50 進級の季節
ランドルト王国王立士官学校には、毎年進級試験というものがある。
当然のことながら、卒業にも試験があり、試験に合格しなければ進級することも卒業することも出来ない。
在学する生徒の多く、正しくは『ただひとりを除いて』全員が貴族の師弟である士官学校においては、留年は家門の恥とされ、実家から問答無用での退学を命じられることが多い。
とはいえ、上位クラスに関してはこの試験はほぼ有名無実のものと化しており、事実上Fクラス以上の者は試験を受けなくても『不思議な力』で点数が割り振られることで、進級や卒業が保証されていた。
そう、『されていた』のだ。
「これはどういうことだ! このことは父上に報告するぞ!」
この日、士官学校の職員室は騒然としていた。
大勢の学生達、特に伯爵家以上の爵位の家の子弟が大挙して押し寄せていた。
彼らの手に握られていたのは、『留年通知』という無慈悲極まる文書である。
「こんなことは前例がないわ! 私を誰だと思ってるの! 伯爵家を蔑ろにするつもり?」
特に慌てているのはCクラス以上の、いわゆる上位クラスの者たちだ。
3年生にいたっては、卒業後軍への就職や武官、文官としての宮廷勤めが内定していたものも非常に多かった。
それらの就職は、士官学校を卒業することが大前提となっており、いかに高位貴族とは言え『士官学校を卒業していない状態での就業』は国法や軍規により禁じられている。
「こんな横暴が認められるか! 伯爵家として絶対に認められんぞ!」
「一体誰なんですか、こんなバカなルール変更をしたのは! 私を誰だと思っているの!」
「断固抗議する! 教師といえども、俺の父上の方がはるかに上なんだからな! 首を洗って待っていろ!」
「えぇどうぞ。異議や抗議がありましたら、是非ご実家のご当主より文書でお送りください。その文書は全て校長にお渡ししますから」
今にも掴みかからんばかりの剣幕でまくしたてる3年生、それに留年が確定した1年生や2年生達は、『校長』の言葉でぴたりと黙り込んだ。
「皆さんご存知でしょう? 士官学校の方針に抗議するということは、校長への抗議にほかなりません。ベネディクト4世陛下の実弟にして軍総司令官、大将軍兼士官学校校長、シュターガー・ランドルト大公への明確な抗議、軍人として断じてあるまじき命令不服従行為です。確かにこのマルコ・シーネが承りました。えぇと、そちらのロウケミ公爵家の三男アンデルセン君に、トワールフ伯爵家長女ヤン君。ハルン男爵家次女ヘンリエッタ君、あとはギネ伯爵家次男イゴール君。来週までにご実家のご当主より、王弟殿下に対する抗議文を提出してください。士官学校校長の決定に対する明確な異議申し立てですからね。実家を持ち出した以上、この期に及んで『そんなつもりじゃなかった』などという言い訳は通用しませんよ?」
若き貴族の子弟達は、魔法陣学教師マルコ・シーネの言葉で、イヤでも理解せざるを得なかった。
彼らはたった今、爵位を絶対の階級とするランドルト王国において、貴族の世界の圧倒的頂点、大公の地位にある王弟シュターガー・ランドルトに対して、公然と異議を唱えたことになる。
おまけに『父上に報告する』だの『伯爵家として認められない』などと、実家の爵位や当主を持ち出した以上、たとえそれが子弟の言葉であっても家門をかけたものとして扱われる。それがランドルト王国の貴族社会の不文律だ。
故に、例え嫡男であっても軽々しく家名を持ち出すことは禁じられることがほとんどだ。
「さ、これでよろしいですよね、マーゲン先生?」
「うむ。本来ならばこれがあるべき姿である。学生同士が切磋琢磨し、学んだ結果を試験で発揮し、実力を示した上で進級、卒業する。本来士官学校とは、軍における優秀にして有能な人材育成を目的とした機関。進級試験に卒業試験など『失敗しても命までは失わない』程度の試練ごとき、通過して当然である」
ノーム族の豪傑、グレゴリオ・マーゲン伯爵の睨みは、戦地に有っては屈強なドワーフの重装歩兵をも立ち止まらせるほどの圧力がある。
ましてや相手は苦労知らずの貴族のお坊ちゃまにお嬢様だ。本物の修羅場をくぐり抜けた男の眼力に耐えられるはずもない。
ただひとり、偶然担任の元を訪れた獣人族の少年を除いては。
「ちーっすシーネ先生、Gクラスの課題持ってきましたぁ」
「あぁリュッケン君、ありがとう。助かりました。これでGクラスは全員、2年次に進級確定です。おめでとう」
「あざっす。でも担任はシーネ先生なんすよね? あんま変わんねぇなぁ」
「あはは、まぁそうですね。基本的にクラス担任が変わることは『よほどのこと』がない限りありませんからねぇ。ストマック先生みたいに」
「あー、あのおっさんっすか。元気してんですかね、あのいけ好かねぇハゲのおっさん。……や、今のはマーゲン先生のことじゃないっすよ? 同じハゲにしてもあっちのハゲはダメな方のハゲっていうか——」
「ふん。誰かと思えばGクラスのリュッケンか。ストマックならつい先日、爵位を剥奪されて鉱山での強制労働に出ておる」
「え、マジすか⁉ 何やらかしたんですあのおっさん! 詳しく!」
立ち尽くしている高位貴族の子弟達をあえて無視してか、マーゲンは身体ごとリュッケンの方を向いて腕を組む。
みしぃ、という変な音を立てて腕の筋肉を覆う服の生地が悲鳴をあげた。
