37 プロの軍人の姿
ステルベン辺境伯軍は、常に国境警備や紛争に備えるために厳しい訓練を続けている。
ランドルト王国の中でも、カンフル辺境伯軍とステルベン辺境伯軍は国軍の中でも最も練度が高い軍と言えるかもしれない。
「甘ったれるなァ! 我々軍人が国境を守るという自覚を持て!」
大柄な、甲冑を着たノーム族の男の号令に合わせ、甲冑姿の騎士たちが盾を杖を持ったまま走り込みを続けている。
また、軽装の兵士たちは凄まじい勢いで剣を振るい、訓練試合に明け暮れている。
士官候補生にとっては滅多に目にすることがない、プロの軍人、本職の騎士たちの訓練風景だった。
当然、アルフォンス・ステルベン辺境伯は、愛息のリカルドと同様、1年生のそれもGクラスという最底辺の者たちは、あっけにとられて嘆息するか、それか怯えて縮こまるかのどちらかのリアクションを期待していた。
だが、ほぼその期待に沿った反応を見せたのは『ふえぇ』と実に気の抜けた声を漏らしたミナ1人である。おまけに、その驚愕の嘆息の直後にノーム族の少女が呟いたのは、『うわぁ、痛そう』などという、軍人のタマゴとは到底思えないくらい、気の抜けたセリフだ。
厳格な軍人にして前線指揮官を務めるアルフォンスは、拍子抜けするやら憤慨するやらでやたらと忙しく顔色を変えていた。
「いいかリカルド、これが軍人の教練というものだ。覚えておきなさい」
「は、はい父上! Sクラスでもここまでの厳しい訓練はしたことがありません……やはりプロの、本職の騎士は違います」
「うむ、そうだろう。Gクラスの諸君はどうかね。キミたちの訓練と比べて我軍の教練は?」
「普通」
ズバッと何のためらいもなく、情容赦ない返事を返したのは無表情のままじっと騎士達を眺めていたアルムである。
「いやぁ、普通っていうか……何ていうかさ、ちょっと拍子抜けっていうか……プロの軍人ってもっと厳しいと思ってた。な? ミナ?」
「うーん、まぁ……何ていうか、今日は軽めなんじゃない?」
「ちょ、ちょっと3人とも……申し訳ありません閣下」
リュッケンとミナも、全く遠慮というものがない意見をズバズバと言い放つ。
ただ1人、常識人のベインは少し慌てた様子で辺境伯に軽く頭を下げた。
「おいおい嬢ちゃんら、聞き捨てならんな」
訓練をしていた軽装の軍人の一人が、木剣を持って悠然と歩み寄ってくる。
ニンゲン族と思しき軍人は、おそらくは歴戦の戦士なのであろう。全身に刻まれた傷跡も生々しい。
二重に掛けられている身体強化術のせいであろうか、筋肉の表面に浮き上がった血管がまるでヘビのように腕や胸の上を這っていた。
「軽めだぁ? じゃあお前さんの普段の訓練とやらを見せてくれよ」
「控えんか軍曹。コイツらは士官学校の1年生、まだ子供だ」
「お言葉ですがね辺境伯閣下、俺達はカラダ張ってます。守ってんのは国土と財産。そんな誇りある俺達の訓練を普通だの拍子抜けだの、軽めだのと言われて黙っちゃいられません」
「良いんじゃね? ミナ、遊んでもらえば?」
「えっ? 私?」
実に緊張感のない様子で、リュウがミナを見上げる。
ミナもベインも驚いたような表情を浮かべてはいるが、特に怖がったり怯んだりしている様子は全く無い。
「せっかくだからさ、ミナの実力見せてやれば? 国境を守る軍人相手に、Gクラスで一番の守りのスペシャリストであるミナの技量がどこまで通用するか」
「えー、ヤだよぉ。だって私、クラスじゃ一番弱いじゃない。リュウがやってよぉ」
「だって俺が出たらほら、ね? 怪我じゃすまないかもしれないじゃん?」
「もぉ……ねぇアルム、リュウに言ってやって」
