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66 頼れる仲間

 ぱたん、と軽い音を立ててアルトリリアが大仰な装飾が施されたファイルを閉じた。

 上質な紙に記された内容は、両国間に於いて100年の因縁に区切りをつけるものである。

 現ランドルト王ベネディクト4世が一方的に独立を宣言し、デアハルス王国を始めとするいくつかの小国を電撃戦にて併合して以来、両国間の国交は事実上断絶した状態にあった。

 つい数ヶ月前も、通称ステルベンの角と呼ばれる三角地帯で局所的な紛争が発生し死者すら出ている。


 そんな両国が、相互不可侵条約を締結した、というニュースは大陸中を驚嘆させた。

 特に驚いたのはランドルト王国をあからさまに敵視していた神聖サミッツ皇国である。


「教皇はさぞ口惜しかろうな」


 不敵な笑みを浮かべ、女帝アンは帝国名産の紅茶を優雅に飲んでから、お気に入りの焼き菓子であるフィナンシェをひとつ口に放り込んだ。


「サミッツ皇国の教皇は、どのようなお方なのでしょうか。私(わたくし)は直接は存じ上げません」

「ふむ。まぁ一言で言い表すならば『曲者』であるな。余はどうにもあの女が好きになれぬ」

「女性なのですか、教皇聖下は」

「何じゃシュターガー、お主も教皇に会うたことはないか。まぁ致し方ないやもしれぬな。あの女狐は頑迷な精霊信仰の原理主義者である故、異端とされる者どもに容赦がない。残念だが、外交を保つ程度が関の山であるな。手を取り合える相手とは到底思えぬ。カホウ連合とは貿易も行っておるが、サミッツ皇国と綿密な関係を築くのは難しかろうて」


 メディコ大陸において精霊信仰はごくありふれたものだ。ランドルト王国でもエントラッセン帝国でも、信仰の自由は認めてはいるものの、実際はほぼすべてが精霊信仰を取り入れている。

 創世の大精霊と、その大精霊が生み出した神々を信仰の対象とするもので、特に癒しの術を行う法術士はほぼすべてが信仰していると言っても過言ではない。

 サミッツ皇国は、そんな精霊信仰の総本山である大聖霊教会が『運営』する宗教国家で、旧デアハルス王国の大神官であったデアムントや、聖女の称号を許されたバウフナーベルも、大聖霊教会に所属する聖職者であった。

 現在は形式上ランドルト王都で細々と貧しい救貧院と孤児院を運営する立場であるためか、大聖霊教会本部とのつながりは途絶えた状態になっている。


「まぁ可能性があるとすればアルトリリアか。お主は余と違うて信仰心というものを持ち合わせておるようだな。余はあいにく、信仰心などという殊勝なものは400年ほど前に袋に詰めて棄ててしもうた」


 帝国と皇国の仲は険悪とまではいかないものの、ほぼ不可侵不干渉の状態が続いている。

 きっかけは、アンが信仰を棄てたことだ。


「アルトリリアもシュターガーも知っておろう、余には子がおらぬ。まぁすぐに皇太子を決めねばならぬ、などということもあるまいがな。今後千年も経てば、子の一人程度は産むやもしれぬ」

「陛下は、御子をお持ちにならないのですか?」

「わからぬ。生まれ出でより800年ほど経つが、伴侶と子には恵まれておらぬ。ま、余のこの見た目では致し方あるまいがな」


 エルフ族の外見から年齢を推し量ることは、事実上不可能であると言われている。

 総じて整った外見を持つエルフ族であるが、稀に突然変異的に強力な魔力や法力を先天的に持つ個体が産まれることがある。

 ただでさえ出生数が少ないエルフ族にあっては本当に数千年に一人といった頻度になるが、このような強力な個体は成長が早くに止まる者が多い。


 アン・エントラッセンは、その極めて稀な特殊個体である。


「まぁ教皇などというガチガチな信仰心のカタマリと、魔女と呼ばれる余とでは相性も最悪であろうよ」

「鋼鉄の魔女アン・エントラッセンにも苦手なものがあるとは、意外でしたな」

「ぬかせ小僧。余とて好き嫌いくらいはある。それにしても、鋼鉄の魔女とはずいぶん懐かしい呼び名であるな。ここ100年は呼ばれておらなんだ」

「もしも100年前、兄と陛下が直接相対していれば、今頃ランドルト王国は存在しなかったでしょうな。兄の、ベネディクトの率いる軍など何万いようが陛下一人にも勝てますまい」

