59 正しい姿
「叔父上は! あんなものを認めるおつもりか!」
「レオポルト、まず座れ」
「私は認めない! 誇り高きランドルト王国軍が、あんな野盗や山賊のような戦いかたをするだと!? 断じて認めない! 絶対に!」
「レオポルト、私は、座れ、と言ったぞ」
癇癪がなかなかおさまらなかった王太子だったが、叔父に当たる大公シュターガーの言葉には逆らえない。
王太子と王弟であれば、立場の上ではほぼ互角である。だが、シュターガーには若き王太子レオポルトにないものがあった。
それは胆力と度量、そして何よりも圧倒的な実戦経験だ。
「叔父上、あなたは我が国の軍を誤った道に進めようとしておられるのがわからないのか」
「ほう、私に意見するとは、偉くなったものだな小童が」
現王ベネディクト4世と王弟シュターガーは、父こそ同じであるが母親が違う異母兄弟だ。
生まれた順番だけでなく、ベネディクトの母が先王の正妃であったことからも、ベネディクトはシュターガーと比較されるまでもなく、物心ついた時にはすでに王太子であった。
尊大で承認欲求と、そして三大欲求に忠実なる男ベネディクトが父フランシスコ5世から玉座を受け継いだ時、万雷の拍手の裏で『なぜシュターガー殿下が王ではないのだ』と嘆いたものは、千や2千ではきかない。
そんな評判に彩られた王ベネディクト4世の嫡子、レオポルトは、父王の素養を大いに受け継いだ男だった。
「お前はなまじ、そこそこ有能だからこそ始末におえんな」
「叔父上と言えど、言葉が過ぎるぞ! 私は次期国王レオポルトだ! 私が次の王だ! この私が王座を継げば——」
「今のお前はただの王太子だ。お情けと王太子という立場のお陰で少将という地位にいるがな、本来将軍職はお前ごときが就任できるものではない」
「ご、ごとき、だと……おおおおおのれ! おのれェ!」
「お兄様、いい加減おすわりになりませんこと? いちいち大声を出さなくても、こんな狭い室内ですもの、聞こえますわ。それに、そのように喚き散らしていては王太子としての器を疑われますわよ?」
優雅にソファに腰掛けているアルトリリアは、心底呆れ返った、というよりも全く興味がなさそうな声を兄レオポルトへと投げつけた。
すぐ後ろには、護衛として剣聖セシリア・カンフルが控え、また士官学校校長室には直立不動の伯爵、グレゴリオ・マーゲン大佐が控えていた。
「先程から聞いていれば、ランドルト王国の軍を誤った道に進めるとおっしゃっていましたけれど、それでは正しき道とは何ですの?」
「決まっているだろう! 騎士道精神に溢れ! いかなる敵をも正々堂々! 真正面から受けて立ち! 圧倒的力を持って粉砕する道! これこそが覇道というものだ! 女のオマエにはわからんだろうなアルトリリア」
「えぇ、全く理解できませんわ」
アルトリリアにとって10歳違いの兄レオポルトは、自分一人が有能なだけで現実と現場を知らない、『世間知らずで、ただただおもねる取り巻きしかいないお坊ちゃん』である。
エントラッセン帝国軍との戦力差も、カホウ連合王国の海軍力も、神聖サミッツ皇国の医療水準もロクに把握しないままで『恐るるに足らず』と断じている。
「ランドルト王国軍の重装歩兵騎兵部隊は、このメディコ大陸最強だ! 違うかマーゲン大佐!」
「はっ、重装騎兵部隊の突破力『は』、大陸でも並ぶものが無い威力をもっているでェあります」
「そうだろう! どうだアルトリリア、我軍は世界最強、何を畏れることがある。何を怖がって姑息な不意打ちや騙し討ちなどを使わねばならん! 群がる敵は蹴散らせばいいのだ! そうだろう! そこの女!」
レオポルトが指さした先にいるのは、全世界の全人類でも、剣術において上位10名にしか名乗ることが許されない『剣聖』の称号を許された若き天才、セシリアだ。
