60 物騒な話
「我が国の未来は明るいな」
「えぇ、新月の曇の夜くらいには明るいかと思いますわ」
「アルトリリア、お前のそのうまい表現は母親譲りだな。ディートリッヒは詩と、南部メディコ大陸の中世文学に明るい女だった」
「あら、叔父様も母のことをご存知ですのね?」
「知らいでか。私はこれでもディートリッヒを妻にと望んだ事がある。美しく聡明で、それでいて慈悲深く気高い。8ヶ国語を自由に操り、政治学、経済学、医学、農学と多彩な才能に恵まれ、博士号も3つも持っていた。ディートリッヒこそ貴婦人の中の真の貴婦人、百花の王と呼ばれるにふさわしい女だった」
「叔父様も詩がお好きですわね」
優雅にコーヒーカップを傾けるアルトリリアが向かい合っているのは、士官学校校長にして叔父にあたるシュターガー・ランドルト大公だ。
ついさっき、王太子レオポルトを叩き出したあと、『バカの相手をするのは疲れる』とこき下ろし、コーヒー休憩の時間を設けていた。
「娘であるお前の前でいうのも妙な話だがな、ディートリッヒはいい女だった」
「お母様は、父を嫌っておりましたわ。でもデアハルスの民の安全のために己を捨て、私を産んだのだと思います。王族に産まれ恵まれた生活を送るのであれば、民のために血を流すのは当然のこと、と言っていましたわ」
「さすがディートリッヒだ。……兄もディートリッヒを少しは見習って王の何たるかを学べば良かったのだがな」
「父は他国の王女を側室に迎えるのにお忙しいようでしたから。ベッドの上では世界最強かもしれませんわね」
「まぁそうだな、否定はせん。英雄色を好むとは言うが、色を好む者が英雄であるとは限らない、という見本のようなものだ」
「まったくですわね」
実の弟と実の娘から散々にコキ降ろされているランドルト王ベネディクト4世は、嫡子レオポルトが見ても凡庸な男であった。
武に秀でるわけでもない、知に優れるわけでもない。
ただ、レオポルトと同じく承認欲求が強く、そしてレオポルトが呆れるほどに性欲と名誉欲が強かった。
『欲望がローブをまとい王冠をかぶって玉座に座っている、そんな人物を想像してみるが良い。それがランドルト王ベネディクト4世という男だ』
というのは、奇しくもエントラッセン帝国とカホウ連合王国の間諜が本国に持ち帰った、ランドルト王の人となりをこの上なく端的に、正確に表した言葉である。
ちなみにこの時、神聖サミッツ皇国の間諜は、教皇に対して『教皇聖下のお耳に入れるまでもございません。お耳が穢れまする』と、語ることそのものを拒否したとまで言われている。
「父である王がアレで、息子がアレか。息子は父に似て、娘は母に似るものだな」
「同感ですわ。私、父に似なくて本当に良かったと思っておりますもの」
「あぁまったくだ」
苦笑いを浮かべるシュターガーも、マグカップのとびきり濃く淹れられたコーヒーを一口飲み込むと、満足げにため息を漏らす。
「さて、仕事の話だアルトリリア。出張に行ってもらいたい」
「承りますわ。ちなみにそれは、士官学校理事としてですの? それとも王国軍准将としてですの? それとも王女ですかしら?」
「王女としてだ。私にとっては苦手な外交だが、お前なら適任だろう。護衛を4人連れて行け。出張先は——」
シュターガーはゆっくり立ち上がり、壁の地図の1点を指さした。
「エントラッセン帝国の帝都だ。5年間の期限付き相互不可侵条約の調印に、国王の名代として出席してもらいたい」
「まぁ」
珍しくアルトリリアが驚いた表情を浮かべる。
「どうやら偉大なるランドルトの太陽こと兄は『事実上の戦勝であるのに、帝都へ呼びつけるのは不敬である』と世迷言をホザいておいででな。王太子も不思議と南方への視察の軍務が入る予定だ。それに——」
