43 会談
ステルベンの角、と呼ばれた地域のランドルト王国側、すでにエントラッセン帝国が陣を敷いている場所に、ひときわ大きく豪奢なテントが建てられていた。
武器を持たず、また鎧もまったく身に着けずにステルベン辺境伯の砦を出発しようとしたアルトリリアの両脇には、たった1人腰に剣を帯びた若い女と、まだ子供と言えるくらいの黒髪の少年が護衛として付き従っている。
イザーク少佐が持ち帰った帝国側の返信は端的であり、実に合理的であった。
ひとつ、エントラッセン帝国軍は、ランドルト王国側の和睦の申し出に応じる用意がある。
ひとつ、和睦に向けた会談の日程については、ランドルト王国側の申し出の通りとする。
ひとつ、和睦条件については直接の会談にて取り決めたい。代表者として最高位の立場であるアルトリリア・ランドルト王女の出席を賜りたい。
ひとつ、護衛は2名まで。武装した護衛は1名のみとする。
ひとつ、和睦に向けた会談の場では、魔法を使用できない状況となることを受け入れること。
ひとつ、帝国軍側も、西方方面軍総司令官、ヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍、レザーマン・ネッケン参謀長が出席する。
ひとつ、会談はエントラッセン帝国が用意した天幕にて行い、結果が合意に至るか否かにかかわらず、会談内容は文書として記録する。
ひとつ、会談当日を含め前後それぞれ7日間はいかなる戦闘行為も停戦とし、和睦条件への合意がなされた場合は即座に和睦条件に従い、戦闘行為は終了とする。
ひとつ、和睦条件が合意に至らず戦闘が継続となった場合も、7日間の停戦は双方厳守すること。
帝国側が示した条件に、アルフォンス・ステルベン辺境伯は怒り狂い『なんだコレは! このような条件、受け入れられるワケがないではないか! 何が魔法を使用できない状況だ! これでは殺されに来いと言っているようなものではないか!』と、テーブルをひっくり返さんばかりの勢いで激昂していた。
が、アルトリリアは即答で『すべて受け入れますわ。会談は明日ですわね』と実にあっさりとしたものだった。
『魔法が使えない程度で何をビビり散らかしているんですの? 事実上、国の方面軍司令官でもある辺境伯がそのようにケツの穴の小さなことを仰っていては、国軍全体の士気に関わりますわよ』
と、実に肝っ玉が座っているにも程がある物言いで辺境伯を黙らせていた。
「なかなか面倒くさいんすね、戦争って」
「その通りですわ、リュウ。戦争というものは始めるのは簡単ですけれど、終わらせるのは至難の業ですわ」
「だったら最初っからしなきゃ良いのに」
「まったくですわね、戦争など、無いに越したことはありませんわ」
苦笑を漏らしたアルトリリアは、天幕内のテーブルを前に、質素な椅子に腰掛けて背筋をピンと伸ばしている。
文字通り、敵陣のどまんなかで、従者として付き従っている剣聖セシリアは帯剣しているものの、自身は完全な丸腰である。
当初、従者としてセシリアに加えてシーナかベルナデッタ、またはイザーク少佐が随伴するという案も出た。が、シーナはステルベン辺境伯家の出自であり、イザーク少佐も戦闘行為に関わっていた。
ベルナデッタにいたっては、頭の回転が早すぎてまとまる話もこじれてしまいそうだ、ということでパスとなっている。
ステルベン辺境伯自身の出席も案として挙がりはしたものの、軍人として下手をすれば『その場で敵将と刺し違える』とでも言い出しかねない、というアルトリリアとベルナデッタの指摘もあり、今回は非武装状態で、なおかつ身体強化術を使わない状況において、最強の武力を持つであろうリュウを護衛の1人として随伴させることにした。
「お待たせした」
テントの奥から、穏やかな低い声。
アルトリリアとセシリアが立ち上がったのを真似するように、リュウも立ち上がる。リュウも一応、最低限の礼儀作法は士官学校でも学んでいる。
「お目にかかれて光栄です、アルトリリア・ランドルト殿下」
「こちらこそ、会談に応じて頂き感謝の念にたえませんわ。ヴィルヘルム・エレンボーゲン将軍閣下。こちらの護衛を紹介してもよろしいですか?」
「痛み入ります。お願いしましょう」
「こちらは、将軍閣下に向かって右側におりますのは、私の士官学校の学友、北方を守るカンフル辺境伯家が長女、セシリア・カンフルですわ」
「お初にお目にかかります、閣下。セシリア・カンフルと申します」
「うむ。武装護衛はセシリア嬢、ということでよろしいか」
「はい。そのご認識で間違いありませんわ。そして向かって左におりますのが士官学校の後輩に当たります、リュウ・ノーチと申します。彼は優秀な護衛なのですけれど、平民の出身ですの。言葉遣いや礼儀作法についてはお目溢し頂けると幸いですわ。さ、リュウ? ご挨拶を」
「はい。リュウ・ノーチです」
こういうときに不遜な振る舞いをするほど、リュウの人格、武之内隆造は子供ではない。下手をすると、甲冑を身に着けず軍服姿で現れた帝国の将軍よりも、精神年齢は上なのだ。
「うむ。私はエントラッセン帝国西方方面軍総司令官、ヴィルヘルム・エレンボーゲン。殿下から向かって右におりますのがレザーマン・ネッケン参謀長です」
「レザーマンと申します。どうぞよしなに」
「ご丁寧にありがとうございます将軍閣下、それに参謀長。今回の会談がお互いにとって実りあるものになることを期待しておりますわ」
「それはこちらも望むところです。さて——」
