62 女帝の胆力
テーブルの上に並べられたのは、王国からの土産の品ではなく3本の短い矢だった。
「陛下、今日この迎賓館へ向かう途上、私達の馬車が狙撃を受けましたわ。こちらの矢は狙撃に使われたもの。恐らくはクロスボウのような武器を使ったものかと」
「ほう、そうか」
アルトリリアの口調はどこまでもいつも通り、そして女帝アンに動揺した様子など微塵も無かった。
どこまでが本気でどこまでが虚勢なのか、本音と建前がどう入り混じっているのか、武辺者のセシリアとシーナには全く予想すらつかない静かな攻防の幕開けは、セシリアからの特大の一手で幕を開ける。
が、女帝の返す手はさらに大きかった。
「どうやって防いだ?」
「私の護衛が、矢を手で掴み取りました」
「そうかそうか、なかなかな手練を従えておるな。重畳重畳」
シーナは怒鳴り声を上げるのを必死でこらえている。
相手が超大国の女帝でなければ『こちらは狙撃されたのだぞ! 何が重畳だ!』と大声を上げ掴みかかっていたところだ。
だが、リュウもアルムも平然とする中、警備主任を任されたシーナ自身が揉め事を起こすわけにも行かない。ひたすら拳を握りしめて、衝動を何とか力ずくで抑え込んでいる。
「矢を取ったのは? そこの剣聖の娘か?」
「いいえ、その隣の小柄な2人ですわ。彼らは見た目こそ少年少女のようですけれど、腕は立ちますの」
「なるほどな、子供に防がれる矢であれば、クロスボウと弓兵に大いに改善の余地ありか」
「……陛下、そのお言葉の意図は……?」
「アルトリリア、お主も気付かぬほど愚昧ではあるまい? 知れたこと、狙撃を命じたのは他ならぬ余だ」
今度こそシーナは身構えずにいられなかった。
セシリアはいつの間にか腰の短剣に手をかけている。
が、こういう場で真っ先に動きそうな、好戦的なリュウとアルムが全く動く気配がない。そのことがシーナにとっても最も不思議であった。
「そこの赤毛のエルフの娘、赦す。名は何という」
女帝の問いかけに、アルムはなかなか答えない。アルトリリアが振り返り、苦笑を浮かべて小さく頷いて見せてようやく口を開いた。
「……アルム・ファーマシー」
「ふむ。で、そこの小僧、名は?」
「リュウ・ノーチです」
「そうかそうか。して、ふたりともこの矢を素手で掴んで防いだということだが——どうであった?」
今度はリュウがちら、とアルトリリアへと視線を向ける。再びアルトリリアは、先程よりも少し大きめに頷いた。
「構わぬ。この場で何をどのような口調で言おうが無礼とはせぬ故、感じたことを感じたまま申せ」
「はい。狙撃はされましたけど、殺す気は無かったと思います」
「ほほう」
女帝アンの目が、まるでおもちゃを見つけた猫のように見開かれた。
「小僧、どうしてそう感じた」
「矢の軌道がアルトリリア様に向いてなかったんです。誰も傷つけない向きで射られてました」
「ふむ。では娘、そなたはどうであった?」
「リュウに同じく。あと殺気が感じられなかった」
アルムは無愛想に、短くそう答えるのみである。
「アン陛下? 不可侵条約の調印に来た使節団を戯れとは言え狙撃したと有っては——」
「あっははは! 良い、良いぞ! すこぶる良い! 余は至極満足であるぞ! あっははははは!」
アルトリリアの言葉を遮るように、女帝アンは少女のような笑い声を挙げた。
ひとしきり楽しげに笑ってから、『ふぅ』と呟いて改めてアルトリリアとシュターガーに向き直り、深々と頭を下げた。
「すまぬな、年寄りの戯れだ」
シーナは今度は唖然としてしまった。
他国からの使節団を狙撃していて『戯れ』とは一体何事か、これは国際問題である。ことと次第によっては宣戦布告にも等しい。
