38 護身の達人
先に動いたのは、軍曹ルイであった。
姿勢を低くして片手剣を持つ右手を前に出す。
並の士官学校の1年生なら、コレだけでも腰が引けるはずだった。
だが、ミナは両手で黒い六角棒を持ち、足を肩幅に開いたままだらんと脱力したままである。
「おい、やる気ねぇのかクソガキ」
ルイの言葉にも、ミナは答えない。六角棒を立てて、両手で軽く支えるようにもつ独特の構えだった。
少なくとも、戦場で片手剣を長年扱ってきたルイの知る技術体系ではない。
だが、戦場で数多くの敵兵を切ってきたルイが、ミナに切り込めなかった。
「あら、面白いことをしていますわね? 私がいないところでこんな面白いことをするなんて、ずいぶんと王族を蔑ろにしていませんこと?」
「へえぇ、良い構え……あらぁ、あの子おっとりしてるけど、実は出来る子なのねぇ?」
辺境伯とリュウのすぐ後ろに現れたのは、王女アルトリリアと剣聖セシリアである。
そのすぐ側には、ひときわ小柄なエルフの娘、ベルナデッタも現れ、シーナのすぐ側に歩み寄った。
「おっ、あれはミナ・サージェリー君じゃないか? 彼女が戦う姿というのは初めてみるけど、あの武器は何だい? 見たところただの棒のようだけれど?」
「……おいリュウ、ミナの武器は、アレはなんだ? 何か仕掛けでもあるのか?」
「え? いや、何もないっすよ。あれ、ただの棒です」
「棒術、ということか……まぁノーム族の膂力であれば、棒術でも必殺になりうるが、だがそれは術技が十分であればの話だ。軍人の剣は樫の木の棒くらいなら簡単に——」
シーナが言葉を続けようとしたタイミングで、ルイは大きく踏み込んだ。
ミナの側面に素早く回り込み、下段からの斬り上げを狙う。が、ミナは足捌きだけで軽く躱す。
普段、リュッケンの手数やアルムの速度に慣れているミナにとっては、扱う獲物が真剣であろうと文字通り止まって見えるほどに遅く感じられている。
「良いぞミナ、その調子その調子。当たらなければどうってことない。真剣も当たらなきゃただの棒っ切れと変わらないからな?」
リュウの掛け声は、ルイの逆鱗を金属のブラシでゴシゴシと執拗に逆撫でするようなものだった。
ミナは呆れたように『もぉ』と呟きはしたが、武之内流の『直立ち』の姿勢を崩さない。
完全に脱力して、ただその手で真っ黒い六角棒が倒れないように支えているだけだ。
「プロを舐めるんじゃねぇ! ガキどもがァ!」
ルイは再びミナに飛びかかる。
だが、最小限の体捌き、足捌きだけで何度も躱されてしまった。
ミナは、真剣をもった怒れる武人、ルイを恐れている。が、怖がってはいなかった。
平常心のまま相手の脅威を見定め、そしてどう対処するかを冷静に、リラックスした状態で判断し、カラダを動かす。
これこそが、武之内流で言うところの『怖がるなかれ、されど恐れよ』の教えだ。
冷静かつリラックスした平常心のミナに対して、完全に頭に血が上り冷静さをかいたルイなど、ただ棒切れを振り回すのが少々上手いだけのおっさんでしかなかった。
「1分経過!」
辺境伯の鋭い声が、訓練所に響く。
「軍曹どうした! 貴様の剣は、突っ立っている子供を斬ることすらできんのか!」
アルフォンス・ステルベンもまた、平常心を失いつつあった。
女王として戴冠する可能性は極めて低いにせよ、王女であるアルトリリアの前で、自軍の兵士が士官学校の学生相手に無様な試合を繰り広げるなど、断じて有ってはならない大失態だ。
その事が分からぬほど、ルイも未熟ではない。すぐさま辺境伯の意図を汲み取った軍曹は、身体強化術をなんとさらに重ね掛けした。
