉快だ!」
がらがら、ぴしゃん、という雷鳴のような音。
どすどすと思い足音を立てて、ストマックは逃げ出すように教室を後にした。