やや困った顔のミナがアルムの服のフードをクイクイと引っ張るが、アルムは無表情のまま、ミナに親指をぐっと立ててみせた。
「大丈夫。ミナの守備は鉄壁」
「でも私、守ることしかできないよぅ……ヤだなぁ」
「大丈夫だってミナ! 俺等とずっと鍛錬してたじゃんか。な? ミナの強さは俺も知ってる」
不安げなミナに、リュッケンが歩み寄ってぽんぽんと背中を優しく叩く。
「ミナは俺達Gクラスの守りの要なんだからさ、自信持てよ。な?」
「Gクラス!? おいこのクソガキ、Gクラスっつったかこの野郎!?」
辺境伯軍において、鬼軍曹と呼ばれた男ルイ・コンプリメの顔が真っ赤に染まる。
軍人として戦場を馳せる事数十年。その戦功により騎士爵の出自ながら多くの勲章を与えられた歴戦の猛者は、ノーム族の大柄な、気弱で優しそうな少女を睨みつける。
通常なら、エルフだろうがドワーフだろうがノームだろうが、ルイの睨みに耐えられる少女などそうそういるものではない。
新米の兵士なら、男であってもルイの睨みで脚がすくむものも少なくない。女子の新兵など、場合によっては泣きながら立ったまま失禁して、その場で除隊を申し出ることすらある。
訓練教官でもあるルイにとって、生意気な若造を叩いて凹ます程度のことは、もはや日常業務とすら言える。
だが、ミナはきょとんとした顔で、ルイの鬼の形相を見おろしていた。
「よりによってGクラスのガキどもにバカにされたってか!? このガキども、ただじゃすまさねぇぞ! 五体満足で帰れると思うなよ!」
「だってさ、ミナ。良かったじゃん。遊んでもらえそうで」
「えー、やだよぉ……このオジさん怖い……」
「まぁまぁ、ミナには守りの技をしっかり教えてあるんだからさ、どこまで通用するか確認するのも大事だぜ? ほら、プロのみなさんがああ言ってらっしゃるんだから、胸を借りるってやつでさ。良いっすよね? シーナ先輩?」
「い、いや、ちょっと待てリュウ。さすがにその、Gクラスの1年生、それも女子相手にプロの軍曹が、というのは……」
シーナもさすがに止めなければ、と思っていたのだろうが、ルイの怒りは収まらない。
「お嬢様、止めないでくださいよ。俺等にも軍人として、騎士としてのプライドってもんがある。こんだけコケにされて黙ってるような腰抜けは、ステルベン辺境伯軍にゃいないんですよ!」
おう、という声が、いつの間にか訓練の手を止めていた騎士たちから挙がる。
「みな、落ち着いてくれ! 彼らはあくまでアルトリリア殿下の校外実習のサポートでこのステルベン領に来たんだ! 子供相手に大人げない真似をするんじゃない!」
シーナの制止で、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したステルベン辺境伯軍だったが、一触即発の状態であることには変わりはない。
これで無理に止めようものなら、訓練所内で乱闘騒ぎでも起きてしまいかねない。シーナは困り果てた顔で隣に立つ父アルフォンスに視線を向けた。
「ふむ。では訓練試合と行こう。先に1本取ったほうの勝ち、時間制限は10分だ。実践形式で行くぞ。リュウ・ノーチとやら、貴様そこまでの大言壮語をするからには、相応の覚悟はあるのだろうな?」
「そりゃもちろん。でも良いんですか? 辺境伯さま、試合なんてしちゃって」
「何がだ」
「仮にこれで負けたら、辺境伯軍の評判ダダ下がりですよ? 士官学校の1年Gクラスの女子にボコボコにされたって噂になったら、帝国軍に笑われたりしません? 帝国軍だけじゃない、他の領地のエラい人たちから指さされたりとか?」
めき、という音は、辺境伯が腰に備えた剣の柄を握りしめた音だ。
