53 校長室
士官学校の屋外訓練場は広く、いくつかの区画に分けて運営されている。
走り込みを行うための外周、基礎訓練を行う区画、球技に乗馬、さらには実践形式での格闘訓練を行う場所など、安全のためにいくつも場所が分けられており、その利用には申請と予約の上で使うこと、というルールが存在する。
が、そのルールを超越するのが、士官候補生たちの『実家の爵位』であった。
下位貴族の子弟が入れた予約など、侯爵や辺境伯家といった上位貴族が勝手に上書きしてしまう。上書きどころか、下位貴族の者たちがすでに使っている設備も、上位貴族の者の気まぐれで簡単に奪われてしまう。
こういった運用が長年続いていた士官学校に変化が起きたのは、1年半ほど前。シュターガー・ランドルト大公が士官学校の校長として就任したときだ。
『段階的にではあるが、士官学校において候補生の出身家の爵位は完全に度外視する予定である。軍人に求められるのは国への忠誠と献身、そして実力のみ。爵位など戦場にあっては何の役にも立たん』
シュターガー校長の言葉に戦慄を覚えたのは生徒だけではない。教師陣にも職位だけでないく爵位による上下関係が存在し、ただでさえ複雑な職員同士の人間関係をより複雑なものにしていた。
本来であれば、Gクラス担任のマルコ・シーネ子爵も、槍術師範兼生活指導担当のグレゴリオ・マーゲン伯爵に対しては、ひたすら平身低頭、絶対服従しなければならない立場である。
が、この日マルコは、マーゲンどころか大公という貴族の頂点に位置するシュターガーに堂々と物申しに来ていた。
「Gクラスの待遇改善だと?」
「はい校長。現状の彼らに対する扱いは明らかに間違いです」
「マルコ貴様! シュターガー大公に何という物言いだ!」
「マーゲン先生、私はいま、『大公閣下に子爵として』申し上げているのではありません。『校長先生にGクラス担任』として、意見を申し上げています」
「む……い、いやしかし……」
「マーゲン、構わん。それで、具合的に改善を要するものには何がある」
士官学校校長室の質実剛健な机に置かれたマグカップを持ち上げ、シュターガーは器用にヒゲをよけてコーヒーカップを口につける。
「まずは、彼らの設備予約をBクラスやAクラスが、勝手に書き換えるのを改めさせなければいけません。嫌がらせにしてはあまりにも稚拙で陰湿、このような行いをするものが軍属、それも軍の動向を大きく左右する将校となっては、国軍の弱体化にもつながります」
「ふむ。それから?」
「校内設備の使用において、予約を無視して強引に利用した場合には、Sクラスであってもペナルティを課すべきでしょう。どのような立場であれ、軍の規律に従うということを学ばせねばなりません」
「なるほどな、道理だ。ならば具体的にどうする? 現状存在する貴族意識を今日から突然捨てよ、と言っても難しかろう」
「仰る通りです。私が真に意図するのはまさにそこです。在籍する生徒たちの、実家の爵位頼みな甘ったれた姿勢を叩き直すこと、その第一歩がGクラスの待遇改善です」
「ほう?」
シュターガーの片眉が跳ね上がる。
「ここから先は教師としてではなく、軍の機関である魔導研究所主任研究員として、シュターガー・ランドルト大公に申し上げる内容になります」
「うむ。では私も国軍総司令官として聞こう。マーゲン大佐、貴公もここからは軍人として聞け」
「はっ、了解であります閣下」
かつん、と硬い靴音を立て、マーゲンが模範のようなランドルト王国軍の伝統ある敬礼を見せる。
「閣下、私は今のランドルト王国の有り様を深く憂えております」
マルコは校長室の壁に大きく貼り出されているメディコ大陸の地図へと目を向ける。
「北と東には強大なエントラッセン帝国、南方にはショウ・カンロン王が率いるカホウ連合王国、西方には神聖サミッツ皇国。少なくともエントラッセンとは5年の不可侵条約の確約を得ておりますが、西の国境を接する2カ国とは『いつ軍事衝突が起きてもおかしくない』状況であると、そう認識しています」
「うむ、その認識は正しい。だからこそ我が国は四方に公爵家と辺境伯家を配している。先だってのエントラッセンとの衝突では、東のステルベン辺境伯家とキルルージャ公爵家がよくやった……ということになっているな」