ニヤリとシュターガーは口角を上げ、実に楽しげな笑顔をアルトリリアへと向けた。
「先方、アン・エントラッセン陛下から『もしも名代を寄越すのであれば、デアハルスの月の娘を寄越すが良い。むしろその方が良い』とまで書いた書簡が届いていてな。まぁ兄やあの小童が行けばまとまる話もこじれてしまうだろう。国軍を代表して総司令官である私が、そして王女であるお前が国王代理だ」
「承りますわ、叔父様。では護衛となるものに声をかけておきますわ。聞きましたわね? セシリア」
「はぁい殿下。うふふふ、帝都なんて初めてだわぁ。楽しみぃ」
「護衛が4人までなら、私の護衛はセシリアとシーナ、それにリュウとアルムが良いですわね」
「リュウとアルム……ほう、今日の訓練試合のGクラス先鋒と中堅か。なるほどな、今のアルトリリアにとっての特級戦力、ということか」
「えぇ、その通りですわ。防御にはシーナ、前衛にはセシリアが立ち、私とシーナの背後をリュウとアルムが護る、という布陣で臨めば」
アルトリリアはゆっくりと振り返り、すぐ側に控える親友、セシリア・カンフルへと優しい笑顔を向ける。
が、彼女の次のセリフはその優しげな笑顔とは全く似つかわしくないものだ。
「帝国兵100人を相手取っても、鏖に出来ますわ」
「ふん……そういう、目的のためなら流血も辞さぬところは父親に似たか」
「お母様は確かに慈悲深いお方でしたわ。でも、国を、民を護るには、王は自ら血に濡れ全ての怨嗟の声を一身に受ける、その覚悟が必要ではなくて?」
「あぁ、私もそう思う。兄とあの小童にはそれがない。だからこそアルトリリア、お前の策に乗ったのだ」
校長室の窓からは、士官学校の校舎と訓練場が一望できる。
訓練場で走り込みを続ける5人の若者は、まるでじゃれ合うかのように時々笑みを浮かべて言葉を交わしている。
本来ならば、軍は彼らのような若者を護るものでなければならない。そのためには徹底した実力主義の組織であるべきだ。
そこに実家の爵位や名誉、名声などといった不純物が混ざることは許されず、ただただ純粋に個人の能力によって評価されなければならない。
「我ながら恐ろしい姪を持ったものだ。アルトリリア、お前に比べればあの小童などそこら辺に生えておる雑草にも劣る」
「まぁ、妥当な評価に感謝しますわ、叔父様」
にこ、と心底嬉しそうな笑顔をシュターガーに向けたアルトリリアは、ゆっくりとした優雅な足取りで校長室の窓へと歩み寄る。
「でも、それは雑草に対して失礼ではなくて? 少なくとも雑草の緑は心を癒しますわよ?」
「まぁそうだな。害悪にしかならん上、中途半端に力を持っておるあたり、あの小童は雑草と比べるのもおこがましいか」
「それに、雑草はしぶとくてよ、叔父様。見目麗しい華ほど、虫や病気に弱いものですわ」
アルトリリアの視線は、軽やかに走る2年生Gクラスの5人に向けられていた。
先頭を走る獣人族、無尽蔵のスタミナと健脚を誇るリュッケンは、短剣術でまだクラス認定を受けてはいないものの、その太刀筋は剣聖セシリアも認めるほどに鋭い。特に圧倒的脚力から生み出される縮地の技は、本気を出せばおそらくシーナの盾術でも防げないだろう。
続いて身軽な身のこなしを見せるエルフ族の娘アルムは、魔法を使えないというハンデを補って余りある器用さと圧倒的攻撃力、それに相手の命を奪うことをためらわない、狩人のような胆力をも持ち合わせる逸材だ。