「構わん。士官学校の1年生、それもGクラスに負けるような腑抜けが万が一にも我軍にいたら、そいつは問答無用で特別訓練送りだ。ミナとやら、ハンデをくれてやる。10分間逃げ切ったら貴様の勝ちにしてやろう。ルイ、貴様もそれで構わんな?」
鬼の形相の軍曹は黙って、だが大きく頷いた。
「お、やったじゃんミナ。たった10分防ぎきれば良いんだってよ。もらったな」
「うん、それならまぁ」
歯ぎしりの音、抑えめの罵声と怒声、歯がゆさに地団駄を踏むような音が騎士たちの側から聞こえてくる。
「よかろう、ではイザーク・アンビュランス少佐、審判を。分かっていると思うが、公平公正な審判をするのだぞ」
「はっ。心得ました閣下。ではルイ、それになんと言ったか——」
「ミナです。ミナ・サージェリーです」
「ミナだな。君はまだ試合の作法を知るまい。私が教えよう。己の名とクラス、それにランクを名乗るんだ。降参するなら、全員に聞こえる声で『降参する』と宣言するんだ。いいね」
「わかりました」
「……降参はしないのか?」
「えっ? まだ何もしてないのに、ですか?」
エルフ族の槍術士、歴戦の騎士イザーク少佐は呆れたような顔をノーム族の少女に向けた。
もはや試合にすらなるまい、ならばせめて実際にぶつかり合う前に棄権の機会を、と考えての忠告だった。
すでに身体強化術を二重にかけているルイと違い、見たところこの大柄な少女は身体強化術をかけていない。
膂力に優れたノーム族とは言え、プロの軍人、それも身体強化を二重に掛けた歴戦の戦士相手では、剣を受け止めることなど到底出来ないはずだ。
「もし身体強化をかけるなら、早くしたまえ」
「あ、大丈夫です。そういうの使わないですから」
「こンのクソガキ……少佐殿、もういいでしょ。この身の程も世間も礼儀作法も年長者への敬意も知らねぇ生意気なガキどもに、軍人の厳しさってやつを分からせてやらねぇと」
まるで怒れる猛牛のような鼻息で、ルイは片手剣を鞘から抜いた。
真剣である。実際に戦場で、エントラッセン帝国兵の血を吸ったこともある、現役の武器であった。
「ミナ君、君の武器は?」
「私は、コレを使います」
ミナがひょい、と持ち上げたのは、真っ黒い六角棒。
おそらくは2mを超えるミナの身長よりもやや短い程度の棒で、少女が軽々と扱っていることからも、おそらくは大した重量はないであろう、と誰もが予測するものだ。
ひゅんひゅん、と軽い風切り音を立てて六角棒を軽く振り回すと、ミナは袖と裾の長いローブを脱いで、動きやすい士官学校の教練用の制服姿になった。
「六角棒か……それでいいというなら私は何も言わんが……ミナ君、繰り返すが、無理だと思ったら降参の意思表示は早くするように。一応私も審判として、無理だと思った止めるからな。それで良いな、ルイ。降参の意思表示後の攻撃は許さんぞ」
「分かってますよ少佐。さぁ、さっさとおっ始めましょうや!」
長身のエルフ族、イザークが2人の中央に立つと、よく通る声をあげた。
「ではこれより訓練試合を始める。双方名乗りを。ではルイから」
「おう! ランドルト王国ステルベン辺境伯軍軍曹! 剣術プラチナ級! ルイ・コンプリメだ! オトナを舐め腐ったクソガキが、その性根叩き直してやる!」
「では次、ミナ君だったね。名乗りを」
「はい。ランドルト王国王立士官学校1年Gクラス、法術士のミナ・サージェリーです。よろしくお願いします」
「よろしい。では審判はステルベン辺境伯軍少佐、イザーク・アンビュランスが務める。それでは——」
イザークの手が高く掲げられ、手刀で何かを斬るかのように振り下ろされた。
「始め」