「ふん、吾輩が語るべきことなど特段大したことはない。あの愚物はこの学校をクビになった後は、酒と女に溺れた。結果、よりによって他家の貴族の令嬢を娼婦扱いしてな。訴訟を起こされた上に敗訴して、白金貨5000枚もの賠償金の支払いを命じられておる」
「うーわ、大金過ぎて全然想像できねぇやつだ……」
「ちなみにリュッケン君、白金貨1枚は、金貨100枚と同じだよ」
「ってことは——金貨50万枚⁉ うげマジで⁉ そんなのエルフが一生かかったって払えねぇ!」
「そうだねぇ。一般に、王国軍兵士の年俸が金貨50枚。つまり兵士が1万年休まず働いて得た俸給を残らず捧げてようやく、という金額だね。ストマック先生はもともと男爵だったけど、中央貴族で男爵位だと国からの俸給は金貨800枚程度だからね。毎年500枚ずつ払ったとしても1000年はかかるかな?」
「到底払えるわけがない。結局は支払いの滞納を繰り返して、結局資産と爵位を剥奪されて今は借金奴隷として鉱山労働中だ」
職員室に集った公爵家、伯爵家、辺境伯家の子息達を完璧に無視して、リュッケンはいつも通りの軽口を叩いている。
準男爵家のリュッケンは、本来であれば他派閥であれ上位貴族となる彼らを無視することは許されない。おまけに彼らは全員が3年生で、当然卒業できると考えていた者たち。
「おい1年! お前どこの家のものだ! 無礼にもほどがあるぞ!」
「へーへー、さーせーん。じゃシーネ先生、なんか怖いパイセンがガチギレしてますんで、俺逃げますねー」
「はい、ありがとうございました。どこかのSクラスと違って、Gクラスの諸君は提出物の集まりが良くて助かりますよ」
「でしょ? じゃ」
軽く手を挙げて職員室を後にしたリュッケンを、留年が確定した3年生達が追いかけようと振り返る。
が、俊足にして抜群のスタミナを誇る赤狼族で、おまけに武之内流の鍛錬と毎日の30キロもの走り込みを余裕でこなすリュッケンの姿は、もう職員室にはない。
「さてと、では諸君はご実家から王弟殿下への抗議文を提出してください。当然、これは士官学校への提出書類になりますので、提出がなければ校長であるシュターガー・ランドルト大公からご実家へ直接ご連絡が行くことになります。早めに提出をお願いしますね?」
シーネの言葉に、4人は言葉を失って立ち尽くす。
が、士官学校においてはそれすらも許されない。マーゲンは4人の3年生の真ん前に仁王立ちで立ちはだかった。
「気をォ付けィ!」
反射的に4人が気を付けの姿勢になる。校内において、豪将マーゲンの号令に逆らえるものは現在5人しかいないのだ。
「回れェ右ィ! 駆け足! 進めェい!」
「あ、提出期限は今週中ですからね? 忘れないようにしてくださいねー?」
シーネの言葉が届いているか否かは定かではなかったが、4人の留年は現時点でほぼ確定事項となっている。
なにしろ4人の子息達は、自分たちが喚き散らしている職員室の一角に、卒業が確定し士官学校の理事となることが内定しているアルトリリア・ランドルト王女に加え、王女の叔父にして校長、シュターガー・ランドルト大公がいることにすら気づけなかったのだ。
「……というような有様ですわ、叔父様」
「士官候補生も質が落ちたものだ。これも陛下の……兄上の姿勢の影響というものか」
「間違いありませんわ。やはり国のあり方を変えるには教育から変えるべきではありませんこと?」
「リリアは相変わらずだな。小さい頃から聡い子だった。父に似ず母親の血が強く出て本当に良かったな」
「あら、お上手ですこと。褒めても何も出ませんわよ?」
「これ以上出されてたまるものか。こんな厄介なものを出して来ただけでも十分だ」
シュターガー・ランドルトの前に置かれた書類には、『王立士官学校改革プロジェクト』と表題された分厚い書類の束。
署名の筆頭には第13王女アルトリリア・ランドルトに、カンフル辺境伯家令嬢セシリア、ステルベン辺境伯家令嬢シーナ、さらには筆頭軍師であるヘルセネン子爵令嬢のベルナデッタが名を連ねている。
「叔父様、私こう見えても、本気で国を憂えておりますの。叔父様に負けないくらい」
「ふん、生意気だな」
「あら、生意気でない王族など、孤児院の子どもたちにも劣りますわ。彼らは日々を懸命に生きておりますもの」
「まるで我が兄が、甥達がそうではないとでも言いたげだな。不遜だぞ?」
「お褒めに預かり光栄ですわ、叔父様」
うふふ、と優雅に笑うアルトリリアは胸元のポケットからさらに1枚の折りたたんだ書状を取り出し、叔父に差し出した。
多くの国民や官僚が、シュターガーが王位につかないことを嘆き悲しんだ、とまで言われる聡明な王弟、シュターガー大公が、同じく叡明で知られるアルトリリアの差し出した書類を広げ目を落とすと、ピクリと片眉を跳ね上げた。
「叔父様、私には理想とする国の姿がありますの」
「……ふん、さすがは『デアハルスの宵闇を照らす月』とまで呼ばれた才媛、ディートリッヒの娘だ。もしもディートリッヒが正妃であれば、兄も今よりいささかはマシであったかもな」
「あら、私は今の境遇を嘆いておりませんわ。むしろ『こう』で良かったとすら思っておりますの」
アルトリリアは、まるで仲の良い叔父に楽しい話を聞かせる姪のように、にこやかに笑って見せる。
「だって、今の父上なら、何のためらいもなく切り捨てられますもの。叔父様もそうなのではなくて?」
王弟シュターガー・ランドルト大公は答えず、ただアルトリリアの差し出した紙片を、丁寧に畳んでポケットにしまい込んだ。




