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69 見られた姿

 王太子レオポルトのもとには、日々様々な情報がもたらされている。

 この日は士官学校に忍ばせていた子飼いの家の子弟からの報告が、小さなメモの形で届けられていた。


「なるほどな、ヘルセネンの家の娘はただの色ボケか……Gクラスの異物と噂のベイン・ジーケンハウスも女に溺れる俗物であったということだな」

「はっ、仰る通りです殿下」

「ジーケンハウス準男爵家とヘルセネン子爵家の婚姻も、どうやら子同士の色恋が理由だったか。俗物どもめ……まぁ構わん。婚約申請が来ていた件は王の名で許可を出してやれ。小物同士がくっついたところでどうということも無かろう。むしろ王家から恩を売っておくとしよう。ヘルセネン卿の戦略立案能力は国の要だからな」

「はっ、全くもってその通りかと。まぁヘルセネン子爵家は娘しかおりませんからな、家名を残すには婿を取るしかありますまい。おおかた、ヘルセネン家から貧乏なジーケンハウス家に金でも包んだのでしょう。それでヘルセネンの娘と歳の近いジーケンハウス家が、嫡男を売りましたかな?」

「ふん、下らんな。大陸最高の軍師という評判も、軍才だけに限定されるものであったか。まぁその程度でいてくれたほうが我々も扱いやすい」


 士官学校の廊下で、一目も憚らず抱き合うベインとベルナデッタの姿を目撃し、『クソが……』と血涙を流しそうなほどに悔しそうに捨て台詞を残して去っていった男は、王太子子飼いの貴族の家の子弟であった。

 彼があげた報告は、『ヘルセネン家令嬢ベルナデッタと、ジーケンハウス家令息ベインは、婚約して以来校内でも公然と密接にイチャついており、風紀紊乱のギリギリのラインにいる。学生の身分で公然とイチャイチャする姿には義憤を禁じ得ない』と、あからさまに嫉妬と羨ましさが混ざったものであった。

 レオポルトに報告を上げたのは、この義憤に燃える男の兄であり、レオポルトの側近こと腰巾着である。


「アルトリリアの陣営で畏れるべき対象から、ヘルセネンは外して問題なさそうだな。そのような小物であれば畏れるに足らん。問題はステルベン辺境伯家だな」

「は、確かに」

「ステルベンの角でのエントラッセン帝国との紛争、帝国との講和をまとめ上げたのがアルトリリアというではないか。あの妹に、たかだか18の小娘にそこまでの胆力と政治力などあるものか。恐らくはアルフォンス・ステルベン辺境伯が、自らまとめた講和の功績をアルトリリアに譲り渡したか」

「なるほど、さすがは殿下。ご慧眼でいらっしゃいます! となれば、ステルベン卿はアルトリリア殿下に恩を売るために……?」

「あぁ、きっとそうだろう。戦上手、駆け引きにも長けたステルベン卿のことだ、きっとアルトリリアのやつに恩を売って、私を蹴落としたあとに最高司令官の椅子でも要求するつもりかもしれん」

「なんと! なんという不遜な!」

「北方のカンフル辺境伯家も、どうにもきな臭い。あの天才剣士セシリア・カンフル嬢は確かアルトリリアの護衛であったな……東の護りのステルベン辺境伯家、北の護りを司るカンフル辺境伯家、この両家がアルトリリアに丸め込まれるとしたら……」


 王太子レオポルトの腰巾着、もとい側近のダイゼリフハイト伯爵令息、コルツは青ざめた。

 彼はレオポルトと士官学校の同期であり、現在陸軍において中佐の立場である。

 輜重部隊、兵站を管理する部署に務め、軍の『現場』などその目で見たことは一度もない。彼らの代では、上位貴族の子弟はどれだけ劣悪な成績であろうと、不思議な力で士官学校を卒業し、卒業直後に少尉という将校待遇での軍への入隊となる。

 

