54 王太子レオポルト
ランドルト王国王太子、レオポルト・ランドルトは、国内外で評価が真っ二つに分かれる人物である。
豪胆にして叡明、迷いなく重大事を決められる電光石火の俊才にして、剣術と魔導を修めた前代未聞の傑物。ランドルト王国の次の100年の安泰を約束する王国の暁の星。
これは、もっぱらランドルト王国内の、特に高位貴族の間で一般的となっている評価である。
「嘘っぱちですわね」
「王女殿下……いくら本当のこととは言え、もう少しお言葉を選ばれては——」
「お兄様は、一言で言えばロクに考えもせずに思いつきで物事を決める、思慮というもののカケラもない愚物ですわ。愚の骨頂、という言葉の意味を知りたければ、お兄様を見ればよくわかりますもの。私の率直な評価を言うならばクソ極まるクソ以外の表現が見当たりませんわ」
相変わらず、毛ほども情け容赦を見えない人物評を下したのは、もちろんアルトリリアである。
初老のノーム族の司祭は、教会内の粗末な応接室で、困り果てた顔をすぐ隣の妻へと向けた。
第13王女アルトリリアからすれば、王太子レオポルトは10歳上の腹違いの兄にあたる。
兄とはいえ、顔を合わせたことは両手の指で数えるほどであるが、顔を合わせるたびに、アルトリリアの王太子に対する評価は下落を続け、今まで一度も上昇したことがない。
アルトリリアが3歳の頃に初めて兄である王太子と言葉を交わしたときには『いやなかんじのするおにいさま』であった。
8才の頃、士官学校を首席で卒業したという兄レオポルトの自慢話を聞かされて『お兄様の話は長い上に嘘ばかりですわ。信用なりませんわね』というものに変わる。
さらに、10歳でデビュタントを迎えたときには『実の妹にケダモノの目を向けてくる性欲の権化』へと進化を遂げ、アルトリリアが15歳で士官学校に入学した歳には『お兄様は本当に理性と知性と品性というものが根本的に欠落しておられるのではなくて? ロクに考えもせずに爵位だけで物事を決めつける、自分の考えが間違えている可能性に気付けない、レディにやたら手を触れようとする。あんなのが次代の王だなんて、ランドルト王国の未来は明るいですわね。新月の夜くらいには』と文学的な酷評を与えられた。
そして今回、18歳で士官学校常任理事へと就任したアルトリリアの最新の王太子に対する人物票が、先程の『クソ極まるクソ』という辛辣極まる言葉である。
「殿下、ですからお言葉が」
「あら、私嘘は一言もついていなくてよ? シーナ?」
いつも通りアルトリリアの鋭すぎる舌鋒を窘めたシーナは、呆れ返ったようなため息を吐くにとどめておいた。
アルトリリアが言うとおり、王太子レオポルトは『間違っても玉座の主とすべきではない。まかり間違って王になってしまったら、間違いなく国を滅ぼす』人物である、というのが、世界的に見れば大多数を占める意見だ。
「お兄様と比べれば、リュウの方がよほど王太子に適任ですわ」
「お戯れはおやめください王女殿下、リュウのような暴れん坊がそのような大任、果たせるはずもありません」
古びた教会は孤児院を兼ねており、建物の外からは子供たちが畑仕事をしながら遊ぶ賑やかな声が聞こえてくる。
時折、極端なほどに大きな声で『アルツにーちゃーーん! レセプトねーちゃんがおれの芋とったぁー!』という声や、『獲ってない! あんた落っことしたのそのまま食べようとしたでしょ! 洗いなさい! もう、きったないわねぇ!』と弟をたしなめる姉のような賑やかな声が聞こえてくる。
「あらあらまぁまぁ……面目次第もございません。私達のしつけが行き届きませんで」
「何をおっしゃいますシスター、子供は元気なのが一番ですわ。それから司祭様、先日のお話、考えて頂けて?」
「はぁ……それはもちろんその、大変に光栄なお話なのですが、本当に宜しいのですかな。お貴族様とはまるで縁のない、貧しい私どものような者が」