「はぁい。仰るとおりですわ殿下。私ならどんな敵でも斬ってご覧にいれますぅ。もちろん、アルトリリア様のために。ねっ?」
「そうですわねセシリア。それでお兄様、許さなければどうなさるおつもりですの?」
「決まっている! 今日の試合結果は全て無効! あのGクラスの底辺どもには懲罰だ!」
「あら、どんな理由でですの? 学校が決めたルールに則って、学校が決めた勝敗の判定基準で勝利を確定させたものを、どのような大義名分をもって無効とするおつもりかしら?」
「我がランドルト王国軍の姿としてふさわしくない! それだけで十分だろうが!」
「ではお兄様は、ランドルト王国軍が『あらかじめ決めたルールや基準に従って勝ったチームを、気に入らないからという理由でその結果を覆す』という姑息なマネをする、卑怯卑劣な腰抜けの軍隊である、ということを世界中に喧伝するおつもりですのね?」
「なっ——」
ふぅ、と忌々しげにため息を吐いてから、シュターガーはゆっくりと立ち上がり壁に貼り出されたメディコ大陸地図へと歩み寄った。
「だから貴様はその年になっても『小童』と呼ばれるのだ、レオポルト」
こんこん、と軽く壁を叩くように、シュターガーが地図の中央付近を指し示す。
「良いか、本来ならこんなことはもはや言うまでもない。だが今の言動から、貴様が今の世界情勢を何も理解していないことだけはよくわかった。だから言うぞ。ついでだアルトリリア、お前も聞け。ここからは軍議だ。軍の階級を思い出せ、良いな? レオポルト、アルトリリア」
「えぇ、もちろん拝聴しますわ、総司令官閣下」
レオポルトは顔を真赤にして歯ぎしりをするばかりで答えない。
が、構わずシュターガーは話を続けた。
「良いか、このメディコ大陸南西にあるわがランドルト王国は、独立してまだ100年と少しの若い国だ。もともとはエントラッセン帝国の一部であった我が国——」
「忌々しい! エントラッセン帝国の名前など——」
「誰が発言を赦したレオポルト。今貴様はたかが少将にすぎん。私の階級と役職を言ってみろレオポルト・ランドルト少将」
「くっ……シュターガー・ランドルト大将軍……国軍総司令官……です」
「ようやく思い出したか小童。なら忘れんうちに口を閉じて座れ。続けるぞ。我が父フランシスコ5世の次代までは、わがランドルト王国は『フランシスコ・ランドルトが女帝からの自治権を認められ、王として治めるランドルト地方』であった。周囲には小国が多く点在し、帝国の女傑、アン・エントラッセン皇帝に臣従する形で一定の平和と安定を享受していた」
現在壁に貼られている地図は、ランドルト王国軍の測量部隊書き記したもので、地学的にもかなり現実に近い、理想や虚飾を排したものだ。
「それを、父から王冠を受け継いだわが愚兄、ベネディクトは突然帝国に対して独立を宣言、デアハルス王国を始めとする多くの国々を力で併合し、実に帝国の南西4分の1を切り取る形で王国を名乗った。これが100年前だ。どうだ、思い出したかレオポルト少将」
「…………そのようなことは……」
「私は、思い出したかと聞いた。返答せよ少将。どうした、小童と呼ばれねば自分のことだとわからんか? なら階級章を置いて即刻立ち去れ、無能な腰抜けめ」
「くっ……覚えております、総司令官閣下」
「覚えていてなお、我が軍が『いかなる強敵をも正面から正々堂々と撃破できる』などと語れるとは、貴様はよほど現実を見る目がないと見えるな。やはり今度の人事会議において、貴様の降格動議を出さざるを得まい」
「なっ」
「黙れ小童。続けるぞ。ではアルトリリア・ランドルト陸軍准将、貴様はどう思う。我が国は平和だと思うか?」
「いいえ大将軍。平和とは程遠い状況ですわ。現に昨年、ステルベン辺境伯領においてエントラッセン帝国との紛争も発生しております」
