65 思わぬ観客
「何だ、余を除け者にして、ずいぶんと楽しげな事をしておるではないか。これは何事だヴィルヘルム。ついに余に愛想をつかしたか?」
「これは陛下、我が忠誠を疑われるとは、悲しいものでございますな」
「抜かせ、このような面白そうな事を企てておいて余に一言の報告もなしとは、余の方こそ悲しいぞ、ヴィルヘルムよ」
突然、訓練場に姿を現したのは、長い銀髪にメガネという特徴的な外見の少女——のように見える、エントラッセン帝国の絶対君主、アン・エントラッセンとその賓客であるアルトリリア・ランドルトの二人だった。
ひざまずこうとするヴィルヘルムの動きを軽い手の動きで制して、楽しそうな表情を訓練場の中へと向ける。
「して、これは何事か」
「は。これはランドルト王国軍とエントラッセン帝国軍による親善試合ですな」
「ほう。親善試合か。その割には、我が軍からは正規兵がでておるのに、ランドルト軍は士官候補生、まだコドモではないか」
「御意に」
「ならば聞かせてもらおうかヴィルヘルム。これは——」
女帝が指さした先の光景を見て、平常心でいられる軍人はエントラッセン帝国軍にも存在しなかった。
汗だくになってひざまずき、荒い呼吸を繰り返す大柄なノームの女軍曹、エスメラルダと、南方のカホウ連合王国の出身であるヤン軍曹に対し、小柄な士官候補生は汗ひとつかかずリラックスした様子でプロの軍人を見下ろしていた。
「このザマは如何したことか」
「面目次第もございません、陛下」
「念のために聞くが、これは我が軍の正規兵が弱いのか、それともあの若者ふたりが強いのか、どちらだ」
「後者です。よもやこれほどとは思いませんでした」
「ふむ、であるか」
訓練場に視線を向ける帝国兵たちとは対照的に、女帝アンは落ち着き払ったものだ。
腕組みをしてメガネをかけ直し、やや不機嫌そうにじろりと試合場で苦しげな表情を隠せない帝国兵を睨んでいる。
権力者達の穏やかながら物騒な会話を聞き流して、並んで立つリュウとアルムはいつも通り和やかなものだった。
「良いぞアルム。だいぶ『押撫』も覚えたっぽいな」
「ん。これは便利。相手の力を使うからこっちが楽を出来る」
「だろ? ちゃんとマスターすれば、ひとりで百人を楽に相手できるぜ」
「私は楽をするためなら努力を惜しまない女」
「アルム、言い方。まぁ間違っちゃいないけどさ」
「リュウに褒められると……照れる」
毎度の夫婦漫才を、ヤンとエスメラルダは信じられないという面持ちで見上げていた。
「ヤン、あんた何回投げられた……?」
「20回から先は覚えてねぇよ……何なんだあのガキども、なんで俺等が投げられてんだよ……」
武之内流の柔の技術『押撫』は、相手の力を利用する技術だ。
攻撃しようとする相手の動きを防ぐのではなく、むしろ攻撃の方向に力を軽く加えて『撫でるように押す』ことで攻撃者のバランスを崩させる。
相手の力が強ければ強いほどバランスが崩れた時の影響は大きく、大柄で剛力を誇るエスメラルダなど、何度その巨体が中を舞ったかわからない。
「どうするオバさん、まだ続ける?」
「可愛くないクソガキだね……おねえさんと呼びな!」
勢いよく立ち上がったエスメラルダは、長い腕を伸ばしリュウに襲いかかる。
並の兵士であれば、帝国兵でも怯んだであろう迫力。だが、リュウとアルムは落ち着いていた。
「アルム見てな。押撫の応用だ。相手の軸と力脈を見定めて、『力脈の対になる点』を見切るんだ。その点に力を加える」
エスメラルダが右手を大きく振りかぶり、岩のような拳をリュウに向けて振り回す。
リュウは身を低くかがめて拳をかわすと、身体を反転させてエスメラルダの左半身、肩に向けて掌底を当てた。——かと思ったその瞬間、エスメラルダの身体はまるで馬車に轢かれでもしたかのように宙を舞い、背中から硬い訓練場の床に叩きつけられた。
「がはっ!?」
「おっ、さすがプロ軍人。受け身うまいじゃんオバさん」
「こっ……ンのクソガキ……」
散々地面に叩きつけられ、というよりも『自ら派手に転げまわっている』ようにしか見えないエスメラルダから少し離れた場所で、同じく石床の上で大の字になり、仰向けに倒れているヤンはひたすら考えを巡らせていた。
