03 超えられないはずの壁
士官学校の朝は早い。
クラス別に自主訓練の時間が設けられており、最上位となるSクラスでは王族や公爵家、侯爵家の中でも序列が上位のものだけが所属しているため、訓練は免除されている。
代わりに、一流のシェフが作った朝食に、茶葉1缶だけで庶民が1か月は喰っていけるであろう値段の紅茶を惜しげもなく飲む、朝のくつろぎの時間だ。
侯爵家、辺境伯家、伯爵家といった高位貴族の子弟が所属するAクラス、Bクラスは、設備が整った訓練場を自由に使う権利が保証されている。
子爵、男爵といった下位貴族に属する者たちが割り当てられるクラスは、士官学校の中でも最も人数が多い。主に子爵家で構成されるCクラスに、男爵家はDクラスだ。
準男爵、騎士爵など、ギリギリ貴族に属する者達は、成績上位者がEクラス、下位がFクラスにまとめられており、設備を使うのは後回しとなるため、主に運動場の走り込みをする物が多い。
そして、底辺となるGクラスは、準男爵、騎士爵家の出身者の中でも、魔法適性が無いものや身体強化、魔法強化術を使えないもの。そして、平民枠の入学者が無条件で割り当てられる。
名目上、士官学校では、『士官候補生は例外なく平等である。それは王族、貴族、平民であってもである』というお題目があるが、それは所詮お題目だ。
王国の軍事や内政に携わる、国の根幹をなす人材育成を目的とした士官学校は、貴族社会の縮図でもあった。
王族を頂点として、実家の爵位により厳然たる階級があり、壁があり、その壁は超えられないものである。
下位のクラスの者が上位のクラスの者に打ち勝つなどということはありえないし、断じてあってはならないことだ。
「それなのに、貴様は士官学校の秩序を乱しおって」
「えー、ンなこと言われたって」
「黙れェい! 口答えするなァ!」
平民枠のGクラス、リュウ・ノーチは、朝から訓練教官の前に呼び出されていた。
強面で大柄、ノーム族という種族出身の教官は、槍術の達人としてしられている。槍のひと突きで城壁に風穴を開けた、という逸話が残る豪傑である。
「そもそもこの国の秩序は、我々貴族が護っているものだ! 貴様のような平民がとんでもないことをしでかしおったな! えぇ!? なんとか言ったらどうだ!?」
「さっき口答えするなと言ったのに」
「黙れェい! さっきからガタガタと口答えばかり! なんとか言ってみろォ!」
「先生は俺に黙ってほしいんすか、喋ってほしいんすか、どっちです?」
「黙れェい!」
「はいはいわかりました」
Cクラスほどのものであれば、おそらくは怯えて縮み上がるであろう。
槍術訓練教官、グレゴリオ・マーゲン伯爵は、実際の戦場を知る歴戦の騎士である。
数多の戦場で槍を振るい、剛勇をもって隣国にまでその名を知られている。
ノーム族としてはまだまだ壮年に差し掛かった年代である350歳をもって軍を退役し、こうして士官学校にて教鞭をとる立場になった。
かつては5000もの兵を操る将軍に準ずる『大佐』であり、戦地で『マーゲン伯爵が来た』と声が上がれば、敵は震え上がり味方は奮い立ったものだ。
その歴戦の勇将、マーゲン伯爵を目の前にして、年齢わずか15歳、今年平民枠で士官学校に入学したばかりの小僧は、全く萎縮する様子すら見せない。
「マーゲン先生、そう一方的に詰めるものではありませんよ。彼の言い分も聞かなければ」
「何だ若造、吾輩に意見するか」
「同じ学校の、同じ教師という立場ですからね。さてリュウ・ノーチ君、私の名前は知っているね?」
「さぁ」
マーゲンと正反対と言えるほどに柔和そうな男は、魔法学の中でも『魔法陣学』において多くの論文を発表した天才、マルコ・シーネ博士である。
軍における魔法陣の運用に革命をもたらした、という『魔力保存と魔法陣付与における、効果時間延長のための魔法陣作成素材の関連について』という論文は、当時魔法学会にも激震を起こしたと言われている。
教師陣の中では最年少、エルフ族において80歳というのはニンゲン族における18歳程度の感覚だ。
「私はマルコだよ。キミは確か魔力がないとかで、魔法関係の授業は履修していないんだったね。まぁ顔を合わせる機会がなければ、知らないのもムリはない」
「そっよね。会ったことがないと思いました。同じ学生かと」
「何だと小僧ォ! 貴様教師に対して敬意を持たんのかァ!?」
「うわぁすごーい」
「小僧ォッ!!」
「まぁまぁ、マーゲン先生」
苦笑を浮かべてシーネ博士が立ち上がり、ゆっくりとリュウに歩み寄ってきた。
少しばかり身をかがめて、じっとリュウの黒い瞳を覗き込む。
色素の薄い、青緑色の瞳と白い肌、そして長い耳はエルフ族の男性によくある特徴だ。
「ふぅむ、なるほど。確かにキミは魔力を持たないね。典型的な平民だ。身体強化も使えないそうだね?」
「使えないっすね」
「となると——」
シーネ博士は粗末な木製の椅子に腰掛けて、使い込まれた陶器のマグカップをひょいと持ち上げる。
このマグカップを置いていた『飲料保温用発熱魔法陣』も、シーネ博士が特許を持っている。
