55 有能な男
「ま、参りましてございます!」
王城内の騎士団訓練場で、木製の稽古用の槍が石造りの床に転がる音が響いた。
若手の騎士がひざまずき、荒い息と同時に肩を大きく上下させている。
「まだまだだな、訓練が足らんぞ。そんなざまで王の近衛が務まるか。もっと励め」
「は、はっ!」
側仕えの男に稽古用の槍を預けると、長い金髪を束ねた男は『行くぞ』と周囲に声をかけて傲然と歩き去った。
エルフ族の男、当年28歳の若き王太子、ランドルト王国の未来を導く暁の星と謳われたレオポルト・ランドルトは、妹アルトリリアからは散々にコキ降ろされてはいるが、個人としては非常に有能な男だ。
語学、歴史学、軍学に優れた才を示し、槍術に於いてはかつて士官学校で教えを受けたグレゴリオ・マーゲンと並ぶハイマスター級の認定を受けている。
おまけに魔法においても、炎の魔法に強い適性があったためか、火魔術でマスター級魔道士にもなっていた。
武術と魔術の両方でマスター級の認定を受けたのは、王族としてはレオポルトが史上初である。ちなみに2人目がアルトリリアだ。
「ステルベンも腑抜けたものだな。帝国から攻め込まれた上に和睦だと? なぜ逆に攻め込まんのだ。たるんでいる」
「まったくでございます、王太子殿下」
「私なら、ランドルト王国軍が誇る魔導騎兵を率いてエントラッセン帝国へ攻め込み、エレンボーゲンとか言う老いぼれを串刺しにしてくれよう。このような情けないざまでは、辺境伯の大任など務まらんのではないか? なぁ、そう思わないか」
「全くもって、仰るとおりでございます。殿下」
レオポルトは王太子として、エルフ族の男子の個体としては非常に優秀な部類に入る。
だからこそ、彼に対する妹アルトリリアの評価は非常に厳しいものである。
アルトリリア曰く、長兄レオポルトは『不幸な男』だ。
もしも、教えを請う師に人格面も鍛えられていれば。
もしも、素直に他者に頭を下げて、相手を敬いつつ教えを請う度量を持ち合わせていれば。
もしも、ほんの僅かでも弱者の気持ちが分かるだけの弱みを持っていれば。
どれかひとつでも間違えなければ、レオポルトは良き王になれたかもしれない。だが、レオポルトは不幸にも全てを持ち合わせていなかった。
アルトリリア王女と、王弟でありレオポルトから見れば叔父にあたる大公シュターガーは共に、『あれの愚物たる理由は、他者の気持ちを慮る知性、そして他者の尊厳を護る品性、己の欲望を抑える理性を自ら持とうと思えないところだ』と評価している。
「まったく、愚物どもめ。努力が足りん。なぜ出来るまでやらんのだ。途中で辞めるから出来ないのだろう。その時点でランドルト王家に対する忠誠を疑わざるを得ん。そうではないか?」
「はっ、仰るとおりでございます、王太子殿下」
さらに、アルトリリアは『不幸をもたらす者』と評価し、シュターガーは『人を見る目が無い、そこも王たる能力の著しい欠損としか言いようがない』と厳しく評価するのが、周囲に侍らせる側近の性質だった。
王国の四方を護る公爵家と辺境伯家の内、ほぼすべての公爵家はレオポルトを支持している。が、北方と東方の辺境伯家の者たちは、レオポルトの王としての資質に懐疑的なものが多い。
「簡単ではないか、敵軍を挑発し自分たちに有利な地形に誘い込むまで偽装退却、相手が追いすがって来たところを南と北に伏せておいた兵で挟撃、囲い込んで一網打尽にする。ただこれだけの戦術がなぜ取れんのだ。ステルベン辺境伯の目は節穴なようだな」
「はっははは、さすがは王太子殿下、軍略も天才的でございますな」
「ふふん、そうでなければ次代の王など務まらん。まったく、今度私が軍学の講義でもしに行ってやるか。ヘルセネンも所詮子爵、何が神算鬼謀の軍師だ。伯爵にもなれん時点でその実力も疑わざるを得んな」
「さすがのご慧眼、恐れ入りましてございます殿下」
高笑いをする王太子レオポルトとその側近である公爵、侯爵らに道を譲り、廊下の端に寄って会釈をする長髪のエルフの男に目をくれることもなく、レオポルトは高らかに国の未来について演説をしながら王宮の奥へと消えていった。