将軍、ヴィルヘルムは書類をまとめたファイルから1枚の紙を取り出した。
つい先日、イザーク少佐が帝国軍の陣地へと届けた書簡だ。
「正直申し上げて驚きましたな。よもや貴国から和睦の申し出が、こんな早い段階で来るとは思ってもおりませんでした」
「私としては、遅きに失したとすら思っておりますわ、将軍」
戦争を終わらせるか続けるかを話し合う場にしては、リュウにとっては拍子抜けするほどに穏やかな会談だった。
だが、今の短いやり取りの中にもフェイントや牽制、腹のさぐりあいが多く紛れ込んでいることを、リュウはまだ知らない。
「それで、殿下は和睦をお望みとのことですが——どのような条件での和睦をお望みですかな」
「将軍、私は言葉遊びのような腹のさぐりあいに、貴族達が好む婉曲な表現、回りくどいやり取りを好みませんの。率直なところを申し上げますわ」
「それは助かります。私も元は平民の出自でありますからな。貴族どもの小細工を弄した話し方には辟易としておったところです」
「それは重畳ですわ。では率直に。紛争開始前の状態を維持して相互不可侵条約を結ぶ、というのがこちらの望みですの」
「それは難しい話ですな。もともと、貴国がステルベンの角と称するこの一帯は、殿下のお父上、ベネディクト4世王が帝国からの突然の独立に際して、国際法に反して一方的に帝国から切り取ったもの、いわば元々が帝国の領地です。王国側が不当に奪い取ったままの状況を黙認せよとのお申し出に等しいが、それは我が国としても承服しかねます」
当然のことながら、このままでは会談は決裂、戦闘が再開という結果につながりかねない。
だが、王族の中でも優秀で知られるアルトリリアにとって、この最初の一手は『断られても当然』の、いわば牽制の一手である。
同時に、ヴィルヘルムにとっても、王女の最初の一手がただのフェイントであることなど百も承知。むしろ『王国側が要求する上限』が分かったというところでしかなかった。
本当の交渉はここから始まる、と、参謀長レザーマンも考えていた。
「将軍の仰ること、ごもっともですわ。——ところで将軍、ここからしばらく、私の独り言に付き合って頂けますかしら?」
「ほう、殿下の独り言、ですか」
「えぇ。記録なさるもなさらないも、どうぞご随意に」
「よろしいでしょう。ではレザーマン。しばしペンを置け」
「はっ」
初老の将軍の指示で、年齢不詳のエルフ族の男は静かにペンを置いた。
次にアルトリリアが口にした言葉は、セシリア以外、誰も想像だにしていないものであった。
「私は、女王になろうと思っておりますの」
しばしの沈黙。
戦上手で知られるヴィルヘルムに、西方方面軍の軍略、大戦略を一手に担うレザーマンは、即座に思考を高速で巡らせ始めた。
とんでもない発言である。
王族であり、王位継承権を持つとはいえ、第13王女であるアルトリリアが玉座につく可能性は極めて小さい。
そんな彼女が、今ハッキリと『父王を廃し自らが女王になる』と言ったのだ。
思っている、という段階の言葉であるとは言え、これは明確に、ランドルト王国内での政変の可能性を示唆するものだ。
「あの、王女様?」
「リュウ、ごめんなさいね? 今はあなたが出る幕ではなくてよ? しばらくおとなしくしていなさい」
「あー……はい、察しました。了解っす」
リュウはあっさりと引き下がった。
決して頭の回転が鈍い訳では無いものの、リュウは政治学が苦手だ。
腹のさぐりあいや婉曲的な言い回し、わざと誤解を生じさせるような言葉の選び方に暗号のような訳のわからないやり取りなど、武人、武之内隆造であった頃からゴーヤの次に苦手であった。
「では閣下、もう少しだけ独り言を続けますわ。よろしくて?」
「どうぞ。麗しい王女殿下の独白を拝聴しましょう」
「私は、ランドルト王国の今のあり方は間違っていると考えておりますの。ただ爵位だけで全てが決まり、ここにいるリュウ・ノーチのような、それにヴィルヘルム閣下のような極めて突出した才覚を持つ平民に目も向けない。爵位が高いものは無能でも高官に取り立てられ、平民や下位貴族はどれだけ優秀でも使い潰される。私、このような国情にほとほと嫌気がさしておりますわ」
ふむ、とヴィルヘルムは腕組みをして小さくつぶやく。が、返事はしない。
何しろこれはアルトリリアの『独り言』なのだ。返事をしたら会話になる。会話であれば、会談として記録に残さざるを得なくなってしまう。記録に残さない独り言、独白である以上、帝国側からの問いかけや返事は禁物である。
「私が側近に、ここにいるセシリア、それにステルベン辺境伯家の長女シーナ、そして軍略の天才であるベルナデッタ・ヘルセネンを従えておりますのには、理由がございますの。彼女たちは優秀なだけではございませんわ。我がランドルト王国の北と東に、隣接する形で広大な領地を有しておりますわ。そのいずれもが強大無比なエントラッセン帝国に接しているのは、レザーマン参謀長もご存知かと思います。ヘルセネン子爵家は領土を持ちませんけれど、現子爵は我が国の参謀本部において筆頭軍師を務めておりますの」
この場にいないシーナとベルナデッタがもしこのアルトリリアの言葉を聞いたとしても、きっと二人ともに驚かないことだろう。
だが、次のアルトリリアの言葉は、歴戦の猛将ヴィルヘルム・エレンボーゲンをして心底驚かせるのに、十分な衝撃を持っていた。
「私は3年以内に、カンフル辺境伯領、ステルベン辺境伯領を率いて、ランドルト王国から分離、女王として独立国家の建設という野望を持っておりますわ」




