44 講話成立
アルトリリアとセシリア、そしてリュウがステルベン辺境伯の砦に戻ってきたときには、辺境伯は『殿下の御身に傷のひとつでもついていたら、私は自害する』と騒いでいた。
が、3人共が悠然と歩いて戻ってきた姿に、ステルベン辺境伯領の面々は胸をなでおろした。
リュウにいたっては本当に姉2人と一緒に出かけた散歩から帰ってきた少年のように、まったくなんの緊張感も悲壮感も持たずに、呑気に木の棒をくるくる回しながら歩いていたのだ。
「お、何だよリュウ、なんかいい感じの棒見付けたじゃん」
と、男子にしかわからない言葉をかけたリュッケンに、歯を見せる笑みを浮かべたリュウは『良いだろ、やらねぇよ』と軽口を叩いてみせた。
「もう、男子って子供なんだから」
「コドモなリュウ……うん、カワイイ」
と、ミナとアルムも実に『らしい』反応を見せる。
「良くぞ無事でお戻りを! 殿下!」
「出迎え感謝しますわ、辺境伯。早速ですけれど、状況を共有しておきましょう。会議室をお借りできますかしら?」
「もちろんです。それで殿下、和睦は——」
「講和は無事に成立しましたわ。細かいことはこれから共有します。イザーク少佐、それにルイ軍曹」
「はっ」
アルトリリアが悠然と口を開くと、すぐ傍で2人の軍人がアルトリリアのもとに跪いた。
「ルイ軍曹、あなたは辺境伯軍全体に、帝国軍との和睦が成立した。今後帝国軍との戦闘行為は、理由と事情の如何にかかわらず王女アルトリリアの名において厳に禁ずる、という旨を知らせなさい。大至急、周知徹底させるのです。良いですね? 最優先事項ですわよ?」
「はっ! 御意のままに!」
ルイは勢いよく立ち上がり、大声でわめきながら訓練場へと駆けていった。
「イザーク・アンビュランス少佐、あなたは王都の国王陛下と筆頭軍師のヘルセネン子爵に、ステルベン辺境伯領東部、ステルベンの角の地域における帝国軍との紛争は、完全かつ最終的に決着し、国境を回復した状態での講和条約締結に成功した、とお伝えなさい」
「はっ! ……って……で、殿下! それは本当ですか!? 国境を回復した状態というのは!?」
「えぇ、本当ですわ。帝国軍のヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍との調印文書については辺境伯から国王陛下に提出して頂くとしましょう。少佐はまずは第一報を。王都での混乱と不安を鎮めるのが先決ですわ」
「御意に! さ、さすがは叡明で知られるアルトリリア殿下です……まさかそんな、困難な交渉を1日で成し遂げるなんて」
「ふふふ、こういうときに役に立たなくて何のための王族だというのです? 私が国民の血税で、民の生き血をすすって生きているのは、こういうときのためですわ」
ざっ、と鋭い音を立て、イザーク・アンビュランス少佐は王女アルトリリアに対して最敬礼の姿勢をとった。
「このイザーク・アンビュランス、軍人として、一人の貴族として、アルトリリア殿下の高潔なる御心とその類まれな交渉力、政治力に心から感服いたしました!」
「あら、嬉しいですわ、アンビュランス子爵。それでは、これからもステルベン辺境伯と民のため、それに、私のためにその力を振るうのですよ。期待していますわ」
「はっ! ではすぐに、王都へ知らせて参ります!」
「えぇ、よろしく頼みますわよ」
イザークも、ルイに負けず劣らずの勢いで駆け出して行った。
2人の背中が見えなくなるまで見送った王女アルトリリアは、いつもの優雅な微笑みを親友であるシーナやベルナデッタ、そして可愛がっている後輩たちに向けた。
「さて、まずは大切な話からしましょうか、辺境伯?」
「はっ。ではこちらの会議室へ」
本来ならば、講和成立についての会議など、未成年であるGクラスの面々はもちろんのこと、『令嬢』であるベルナデッタやセシリア、シーナは同席が許されないものだ。
が、今回はアルトリリアが『彼らも後々必要です。それに、彼らは士官候補生ですから』というゴリ押しで全員を会議室にとどまらせていた。
全員が席につき、さらに全員の前に温かい紅茶と焼き菓子が配られるまでたっぷり数十分待ってから、優雅にアルトリリアが立ち上がる。
「ベイン君、ベルナデッタ、地図をこの黒板に貼り出してくださいます?」
「了解」
「はい殿下」
2人の参謀候補は、まるで示し合わせたかのように同時に立ち上がり、地図を全員が見えるように、黒板に貼り付ける。
「結論から言いますわ、ステルベン辺境伯。よろしくて?」
「はっ、お願いします殿下」
「先ほどもイザーク少佐に伝えましたけれど、講和は無事に成立。講和条件はいくつかありますけれど、ステルベン辺境伯が最も懸念されている国境線については、今年初めの時点、つまり今回の紛争前の時点の国境線を保持するという内容で決着しましたわ」
「な……そ、それは、その……本当ですか、殿下」
「えぇ。こちらが帝国軍の総司令官、ヴィルヘルム将軍との合意文書ですわ」
丁寧に巻かれた羊皮紙は、セシリアが鞄から取り出したものだ。
辺境伯の手にわたった羊皮紙には、ヴィルヘルム将軍の印章とアルトリリアのサインが並んで記載され、さらには割印のように途中で途切れたものもある。
これは、双方の手に同じ文書が1通ずつある、ということを示す国際的な慣行だ。
さらに、合意日付についてはメディコ大陸で共通で使用されている暦で、今日この日の日付が記されている。
間違いなく、アルトリリアが帝国と直接の交渉の末『勝ち取った』と言える講和条件であった。