「あなた方だからこそ、ですわ。もちろん、謝礼はお渡しします。市井に深く根を張る貴方がたであればこそ、我が国に入り込む間諜のような怪しげな者たちに近づきやすいはず。年長のアルツとレセプトの2人に、市井の情報を集めさせてほしいのです」
「間諜、ですか……」
シスターは心配そうな表情で少しうつむき、シワの目立つ手をぎゅっと握りしめる。
「アルトリリア様、それは、この国が戦争に巻き込まれるかもしれない、ということでしょうか」
「えぇ、率直に申し上げてそうなりますわ。兄が、あの愚物がまた余計なことを企んでいるという噂も耳にしました。下手をすれば、戦争に『巻き込まれる』どころでは済みませんわ。最悪の場合、この王都にまで戦禍が及ぶこともありえます」
「なんと……そ、それではリュウは……」
「ご安心なさって司祭様。私には考えていることがあるのです。司祭様とシスター、それにこの孤児院の子たちにも、私の野望を手伝ってほしいのです」
「お、王女殿下の、野望、でございますか」
司祭は慎重に言葉を切りながら、周囲に注意を向けて言葉を返す。
応接間の入口に、2人の女の子の姿が見えた。孤児たちの間でも特に仲が良く、常に共に行動しているオーアとリペだ。
「おいでなさい、ふたりとも。ここにいない年少の2人は確か、サウグとシュルターでしたかしら? 4人で分けて食べなさい」
アルトリリアが差し出したのは、王宮のすぐ近くの菓子店で売られているバタークッキーである。
リュウの母でもある老シスターは、王女が孤児に菓子を直接手渡したことよりも、アルトリリアが孤児の名を全員覚えていた事に驚きを隠せない。
「あ、アルトリリア様は、ここの子たちの名前を全部覚えておいでなのですか?」
「あら、当然ではありませんこと? 私、こう見えても子供は大好きですのよ。子供は国の未来そのもの、何よりも尊い国の宝ですもの」
「殿下……ディートリッヒ様と全く同じことを仰るのですな……」
「まぁ、母もですの? ……でも、それも至極当然のことかもしれませんわね。私は母に教えを受けましたもの。父や兄のような愚物から教えを受けなかったことは、私の人生においてもっとも幸運だったかもしれませんわね」
少しガタつくテーブルに載せられた、粗末なティーカップの茶を優雅に一口飲み込んでからアルトリリアは背筋を伸ばし、シスターと老司祭に正面から向き直る。
「デアムント司祭、それにシスター・バウフナーベル。お二人を私の味方と信じて打ち明けますわ」
「えぇえぇ、もちろんでございますとも王女殿下。私たちの故郷デアハルスの、デアハルス王家の正統であらせられるアルトリリア様は、私たちデアハルスの民の輝ける月。いつでも私たちは、アルトリリア様のお役に立ちましょう」
「うむ、その通りですな。我々はもちろん、リュウも、アルツもレセプトも……他の子達ははまだ幼くお役に立てることは少ないかと思いますが、故国デアハルスの正統の御ためならば、粉骨砕身御役に立ってご覧に入れましょう」
「ありがとう、お二人とも。では王都内で王太子レオポルトに関する噂を集めてほしいのです。もしも、兄を良く言う者がいたら、その素性を調べて、私に定期的に知らせてほしいのです」
「王太子殿下を良く言う者、でございますか? 悪く言う者ではなく?」
「えぇ。そこから先は私にお任せになって。もしも誰かに何をしているのかを尋ねられたら、『王太子殿下がどのような素晴らしい方なのか、気になっただけだ』と言えば引き下がるはずですわ。心にもないことを言わせてしまいますけれど。それから、この教会の警護に数名、変装した兵士たちを当たらせます。何か危険なことがあればすぐに教会に逃げ込むようにするのですよ」
「承知しました、アルトリリア様。ですが、ご心配は御無用にございます。この教会の子たちは、リュウの手ほどきを受けてございますのでな」