「過去を悔やもうと嘆こうと、我が師ハイデマリーの自決を止められなんだことも、我が友ディートリッヒを奪い返せなんだことも、今さらどうすることも出来ぬ」

「左様ですな……」

「だが勘違いするでないぞ小僧。余は奸賊ベネディクトを赦してはおらぬ。断じて許してなるものか。師と友の敵など、死しても到底許せるものではない。せいぜい地獄をみせてくれようぞ」


 ベネディクト・ランドルトによる一方的な独立の際、帝国を離れてカホウ連合王国との国境で起きた通称問題解決のための首脳会談のため、国を離れていた。

 狡猾なベネディクトは、最強の魔女と呼ばれたアンの留守を狙って挙兵したこともあり、現在も周辺国からの評判は決して芳しくない。

 ランドルト王国の友好国が極端に少ないのは、王ベネディクトの強欲さと狡猾さに起因するものであった。

 中でもベネディクトを蛇蝎のごとく嫌っているのが女帝アンと、カホウ連合王国の王、ショウ・カンロンのふたりだ。


「アルトリリア、お主の父は敵が多い。であるからこそあ奴はしぶとくしたたかだ。あやつは愚物とは言え、自身への敵意と悪意に対しては敏感であるぞ。出し抜くは生やさしいことではなかろう。いかがする?」

「さすがは陛下、ご慧眼であらせられますわ。私(わたくし)も父が一筋縄ではいかない曲者であることなど、百も承知ですの。叔父様もそうなのではなくて?」

「あぁ。兄はお世辞にも賢い王とは言えんが、あれでも100年間玉座を守り抜いた男だ。これまで未遂に終わったとは言え暗殺も2度や3度ではない。その全てを天性の勘だろうかな、間一髪のところで逃れている。今にして思えば、あの天性の勘の鋭さはレオポルトにも受け継がれているかもしれんな。……となると、兄に気取られずにステルベン辺境伯領とカンフル辺境伯領を奪い取るのは至難の業だな」

「それに関しては、私(わたくし)よりも策を練るのに適任のものがおりますわ。今日ここには来ておりませんけれど、王都で策を練るよう頼んでいる者がいるのです」

「ほう?」


 女帝は好奇心旺盛な猫のような笑顔をぐっとアルトリリアに近づける。

 人間の歳で言えば13歳か14歳ほどであろうか。小柄なベルナデッタやアルムよりもさらに背が低く、そして童顔で少女っぽい体つきの女帝と、エルフの女にしてはグラマラスなアルトリリアが並ぶと、どう見てもアルトリリアの方が年長に見えてしまう。


「良いぞ良いぞ、小娘の分際でなかなか良い手駒を揃えているではないか。実に結構、おのれ一人で何もかもやってしまおう、などという思い上がりは、王たる者にとっては害悪でしかない。己自身よりも優れたものを従え使いこなしてこその王。手駒は大切にすることだな」

「お教え、ありがたく頂戴いたしますわ陛下。今頃彼らは嬉々として私の悪巧みを磨き上げているはずです」


 アルトリリアが顔をあげ、穏やかな笑顔を西方の窓へと向ける。


 その視線が届くはずもない遥か遠く、エントラッセン帝都から遥か東のランドルト王都のとある貴族の邸宅では、実に賑やかな食事の席の真っ最中である。

 この日、なんとベインとベルナデッタの婚約が本当に決まってしまっていた。


「さぁさぁ飲みたまえ食べたまえ! 今日は実に、実にめでたい日だ! そう思わないかね、ジーケンハウス卿」

「は、はい……あ、あの、子爵閣下、その、私はあまり酒は——」

「おや、卿は下戸かね? まぁ良い、今日は思う存分酔いつぶれて行き給え。とは言え息子の前では醜態は晒せないかね? うむうむ、分かる。分かるとも、私も子を持つ父親だ。子の前では偉大な父でなければならん。そうだともジーケンハウス卿。互いに子を持つ親として、卿の気持ちはよく分かるとも!」

