42 王女の決断
辺境伯の執務室は、沈痛としか言いようがないくらいに重い空気が漂っている。
会議用の机には地図、そして駒がいくつも並べられており、上座にはアルトリリア・ランドルト王女、そしてアルフォンス・ステルベン辺境伯。
軍の参謀兼最前線の指揮官、イザーク・アンビュランス少佐に、シーナ・ステルベンとリカルド・ステルベンの姉弟。
さらに、ベルナデッタ・ヘルセネンと剣聖セシリア・カンフルの2人が、士官学校1年生のベイン・ジーケンハウスを挟んで座っている。
「どうしたって、これ以上の結論は出ないと思うね。ボクの父上も同じ事を考える。確実に。間違いなく」
「僕もベルナデッタ先輩と同じ意見です。正直に言って、これ以外の戦略は……実現がかなり難しいと言わざるを得ません」
参謀本部にあって筆頭軍師を務めるヘルセネン子爵の一人娘にして、士官学校にあっても不世出の天才と謳われたベルナデッタは、自分が出した結論に絶対の自信を持っていた。
何よりも、愛弟子であり、最底辺であるはずのGクラスを合同演習総合優勝に導いた戦術家、ベインと何度もシミュレーションを行った結果、2人は完全に同じ結論にたどり着いている。
現時点のランドルト王国軍に、一切の勝ち目なし。現状での和睦が最上の結果である。
それが、2人の軍略家が出した結論である。
「現状は戦線が膠着してるんでしょ? それだったら今の内にちゃちゃっと和睦の使者を送って、領土をある程度割譲してでもさっさと講和条約を結んでしまう、それがランドルト王国にとって一番傷が浅くて済む。講和の使者はアルトリリア様が出向くか、まぁ護衛に『非武装で魔法も使えない、その状態でも確実に王女の身を護れる、それでいて信頼がおける規格外の人材』がいれば、ベストかな?」
「到底正気とは思えん! 闘いもしないうちから負けを認めろというのか!?」
「辺境伯閣下、いざ闘いになれば、確実に辺境伯軍は壊滅します。『ステルベンの角』どころか辺境伯領全てを失い、閣下のお命も危険でしょう。ランドルト王国側にとって『最小限の被害に食い止めるために負けを認める』か、『戦って全てを失い、王国そのものを危険に晒す』か、どちらを選択するかの話なんです」
「黙れ青二才! 士官学校を卒業もしておらんガキに戦争の何がわかる!」
「おやぁ? 閣下、それは心外ですねぇ? 私も士官学校を卒業もしていないガキですがぁ?」
リュウの言葉に激怒する辺境伯に、ベルナデッタはやや不機嫌そうな顔をむけた。
「では閣下に伺いましょう。この局面の勝利条件は?」
「そ、それはもちろん! 帝国軍の撃破だ!」
「何を持って帝国軍の撃破とみなします?」
「当然、ステルベンの角近辺からの完全撤退に決まっている」
「なるほど、じゃあ具体的に、どの部隊をどうやって動かして完全撤退に追い込みますか?」
アルフォンスは、決して無能ではない。
むしろ軍人としては極めて優秀で有能である。おまけに勤勉であり、誇り高き軍人だ。
だが、悲しいかな『魔導ジャマー』という悪夢のような戦術兵器と、誇りや名誉よりも『実利』を重視する帝国兵の姿勢が噛み合った今回の局面では、打開策を見いだせないでいた。
「ま、まずは! まずは重装歩兵を前線に出して、戦線を押し返す。合わせて重装騎兵の突撃で帝国軍の前線を——」
「はい、魔導ジャマーを発動させます。重装歩兵、重装騎兵は行動不能になりました」
「相手も身体強化や魔法を使えんはずだ! 身動きは取れん!」
「閣下、一通りの報告書を読みましたが、帝国軍は軽装弓兵と軽装歩兵、軽装弓騎兵を中心として兵科を構成しています。身体強化が無くても動ける兵科ばかりです」
極めて冷静、冷徹とも言える口調でベインがコマを動かす。
身動きが取れない重装歩兵達は、格好の弓の的だ。重装鎧といえども雨のように降り注ぐ矢すべてを防ぐことなど出来はしない。
「な——な、ならば魔導部隊を——」
「魔導ジャマーが稼働状態なら、魔導部隊はただの『動きの鈍い矢の的』です。魔導部隊と合わせて、身動きの取れない重装兵は、全員が帝国軍に仕留められます」
「ならば! 工作兵を使って魔導ジャマーを破壊すればいい!」
「リュウやリュッケン、アルムが偵察に行ったときに、すぐに1個分隊に見つけられました、装置からはまだ距離があるはずのに、です。帝国側もゲームチェンジャーになる戦術兵器を丸腰で置いておくはずがありません。当然、かなりの兵数を護衛にまわしていると判断すべきでしょう。警戒は相当に厳重であり、どのようにすれば破壊出来るかもわからない状況では、破壊工作は現実的とは思えません」
「ならば! ならば身体強化術を使わずに重装歩兵達が動けるように訓練を積めばいいではないか!」
「その訓練には何か月も、下手をすれば1年以上かかります。その間帝国兵が黙ってこちらの訓練を眺めているとお思いですか?」
「であれば、われわれ辺境伯軍も重装歩兵を軽装歩兵に、重装騎兵は軽装騎兵に変えて——」
「兵科の変更にもやはり訓練が必要です。重装歩兵の戦術を叩き込まれた現役の兵士が、いきなり機動力重視の軽装歩兵として動くことは難しいでしょう。動けたとしても、部隊の練度としては帝国軍を大きく下回ります。付け焼き刃の兵科変更で、まともにぶつかって太刀打ちできるとは到底思えません」
