41 打てる手
訓練所では、大柄なミナが鉄杖を、そして小柄なアルムが縄鏢という辺境伯軍の誰もが見慣れない武器をもって向かい合っていた。
「よっし、そんじゃいつも通り、制限時間は3分。良い?」
「良いよ、大丈夫」
「ん」
リュウの掛け声に、ミナとアルムが同時に頷いた。
Gクラスの、日常の鍛錬風景だった。
始めの掛け声も何もない。向かい合ったらその時点ですでに『始まっている』というのが、Gクラスすなわち武之内流の稽古試合である。
縄鏢を持ったまま両手をだらんと下に垂らし、まるで今から試合前の握手でもするかのように、散歩に出かけるような軽い無防備な足取りでアルムがミナに歩み寄った。
「ん? どしたのアルム?」
「思い出した。ねぇミナ、昨夜の晩ごはんの——」
突然、アルムが訓練場の砂を蹴り上げてミナの顔面を狙う。
が、ミナは最小限の体捌きで砂を除け、鉄杖を中段に構えた。
「な、なんたる卑劣な! 何だ今のは! おい! 誰か止めろ!」
「いいよアルム。今のは良かったけど、除けたミナはもっと良かったな。はい続けて」
「まて小僧! 今のは騎士として、軍人として黙って見過ごすわけにはいかんぞ! なんだ今の卑怯なやり方は! 不意打ちではないか! おまけに初手が目潰しだと!? 貴様らは一体何を——」
きぃん、という高い金属質な音が辺境伯の言葉を遮る。
縄鏢の先のクナイが、まっすぐにミナの急所である喉を狙っていた。
縄鏢はただでさえその変則的な軌道が読みづらい。さらに、クナイは細く尖っているため、まっすぐに突くように飛ばせば、相手からは小さな点にしか見えない。
ロープで遠心力を付けた薙ぎの威力や、遠心力をそのまま直進の力として使える技術もさることながら、縄鏢の最大の強みは間合いのコントロールにある。
熟達すれば、数メートル、槍も届かない間合いからも攻撃可能なうえ、接近戦になってもロープを使った捕縛にクナイを使った近接戦闘と、実に多彩な攻撃が可能である。
さらには、軽量でコンパクトに収納することも出来る。斥候など、持ち前の身軽さが売りのアルムにとっては、うってつけの武器と言えた。
武器との相性で言えば、ミナと規格外の重量の鉄杖も忘れてはならない。
100キロ近い荷物を背負って、獣人族のリュッケンとほぼ同じ速度での移動が可能なほどのバカげた体力に、ノーム族の特色たる膂力。
そこにリュウの指導による武之内流の徹底した基礎鍛錬が加わり、ミナはGクラスでも最強のパワーとスタミナを兼ね備えている。
加えて、リュウが『中伝クラス』と評価する杖術の腕前は、事実上シルバー級の槍術を上回る精度と、プラチナ級を超える威力を兼ね備えている。
「さすがミナ、そうじゃないと」
「びっくりしたぁ……でも、アルムならそれくらいするよね?」
「まだ時間は経ってない」
「だね」
まるで学食で食事でもしているかのような、力の抜けた会話。
これがある意味『真剣』を用いた訓練試合であることを忘れてしまいそうなほど、ミナとアルムはリラックスしていた。
辺境伯が憤慨する『卑劣な手』など、Gクラスでは日常茶飯事、挨拶代わりにすらならないものである。
「新しい技を考えた」
「え、何アルム、怖い怖い」
「これは多分、ミナでも難しい」
ひゅん、と軽い風切り音を立てて、ロープの先にくくりつけたクナイが目視できないほどの速度で振り回され始める。
音もなくまっすぐに、確実にミナの急所をめがけてクナイが飛んでいく。その速度は、ベテランの弓兵が放つ矢と同じくらいのものだった。
ほんの数センチの間合いでクナイを躱したミナは、再び鉄杖を中段に構えてから、ゆっくりと回転させ始める。