「やれやれ、これはまた冥いなぁ、あまりにも」
美しい金髪を無造作に束ねた男は、脇に抱えた多くの報告書を整え直し、王太子達とは逆方向へとゆったりとした歩調で歩みを進める。
「軍師! ヘルセネン筆頭軍師! お早くこちらへ! アルトリリア殿下がお待ちです!」
「分かった分かった、すぐに行く。そう急かさないで。あぁ、キミがお姫様抱っこでもしてくれたら、早く行けるかもしれないよ?」
「なにふざけたこと言ってるんですかもう、セクハラですよ?」
杖を使い、片足を引きずるように歩く男、アーノルド・ヘルセネン子爵は、国軍最高司令官であるシュターガーの右腕とも呼ばれる傑物だ。
軍学において支配的であった古典コッヘル主義軍学派と呼ばれた勢力に真っ向から対立する『実践主義軍学』を掲げ、軍学会を二分する大論争を巻き起こした張本人であり、現在士官学校において軍学講師を務めるベルナデッタの実父である。
跛足の軍師アーノルド・ヘルセネンは、帝国からの独立、建国以来100年ほどの歴史を持つランドルト王国どころか、広大なメディコ大陸にあって史上最高の軍師であろうと噂されている。
神算鬼謀という表現程度では到底追いつかないほどの鋭い軍略は、まるで戦場を空から鳥の目で俯瞰しているようだとすら言われるもので、メディコ大陸の周辺諸国の参謀をして『ヘルセネンがいるなら攻め込むのは控えよう』と言わしめるほどの軍略家である。
かつてアルトリリアは、筆頭軍師ヘルセネンに対して子爵位ではなく、最低でも伯爵位を授けるよう父王に進言したことがある。
が、王ベネディクトと王太子レオポルトは『爵位は厳格に定められたものであり、安易に動かすことはその品位を貶める結果につながる』として、頑なに認めようとしなかった。
「まったく、バカが上に立つと下は地獄だな」
「筆頭軍師! やめてください、私を巻き込まないでください」
「ん~? 何のことかなぁ?」
ニヤリ、と実にあくどい笑顔を部下に向けたアーノルドは、『うひゃひゃひゃ』と品のない笑い声を上げながら、硬い石造りの床と壁に杖の音を反響させる。
「軍師……もう、ヘタすれば国家反逆罪ですよ? 誰かに聞かれたらどうするんですか」
「どうもしないさ。聞きたければ聞かせてやればいい。ただの事実だ」
「だから軍師! いざとなったら参謀本部が巻き添えを食うんですよ?」
「だからこそだ。私がただの事実を口にして事実陳列罪にでも問われたとして、今の周辺諸国との状況を考えれば私を逮捕も投獄も更迭もできないだろう。そんなことをしてみろ、カホウ連合だの神聖サミッツ皇国が喜んで攻め込んでくる。私はな、馬にも乗れないし剣も槍も使えない。だがな、ここだ」
アーノルドは振り返りざま、まだ若いノーム族の女に楽しそうな笑みを見せながら自らの頭をとんとんとつついて見せる。
「私の武器はここに入っている。誰にも奪われないし、どこででも使える。そう、例えばエントラッセン帝国でもな?」
「ぐ、軍師! だからもう!」
士官学校を4年前に卒業した参謀部所属の女軍師、アンナ・オスペダーレ男爵令嬢は慌てて上司の言葉に声を被せる。
ヘタな相手に聞かれたら本当に国家反逆罪の疑いをかけられても仕方のない言動だ。
かつて父親の職場の見学にきたアーノルドの娘、ベルナデッタのクセの強い性格にも辟易としたものだが、その性格は間違いなく父アーノルドの遺伝であろう、というのがアンナの見立てである。
「やめてくださいよもう……私、まだ死にたくないです」
「そう、アンナ君、その思想は大切だ。軍師として生存を渇望する姿勢はとても大切だ。覚えておきたまえ」
「こんな時ばっかりマトモな軍師のフリするのやめてください……あぁもうヤだ、誰かに聞かれて無いかなぁ……」
「大丈夫だ、心配いらないよアンナ君。いざというときは君を養子にでももらって、娘と一緒に帝国に亡命すればいいだけじゃないか」
「それのどこかどう『だけ』なんですか……ほらもうフザけてないで、王女殿下がお待ちなんですから!」