 コルツは、戦争など単なる『物資の移動』であると考えていた。

 ステルベン辺境伯家で起きた帝国との紛争にしても、中央からの兵站、医療物資、軍事物資の移動は発生していない。


『辺境伯家はもともとが国の盾である。ただでさえステルベンの角を失っておきながら、どの面下げて中央に支援要請などできようか』


 というのは、アルフォンス・ステルベン辺境伯の言葉であった。

 コルツにとっては余計な仕事が無くなって胸を撫でおろしたところである。

 だが、ステルベン卿の言葉通り、辺境伯家とはその名の通り、国の辺境、他国との国境において国防を担う立場となる。

 東の盾、ステルベン辺境伯が奇跡的な奮戦により、ステルベンの角を取り返したという知らせは、辺境伯軍のイザーク・アンビュランス中佐がもたらしたものであった。

 軍参謀本部、とくにヘルセネン子爵は『ほうほう、そうか、なるほどなるほど』と妙に考え込んでいたようだが、他の参謀たちは狂喜乱舞した。

 さすがは戦上手、百戦錬磨の辺境伯である、と王ベネディクト4世もその手腕を絶賛したものだ。


 辺境伯軍の奮戦の影には、ひょっとしたらアルトリリア王女の慰問も貢献していたのかもしれない、という説も一時飛び交ったが、レオポルト王子の『戦争は女子供の遊戯ではない』という一声で完全にかき消されてしまった。

 

 北を護る辺境伯、カンフル家はステルベン家と同様武門の家柄、おまけにその武力は国内随一と言われている。

 当代の女辺境伯は槍の達人で、槍術においてグランドマスター。槍聖として知られる女傑であり、ステルベン辺境伯とは義兄弟の契を交わした仲だ。

 この2つの家が万に一つでも王家から離反するとなると、ランドルト王国は実にその防衛力の半分を失うこととなる。


「ふん、考えすぎだな。辺境伯家は王家への忠誠も篤い家柄。アルフォンス・ステルベン卿もアニエス・カンフル卿も、剛の者であると同時に王家の忠臣ではないか。それぞれの娘がアルトリリアの学友だから何だというのだ。個人の友誼と国王への忠誠、もはや比べる必要すらまい。そうであろう?」

「さすがは殿下! 深慮遠謀、恐れ入ります! ——おいそこの娘、殿下のティーカップが空になっているのがわからんか。ちゃんと見ろ。さっさと仕事をしろ」

「は、はい、申し訳ございません!」


 コルツの叱責に、使用人の若いエルフの娘は怯えたような表情で慌てて紅茶を淹れ、レオポルトとコルツのカップに注いだ。

 

「ふふん、そうだろうそうだろう。全く弟も妹も視野が狭くていかん。もっと広い視野で、高みから国を見なければならんのだ。アルトリリアのような小娘が国を語るなど、本来ならばおこがましい。女なら女らしく、政略結婚の駒になっていればいいのだ」

「全くもってその通りでございます、殿下」

「コルツ、貴様にも期待しているぞ。仮にステルベン辺境伯家、カンフル辺境伯家が王家に対して妙な動きをすれば、そうだな——ダイゼリフハイト伯爵家を、辺境伯として取り立てるよう父上に進言するのもやぶさかではない」


 コルツは身震いした。

 伯爵家を含む上位貴族の家は、そうそう滅多なことでは昇爵などしない。国家存亡の危機において獅子奮迅の働きを見せる、それくらいでもなければありえない話だ。

 ダイゼリフハイト伯爵家も、帝国からの独立以来100年間、1度も昇爵していない。

 もしもそれが、自分の代で辺境伯への昇爵を果たしたとなれば、それこそ家門の誉である。後の千年にわたって家の英雄として語り継がれる事になるだろう。


「ありがとうございます殿下! このコルツ・ダイゼリフハイト! 伯爵家を挙げてレオポルト殿下の御ため、粉骨砕身致します!」

「あぁ、頼りにしているぞ」


 ちなみにこの時、コルツは知らなかった。

 レオポルトがどの子飼いの貴族に対しても昇爵をチラつかせ、そのたびに「進言するもやぶさかではない」と、どうとでも解釈できる言葉をあえて選んでいる事を。


「——との仰せでございました」


 コルツが喜色満面で王太子の執務室から出たほんの数十分後、王都内にあるランドルト王国軍司令部の庁舎の総司令官室には、筆頭軍師がことさら好むというとんでもない甘さの菓子とともに、王太子執務室での会話の内容の一字一句を全て書き留めたメモがもたらされていた。