「は……はぁ……」


 賑やかな男は杖をテーブルに立てかけると、上機嫌でワインのボトルを高々と掲げる。『空になったぞ、次のボトルを持ってこい』の合図だ。


「いやぁ、今日はここ15年で最も喜ばしい日だ。妻を病で亡くして以来、これほど喜ばしい日は久しくなかった。なぁ? そうだろうベル?」

「はい父上」


 にたぁ、と不敵な笑みを浮かべた、小柄で童顔な令嬢、ベルナデッタ・ヘルセネンの隣に腰掛けているのは、今年士官学校2年生に進級したばかりのGクラス筆頭、ベイン・ジーケンハウス。

 そしてふたりと向かい合うように座っている2人のエルフの男は、アーノルド・ヘルセネンとジョナサン・ジーケンハウス。今日晴れて婚約を果たした若き俊才の父親である。ちなみにジョナサンの妻にしてベインの母は、まだ幼い子供たちの世話のために欠席となっている。


「ジーケンハウス卿、重ね重ね卿には感謝しか無い! ベイン君のような英才を、まさか本当にわがヘルセネン家に婿に出してくれるとは! いやはや卿のような胆力ある男が参謀本部の財務部などにいるのはもったいない! どうですかな? あなたの息子ベイン君は、目下士官学校の2年生の中で、軍学において首席を修めているそうではないですか。その才能を生み出した卿にも、さだめし素晴らしい軍才が——」

「へ、ヘルセネン卿! その、お、おおお言葉を返すようですが、私はそんな、軍学を学んだ経験もまったくなく、息子が軍学の成績が伸びたのも、息子が言うにはベルナデッタ嬢の指導の賜物であると聞いております。私は全くもって平凡と申しますか、その……」

「謙遜はよくありませんなぁ? 軍才というものはですな、ジーケンハウス卿、多少軍学をかじった小娘の講義を聞いた程度で花開くものではないのです! ベイン君には生まれ持った『適性』というものがある。細かいところに目と神経を行き届かせ、ほんの僅かな動き、違和感も見逃さない。違和感を覚えること、それこそが軍略の適性なのです! そこに気づくことが出来ない、我が栄光あるランドルト王国の暁の星ことボンクラ王太子殿下には、軍才のカケラもない! あの親の七光り、ただ腰巾着にまとわりつかれて悦に入っているようなクソガキに軍学講義をするくらいなら、その辺の豚に代数幾何や測量術を教えたほうがよほど有意義というもの!」

「ヘルセネン卿!? お、お言葉をお控えください! 酒が過ぎております!」

「なぁに、私はこの程度のワインでは酔いませんとも。まぁあんな何も見えておらず何も聞こうともしないバカの話題など、めでたい娘の婚約の席で語るべきではありませんでしたな。すまないベル、許しておくれ」

「構いませんとも父上。ボクは近年なかったくらい、今日は上機嫌です。何しろダーリンが本当にボクの婚約者になったんだからね?」


 そう言うと、ベルナデッタは眼鏡の位置をくい、と直して、童顔に似合わぬ艶めかしい笑みを婚約者ベインに向けた。


「さぁ、ボクとベイン君の仲を邪魔するものは誰もいない。婚約したんだし、これで大っぴらにボクのベッドに夜這いに来れるぞ、ダーリン」

「い、行きませんよ!?」

「なんだ、今日だって可愛い下着をつけているというのに?」

「あ、あの、だからその、そういうことはですね? まだ『婚約』ですからね? ベル先輩?」


 ぺろ、と舌なめずりをして、テーブルの向かい側に座る父親達に見えないようベルナデッタはベインの側のスカートをゆっくり持ち上げ、とびきり色気のある声でベインにささやきかけた。


「そうつれないことを言わないでくれたまえよ、ダーリン。ボクはもう身も心もキミのものなんだからね?」

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