51 エントラッセン帝国
「で? その小娘は使えそうか? ヴィルヘルム」
「御意に、陛下」
石造りの重厚な広間の、ひときわ高いところにある玉座に腰掛けているのは、やたらと小柄な女だった。
長く伸びた耳に白銀の髪、そしてメガネの奥にある美しい青緑の瞳は、玉座から少し離れた場所で跪く老将を見おろしている。
「第13王女アルトリリア……確かデアハルス王国の才媛ディートリッヒの忘れ形見か。ということはさぞ叡明であろうな?」
「は。さすがはデアハルス王国の血脈、論理的な思考の明快さに、その胆力は突出したものであります」
「ディートリッヒは余の友でもあったが、惜しい女を亡くした。あのベネディクトなどという愚物に奪われさえしなければ、余の友として、側近として取り立てていたであろうに」
「惜しい人物でありました。穏やかで慈悲深く、それでいて聡明。あれほどの人材はそうはおりますまい」
「それが何の因果か、よもやあの愚王の子を産まされた挙句、たった200歳で命を落とすとは……いかんな、思い出すだけで腸が煮えくり返る思いだ」
「同感であります、陛下」
エントラッセン帝国は、もうすでに数百年に渡りたった1人の女帝が治めている。
アン・エントラッセンは、かつてはエルフ族の小国の女王であった。
強大な魔力を持つ魔導兵団を率い、周辺諸国を次々に併呑し、メディコ大陸の大半を領有する一大帝国をたった一代で、エルフ族としては僅かな時間であるほんの180年で作り上げた。
以来、実に600年にわたり、玉座の主であり続けている。
「ヴィルヘルム」
「はっ」
「その小娘は、大望を成し遂げられると思うか」
「は。必ずやあの王女ならば、成し遂げるでしょう。講和会談の場に連れていた2人の護衛を見れば、かの王女の持つ手駒が伺えます」
「ほう? その手駒については報告に書いておらなんだな? 聞かせよ。顔を上げよヴィルヘルム」
「御意に」
ヴィルヘルムはゆっくりとした所作で顔を挙げる。
老将のすぐ隣に控える参謀長レザーマン・ネッケンは、まだ顔を伏せたままである。
「護衛は2名、武装護衛は1名のみと限定しておりました。アルトリリア王女が連れておりました武装護衛は、ランドルト王国北方のカンフル辺境伯家令嬢、セシリア・カンフル」
「ほう、史上最年少でグランドマスターの認可を受けたという、あの天才剣士か。なるほど、剣聖が護衛についておればこそ、王女が丸腰で敵陣喉真ん中に乗り込めたということだな」
「いえ陛下。小官にはもう1人の護衛のほうが不気味に映りました。名はリュウ・ノーチという、平民出身の士官学校の1年生、Gクラスとのことです」
「ほう?」
美しく聡明な女帝の目が見開かれ、片眉が跳ね上がった。
「かの貴族主義なランドルト王国にあって、平民出身の、しかも士官学校の1年生。それも最底辺のGクラス……おまけにそ奴は武装しておらなんだのか」
「御意に。防具の1枚も身に着けず、身体検査はしておりませんが、おそらくは身に寸鉄すらも帯びてはいなかったでしょう」
「左様なものを護衛として連れてきたか……かの慈悲深き才媛ディートリッヒの娘が、平民とは言え子供を盾代わりにはすまい」
「は。かの少年の身体の運びを観察しておりましたが、足音がしませんでした。それに、常にこちらの隙を伺っておりました」
「ほう、面白いではないか。よもや歴戦の猛将ヴィルヘルム・エレンボーゲンを丸腰で仕留められる、そんな自負でもあったか?」
「いや、正直生きた心地がしませんでしたな……何度かその小僧を仕留めるとしたら、と考えてみましたが」
「うむ」
「こちらが返り討ちにあうことが、手に取るように。恐らくは10回戦って7回……いや、8回は命を取られる結果となるでしょう」
「ほほう、常勝のヴィルヘルムを8回殺せるコドモか、面白いではないか」
女帝の口角が上がり、楽しそうな笑顔を浮かべる。
ヴィルヘルム・エレンボーゲンは、自身はさほど武に優れるわけではない。
ただ、長年の経験と最新の軍学、さらには戦史研究の大家としても知られるほどの智将であり、無駄な犠牲を出さないことで賢将としても知られる男だ。
武に優れるわけではない、といっても、それは帝国軍の将軍の水準においてであり、直接切り合えばニンゲン族の軍人ルイ軍曹との一騎打ちであれば、一合も交えずに少佐を討ち取れるほどの腕前である。
一般の水準であれば圧倒的強者に属し、ましてや士官学校に通うと16歳のニンゲン族の少年など、片手のハンデをやっても余裕でねじ伏せられるはずであった。
が、そのヴィルヘルムをもってしても、返り討ちにあう未来しか予測できないとなれば、女帝アンが把握する限りランドルト王国軍において最上位に近い武力を持ち合わせていることになる。
「ようやくランドルト王国も、市井に埋もれる民の力を引き上げることの重要性に目覚めたか」
「いえ陛下、どうやらその点に目覚めている王族は、まだ2人しかおらぬようですな」
「ほう、アルトリリアとあと一人は誰だ」
ヴィルヘルムは静かに息を吸い、低い声で答える。
「王弟、シュターガー・ランドルト大公でありましょう。かの大公は一昨年より王立士官学校の校長に就任しているとか」