ヤン・セイリュウは、メディコ大陸南方のカホウ連合王国出身である。
連合王国の内陸部の小国家には、独特の進化を遂げた伝統武術が存在する。ヤンはその武術の一派である『シャオリン流』を修めている徒手格闘のスペシャリストだ。
身体強化なしでも、強化術を三重にかけた重装歩兵相手に互角に戦うことが出来る達人であり、階級こそ軍曹であるものの、徒手格闘訓練の教官を務めることもある絶対的強者の一人である。
「お前、その動き……何かやってるな」
苦しげに顔をしかめながら起き上がるヤンの姿など、帝国兵達も見たことがない姿だった。
当然ながらエレンボーゲン将軍も、16や17歳の少女がプロの軍人、それも伝統武術を極めた達人を汗ひとつかかず手玉に取る姿など、想像すら出来なかった。
「リュウ、こないだ教えてもらったアレ、もう一回見せて」
「アレ? ……あぁアレな。良いぜ、このオバさんが立ち上がったら見せるからこっち来なよ」
「ん」
なんとアルムは、倒れたままのヤンに背中を向け、すたすたと無防備にリュウに向かって歩みを進めた。
試合中にあるまじき隙である。この隙を見逃すほどヤンは未熟ではなかった。
が、そのことを考えないほどアルムは未熟でもない。
すでに武之内流の小太刀、弓術、縄術、体術においてリュウから『中伝』を認められる腕前のアルムにとって、わざと見せた背中に飛びかかる男の気配を察知するなど、目と耳を塞いでいても出来るほどに簡単なものだ。
迂闊にも飛び上がって襲いかかったヤンは、着地点に周到に用意されたアルムの肘を避けることが出来ずに、見事なほど水月に肘を入れられ悶絶する。
「……邪魔」
「まぁまぁアルム、そう言うなって。んで、アレだな。アレは力脈のコントロールが大事だからな? 脚から感じる力の流れを、円運動に変えて、身体の中に螺旋の動きを感じ取るんだ」
情け容赦ないジト目のアルムをよそに、リュウは脚を肩幅よりも広めに開き、半身になって巨躯のエスメラルダに向かい合う。
「ボウズ、ガキだからって大目に見てりゃ図に乗りやがって……もうやめだ! 手加減なんかしてやらねぇ! ブッ殺してやるよ!」
明らかに親善試合にあるまじき言葉と殺気で、勢いよくエスメラルダはリュウに襲いかかる。
長い腕を伸ばしリュウの襟首を掴もうとした刹那、リュウは大きく足を踏み出してエスメラルダの懐に潜り込む。
利き手である左手を鍛え抜かれた腹筋に軽く手を添えたかと思った次の瞬間。
どずん、という鈍い音が訓練場の隅まで響いた。
まるで小柄なリュウに覆いかぶさるようにエスメラルダの巨体がゆっくりと傾き始め、とっさに飛び退いたリュウの足元に凄まじい音を立てて倒れ込む。
「は、発勁……? なんで、どうしてランドルト王国の、あんなガキが……?」
「ん? あれ? なに、おっさん『通し』ってか発勁知ってんの? へぇ、『こっち』にもそういうのあるんだ。名前も同なじなんだな」
「待て、待て待て待て待て待て! なんでだ! カホウ連合王国の中でも! シャオリン派のハイマスターしか知らんはずの発勁を! なんでお前が知ってる!? というかどうして使える!? 俺でも使えないものを!」
「何だよ、使えないんだ。雑魚じゃん。つまんね」
本当に心から失望したような表情で『はーぁ』とため息を吐くリュウは、早速ヤン二等軍曹からも興味を失ったようだ。
「あのエロオジは雑魚。トドメ刺してくる。さっきのアレ、あのエロオジで試して——」
「よい、それまでだ」
訓練場に、可愛らしいソプラノの声で威厳に満ちた口調の言葉。
誰もが視線を向けた先にいたのは、エレンボーゲンを後ろに従えた女帝である。
「勝負あり。であろう? アンビュランス少佐」
「よ、よろしいのですか? 陛下、その、貴国の正規兵、それも軍曹が——」
「どう見ても戦闘不能であろう。誰がどこからどう見たって勝負ありだ。まったく、我が軍の人材をこれ以上壊されてたまるものか。シュターガー、お主ずいぶんと物騒な学生を育てておるではないか。衛生兵、こやつらを治療してやれ」
