63 まだ見ぬ故国
デアハルス王国はエルフ族の国らしく、代々女王が治める小さな国だった。
豊かではないものの、民が飢えることはなく、主要な産業は綿花栽培と綿糸、織物の輸出であり、最後の女王ハイデマリーの代からエントラッセン帝国を構成する国のひとつとなっていた。
山々に囲まれた内陸国で、国の中央には美しい湖があり、のどかで風光明媚な美しい土地である。
そのような土地に根ざしたデアハルス王国は数千年の歴史を持つ、メディコ大陸でも最古の歴史ある国のひとつだ。
女王ハイデマリーは、細身で美しい姿から、メディコ大陸の高貴な立場の男たちから求婚を受け続けていたが、伴侶として選んだのは自身の幼馴染でもある従者の一人であった。
ハイデマリーの結婚を聞いた多くの貴族の子弟達は嘆き悲しみ、世を儚んで自ら命を絶とうとするものすらいたという。
絶世の美女として知られた女王ハイデマリーは、女帝アン・エントラッセンよりもはるかに年長であった。
千年ものあいだ小国を平和に修めた女王の手腕は並外れており、特に外交の手腕においては女帝アンですら教えを請いに赴いたことがあるほどだ。
「もしも世に女傑というものがいるとすれば、余にとっては紛れもなくハイデマリーのことであろう」
懐かしそうに、楽しげな笑みを浮かべて語るアンの『女傑』という言葉は、皮肉でもなんでも無く、心からの褒め言葉である。
多くの国に囲まれ、いつ攻め込まれてもおかしくないという状況にあって、ハイデマリーは己の美貌をも外交の『道具』として活用することが出来る知性と、そして胆力を持ち合わせた女傑である。
自身は戦いには向かない、癒しを司る法術士でありながらも、単身隣国に乗り込んで血気盛んな王を説き伏せるなど、美しく可憐な外見からは想像もできないほど肝の座った女だった。
「もしも余に師と呼べるものがおるとすれば、それもやはりハイデマリーをおいて他にない。アルトリリアよ、お主の祖母はそれほどの、間違いなく不世出の女王であった」
「私、祖母のことは母から『美しく優しいお祖母さまであった』としかうかがっておりませんでしたわ……」
「あっははは、そうであったか。どうやらデアハルス家の女は、どれも一筋縄では行かぬ曲者揃いであるらしいな」
デアハルス王国が長く他国の侵略に遭わずに済んだのは、女王ハイデマリーの卓越した外交力と、国を囲む峻険な山々が天然の防壁となっていたからだった。
現在はステルベン辺境伯領とカンフル辺境伯領にまたがる辺境の山岳地域となっているが、数少ない国民はその殆どがランドルト王都や他の地域へと移されてしまっている。
女王ハイデマリーは強欲の王ランドルトに対し、自らの首と愛娘ディートリッヒを差し出すことで国民の安全を保障させた。
「かの俗物も、女王ハイデマリーの気迫に押されたのであろうな。己が侵略者であるにもかかわらず、ハイデマリーの言いなりであったわ。……余が南方のカホウ連合王国へ赴いてさえおらなんだら、直々に軍を率いてあの強欲者を焼き尽くしてやったであろうに。悔やまれてならぬ」
ベネディクト•ランドルトの電撃戦により国土を削られたエントラッセンにとっては、皇帝の親友ディートリッヒと、デアハルスの民の命を人質に取られたようなものだ。
以来100年にわたってエントラッセンとランドルトの関係は極めて険悪なものとなっている。
「今はどうなっているのであろうな。かの強欲王ベネディクトには、デアハルスの国土と民への手出しをせぬよう釘を刺しておったが……ランドルト王国領となって以来、余も訪れてはおらぬ」
「そうでしたか……父は、祖母の仇でもあったのですね」
「左様。どうだ、怖気付いたか?」
「まさか」
アルトリリアの口元はうっすらと笑みを浮かべているが、その目は笑ってはいない。
美しい緑色の瞳には怒りと、野望の炎がめらめらと揺らめいている。