アルトリリアの伴として、護衛も兼ねて一緒にやって来たシーナの背中一面に鳥肌が立った。
武之内流、というのがリュウの駆使する武術の流派の名前である。
ステルベン辺境伯領から戻る途中、馬車馬を休ませるための休憩の場で、リュウが思い出しながら語った内容は、アルトリリアにとってもシーナにとっても、史上最年少の剣聖の称号を得た天才剣士セシリア・カンフルにとっても衝撃であった。
戦場で生み出され、圧倒的に不利な小兵が大柄な完全武装の武人相手に『生き残る』ことだけを目的に編み出され、磨き抜かれた技術体系、それが武之内流兵法という、耳馴染みのない名前であるという。
卑怯な手こそ必勝法、生き残るためなら騙し討ち、不意打ち、目潰し、偽装逃走、罠、毒、隠し武器と文字通り何でも使う。
武之内流に『卑怯』『卑劣』という文字はない。もしも自分が相手にやり込められたとすれば、それは対応できなかった方が悪い。
徹底して『実践』ではなく『実戦』での生存を追求し、600年もの間歴史の片隅で磨き続けられた結晶こそが、リュウ・ノーチこと武之内隆造という男である。
齢70にしてオリンピックのレスリング金メダリスト、総合格闘技の世界チャンピオンにしてドーピングにより人体の限界を遥かに超えた怪物と真っ向から戦い、命と引き換えに片目と片腕を奪った老武術家の、技術と知識と記憶を丸ごと受け継いだ少年だ。
極められた武術をそのまま持った少年が、長命種であるエルフやノームである孤児の兄弟姉妹にその技を伝授したのは、ひとえに彼らが『孤児』という極めて弱い立場にあるからだ。
「弱き者が、圧倒的強者を相手に生き残るための技、それがリュウの使う武術と聞きましたわ。そのリュウの技を受け継いだあの子達は、果たして弱者と言えますかしら?」
「言えますとも」
司祭デアムントは迷いなく言い切ると、大きく頷いた。
「親の顔も知らずに育った幼子、戦争で家族を奪われた少年、親を眼の前で殺され、服すら奪われて裸のまま教会に逃げ込んできた少女、そして全身の骨を砕かれて息も絶え絶えで拾われた子供。あの子達は、そういう子なのです。生まれたときから屋根も床も壁も温かいベッドもあり、両親も使用人もいて、明日のパンの心配すら要らない貴族の子供たちと比べて、あの子達は弱者以外になんと申せましょうか」
「確かに、司祭の仰るとおりですわね」
「えぇえぇ。貴族様の目には、私たちのような小さな無力な者の姿など映らないのでしょう。地を這う鼠と同じに見えていることでしょう。だからこそ、私たちは学ばなければならないのだと思います」
老シスターは賑やかな声が響く庭へと目を向け、嬉しそうに目を細めた。
「あの子達が、リュウのように強く生きていくための手助けをする、それが、あの子達からこの世界をいっとき預かっている私たちが、最低限果たさなければならない義務だと思うのです」
「金言ですわね、シスター・バウフナーベル。今のお言葉、私の心に刻みましたわ」
「王女殿下、先程のお話は、確実に身を守れるアルツとレセプトに手伝わせましょう。残りの4人はまだ幼いかと」
「えぇ、結構ですわ。これからも定期的に私がここへ足を運びます。出来ないときにはセシリアかベルナデッタを寄越しますわ。あぁそれから、必ず成果をあげなければ、と気負わなくてもよろしくてよ。何かあれば報告をお願いしますわ」
「畏まりました、王女殿下」
満足げな王女は、安物の紅茶を飲み干すとシスターと司祭に倣って視線を窓の外へと向ける。
「ほらもうオーアもリペも、手ぇ洗いなさい! ちゃんと王女様にお礼言った? ありがとうございましたって。こういうときはちゃんと——こらぁシュルター! 人のを取ろうとないの! ひとり2個ずつ、ちゃんと同じ数だけ分けなさい! あぁもうアルツ兄! そこでニヤニヤしてないで、ちょっと手伝って!」
まるで子沢山の母親のような、長女レセプトの威勢の良い声が、変わらず響いていた。