「その通りだ」
ちら、とアルトリリアが兄レオポルトに目を向けると、若き王太子はまるで叱られた子どものように顔を真っ赤にして怒りを隠そうともしていない。
心の中で「将の器ですらない。これに王が務まるわけがない」と考えたのは、アルトリリアだけではなかった。
「現状、我が国は四方を敵性国家に囲まれている。理由は単純明快、現王ベネディクトが不当に帝国から領土を掠め取ったからだ。国際法に鑑みれば、これは明らかな国際法違反。商業国家であるカホウ連合王国は早々に非難声明を出し、神聖サミッツ皇国とは独立から100年経っても国交は断絶状態、大使館すら置けておらん。なぜだか分かるか? 要は、それだけのことをためらいなく出来るほど、国力に差があるということだ。軍事力に差があるということだ。この事を今日、この場で理解して覚えて帰れないような奴は将軍職として甚だ能力不足だ。そうは思わんか? マーゲン大佐」
「はっ! 仰る通りでェあります!」
「貴様はどうだ、レオポルト・ランドルト少将。理解したか?」
再びの沈黙。だが、今度の沈黙は長くは続かない。
「理解、しました……」
「そうか。では質問だ。アルトリリア、神聖サミッツ皇国の主要な兵科と大まかな兵力はどれくらいだ」
「はい閣下。神聖サミッツ帝国は大きく4つの修道会騎士団に分かれておりますわ。重装騎兵で大陸最強の攻撃力を持つ鉄十字騎士団が総勢5万。軽装弓騎兵、魔導騎兵からなる薔薇十字騎士団が総勢8万。重装歩兵と工兵からなる護りのスペシャリスト集団、『聖地の盾騎士団』がおよそ10万、そして神出鬼没にして抜群の機動力を持つ『精霊の剣騎士団』が10万。合計33万が神聖サミッツ皇国の戦力……とされておりますけれど、彼の国には別に獣人族を中心とした戦士団がおりますわ。間諜の報告ではその数は約2万。そこから考えると、誤差や偽装も勘案して彼の国の動員兵力はおよそ40万、といったところかと」
「うむ、妥当だな」
レオポルトは唖然とした表情で妹アルトリリアの横顔に目を向けた。
王太子であるレオポルトも知らない情報である。
「ではレオポルト、カホウ連合王国の戦力はどうだ」
「……カ、カホウ連合王国の兵力は……陸軍がおよそ12万、海軍が20万……」
「それだけか?」
レオポルトが把握していたのは、これだけである。
カホウ連合王国は海上交易で財を成した商業国家である。それだけに、攻撃よりも護りに重きを置いており、得意とするのは経済戦。
海軍も多数の艦船を持っているものの、攻撃のための船はほとんどない。
「それだけか、レオポルト。貴様まさか、どの兵科がどれくらい、どこに配備されているかも知らんのか」
レオポルトは知らなかった。
敵の軍事力など、周囲の側近たちから『殿下はそのような細かいことを気になさってはいけません。次代の王は、王業をなす事をお考えになればそれで良いのです! 細かいことは我々におまかせを!』と持ち上げられ、大雑把な数字くらいしか把握していなかった。
「なるほどな。よく分かった。もういい。下がれ、レオポルト・ランドルト少将。アルトリリア・ランドルト准将、お前は残れ」
「はい、かしこまりましたわ、閣下」
恭しく会釈をしたアルトリリアは、氷のように冷たい目を実兄の項垂れた背中に向ける。
「お兄様? 閣下が『下がれ』と仰せですわよ? いつまでそこでそうやって床とにらめっこをしているおつもり?」
勢いよく顔をあげ、妹の美しい顔を睨みつけたレオポルトは、敬礼もせずに校長室のドアを開けて出ていった。
訓練試合を終えた選手たちが、王太子の怒りの咆哮を、マーゲンの怒声と勘違いしてとっさに直立不動の姿勢になったのは、もはや士官学校ならではの光景であると言えるだろう。