「むしろ、最後の迷いが断ち切れましたわ。祖母の仇、母の無念はこの私が晴らしますわ。母の——いえ、この私の故国デアハルスを復興させることで」
「うむ、良いぞ良いぞ。それでこそ我が友ディートリッヒの娘、我が師ハイデマリーの孫である。というわけでだシュターガー、余はお主の国を滅ぼすことに決めた。が、無辜の民を害するは我が本意ではない。貴様ならどうする?」
「そうですな」
シュターガーはバターのいい香りのする焼き菓子を口に放り込み、サクサクと音を立てて噛み砕く。
紅茶で口の中を洗い流すと、士官学校校長ではなく国軍総司令官の顔で不敵に微笑んだ。
「このじゃじゃ馬が暴れまわって、ランドルトの国土を削るどさくさに紛れて兄の首級を挙げ、父フランシスコ5世の頃の穏やかな国でも目指しますかな」
「さすがだの、シュターガー。さすがはアルトリリアの策に乗れるだけのことはある」
「そうなれば、陛下はどうなさるおつもりか」
「言うまでもなかろう?」
かちゃ、と穏やかな音を立てティーカップが磁器製の美しい皿の上に置かれた。
そばに控えていたメイドが手早く紅茶のおかわりを注ぐ様に目を向けることもなく、女帝は嬉しそうに微笑んでいる。
「あの憎きベネディクトの小僧を途方に暮れさせる事が出来るのなら、余が関わらぬ道理はなかろうて。むしろ余に黙ってあの男の首など挙げてみよ、腹いせに国の一つや二つ消し飛んでいたやも知れぬぞ」
「まぁ、恐ろしいお方ですわね、陛下」
「心にもないことを言うでないアルトリリア。お主もかの女傑ハイデマリーの血を引く者なれば、この程度でオタつくようなタマではあるまい?」
いくつもの国が絡む壮大な政治と外交の会話に、シーナは自分がこの会話を聞いてしまっても良いのかと恐れ慄き、セシリアは聞き流しているのか優雅に焼き菓子を食べ、そしてリュウとアルムの二人は最初から理解することを諦めている。
「は、発言よろしいでしょうか」
「何だ小娘、申してみよ」
「お、ありがとうございます。ステルベン辺境伯家長女、シーナと申します。その……さ、先ほどから穏やかでない内容であるように思われるのですが、おっしゃっている内容から察するに、その……ラン、ランドルト王国は——」
「この程度のことで狼狽えるでない。生娘でもあるまいに。滅びはせぬが国のありようが大いに変わる。滅亡と再生を一気にやる、ただそれだけだ」
「こ、この、程度……ですか……」
「であろう? ランドルトという国を攻め滅ぼし、赤子から年寄りに至るまで根絶やしにしようという話ではない。かの強欲なる王ベネディクトの小僧が、力をもって強奪し築き上げた国の姿を、あるべき姿に戻す。ただそれだけの話ではないか。図体がデカい割には随分と繊細なようだな、小娘?」
「……も、申し訳ございません……」
アルトリリアとシュターガーは、女帝の意図をハッキリと理解していた。
シーナにここまでハッキリと聞かせたからには、『コトを構える時には、オマエはこちら側に引き入れるから覚悟しておけ』という意味が含まれる。
貴族の令嬢として、軍人としてもその程度のことはシーナも弁えていた。
「さて、いざコトを構えるに当たってはもう少し手駒が必要であろう? 余の手の者を何人か貸しても良いが?」
「いえ陛下、それには及びませんわ。私、これでも優秀な仲間がおりますの」
チラり、とアルトリリアがリュウに眼を向けるが、残念なことにリュウは、滅多に食べられないほど贅沢にバターを使ったクッキーに夢中になっている。
「そうか、それは頼もしいものだ。あとデアハルス復興を期するのであれば……そうだな、デアハルスの大精霊教会の大神官であったデアムントに、聖女バウフナーベルがおれば、喜んで力を貸すであろう。デアハルス陥落以来消息を聞かぬが、どこぞで生きておれば良いのだがな」
「へ?」