「多分、骨は折れてないし脱臼もしてないです。手加減しましたんで」
「ほう? であるか小僧。やってくれるではないか、コドモに手加減された上に惨敗とは、あやつらが自信を失うて立ち直れなんだらどうしてくれる」
「いやぁ、そこまで責任持てないっていうか……負けた方が弱いんだからしょうがないじゃないですか」
あまりの無遠慮かつ無礼な物言いに帝国兵達が色めき立つ。が、彼らがその場から動くことは無かった。
「あっははははは! その通り、言うではないか小僧! 良いぞ、実に良い! 左様、強い者が勝つのでも弱い者が負けるのでもない、勝った者が強い、負けた者が弱いのだ! あっはははははは! これは愉快! 何と痛快であることよ! シュターガー、余はこやつらが大いに気に入った! この若さとこの体格で、我が軍の正規兵に打ち勝つとは、とんでもない飛び道具ではないか。アルトリリア必殺の駒というわけか!」
「えぇ、そのとおりですわ陛下。リュウ、アルム、よくやりました。どうやら叔父様が約束した褒美はあなた達のものになりそうですわね」
「ん。これで2週間リュウとイチャイチャ出来る。既成事実待ったなし」
「あざっす、王女様。前期試験フリーパスっすよね?」
「えぇ、王族の言葉に二言はありませんわ。そうですわよね? 叔父様?」
「致し方ない。まったく……しかし最後のあの技、アレは一体何だ。瞬間的に身体強化でも使ったか?」
シュターガーの視点からは、エスメラルダの懐に踏み込んだリュウが手を当てた次の瞬間には、奇妙な音が鳴り響き巨体がゆっくりと崩れ落ちたように見えていた。
「いやぁ、アレはまぁ——」
「なんだ小僧? 生意気にも出し惜しみか? 余も是非知りたいものだ、我軍の精鋭をあれだけ一方的にボコボコにした秘術をな」
リュウはちらりとアルトリリアに視線を向ける。
視線を向けられた王女は苦笑を浮かべて首を横に振った。仮にも異国の、それも軍隊の訓練所で手の内をこれ以上明かすわけには行かない、という意思表示である。
「高いっすよ?」
「ほう? なればカネを詰めば教えるということか。良いではないか良いではないか、何より皇帝である余に対してその不遜な物言い、お主もなかなか扱いが難しい曲者と見たぞ」
「いえ、あの、えーっと……すんません、つい……」
「構わぬよ小僧。お主はヴィルヘルムと同じく平民であろう? 余に対してはどのような言葉使いで何を言おうが無礼とはせぬ故、安心するがよい。この男、ヴィルヘルムもな、ハナタレ小僧の頃はそれはそれは生意気なクソガキであったわ」
「陛下、お戯れを——」
「何を言うておるヴィルヘルム。余はお主が5歳の頃から知っておる。長い付き合いであろう。小僧も小娘も、そう構えるでない。余はこれでも子どものあしらいには慣れておる。皆も良いな? このふたりに関しては、無礼のそしりは厳に禁ずる。文句があれば余に直接言うが良い。で? あの技は何としたことだ。一体何をどうした? いくら欲しい?」
女帝の目は、まるでおもちゃを見つけた猫のように爛々とひかり見開かれている。
「や、一応流派の秘伝っていうか……さっきのおっさんに聞いたほうが良いと思いますよ。多分同じ技知ってるはずなんで」
「ほう、格闘術師範のあやつか……ヴィルヘルム」
「は、何でしょう陛下」
「ヤン二等軍曹が回復したら話を聞いておけ。我が軍で取り入れられるかどうか、試させよ」
「御意に」
「あと面白いものを見せてくれた褒美だ。ヤンとエスメラルダを一階級特進させておけ。今日から一等軍曹だ」
「は、仰せのとおりに」
短いやり取りをしながら、女帝アンはアルムとリュウに無防備に歩み寄り、ふたりの腰にぽんと軽く手を当てた。
「面白いものを見せてもろうたの。お主らにも褒美をくれてやらねばならぬな? ついて来るが良い、帝都の美味いケーキを食わせてやろう。アルトリリア、それにシーナにセシリアであったか。余の奢りである。付き合え」
心の底から楽しげな笑顔を浮かべた女帝は、若者5人を引き連れて帝城の一角、女帝の私室へと向かっていった。