「閣下、『ことになっている』とは何事でありますかな」
ランドルト王国北東部、通称『ステルベンの角』と呼ばれる地域で発生した紛争については、アルトリリア王女の卓越した外交能力が功を奏し、『事実上の戦勝と呼んで差し支えない講和条約の締結と、相互不可侵への合意』にこぎつけたという事実が記されている。が、そこに士官学校Gクラスのリュウやリュッケン、アルムの斥候としての動きや、和睦に至る戦略的判断にベインが関わっていたこと、それにステルベン辺境伯軍をミナの防御力が圧倒した事実については記されていない。
「アルトリリアから詳しく話を聞いた。今回のステルベンの角での紛争で功績を上げたのは、Gクラスの連中であったようだな。Gクラス筆頭のベイン・ジーケンハウスに至っては『ランドルト王国軍に勝ち目なし、即時和睦が最良の結果である』と判断したようではないか。事後報告を受けた筆頭軍師のヘルセネンと全く同じ結論に、Gクラスの、貧乏準男爵家の小童がたどり着いたのだぞ。辺境伯が領土奪還のための総力戦を考えていたその時点でだ。この事実に加え、Gクラスの連中の功績が『Gクラスである』ということを理由に記録されぬ。これこそが、現状の軍のあり方の最大の問題点を示唆している。そうは思わんかマーゲン大佐」
「はっ……」
「まさしく、大公閣下の仰るとおりかと。現状の我が王国軍は、爵位優先での人材配置になっています。ほぼ唯一の例外が筆頭軍師のヘルセネン子爵でしょう。彼以外は、ほぼ全員の軍の階級が爵位に比例しているような状況です。現状であれば、Gクラス出身で準男爵家のベイン君は、どれだけ昇進しても中尉止まりでしょう。紛争の戦局を大きく変えることができるほどの軍才の持ち主が、せいぜい最前線の中隊長にしかなれません。彼の策が起死回生、捲土重来を実現する乾坤一擲の一手になるものであっても、誰も耳を貸しません。なぜならば彼がGクラス出身の、準男爵家の出自だからです」
ふむ、と小さく呟いてシュターガーはコーヒーカップを静かに机に置いた。
「もし私がベイン君の立場なら、不遇を嘆いて国を捨て、家族を連れてエントラッセン帝国へ亡命。彼の国で平民出身の将軍として名高いヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍のもとで軍略を練るでしょうね」
「そうだろうな。私でもそうする」
「か、閣下!?」
思わぬ大公の返事に声を上げたのはマーゲン伯爵だ。
国王の、腹違いとは言え実弟であり、貴族の頂点である大公という立場にあるものが国を裏切る選択を支持するなど、断じて有ってはならないことだ。
「落ち着けマーゲン。例えばの話だ。今すぐに国を棄てるとは言ってはおらん。私がやるとするなら、兄上を玉座から蹴落として私が国を奪う、という方が手っ取り早いがな。まぁそれでも、現状の貴族階級最優先の社会を受け継ぐよりは、外から破壊して全くの焦土から再建したほうが楽ではある」
「か、閣下……お言葉をお控えください。どこに誰の目と耳があるかわかりませんぞ!」
「仮にも王弟である私に盗み見や盗み聞きをする不逞の輩がはびこるような国なら、そのような腐りきった国であるなら、なおのことだな。そうだろう? キルルージャ公爵家の小倅。そこで何をしている、私に用があるのだろう? さっさと入れ」
マルコとマーゲンの視線が校長室の閉ざされたドアへと向けられる。
しばらくの沈黙の後、マーゲンは珍しく足音を立てずにドアへと歩み寄ると、勢いよくドアを開けた。
「うわっ!?」
ドアに押し飛ばされるかのように転び、校舎の廊下に尻餅をついていたのはロレンツォ・ド・キルルージャ公爵令息であった。
「貴ッ様……盗み聞きとはそれでも士官候補生かァ! 来い!」
「ま、待ってください先生! 私は何も聞いていません!」
「それを決めるのは貴様ではない! 吾輩だ!」
まるで猫のように首根っこを捕まれ、片手で持ち上げられたロレンツォは、質実剛健な応接用の椅子に座らされる事となった。
「さて、どうする? 殺すか」