「まぁまぁそう急かさないでくれたまえ。私は見てのとおり、脚が悪いんだ」
アーノルドの左足が不自由になったのは、決闘や戦争に参加しての結果というわけではない。
親友でもある魔導研究所主任研究員、マルコ・シーネ博士が開発した新たな魔道具の実験に立ち会った際の事故で重症を負った際の後遺症である。
国を代表する天才2人の内ひとりが重症を負って倒れた、というニュースは即座にメディコ大陸中に広がり、ランドルト王国は危うく四方からの同時侵攻を受ける寸前であった。
その気配を敏感に察知したアーノルドは、治療そっちのけで防衛の軍略を次から次へと四方の侯爵と辺境伯に送り続け、何とか急場をしのいだ。
が、治療を後回しにしてしまったがために、アーノルドの左足は膝から下が失われてしまった。現在は義足を身に着けているが、その義足すら『マルコに相談して魔道具にしてもらった。義足のかかと部分を敵に向ければ、炎の魔法が撃てるそうだぞ! 実験してみるかベルナデッタ!』と嬉々として娘に見せている。
当然ベルナデッタは『早く見せてください父上! せっかくなら炎と相性の良い風魔法も出せるようにして、相手を火だるまにするというのはどうです? ボクなら術式を書き直せるかもしれない!』と、とんでもないことを口走る親子である。どう考えてもベルナデッタの天衣無縫な行いは、父アーノルドの遺伝と教育の賜物である。
ちなみに、ベルナデッタの母は残念な事に病死しており、現在アーノルドは親友マルコ・シーネ子爵と同じく独り身である。
そう、ヘルセネン家には、ブレーキ役が存在しない。
アーノルドとベルナデッタという暴れ馬の手綱を取れていたであろうベルナデッタの母、隠れた才媛アンジェラの病死は、ヘルセネン家だけではなくランドルト王国にとっても多大な損失であったと言える。
「ずいぶんと楽しそうなコトをお話していますわね? 筆頭軍師どの?」
「これはこれは、王国の輝ける月、アルトリリア殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「おやめになってヘルセネン子爵。あなたがお行儀よくしていると、何か悪巧みをしているのではと疑ってしまいますわ」
「そうです父上! そんな慣れない事をしたら、またお腹を壊しますよ?」
ひょこ、とアルトリリアのすぐとなりに姿を現したのは、子どものように小柄なエルフの少女。アーノルドの愛娘ベルナデッタである。
「おぉベル! お前も来ていたか。ほら父に抱っこさせてくれ!」
「嫌ですよ父上。私だってもう18の乙女なんです。父親とはいえ、乙女の肌に触れるのは控えてください。ボクの処女はべイン君に捧げると決めているんです」
「ほう、誰だそのベイン君というのは? 噂のあれか、士官学校の合同演習で高位貴族のボンボン揃いなSクラスをボコボコに痛めつけた上、賞を総なめにして総合優勝に導いたという男か?」
「ぐ、軍師……だから言い方……」
「そう! そのベイン君です! ボクはベイン君に嫁入りするか、彼を婿入りさせようと思っています」
「ほほう? それは我がヘルセネン家にとって重大な案件だな? これは綿密に策を練らねばなるまい。いかんな、対エントラッセン帝国の戦略なんてどうでもいい、すぐに帰るぞベル」
「お待ちなさい、アーノルド・ヘルセネン筆頭軍師」
呆れ返った顔のアルトリリアが思わず苦笑を漏らし、本当に杖を持ち替えて回れ右をしようとしたアーノルドを呼び止める。
「私のいないところでそんな楽しいことを考えるなんて、不敬ですわよ? 早く仕事を片付けて、ベイン・ジーケンハウス君の陥落戦略はそれから考えませんこと?」
筆頭軍師アーノルドとその愛娘ベルナデッタは、同時に顔を見合わせる。
「……あぁもう、だから軍師ぃ……なんでそういう悪巧みの時だけ楽しそうなんですか……」
助手、アンナ・オスペダーレ准尉は心底疲れ切った、助けを求めるような表情をアルトリリアに向ける。
美しき王女は苦笑を返すばかりであった。