「ガキが舐めやがって……」
ぼっ、と地面が爆発したかのように抉れ、ルイは先程までとは比べ物にならない速さでミナとの間合いを詰める。
が、やはり体捌きだけで攻撃を躱すミナ。
だが今度ばかりはルイもそのままでは終わらなかった。
筋力を3割強化する身体強化術で、ただでさえ二重にかけていたものをさらに重ねがけである。ルイの筋力は平常時の2倍になっている。
重さ3キロ程度の片手剣をまるで小さなナイフのような速度で操り始めた。
歴戦の軍人が振るう片手剣の斬撃である。通常は樫の木の棒を使う棒術など、太刀打ちできようはずもなかった。
が、ミナが持つ真っ黒い『杖』は、ドワーフの元鍛冶屋が鍛えた特別製の鉄杖である。
その重量は実に20キロ。数キロ程度の鉄の片手剣程度、軽く振っただけで弾き返すことが出来る。
ノーム族の並外れた膂力と長い手足、そして徹底的に鍛え抜かれた体幹と足腰を持ってすれば、プロの軍人が全力で振るう片手剣に、ピンポイントでカウンターを当てる事など容易かった。
きぃん、という澄んだ金属音に続き、男の低いくぐもったような悲鳴が響く。
ミナは、武之内流杖術の中伝までをマスターしている。
槍術と同じく、武之内流杖術の基本は3種類、受け、突き、払いである。
ミナはただ、ルイの振るう片手剣を『受け』ただけだ。
ただし、重量20キロもの鉄棒での『受け』である。片手剣も、そしてルイの手首も無事で済むはずもない。
「あのぉ、大丈夫ですか? 治療しましょうか?」
鉄杖を構えたままのミナが、心の底から心配そうな声をルイにかける。
実際、ミナは純粋にルイの手首の関節を心配しているのだが、歴戦の軍人であるルイにとって、士官学校の1年生、おまけにGクラス、さらには女子に攻撃を弾かれた挙句心配されるなど、屈辱以外の何者でもなかった。
「な……舐めやがってェ!」
ルイは腰に挿したもう1本の剣を抜くと、凄まじい勢いでミナに斬りかかる。
上段からの切り下ろしには、鉄杖を斜めに構えて軽くいなし、横薙ぎの斬撃は体捌きで躱す。突きは前に出した鉄杖で軽く払って方向をそらして躱す。下段からの斬り上げは体捌きと鉄杖の『いなし』で受ける。
歴戦の軍曹の連撃が、たかだか16歳のノーム族の小娘の操る鉄杖と脚捌き、体捌きだけで華麗に裁かれていく。
「7分経過だ! ルイ! 何をしている! 手を抜くな!」
「な、7分!?」
ミナに攻撃をかわされ続けて、いつの間にか時間はかなり経過していた。
すでに肩で息をしているルイに対して、ミナは鉄杖を中段に構え正中線を杖でカバーしたまま、息ひとつ乱していない。
身体のどこにも余計な力が入っておらず、むしろ脱力した状態を保っていた。
「あらあらぁ、あの子凄いのねぇ?」
思わず感嘆の声を漏らしたのは、剣聖セシリアである。
剣術においてはプラチナ級であるルイと比べ物にならないほどの実力者であり、現在ステルベン辺境伯領にいるどの剣術士と比べても、間違いなく飛び抜けている頂点の剣術士だ。
「セシリア先輩、どうっすか? ミナの防御って」
「うんうん、凄ぉい。あの子が全力で守ったら、多分ハイマスター級の剣術士でもそうそう攻められないんじゃなぁい?」
「だろうねぇ。ミナ君の防御力はGクラスでも突出してるからね。まぁ対魔法防御技術はまだまだ改善の余地はあるけど、それでも彼女の防御力は一流と知っていいんじゃないかな? ダーリンはどう思うかな?」
ベルナデッタは顔ごとベインの方を向くが、相変わらずベインは『ダーリン』が自分を指す言葉だとは認識していない。
