61 先進国の姿
「すっげ……」
小さく呟いて周囲をキョロキョロと見回すリュウは、まるっきり田舎から大都会へやってきた『おのぼりさん』丸出しである。
アルムはさほど興味もなさそうな表情だが、馬車の窓から外を眺めたまま動こうとしない。
馬車の扉が軽くノックされ、シーナが木製の小さな窓を開くと、護衛としてステルベン辺境伯領から付き従っているイザーク・アンビュランス少佐が顔をのぞかせる。
「シーナお嬢様、もうすぐ帝国の迎賓館です。アルトリリア殿下もセシリア嬢もどうぞご用意を」
「うむ。承知した」
短いやり取りだけで窓を閉じたシーナが振り返ると、そこにはすでに馬車を降りる準備を整えているアルトリリアと、相変わらず田舎者丸出しなリュウの姿があった。
「おいリュウ、もうすぐ降りる。お前も支度をしろ。アルムもだ」
「はいはい、りょーかい」
「リュウ、お前な……アルトリリア様の護衛で来ているということはちゃんと理解してるだろうな? 観光で来たわけじゃないんだぞ」
「分かってますって。な? アルム?」
「分かってる。これは私とリュウの新婚旅行」
アルムはただでさえ少ない荷物をコンパクトにまとめているためか、一般的な貴族のご令嬢基準で考えれば『ちょっとお忍びで街へ出かけるレベル』よりも遥かに少ない荷物量になっている。
リュウに至っては肩掛けカバンひとつに全てを収めてしまっていた。
そんな身軽な2人は今日も仲睦まじい。
「あれ、俺っていつ結婚したっけ?」
「ヒドい。リリア様、リュウが冷たい。これは夫婦の危機」
「リュウ? レディには優しくするものですわよ?」
「そっか。ゴメンなアルム」
「ん。許す。優しくして」
「ふたりとも、茶番はいい加減にしろ。まず私が降りる。続いてセシリアは降りたらすぐに周囲の警戒、続いてアルトリリア様、リュウとアルムはアルトリリア様の背後を護れ。良いな」
シーナは格闘術と盾術において、つい先日マスター級の認可を受けている、護りのスペシャリストだ。
Gクラスで言えばミナと同じような役回りになるが、ミナと違うのはシーナ自身も攻撃に参加しうるという点である。
「帝国ってそんな物騒なんすかね」
「形式的に、帝国と王国は講和条約も締結しているし、今回は相互不可侵条約の調印式だ。帝国側も下手な動きはするまいが、万が一ということもある。何より、王弟シュターガー大公閣下もおいでだからな、帝国側としても万全の警備体制をしいているはずだ」
「ふぅん」
再びリュウは窓の外へ視線を向ける。
少し遠くのほうで揉め事が起きているようではあるが、どうやら街なかにも警備の部隊が配備されているのだろう、実に手早く鎮圧されてしまったようだ。
「そういや校長って何しに来たんすか?」
あまりにも今さら、あまりにも気の抜けた質問に、思わずアルトリリアとセシリアは笑い声を上げてしまった。
シーナは呆れ返ったようなため息を吐いて眉間をグリグリと強めに揉み始める。
「あのなぁリュウ……シュターガー・ランドルト大公閣下は確かに士官学校校長を兼任しておられるが、今回帝都まで来られたのは校長としてではない。ランドルト王国軍総司令官としてだ。確か今回、帝国軍のヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍との軍のトップ会談も予定されていると言っていたな。それに、アルトリリア様は女帝アン陛下との私的な会談もある。その階段の場には我々も護衛で付き従うことになる。良いかリュウ、アルム。分かっていると思うが、お前たちは護衛要員だからな。勝手な行動をするな。揉め事トラブルを起こすな。おいふたりともこちらを見ろ。目をそらすな」
「わかってますってセンパイ、俺達だってバカじゃないから」
「バカかもしれんから心配をしてるんだ。良いか? 下手にトラブルを起こしたり、巻き込まれたりしただけでも下手すると戦争が起きる。大勢が死ぬ。一挙手一投足に気を配れ。ツッコミどころを作るな。良いな?」