そう言葉を出す寸前だったが、アルトリリアの楽しげな声に拍子抜けしてしまった。
「陛下もお人が悪いこと」
「なに、人が悪いで言えばアルトリリア、お主も大概ではないか。じゃじゃ馬な姪で叔父が苦労しておるぞ? のう、シュターガー?」
「左様ですな。幼い頃から叡明でありましたが、最近は手を焼いております」
「であろうて。だが、そうでなければならぬ。そうでなければ国を建てる、国を復興させるなどという大業なぞ果たせようはずもない。許せアルトリリア、デアハルスの輝ける月の娘よ、そなたを試させてもらったぞ」
満足げな表情を浮かべ、どこからどう見ても『少女』としか表現できない外見の皇帝はハンドベルを鳴らす。
美しく澄んだ音色の直後、静かにドアが開き数名が部屋の中に入り込んできた。
セシリアとシーナ、そしてアルムが一瞬警戒体制に入るが、彼女たちの視線の先にいたのは紅茶とケーキが乗ったワゴンを押すメイド達であった。
「……メイド……?」
「アルム、気を抜くなよ。この姉ちゃん達も相当出来る」
「ん。了解」
「ほほう? 小僧、お主どうして分かった? 確かにこの娘たちは実践訓練を積んでおる。どこからそのように判断した」
空気を読まないリュウも、相手が女帝とあっては勝手に話して良いのかどうか、考えるだけの分別は持ち合わせている。
助けを求めるような視線をアルトリリアに向けたのをみて、アンは楽しそうに笑顔を浮かべた。
「構わぬと言ったであろう? お主とそこの赤毛の娘、そなたらは好きに話して構わぬ。ほれ、言うてみよ?」
あきらかに女帝は楽しんでいた。
そして、この状況を楽しんでいたものがもう一人いる。他ならぬアルトリリアだ。
「構いませんわリュウ。アン陛下も赦すとおっしゃったのですから、この場で沈黙を貫くのはかえって不敬となりますわよ?」
「はぁ……あの、俺は平民です。言葉遣いとかわからないっすけど」
「お、おいリュウ! お前それはさすがに——」
「小娘、誰がオマエに発言を赦した」
とっさに声を上げたシーナに女帝がかけた声は、少し低く冷たいものだ。
可愛らしいソプラノの声ではあったが、その言葉には身長2メートル近い大柄なシーナの身体を硬直させるだけの圧力がある。
「今回は大目に見るが、そなたステルベン辺境伯の娘であろう? 貴族の娘であればそれなりの礼儀作法を弁えよ。余は赦すと言ったぞ」
「……も、申し訳ございません、陛下……」
「うむ。であれば、しばし茶と菓子でも楽しんでおれ。して小僧、リュウと申したな? なにゆえこのメイド達が『出来る』と分かった?」
「簡単です。足音がしない。体幹がブレない、荷物を持っての流れる体捌きに、重心の位置が常に『とっさの動き』に備えてました」
女帝が懐から取り出したメガネをかける。
猫のような大きな目を見開いて、少し身体を乗り出してその視線をリュウに真っ直ぐに向けた。
「そうかそうか、なるほどな。アルトリリアよ」
「はい陛下」
「お主、ずいぶんと面白い手駒を揃えておるようだな? 重畳重畳、実に良い。それも、平民でこれだけの技量と眼力を持つもの、おまけにこの若さだ。どこでこれだけの逸材を見つけた?」
「士官学校ですわ。リュウは最底辺のGクラスに所属しておりますけれど、その実力と技量は軍を抜いております」
「それだけの逸材をして最底辺か。ランドルトの士官学校は人材が綺羅星のごとく揃うておるか、はたまた教師陣の目が節穴であったか、さていずれであろうかな」
「残念なことに後者ですわ。それに、他のGクラスの面々も逸材揃い。そのことを見抜けず、正しく導くことも出来ない教師が幅をきかせていた、というのが実情ですわ」