「もうおやめなさい」
取り乱し始めた辺境伯と、あくまで冷静沈着なベインの議論を強制的に止めたのは、この場で最も立場が上となるアルトリリアだった。
ふぅ、と大きくため息を吐いて脚を組み直し、じっと地図を睨みつけるアルトリリアは、珍しく笑みが消え眉間にシワが寄った状態になっている。
「ベル」
「はいはい、なんですか?」
「帝国の魔導ジャマー、破壊は難しいのですね?」
「それについては殿下、僕からの発言をお許しください」
「わかりましたベイン君、許します」
「ありがとうございます。結論から申し上げて、魔導ジャマーの破壊は不可能であると判断するべきです。理由は単純、僕たちは魔導ジャマーの現物を見ていません。正体が分からず、何で出来ているのか、どうすれば破壊できるのかも不明である以上、希望的観測で破壊可能であると考えるのは極めて危険です」
アルトリリアは天を仰ぐように上を向いて、ことさらにゆっくりと深呼吸をする。
「私にとって、このステルベン辺境伯領では失うものと得るもの、両方がありましたわ」
憔悴した表情のアルフォンス・ステルベン辺境伯は、なかば青ざめた顔で王女アルトリリアに視線を向けた。
「失うものはわずかばかりの領土。得るものは、ステルベン辺境伯領の民の命です」
王族は、時として非情な決断を迫られる事がある。
時と場合によっては、部下の命を掴んで炎の中に放り込むような、確実に死ぬと分かっているような戦地に行って『死んで来い』と言わねばならないこともある。
だが、それは国家が得るもの、つまりメリットが、失う命よりも大きい場合に限られる。
どれだけ踏みとどまっても、得るメリットが無いどころかマイナスをゼロにしか出来ないようなものに、軍人や民の命を放り込むことは出来ない。
損切りをすることで、それ以上の損失を食い止めるのは、王族にしか出来ない決断だった。
「辺境伯、帝国軍に和睦の使者を」
「殿下! 我々はまだ——」
「私に3度も同じ指示を繰り返させるおつもりですの? よろしくて? 辺境伯、私は和睦の使者を送りなさい、と言いました」
「し……しかしながら……我が辺境伯領は、恐れ多くも国王陛下よりお預かりしたこの領地を、国境をお守りするという使命が……」
「父がガタガタ言うようであれば、この私が黙らせます。仮にこの和睦が失態であるというのなら、私が全ての責任を負いますわ。私が和睦の意思決定をしたのですから、至極当然じゃありませんこと?」
「…………御意に……」
アルフォンス・ステルベン辺境伯は数秒俯いた後、腹心の少佐へと視線を向けた。
「イザーク、使者として行ってくれ。我がアルフォンス・ステルベンの名を出して、和睦を望んで——」
「私の名をお出しなさい。ランドルト王国第13王女、アルトリリア・ランドルトが和睦を望んでいると、そうお伝えなさい。よろしいですわね、少佐? それからベル、和睦の文書をすぐにしたためなさい。文面は任せます。ただし、和睦条件については直接会って、講和会議の場で詰めたい、と書いておきなさい。今すぐにです」
「はいはい、りょーかい」
ベルナデッタは勢いよく立ち上がると、辺境伯の執務机を勝手に使い始めた。
辺境伯も、もはや咎める気力すら残っていなかった。
魔導ジャマーという戦術兵器の存在が、良くて拮抗状態、現実的に見れば帝国軍にただでさえ有利であった戦況を決定的なものにしてしまった。
このまま闘い続ければ、時間の経過とともに辺境伯軍の被害は雪だるま式に増えていったことだろう。
ともなれば、王国において東の要衝でもあるステルベン辺境伯領がまるごと帝国に併合されていたかもしれない。
いや、どれだけ被害が軽くても辺境伯領は丸ごと失われ、隣接するセシリアの生家、カンフル辺境伯領にまで被害が及んでいたであろう。そうなると、ランドルト王国の王都までは数日の距離だ。
下手をすれば、王国存亡の危機になりかねない。むしろ、現状がすでに亡国の危機とも言える、そんな危険な状況である。
「ベイン君とベルナデッタの話す通り、時をかけるのは得策ではありませんわね。イザーク少佐、頼みましたわよ。それから辺境伯」
「……はっ」
「今がどのような状況か、辺境伯ならばおわかりでしょう?」
「…………は……」
「軍人のプライド、騎士の誇りも結構ですわ。ですが、それと引き換えに失われるものも考えなければなりませんわ」
「仰るとおりです……」
「軍が何のためにあるのか、何から何を守るべきものなのか、そのために軍人が、国境の守りを司る辺境伯が何をしなければならないのか。よくお考えなさい」
「はっ、御意に」
ゆっくりとアルトリリアは立ち上がり、忙しくペンを動かしているベルナデッタへと歩み寄る。
丁寧に書けば達筆であるベルナデッタが書き記す文書を見て、満足げに頷いたアルトリリアは、改めてうなだれたままの辺境伯に視線を向けた。
「アルフォンス・ステルベン辺境伯」
「はっ……」
「これは大きな貸しですわよ? よろしくて?」
「……御意……」
この日、甲冑を脱ぎ武装を解除したイザーク・アンビュランス少佐は馬を駆り、単身エントラッセン帝国の本営へと向かっていった。