「……窮屈」
「おいアルム、目をそらすなと言ったろう、話が終わるまで相手をちゃんと見ろ」
シーナの説教にも似た注意に、アルムはつまらなさそうにふい、と目をそらす。
そのアルムの手が素早く動いた直後、馬車の車体の木が『かつっ』という小さな音を立てた。
アルムの手には、小さなクロスボウの矢が握られている。反対側の座席に座っていたリュウの手にも、矢が2本握られている。
「嫌われてんなぁ、俺達って」
「好かれると思う方がどうかしてる」
「だな」
「なっ——」
シーナは動けなかった。
剣聖セシリアは辛うじて短剣を鞘から抜いている。
アルトリリアは座ったまま全く動いていない。
狙撃を受けたことを理解した頃には、馬車はエントラッセン帝国の帝城へと入り込んでいた。
「何事ださっきのは! リュウ、アルム、お前ら一体何をどうやって——」
「いやぁ、殺気っていうか、なんか窓の外で動いたから」
「私なら、馬車に乗ってる時を狙う。さっき揉め事が起きてたけど、あそこの騒ぎが陽動だとしたらそろそろ狙撃されると思った」
「さすがアルム。俺もそう思った。良く気づいたじゃん」
「もっと褒めて」
「うんうん、偉い。凄いぞアルム」
まるで妹を褒める兄のように、リュウはアルムの赤毛を少し乱暴に撫で始めた。
「とりあえずこの矢、捨てます?」
「棄てるなバカ! 狙撃の証拠だ、これは帝国側への駆け引きの材料に出来るぞ」
「そうですわね。まぁシーナ、そう興奮しないでもよろしくてよ。この程度でいちいち狼狽えていては身が持ちませんわ」
馬車が静かに止まり、護衛の騎士たちが馬車の扉を動かす音がする。
シーナは小型の盾を持ち、セシリアは剣の柄にそっと手を載せた。
「アルトリリア殿下、到着しました」
「わかりました。ご苦労でした。開けなさい」
「はっ」
シーナは全身の筋肉に力を入れる。
最悪の事態は、護衛の騎士たちが裏切って馬車へ雪崩込むことだ。
次に想定しうる事態は、遠距離からの狙撃だ。もしも狙撃部隊が潜んでいるとしたら、一番最初に馬車から降りるシーナが間違いなく的になる。
シーナはひとつ深呼吸をして、防御のための身体強化術を二重にかけた。反射速度と防御力が、これだけでも5割は上がるはずだ。
「よし、ではステルベン辺境伯領を出る時に決めた通りだ。まずは私が出る。次にセシリアが出て周囲を警戒。アルトリリア様が出たらリュウ、アルム、お前たちはアルトリリア様の背後を警戒だ。頼むぞ」
馬車の扉が開き、シーナがまるで自分の身体を縦にするかのように傲然と胸を張る。
続いて音もなくセシリアが降りて、いつになく鋭い視線を周囲へと向けた。
「大丈夫そうよぉ、リリア様」
「ありがとう、シーナ。セシリアも。では行きますわよ、リュウ、アルム。さっきの矢は持って降りていらして」
「はいはい、りょーかい」
アルトリリアが馬車のタラップから降りて背筋を伸ばす。
目の前にはずらりと並んだ出迎えの兵士たちが、直立不動のままで出迎えていた。
先行していた馬車からは、すでに大公シュターガーが降り立っている。
「これで全員、無事に揃ったな」
「えぇ叔父様」
ついさっき狙撃されたばかりとは思えないほど落ち着いた、いつも通り過ぎる笑みを浮かべてアルトリリアがシュターガーへと歩み寄る。
「軽くちょっかいをかけられましたけれど、ほんの戯れですわね」
「ほう、石でも投げられたか?」
「狙撃されましたわ。恐らくはクロスボウ。矢はリュウとアルムが持っておりますわよ」
「そうか」
短いやり取りをしながらも並んで歩く2人の前に、初老の男が歩み出てきた。
リュウとセシリア、それにアルトリリアには見覚えのある男である。
「お待ちしておりました、シュターガー・ランドルト総司令官閣下、それにアルトリリア・ランドルト殿下。小官は帝国軍参謀本部、西方方面軍参謀長のレザーマン・ネッケンと申します。どうぞお見知りおきを。アルトリリア殿下におかれましては、講和会談以来でございますな。ご機嫌麗しゅう。」