「ベインちゃん? どうかなぁ、シルバー級のベインちゃんがミナちゃんの守りを突破するとしたら、どうするぅ?」
「えっ? あ、僕ですか。いや無理ですよ。僕じゃミナの防御を突破するなんて出来ません。剣だけでミナの防御を突破するとしたら、セシリア先輩くらいじゃないと無理じゃないですかね。それか、ベルナデッタ先輩のえげつない魔法とか」
「ベイン君、君は随分とセシリアには礼儀正しいけど、ボクに対して当たりが強くないかい?」
「あ、分かります?」
ベルナデッタは不機嫌そうに頬を膨らませ、訓練所で相変わらず鉄杖を中段に構え、油断の欠片も見せないミナへと視線を戻す。
「まぁ、言いたいことは色々あるが……ミナ君のあの構えを崩すのは、多分シーナでも難しいんじゃないかい?」
「無理とは言わん。が、確かに難しいな……アレほど隙がないとは思わなかった。おまけにあの杖は鉄製だろう。下手に手を出せば『受け』だけでも骨を砕かれる。ミナの闘い方は『守りつつ攻め手を削る』というスタイルだな。並の守備力なら持久戦になるが、ミナほどの守備力と武器の特性を考えれば、私でも10分でミナの防御を崩すことは難しい」
「そうねぇ、シーナちゃんも難しいし? 私も3分じゃ無理かなぁ?」
辺境伯、アルフォンスは愕然とする。
まさか剣聖ですら守りを崩すのに3分も要するような腕前の者が、士官学校の1年生にいるとは考えられなかった。
おまけにそれが最底辺というGクラスに所属し、身体強化術を使えない圧倒的弱者であるなど、歴戦の軍人ならばこそ信じることが出来なかった。
時間はすでに9分を過ぎている。
ルイ軍曹は明らかに焦っている。利き手の手首の関節を傷め、逆の手で必死に攻めるものの、雑な攻撃で体勢が乱れるほどミナの杖術は未熟ではなく、武之内流杖術は甘くない。
「父上、10分です」
「ば、バカな……そんな事が……そんなことがあるわけがない! 一体何をした! 一体どんな卑劣な——」
「辺境伯、その先の言葉は十分お気をつけなさい? ミナ・サージェリーはただ杖一本、身体強化術も使わずに現役の軍曹の攻撃をしのぎ切りました。辺境伯もその目で見たでしょう」
興奮したアルフォンスの言葉を遮ったのは、王女アルトリリアだ。
「卑劣な手とやらを見抜けないようであれば、それは見抜けない方が甘いのです。そもそも、卑劣であればなんだというのです。試合の場で正々堂々、『己に出来る事』をした結果が今なのではなくて? その卑劣な手に対応できなかった、軍曹の実力不足の方をこそ糾弾すべきではありませんこと?」
アルトリリアの言葉に、辺境伯はうなだれた。
試合場ではルイ軍曹が膝をつき、顔中から汗を流し呆然と俯いている。
「あのぉ」
リュウ並に空気を読まないミナが、全く緊張感のない声をうなだれている軍曹にかける。
「手首、治療しましょうか?」
「見事ですわミナ・サージェリー。どうぞ、ルイ軍曹の治療を。では、勝負の結果に文句はございませんわね? イザーク・アンビュランス少佐、この試合の勝ち名乗りがまだ済んでおりませんわよ? 正々堂々、定められたルールの元で立ち会ってどちらが勝ったのか、審判の責任において明らかになさい」
「はっ……承知しました、殿下」
こほん、と咳払いをして、イザーク・アンビュランス少佐は、自身もまさか口にするとは思っていなかった言葉を発する事となる。
「しょ……勝者、王立士官学校1年Gクラス、法術士ミナ・サージェリー!」
ランドルト王国軍において、現役の軍人が士官学校の1年生、それもGクラスの学生に敗れたのは史上初のことであった。