「お、ミナも『風車』を使えるようになったか。良いぞ良いぞ」
リュウは呑気に訓練所の地面にあぐらをかいて座り、悠然と二人の弟子の試合を眺めている。
ミナは長い手足を使い、重さ20キロもの鉄棒を凄まじい速度で回転させ始めた。
ぼぅ、という風を切る音は、少し離れた場所で唖然としているルイ軍曹の耳にもハッキリと聞き取れるほどの大きさだ。
真っ黒く、長く、そして重たくて持ち上げるのがやっとであるはずの鉄杖が、ほぼ見えないほどの速度で回転をし続けていた。
アルムの縄鏢は、とんでもない質量の暴風のようなミナの鉄杖に弾き飛ばされてしまう。
「そうくると思ってた」
小さく呟いたアルムは、懐に一瞬手を入れて、鉄製の棒を数本取り出す。
投げナイフの要領でアルムの小さな手から放たれた棒手裏剣に続いて、縄鏢のクナイが同時にミナの鉄杖に弾き飛ばされた。
「はい時間。そこまで」
リュウが座ったまま声を挙げると、アルムもミナもピタリと動きを止める。
ミナは鉄杖を正眼に構えてから腕の上に乗せて礼の姿勢を、そしてアルムも縄鏢を身体に巻き付けて互いに頭を下げあった。試合終了の意思表示だ。
そこから先は、つい先程まで殺し合いのような試合をしていたとは思えないほど、『仲の良い女子学生』の表示に戻る。
「ねぇねぇアルム、さっきのアレ、何だったの? 何かいっぱい飛んできたけど」
「手裏剣と縄鏢の組み合わせ技。どっちかしか弾き飛ばせないと思ってたけど、さすがミナ」
「えへへぇ、そうかな? さっきの、リュウに新しく教えてもらったんだ。風車っていうんだって」
「リュウ、ミナばっかりずるい。これは浮気」
「違うって。大丈夫。アルムは可愛いよ」
「ん、許す」
リュウを睨みつけておきながら、『アルムは可愛い』の一言であっさりと手のひらを返したアルムは、足音を全く立てない歩き方で訓練場の壁へと歩み寄る。
「どいて」
壁際に並んで見物していた軍人たちを容赦なく睨みつけてから、壁によじ登り何かに手を伸ばした。
ミナの鉄杖で弾き飛ばされ、10メートル以上も先の壁に深々と突き刺さった棒手裏剣である。
「お、おい! お前、こんなモンここまで飛ばすとか何考えてんだ! あたったら怪我じゃ済まねぇだろうが!」
「この程度、避けられない方が悪い」
「なっ……んだとこのクソガキ……」
顔を真赤にして怒りに震える軍人、マテオ上等兵の喉元に、いつの間にか棒手裏剣が突きつけられていた。
「ほら、死んだ」
「な」
「文句を言う余裕、脅すヒマがあったら手を動かせば良い」
「このガキぃ! 許さねぇ、ぶっ殺してや——」
マテオ上等兵の言葉は、唐突に途切れた。
かなり近接した距離で、蹴り技など想像も出来ない間合い。
その間合いから、驚異的な柔軟性を見せてアルムは踵でニンゲン族の男の顎を思い切り蹴り上げていた。
武之内流の体術は、基本的に小兵が大柄な甲冑武者を仕留めるための技術体系だ。当然、腕よりもリーチの長い足技も多くある。
その中には、明の時代に中国から伝えられた功夫も練り込まれている。基礎鍛錬の馬歩も、中国から伝えられたものを武之内流の当時の宗家が取り入れてきたものだ。
「殺すと言って良いのは、殺される覚悟があるものだけ。殺すと言った以上、死ぬ覚悟はあるはず」
「待て! そこまでだ!」
慌てて止める辺境伯の言葉に、アルムは全く耳を貸さない。縄鏢の先のクナイを手に取ると、気絶するマテオ上等兵の頸動脈にクナイの刃をあてた。
後は軽く刃を退けば、マテオは頸動脈を切断され数分で絶命するであろう、という、完全に『勝負あり』の体制である。