「ふむ。まぁあの王が頂点に立つ社会ではそれも致し方なかろうて。だがそのお陰で、この傑物を手駒として抱え込めた、とも言えるな? アルトリリアよ」
「仰る通りですわ陛下。私の友シーナは盤石の盾、セシリアは全てを切り裂く剣。そしてリュウとアルムは必殺の飛び道具とも言えますわ」
「はっははは、良いぞ良いぞ、その不敵な顔、余を前に一切怯まぬ胆力。そうでなければならぬ。それくらいのタマでなければ、女王なぞ務まろうはずもない」
女帝が発した『女王』の一言に、リュウとアルム、そしてシーナは目を見開いた。
ただ一人、セシリアは妖艶な、優しげな笑みを絶やさない。
「何だアルトリリア、そなた己の野望をまだ打ち明けておらなんだのか?」
「陛下のお力添えをいただける、と確信するまでは、時期尚早と思いまして」
「ふむ、ますます良い。王とは雄大で思慮深く、勇猛果敢にして慎重であらねばな。そなた、爪の垢でも煎じて父親に飲ませてやったらどうだ?」
「そんなものを飲ませるくらいなら、酒とクスリでも与えて大人しくさせておいた方がマシですわ。あの父は、いっそ眠っていた方が世のため人のためというものです」
「ほう、言うではないか」
「それに、父が死ねばあの兄が玉座の主となります。そうなれば、どれだけ贔屓目に見ても国は乱れ傾きますわ」
「ふむ。余もそう思う。全くもって同感じゃ」
女帝は優雅にティーカップを口に運び、美しくデコレーションされた生クリームたっぷりのケーキに手を伸ばす。
「さて、腹の探り合いはこの程度としようかアルトリリア。確約しよう。余が、アン・エントラッセンの名において約束する。そなたが国を興すにあたっては援助を惜しまぬ」
「く、国を、興す……? アルトリリア様、それはその……」
つい話してしまったシーナは慌てて口をつぐみ、女帝へ向かって頭を下げた。
「良い良い、腹の探り合いはここまでと言うたであろう。構わぬ。ここからは自由な歓談の時間である。存分に話せ。余も若き才能との交流は楽しみにしておるところだ。それにアルトリリア、頃合いではないか? お主の野望を話すにあたって、これ以上の好機はあるまい」
「確かに、陛下にこれほどお膳立てをしていただいては、黙っているわけには参りませんわね」
にこ、とアルトリリアはいつもの自信に満ちた笑みを浮かべ、シーナとアルム、リュウに顔を向けた。
隣のセシリアはなぜか全てを悟ったような笑顔で、目の前の紅茶を愉しんでいる。
「リュウ、アルム。それにシーナ。私は母の故国、デアハルス王国を復興させようと思っているのです」
「アルトリリア様! そ、そのようなことをシュターガー閣下の前で——」
「構わん。そのようなことを私が知らぬままでここに来ているとでも思ったか。見くびるな小娘」
すでにケーキを食べ終え、メイドが運んできた焼き菓子を口に運んでいたシュターガーが、低く落ち着いた声で割り込んでくる。
「ふふふふ、愉快。実に愉快だ。さすがは余の友、ディートリッヒ・デアハルスの忘れ形見。デアハルス最後の女王、ハイデマリーも見た目はたおやかであったが、その内側は豪胆な女傑そのものであった。アルトリリア、そなたの祖母の話だ」
シュターガーと同じ焼き菓子を食べながら、女帝は実に嬉しそうにメガネの奥の目を細めた。
ふぅ、と嘆息して、実に嬉しそうな笑顔を浮かべ、女帝はゆっくりと、対面に座る若者たちに顔を向ける。
「どうだ、しばし年寄りの思い出話に耳を傾けてみるか? アルトリリアよ、そなたが見たことのないデアハルス王国の話だ」