女帝の言葉に、思わず気の抜けた返事とも言えない声を上げたのは、帝都の名店で作られたフィナンシェを二つ頬張ったままのリュウである。
「ひょつほあっふぇ、ふぁんへふぉーはんほふぁーはんあ」
「リュウ? さすがにお行儀が悪くてよ? 飲み込んでからになさい」
まるで姉に叱られた弟のように、素直に紅茶で口の中を洗い流してから、リュウは珍しく驚きの表情をアルトリリアにむけた。
「あ、あの、何で父さんと母さんが?」
「何だ小僧、誰もお主の親の話はしておらぬ」
女帝のアンは怪訝な表情を隠そうともしないが、対照的に目を見開き喜色満面の顔になったのはアルトリリアであった。
「何ということ……これこそまさしく大精霊の導きというものですわ……」
「待て待てアルトリリア、余を置いていくな」
「アルトリリア、何事だ? どうした」
シュターガーも話に割り込んでくるが、アルトリリアはなかば恍惚とした表情のままである。
「陛下、今確かに『大神官デアムントに聖女バウフナーベル』と、そうおっしゃいましたわね? そのお二人はノーム族ではありませんか? もしも今健在であれば、初老ほどのお歳では?」
「うむ、確かに。あの二人も傑物、ノーム族の英雄と呼べる者であったな。加護と浄化の術を極めた大神官デアムントに、癒しと呪いを解くことにかけては歴代聖女でもずば抜けた力を持つ、戦う聖女バウフナーベル。あの二人の奮戦あってこそ、デアハルスは焦土とならずに済んだと言うても良い。特に聖女バウフナーベルの武勇は帝国でも語り草になっておる」
「い、いやだから、何で父さんと母さんが? ただの司祭とシスターですよ?」
「であるから小僧、お主の父母の話では——」
「俺の育った孤児院の司祭がスミス・デアムント、母親代わりのシスターがルナ・バウフナーベルって言うんですけど」
「何だと小僧!? 生きておるだと!? あのふたりが、大神官と聖女が生きておるのか!?」
ガタン、と派手な音を立てて女帝が立ち上がる。
その幼なげな顔に驚きの表情浮かべている様は、参謀のレザーマンですら見た事がなかった。
「小僧! 確かに小僧の父母ら、スミス・デアムントにルナ・バウフナーベルというのだな!?」
「は、はぁ……でもただの司祭とシスターですよ。ノーム族って聞いてるから歳は知らないけど」
「リュウ」
戸惑いつつもフィナンシェに手を伸ばそうとするリュウに、アルトリリアが落ち着いた声をかける。
「もしやとは思っていたのです。あの孤児院を訪れて司祭とシスターのお名前を聞いた時に。あなたのご両親は、デアハルスに縁の深いお方ですのよ」
「はぁ……ただのじーさんばーさんだと思うけどなぁ。口うるさいだけで」
くくくく、と堪えきれず笑い声を漏らした女帝は、まるで獲物を見つけた獰猛な猛禽のような笑顔をシュターガーへ、そしてアルトリリアへと向けた。
「何ということだ……生きておったのかあの二人……しぶとい、実にしぶとい。ノームは殺しても死なぬとは、まさにあやつらのためにあるような言葉ではないか。おいシュターガー」
「は、何でしょうか陛下」
「喜べ。お主らのコトは成ったも同然。よもやここまで手駒が都合よく揃うとは、まさに精霊の導きに他ならぬ。余も勝馬の背に乗ろうではないか。のう? アルトリリア?」
「はい陛下」
権力の頂点にある3人がほくそ笑む中、護衛の四人はまだ事態に追いついていない。
戸惑う4人の中で意外な人物が小さく手を挙げる。
「何じゃ娘、どうした」
「あの」
アルムはいつも通り表情に乏しい顔を真っ直ぐに女帝に向け、テーブルの上の一点を指差した。
その先にあったのは、さっきまで焼き菓子が盛られていたカゴである。
「さっきの四角いの、美味しかった。おかわり」
きょとん、呆気に取られたかに見えた女帝は、ドアの向こうまで聞こえるほど大きな声で、心底愉快そうに笑い声を挙げた。