 メモを届けたのは、王太子とコルツに紅茶を注いだメイドである。

 つい半日前、エントラッセン帝国から戻ってきたばかりのアルトリリアとシュターガー、それに護衛一行は、1日半の休暇を取っている『ということになっていた』。


 実際はこうして、王都内に放たれた、アルトリリアの密偵『燕』からの報告を受けている。


「ありがとう。あなたの忠勤に心から感謝しますわ。こちらはささやかですけれど、私(わたくし)からの心付けです。お子様がまだ幼いのでしょう? このお菓子も好きなものをお持ちなさい。今日は何か美味しいものを食べさせて差し上げて」

「お、王女殿下……そんな、もったいのうございます……」


 優雅にシュターガーと向かい合ってコーヒーを飲むアルトリリアは、静かにカップをテーブルに置くとエルフ族のメイドの手を取り、革袋をそっと握らせる。


「私が、これを、あなたに差し上げたいのです。これでも私、恩には必ず報いる主義でしてよ? これからも私と、大公閣下にご協力頂けますかしら」

「も、もちろんです! ありがとうございます、アルトリリア殿下! シュターガー大公閣下!」


 それでは、と退出しようとしたメイドがドアノブに手をかけたとうそく


「待て」


 短く声をかけたシュターガーはゆっくりと立ち上がり、メイドへと歩み寄る。


「これは私からだ。お前の働きこそ、国家の真の忠臣のそれだ。その決意と献身、忠勤と実績には報いねばならん。お前の夫は、確か王都でパン屋を営んでいるという話だったな?」

「か、閣下……夫のことまでご存知なのですか……?」

「知らいでか。私はこれでもパン好きでな。実を言うとお前の夫の店でパンを買い求めたこともある。ベーコンチーズパンは絶品だったな。今度お前の夫の店に使いの者を寄越す。その日焼けた美味いパンを買わせるとしよう。看板に『ランドルト大公御用達』とでも書いておけ」

「あっ……あぁ、ありがとうございます! ありがとうございます!! そんな、恐れ多くも大公閣下のお名前を使わせて頂けるなんて、一生の名誉です!」

「何のことだ? 私は美味いパンを美味いと言って、また買いに行かせる。だから私の御用達の看板を掲げろ、と言っているだけだ。恩を感じる必要もない」


 エルフのメイドは涙ぐみながら何度も振り返って頭を下げて、ようやく部屋から出ていった。

 砂糖が全体に『これでもか』とまぶされたドーナツを一口かじり、コーヒーを一杯飲み干したアルトリリアは苦笑を浮かべて食べかけのドーナツを皿に置く。


「ヘルセネン卿の甘味好きは筋金入りですわね」

「あやつは『頭を動かすには砂糖がいる』と言って聞かん変人だ。だからこそ、この策を思いついたのだろうな。およそ常人に考えつく策とは思えん」

「あら、気が合いますわね叔父様。私も同じ事を考えましたわ」


 アーノルド・ヘルセネンが考えた策。

 それは、『あえてレオポルトに情報を流す。ただし徹底的に侮らせるよう、事実の一部を隠蔽して加工する』というものだった。

 ステルベン辺境伯が帝国相手に奮戦した、という報告も、イザーク・アンビュランス中佐の方向を受けたアーノルドとシュターガーが『取捨選択』という加工を施して、王太子レオポルトに共有したものだ。


「しかしこうまでヘルセネン卿の策が当たるとはな。あの男が敵でない事に感謝したいくらいだ。……だがアルトリリア。あの男は本当に『こちら側』と言い切れるのか?」

「えぇ、もちろんですわ叔父様」


 アルトリリアと同様、ドーナツを半分口に含んで思い切り眉間にシワを寄せ、コーヒーで口の中を洗い流している大公シュターガーは、睨みつけるような目をアルトリリアに向ける。が、その程度で怯むほどアルトリリアは線の細い女ではない。彼女はベルナデッタを通じ、筆頭軍師ヘルセネン卿という男について良く知っている。


「ヘルセネン卿は、私を決して裏切りません」

「ほう、その自信はどこから来る? 金か? それとも事を成し遂げた後の地位か?」

「まさか。そのようなもので買える忠誠など、あって無いようなものですわ。ヘルセネン卿が裏切らない理由、それは——」


 アルトリリアは砂糖だらけのドーナツの残りをゆっくりと咀嚼して、苦みの強いコーヒーで流し込んでから、美しい笑みを浮かべる。


「こちら側の方が面白いから、ですわ」

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