「なるほどな、それで平民を士官学校に迎え入れた、ということか……その少年が5年の不可侵条約の期間中、どう化けるのか楽しみではないか。のう? 将軍?」
「御意に。よもやこの年になって、若き武の才に心躍らされることになるとは、思いもよりませんでした」
「はははっ、それは良いことだ。お互い年寄りになったからな。老人には若い刺激がよい薬になろう。まだ引退は許さんぞ、ヴィルヘルム」
「これはこれは、陛下も人使いが荒いことで」
「当たり前だ。まだまだ日向で猫を抱いて過ごすには早すぎる。では、レザーマン」
「はっ」
老将ヴィルヘルムの後ろに控えるレザーマン参謀長は、平伏したままで鋭く返事を返す。
「ランドルト王都とステルベン辺境伯領、それにカンフル辺境伯領へ間者を送り込め。定期的にかの国の内情を知らせよ。それから魔導ジャマーの量産を急ぐのだ」
「御意に」
女帝アンは小さく指をパチンとならす。
すぐさま、まだ年若いエルフ族の少女たちが現れ、女帝の脇に丸テーブルと、蒸留酒の入ったカットグラスを差し出した。
「愉快だ。実に愉快であった。ヴィルヘルム、レザーマン、近う寄れ。お前たちも一杯付き合え。240年ものの良いブランデーが手に入った」
「これはこれは、陛下は人の扱いがお上手でいらっしゃる」
「であろう? 余はこれでも玉座に座って長いのだ。ベネディクトのような小便臭い小僧と同列にみるでないぞ?」
「ははは、もちろんですとも」
若々しく美しい女帝の細い手の中の、重厚なカットグラス。
琥珀色の液体に濡れた、正24面体にカットされた氷が、からん、という美しい音を奏でた。
エントラッセン帝国は、メディコ大陸随一の工業国家である。
豊富な鉱産資源を産出する大規模鉱山に、食糧を産出する広大な農地、さらには大規模な施設をもつ不凍港をいくつも抱え、大陸間交易すら成功させている。
大陸では文句なしの覇権国家、かつ世界でも有数の技術先進国でもある。
太古の昔に存在したという、魔石を使用した動力機関の復元に成功して以降、『エントラッセンの奇跡』とまで呼ばれた大規模な産業革命をわずか100年で成し遂げた。
他国の追随を一切許さない富国強兵を実現したエントラッセン帝国は、大陸の小国を次々と構成国として庇護下に置き、長く戦乱が続いていた大陸に平和と繁栄をもたらし続けている。
その小国のひとつが、アルトリリアの母ディートリッヒの生まれ故郷、デアハルスであり、かつてフランシスコ5世王が統治していたランドルト王国である。
「仮にだ。アルトリリアとかいう小娘がコトを成し遂げた暁には、デアハルスの国号を赦してもよい」
「それはまたずいぶんと、良い『飴』でありますな」
「余を侮るでないヴィルヘルム。余も伊達に600年、この国を治めておるわけではないぞ? アメとムチの使い分け程度は心得ておるわ」
からん、とグラスの中の氷を鳴らして女帝はブランデーを口に含む。
強い酒精が通り抜ける、喉を焼くような感触をひととき愉しんで、丁寧にグラスを弄ぶ。
「道理が通らぬ話ではあるまい? 余の友ディートリッヒの娘であれば、デアハルス王家の直系であろう。代々女王が治めていたかの国では、王位継承権第一位は女王の長女であったはず。ならばデアハルス最後の女王、ハイデマリーの長女ディートリッヒの一人娘、アルトリリアがデアハルス王家を復興するは至極当然といえる理屈ではないか」
「御意にございますな。それに陛下が、かの『正しき者の国』と呼ばれたデアハルス復興に手を差し伸べた、ともなれば、帝国内の陛下への信望もより篤いものとなりましょう」
「であろう? おまけにあの愚物、ベネディクトが卑劣にも奪い取った領土を削り取れるのだ。余にとっては憂さ晴らしと意趣返しも出来る。これほど痛快なこともあるまい。レザーマン、もうひとつ仕事を追加だ」
「は、謹んで承ります、陛下」
レザーマンはグラスをひと息で空にして、女帝の足元に跪いた。
「余が直筆で文をしたためる。密かに届けよ」
「御意に。文の宛先は」
女帝が、美しく繊細な螺鈿細工の施されたテーブルに『かん』と小気味良い音を立ててグラスを置く。
「決まっておろう、アルトリリア・ランドルトだ。誰かある、ペンと便箋をもて」
女帝の声に、即座に反応した女官たちが高級な万年筆と上質紙の便箋を差し出した。
極めて頭の回転の速い女帝の指示に即座に答えられるよう、女官たちは常に様々な用意を整えている。
「ふふふ……さて、何を見せてくれる小娘。見事万難を排して余の前にその顔を見せに来られるか、楽しみでならぬわ。このババアを楽しませてくれるか、それともデアハルス復興を成し遂げられず歴史の藻屑と消えるか……せいぜい足掻くがよいぞ」
女帝が美しい筆致でペンを走らせる便箋には、誤解や誤読の余地など一切ない、明確な女帝の意思表示が記されていた。
『ランドルト王国からの分離独立を成し遂げた暁には、アルトリリア・ランドルトにアルトリリア・デアハルスの名とデアハルス王国の国号を、エントラッセン帝国皇帝アンの名において赦すものとする』
女帝、アン・エントラッセンの署名が記された短い手紙が、アルトリリアが母から受け継いだ質素なウォルナット製の机に密かに置かれていたのは、そのわずか3日後のことだった。