出迎えの男は帝国軍の参謀、レザーマン・ネッケンだった。
「出迎え痛み入る、シュターガーだ。姪をご存知であったか」
「はい閣下。講和会談の際に、小官はヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍の副官として参加しておりましたので」
「お久しぶりですわね参謀長。お変わりが無いようで何よりですわ」
「これはこれは、殿下より直々にお言葉を賜るとは、名誉なことでございます。さぁ、では護衛の方もどうぞこちら——そちらの護衛のお二人も、確かアルトリリア殿下と共に会談に来られてましたな?」
「えぇ、背が低いほうがリュウ・ノーチ、帯剣しておりますのが私の親友のセシリア・カンフル。残りの2人は、長身の方がシーナ・ステルベン辺境伯令嬢、そして赤毛の娘はリュウの妻で——」
ごほ、とリュウがワザとらしく咳をする。
「リュウの親友でもあり士官学校の学友、アルム・ファーマシーですわ」
「これはご丁寧に、ありがとうございます。ではご一同、こちらへ。陛下がお待ちでございます」
レザーマンの『陛下』という言葉に、シュターガーが思わず振り返った。
「陛下? それはもしや……」
「我が国において『陛下』と呼ぶお方はただお一人、アン・エントラッセン皇帝陛下でございます。陛下は今回の会談と調印式を殊の外楽しみにしておられました。長く続いた貴国との緊張関係の緩和と、両国の発展に大いに寄与するものであると仰せでございました」
「それは重畳。では参謀長、案内を頼もうか」
「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」
レザーマンは参謀という立場ながら、その足の運びや体捌きに隙があまりない。
立場としては文官になるはずの参謀だが、帝国軍においては最低限の体術をはじめとした訓練を課されている。
「貴公もなかなか出来るようだが、専門は何を?」
「これはこれは、さすが総司令官閣下。鋭い眼力であられる。小官の武術など身を守る護身術程度のもの、そちらの剣聖殿の前で偉そうに語れるものではございません」
「なるほど、まぁセシリア嬢と比較すれば、私の剣術も児戯のようなものだ。若い才能の台頭というものは、年寄りからすれば複雑ではあるが指導者としては嬉しいものだ」
「まさしく、仰るとおりでございます。小官も帝国防衛大学にて教鞭を取ることがございますが、若き才能の芽生えというのは、年嵩のものにとって生き甲斐のようなものでございますな」
「ほう、気が合うではないか。参謀長殿とは是非一献傾けたいものだな」
「恐れ入ります、閣下」
否定も肯定もしない返事を返したレザーマンが重厚な扉の前で立ち止まり、扉のノッカーを丁寧に鳴らす。
扉の内側からは、まるで少女のような可愛らしい美しい澄んだ声が返ってきた。
「入れ」
「恐れ入ります。帝国西方方面軍参謀本部長、レザーマン・ネッケンでございます。ランドルト王国からのお客陣をお連れしました」
「うむ」
華美な装飾とは無縁の、重厚な扉がゆっくりと開く。
その奥の部屋には、ドアを開いた大柄な初老の軍人と思しき男と、窓際の明るい席に腰掛けていた小柄な人影があった。
「よう参られた」
銀髪の少女はそう口を開くと、心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「余がアン・エントラッセン。エントラッセン帝国の皇帝を務めておる。さぁ、そのようなところで突っ立っておらんで、早う入られよ」
口調と、皇帝という立場からは想像だに出来ないほどに幼げな外見。
シュターガーも、アルトリリアも驚きのあまり身体の動きどころか表情までもが固まってしまった。
下手をすると、童顔のベルナデッタよりも若く見える少女は、ゆっくりと立ち上がる。
「ようこそエントラッセン帝国へ。卿らを余の、アン・エントラッセンの名において歓迎しよう」