ひとつ、ランドルト王国軍は、国境地帯における突端部、ランドルト王国内での通称『ステルベンの角』地域内における紛争行為を直ちに、無期限に停止する。
ひとつ、メディコ大陸暦206年1月1日時点における国境線が、本講和締結時点において有効であることを両国ともに確認するものである。
ひとつ、メディコ大陸暦206年、4月11日より行われた紛争において両軍が捕縛した捕虜は、無条件で全員を解放し帰国させるものとする。
ひとつ、エントラッセン帝国軍は、ステルベンの角地域に展開した全部隊を可及的速やかにエントラッセン帝国領内へ移動する。
ひとつ、両国が捕縛した捕虜について、帰国時点において負傷ある場合は、捕縛側の国の費用と責任において治療を施したのち帰国させるものとする。
ひとつ、本紛争における賠償金および領土の割譲は、互いにこれを請求しない。
ひとつ、本紛争において発生した死者は、死者の属する国が責任を持って埋葬する。
ひとつ、本紛争において発生した傷病者については、所属する国において治療行為ならびに補償を行い、その費用は所属国が負担する。
ひとつ、エントラッセン帝国は、紛争地域において行われた破壊または地形の変更等について一切の責任を負わず、原状回復を行わない。
ひとつ、エントラッセン帝国とランドルト王国は上記条件について誠実に履行することを確認し、かつ迅速な履行を確約するものである。
ひとつ、エントラッセン帝国とランドルト王国は、本講和締結に合わせ、5年間の相互不可侵条約に合意し、後日正式文書にて条約を締結することを誓約する。
「以上が、今日の会談で決定した内容ですわ」
「なんと……アルトリリア殿下、よくぞこれだけの条件を……」
「ホントだよな。なんで帝国は攻め込まなかったんだ? こんなんやってられっかー! って攻め込んでくれば、確実に勝てるんじゃねぇの?」
「小僧! 言葉を慎め! 戦争の何も知らんガキめ!」
「いいえ辺境伯。むしろ士官候補生の身で、よくそこに気付いたとリュッケンを褒めるべきではなくて?」
心の底から嬉しそうに、アルトリリアはにこりと微笑みを浮かべて顔をリュッケンと、納得行っていない表情のアルム、リュウたちに向ける。
「戦争というものは、始めるのは容易いものですわ。ですが、終わらせるのは至難の業ですの。そうですわね? ベル?」
「その通り。ぶっちゃけた話をするとだ。戦争は極めてコスパが悪い外交行為なんだよ。ちょうどいい、これも軍学の講義だ。その耳の穴かっぽじってよく聞き給え、ド底辺諸君」
なぜか、というよりももはや『いつも通り』といえるドヤ顔で、ベルナデッタが黒板に張り出された地図の前に立つ。
「まずリュッケン、戦争論の基礎だ。戦争とは何か、と問われたらなんと答えるかな?」
「へ? 戦争とは何か、って、そりゃあ国同士がバチバチにやり合ったら戦争っしょ?」
「まぁそうだね、かなりざっくりしてとんでもなく大雑把だし、具体性なんて欠片もないが、まぁ方向性としては合ってる。ギリギリ及第点だね」
「……すっげぇ、ここまでビタ一文褒められた実感がない褒め言葉って初めてだよ……」
「だ、大丈夫だよリュッケン、私もあんまり良くわかんないから」
「そこ、ミナくんも。君もリュウやアルムと同じく、僕の講義中にウトウトしているのは知っているからな? 学校に戻ったらテストをするから覚悟していたまえ」
Gクラスの面々のうち、ベイン以外の4人は同時に嫌そうな表情で、すっかり講師の顔に戻ったベルナデッタを睨みつけた。
「ではせっかくだし、プロの意見を拝聴しようじゃないか。ステルベン辺境伯閣下、閣下のお考えを聞かせて頂けますか。戦争とは何かを」
「ふむ……私の考えでは、戦争とは『2カ国以上の国家間で解決すべき課題が生じた場合において、解決手段として武力を選択した状態』を指す。まぁGクラスの1年生にはわからんだろうが、要は戦争とは外交手段のひとつ、ということだ」
「素晴らしい! さすがは辺境伯閣下です! ボクの父もまったく同じ事を行っていました。そう、聞いていたかねド底辺諸君? 戦争とは、数ある外交手段のひとつなのだよ」
「あの、ベル先輩? その話って長くなる感じですか?」
「長くなるとも! これは軍学の根本となる話だ。真面目に語ったら1週間じゃ終わらないぞ? 覚悟しておきたまえよド底辺諸君?」
「ベル、かいつまんで、短く、5分にまとめてもらえて? ここで1週間もかける時間的余裕はなくてよ?」
ティーカップを優雅に持ち上げたアルトリリアは、相変わらず熱量の高い親友を苦笑交じりに嗜める。
「それに、話が長いとまたリュウとリュッケン、それにアルムも寝てしまうのではなくて?」
「リリア様、それは違う」
意外な事をアルムが口走り、相変わらず無表情でじっと王女に視線を向けてきた。
「長くなくても寝る」
「アルム君、君はよくそれで軍学のテストを落第ギリギリでクリアできるね……」
「褒められると照れる」
「うん、ある意味凄い。凄いんだが、授業中は寝ないように」
「努力はするけど、約束は出来ない」
はぁ、とため息をついてベルナデッタはメガネを掛け直す。
辺境伯にとっても、まさか会議室で授業が始まるとは思っていなかったのだろう。呆気に取られたまま、同室の愛娘と愛息子に顔を向ける。
「父上、せっかくですから聞きましょう。紛争はもう終わったんですから」
呆れたような笑顔のシーナの言葉に、思わず辺境伯は頷いてしまった。