そもそも、武之内流では相手を倒したところで、それは『勝負あり』とはならない。
倒れた相手が下から組付き、関節を破壊することもある。相手を完全に無力化するまで、一切の油断は許されないのだ。
油断して仕留められたとしたら、それが例え不意打ちや騙し討ちであろうと、『油断したほうが悪い』というのが、武之内流兵法の哲学である。
「アルム」
リュウの優しげな声の直後、小さな手がぴたりと停まる。
「ここは『お遊戯』の場所だ。命までは取らなくても良いよ」
「こいつ、ぶっ殺すって言った」
「ま、その責任は上の人が取るでしょ。ねぇ? 少佐さん?」
冷や汗を顔一面にかいて青ざめているイザークは、リュウに声をかけられてようやく我に返り頷いた。
「貸しですよ? 止めなきゃこの人死んでましたからね」
「……あ、あぁ……キミたちは……本当にGクラスなのか?」
「もちろん。ほら、このワッペン。これはミナが作ったGクラスのワッペンですよ。いやぁ、便利で良いですよねぇ、Gクラスって名前も」
「便利? そ、それはどういう意味だ?」
にこ、とリュウは人懐っこそうな笑顔をイザークに向けながら、アルムの手を取ってゆっくりと立ち上がらせる。
いつの間にか縄鏢のロープを絡まない方法で巻き、棒手裏剣も何時でも投げられる体勢で手に持ったアルムが、視線をイザークに向けていた。
「だってほら、Gクラスって言うだけで殆どの人は嘗めてくるでしょ。油断もするし、それでいて普通に話しただけでブチ切れる。本来、相手を油断させたり平常心を失わせたりするのって、かなり労力を使うものなのに、勝手に油断してくれるからね。使わない手はないでしょ」
「ん。相手を嘗めてその挙句負けるとか、超絶カッコ悪い」
「だよねぇ。さすがアルム、分かってる」
「褒められると照れる」
イザークは脚の震えが止められなかった。
目の前にいる、たかだか15か16の子供が恐ろしくてたまらない。
イザーク自身も王立士官学校の出身である。アンビュランス子爵家の当主でもある彼は、かなり昔にBクラスで卒業している。
卒業後は子爵家が属していた派閥、キルルージャ公爵家の武官、ステルベン辺境伯家の配下となり、多くの戦場を経験してきた。
目の前でイチャついている二人の子供は、その戦場で出会ったどのタイプの敵とも明らかに異なる。
小さな身体、あどけなさの残る顔立ち、そして身体強化も魔法も使えない最底辺のGクラス、という情報に惑わされてはいけない。
イザークはようやく、そのことを心の底から理解した。
「リュウ・ノーチ君、だったね。それにアルム・ファーマシー君だったか」
イザークは鋭い靴音と同時気を付けの姿勢をとり、小柄な少年と少女に向かって深々と頭を下げた。
「部下が失礼した。この通り、謝罪する」
「分かりましたよ。アルムも、良い?」
「私はリュウが良いなら、良い」
「……ご理解に心から感謝する。部下には私から厳しく言っておこう」
「そうしてくださいよ。何しろGクラスは魔法も身体強化も使えない落ちこぼれですからね。手加減なんてものは教えてないです。だから——」
イザークの視界に、突然リュウの靴のつま先が入ってきた。
歴戦の軍人、イザーク・アンビュランス少佐は、間近で動いたはずの少年の足音も気配も、まったく感じ取れなかった。
「お互いにとって『不幸な事故』が起きないように、ちゃんと部下の手綱は握っといてくださいよ? オトナなんだから」
人懐っこそうなリュウの笑顔。
イザークはそのあどけない笑顔を見ることが出来なかった。