あくまで噂ではあるが、子爵であるシーネ博士の個人資産は上位貴族であるランゲルハンス侯爵家を遥かにしのぎ、他の貴族達にかなりの金額を貸し付けていると言われている。
シーネにとっては、教師は『自らが極めた魔法陣学を後輩たちに伝授する』事自体を目的とした、ある意味で趣味のようなものである。
「キミがアルバート・ランゲルハンス君に勝てた理由がますます分からないね?」
「そうっよね。俺も不思議です。貴族ってあんなに弱いのかなって」
「小僧ォ! 貴様、貴族を愚弄するかァ!」
「とんでもない。ただ、ド平民で孤児でロクに教育受けてない俺に勝てないようなひ弱なお坊ちゃんが、国の防衛の将来を担う士官学校でAクラスだなんてねぇ? 隣の国に知られたら、それこそ笑いものだなーって思ってるだけです」
「こッ……小僧ォ!」
「マーゲン先生、落ち着いて下さい。彼が言うことは正しい」
何故か嬉しそうな表情で薬草茶をひとくちすすり、シーネはにっこりと笑みを浮かべた。
「勝負は、この上なく明確な形で決着がついたじゃありませんか。誰の目にも、アルバート君の敗北は明らかです。そして、大勢があの現場を目撃している。王女殿下もです」
「むっ……そ、それはそうだが……」
「このランドルト王国において、貴族は精強無比。平民は無知で虚弱。この図式は変わりません。その無知蒙昧にして虚弱な平民のリュウ・ノーチ君に、精強無比なる侯爵家のアルバート君が、再起不能になるほどの重傷を負わされた上、大声で敗北宣言をした。これは、間違いなくランドルト王国史において初めての出来事です」
「へぇ、そうなんですね」
「だからこそ、僕とマーゲン先生がこうして聴取をしているんだけどね? さてリュウ君、僕もあの場にいたひとりとして、アルバート君を『あそこまで』壊す必要があったのか、ちょっと疑問なんだけどね。そこはどう思う?」
冷静かつ非常に穏やかな口調のシーネの表情は、にこにことどこか楽しげだ。苦虫のガムでも噛んでいるのかと思えるほど険しい顔のマーゲンとは対照的である。
「審判の、ストマック先生でしたっけ? あの先生が決着を宣言しなかったから」
「なるほど?」
「それに、俺は負けたら一生タダ働きをさせられる、ということでした。それは絶対ヤです。だから俺はどうしてもアルバート先輩に勝つ必要があった」
「ふむ、続けて?」
「んで、何故かストマック先生が俺に『判定負け』寸前の10点減点を宣言しました。まぁ理由は知らんけど。だから、俺が勝つにはアルバート先輩からの降参宣言か、明らかな戦闘不能に持ち込むしかなかった」
「確かに、そのとおりだね」
「だから、戦闘不能にしたんですよ。『平民ごとき簡単に殺せる』と言っていた貴族のセンパイ相手でしたからね。魔法も身体強化術も使えない、か弱いド平民の俺には手加減なんてする余裕は全然ありませんでした」
「なるほど。よく分かりました。僕が考えるに、リュウ君には落ち度は無さそうだ」
「なっ」
がた、と勢いよくマーゲンが立ち上がり、巨体を壁のようにしてリュウの前に立ちはだかる。
「吾輩は納得いかん! 平民が貴族に勝つなど、何か卑怯な手を使ったに決まっておる! 正々堂々、騎士道精神に則って立ち合うべきところを、どうせ何か卑劣な手を使ったのだろう!」
「え? 卑劣な手の何がダメなんすか? 卑劣だろうが卑怯だろうが、対応できなかったのはアルバート先輩のほうじゃないっすか?」
「なっ……な、何だと貴様ァ!」
「そもそもあの試合、禁じ手無しでしたよ。俺はてっきり、周りにいるパイセンたちが襲いかかってくるかと思って構えてたんすけどね」
「騎士が不意打ちをするというのかァ! 貴様、騎士を愚弄するか!」
「不意打ち、騙し討ち、袋叩きは貴族が得意な戦術なんじゃないですか? それに、僕が卑劣な手を使ったというなら、具体的にどんな手ですか? 証拠は?」
うぐ、とマーゲンは言葉が詰まってしまった。
「マーゲン先生は確か元軍人っすよね? 戦場でも同じような理屈が通じたんすか? 不意打ちをすんな、騙し討ちはやめて、常に1対1で正々堂々と勝負しろって」
「ガキがガタガタ抜かすなァ! 戦場の何も知らん小童がァ!」
「知らんし。で? 禁じ手無しの正々堂々の試合で、戦場の何も知らないような小童の俺が、何でもありの試合でどんな卑劣な手を使ったって言うんすか」
ぱんぱん、と軽く手を叩き、シーネは苦笑を浮かべる。
マーゲンは顔を真っ赤にしたまま立ち尽くしてしまっていた。
「マーゲン先生、僕らの負けですよ。彼は何も間違った事は言ってません。確かに、あの試合は禁じ手なしの何でもあり。アルバートくんは大勢でリュウ君を囲むことも出来た、でもしなかった。それはアルバート君自身の選択でしょう? 選んだ戦術で負けた、これは『まさかの負け』じゃない、負けるべくして彼は負けたんです。僕はそう結論付けますが、先生はどうです?」
この日、ランドルト王国士官学校の生徒指導室をリュウが出た後、まるで魔獣ベヒーモスの咆哮のような声が響いたが、その声が豪将グレゴリオ・マーゲンの腹いせの大声であったことをしるのは、建国以来の天才と呼ばれた魔道士、マルコ・シーネただひとりであった。