シュターガー・ランドルトの重く、低く、そして冷たい声に、ロレンツォは震え上がった。
公爵家の嫡男であっても、所詮まだ17歳にもならない少年である。数多くの戦場を駆け巡り、大将軍兼国軍総司令官という軍の頂点にある壮年のエルフの男の眼力は、世間知らずの少年の動きを封じるのに充分な迫力を持っている。
「機密の漏洩、不正な取得は軍法会議ものだね? ロレンツォ君。君も知っていると思うが、士官学校では市井の法律ももちろんのこと、軍の規律が重要視される。当然、軍の規律に違反した場合は軍法会議にかけられることもある」
「ま、待ってくださいマルコ先生! マーゲン先生も! 私は本当にその、校長先生への嘆願書を持ってきただけで!」
「ほう、ならその嘆願書とやらを見せてみろ、小倅」
ずい、とシュターガーが差し出した手に、ロレンツォは恐る恐ると言った様子で封蝋を施した書簡を差し出した。
「父親に代筆でもさせたか、それでなければ軍の現場を知らんキルルージャ公爵の、世間知らずな物言いを書いたものか……どちらだ」
「どちらでもありません。その書簡は私が自分で書いたものです。内容については父、キルルージャ公爵の承認を得ております。かなり渋られましたが」
「ほう」
軽い音とともに封蝋が割られ、丸められた書簡がテーブルに大っぴらに広げられる。
ロレンツォが止めようと手を伸ばしかけたが、マルコの冷たい視線がその手の動きを許さなかった。
「ロレンツォ君、大公閣下が、シュターガー校長先生が書簡を確認中ですよ?」
「い、いえ、あの、その書簡はその、校長先生への極秘の親展でありまして」
「ロレンツォ・ド・キルルージャ! 起立! 気をォ付けィ!」
まるで条件反射のようなすばやさでロレンツォはその場で直立不動の姿勢をとった。
士官学校の学生にとって、マーゲンの号令は朝の始業を知らせるラッパの音と同じく、条件反射的に身体が動いてしまうほどに叩き込まれている。
「軍にあって上官の命令は絶対であァる! 慎めィ!」
「はっ! 申し訳ありません!」
「小倅、この書簡の内容はキルルージャ公爵も承知していると、そう言ったな?」
「はっ! 父も承知しております!」
「ふん……なるほどな」
書簡を黙ってずい、とマルコに差し出したシュターガーの口ひげは、口角が明らかに上がっていることを示すようにその形を歪めていた。
「面白いことを考えたではないか小倅、良いだろう。やってみせろ」
「大公閣下、こやつは一体何を——」
マーゲンが書簡を覗き込む。
その書簡には、『士官学校内において、毎月1回のクラス対抗訓練試合を執り行い、研鑽の場としたい』と記されていた。
「分かっているのだろうな小倅、仮に、また、再び、性懲りもなく、SクラスがGクラスに敗れるようなことがあれば、それは公爵家を始めとしたSクラスの者たちの家門にも泥を塗ることになる」
「承知の上です。Sクラス15人全員の実家からも、了解を取り付けました。もちろん、ステルベン辺境伯家からも」
「そうか」
シュターガーは短く答え、満足げな笑みを浮かべて、すっかり冷めたコーヒーカップへと手を伸ばす。
「本来そうでなければならん。若き士官候補生が切磋琢磨し、しのぎを削り、時には血と汗を流して鍛え合うのが士官学校だ。構わん、許す。マーゲン、手伝ってやれ」
「はっ! 了解でェあります!」
「その訓練試合、士官学校の理事も視察をするとしよう。そうでもなければ新任の理事にどやされかねんからな」
マルコとマーゲン、そして直立不動のまま動けないロレンツォも顔を見合わせる。
「なんだ、知らんのか? 新任理事はアルトリリアだ。それにシーナ・ステルベンは盾術講師、ベルナデッタは軍学の正式な講師として就任している。それにセシリアは剣術師範だ。生徒たちにも一切手を抜かず厳しく指導するよう申し付けてある。キルルージャの小倅、貴様も楽しみにしているんだな。セシリアの指導に1週間以上耐えられたものは、国中探しても5人もいない」
この時、語ったシュターガー自身もまだ把握していなかった。
その5人のうちひとりが、2年Gクラスの筆頭、ベイン・ジーケンハウスであることを。