ベインはすでにセシリアの稽古を半年ほど受けており、シルバー級の認定ながらその実力はすでにゴールド級相当である。おまけにGクラスながら軍学で首席の成績を修め、ベルナデッタから魔法の手ほどきまで受けている。遅咲きながら万能の逸材だ。
明らかに手を抜いて散歩のような軽い足取りのリュウに至っては、いまだその力の全てをクラスメイトにすら見せていないはずだ。
そして最後尾を走る大柄な少女、ミナは攻撃を捨て防御に全振りしたような、圧倒的防御力を誇る。今のミナの鉄杖を使った防御は、おそらく剣聖セシリアであっても容易に崩せるものではないだろう。
いずれもが、万全ではないが飛び抜けた強みを持っている。
「多少踏みつけられた程度では、雑草はびくともしなくてよ?」
「確かにな。その雑草は、5本だけでは無いようだが——」
シュターガーのやや鋭い視線がアルトリリアに向けられる。
恐らくはレオポルトとアルトリリア以外の王子や王女ならば、即座に目をそらすか俯いてしまっていただろう。
だが、アルトリリアは余裕の笑みを浮かべながら、百戦錬磨の大公の視線を堂々と受け止める。
「スラムにある教会の孤児院、らしいな? どうやって見つけた」
「あら、何のことを仰っているのかわからなくてよ? 叔父様?」
「たかだか18の小娘が、『草』の者を使うとは、ずいぶんと大人びた真似をするものだ」
「まぁ、叔父様? それは言いがかりというものですわ。私はただ、腹心候補のリュウの実家を支援しているだけですわ」
「なるほどな。リュウ・ノーチの実家か……孤児の出自であったか。孤児とは言え、万が一にも民を使い捨てにするようなマネは、ディートリッヒが悲しむぞ」
「あら、私そんな親不孝なマネはしませんわ。それに孤児だからと使い捨てるような発想自体、持ち合わせておりませんわよ。単純に、市井の有能な者に目をかけただけですわ」
今まさにこの時も、リュウが保護された孤児院の年長の2人、ノーム族の青年アルツとエルフの娘レセプトは、スラムから市民が暮らす街区において『仕事』をこなしていた。
幼く見えるオーアとリペも、教会を訪れる者の会話に耳を済ませていた。
彼らは、街の中でレオポルトを指示する者の言葉を記録している。
万が一見つかって見咎められても『王太子殿下がどういうひとなのか知りたかった』というだけならば、不敬罪にも問われないよう言い逃れが出来る。
その実、アルトリリアにとって重要なのは、『誰』がレオポルトを指示するよう民衆を誘導しているのかというポイントだった。
街区やスラムといった市民の領域にも、レオポルトや王家の者が紛れ込んでいるはずだ。
王家への支持を取り付け、さらに間違っても『王太子以外の王子や王女に、王位を継承させたいという声が上がらないように』情報誘導を続けている。
「私にとって彼らは草ではありませんわよ、叔父様。彼らはどこにもいないように見えて、どこにでもいる。私、彼らのことは『燕』と呼んでおりますの」
「燕、か。高く低く軽やかに飛び、決して捕まえることが出来ない小鳥の名をつけるとはな。やはりそのあたりのセンスはディートリッヒ譲りだ」
「お褒めに預かり光栄ですわ、叔父様。それで、帝都への出発はいつ頃ですの?」
2人の視線が再び壁に貼られた地図へと向けられる。
視線が向かった先は、帝都エントラッセンだ。
「出発は2週間後だ。長い行程になる。往路と復路、現地での滞在も含め、恐らくは1ヶ月半ほどになる」
「承知しましたわ。ではセシリア、シーナにも状況の共有を」
「はぁい殿下、任せてください。うふふふ、忙しくなりそうですねぇ?」
「えぇ、でも私達が暇を嘆いているよりは、遥かにマシですわ」
相変わらず訓練場からは、賑やかな若者たちの笑い声が聞こえて来ていた。




