34 辺境伯
ステルベン辺境伯領で一行を出迎えたのは、全身を覆う重厚な甲冑を纏った騎士たち、重装騎兵達だ。
「ご無事のご到着、何よりでございます。アルトリリア殿下」
「出迎えに感謝しますわ、辺境伯」
前に出て挨拶をしたのは現ステルベン辺境伯、王国の東の盾と呼ばれるアルフォンス・ステルベン。リカルドとシーナの父である。
「長旅でお疲れでありましょう。どうぞこちらへ、まずは湯浴みとワインを」
「不要ですわ。そんなことより最新の戦況の報告を」
「承知しました。ではこちらの会議室へ」
実に簡素で、短く、無駄のない会話。
アルフォンスは辺境伯という高位貴族であるが、それ以前に軍人である。貴族特有の婉曲な表現に回りくどい言い回しを嫌う一人でもあった。
報告はまず結論から、という大原則を何よりも重んじる男である。
「さて、辺境伯。今の状況は? 『ステルベンの角』はどのように奪われましたの?」
「は。突端部分に駐留しておりました騎士たちが突然身体強化術を使えなくなりました。原因は目下調査中です。魔法の発動もできなくなっております。プラチナ級からマスター級の魔道士、それに我が領の精強なる騎士たちも身動きが取れなくなったのです」
「なるほど。いただいていた報告と齟齬はありませんわね。それで、原因の調査状況と見立ては」
「残念ながら、原因の特定にはいたっておりませんが、現時点においては恐らく魔法の発動というよりも、魔力の流れを阻害する何らかの術、魔道具によるものであろう、というのが魔道士たちの見解です」
「打ち破る手立てについては?」
「今のところ何もありません」
「打つ手なし、ということですか」
「は。仰るとおりです」
どう控えめに表現しても、絶望的な戦況の報告を受ける場面だ。
そんな場面に、士官学校の士官候補生とは言え、学生たちが同席するのは異様な光景である。何しろ国の存亡がかかるような事態である。本来ならば『子供の出る幕ではない』と会議室を追い出されて然るべきところだろう。
だが、アルトリリアは敢えてリュウやアルム、ベイン達Gクラスの5人を同席させている。
アルトリリアのもとには、『現状、打つ手なし』という報告は届いていた。
王国においても防衛力ならば最強であろうステルベン辺境伯軍を持ってしても、魔法の発動不良と身体強化術が使えないという、未曾有の緊急事態への対処方法が分からない、ということもアルトリリアは把握している。
だからこそ、彼女はリュウ達をこの場に同席させている。
すでに歴戦の騎士や魔道士達が行き詰まっている問題に風穴を開けるとすれば、全く違う視点や視野を持っている者たちだ。
「どうかしらリュウ? なにか思い当たるものはあって?」
「え? 俺ですか?」
突然話を振られたリュウの反応に、案の定ステルベン辺境伯は鋭い眼光で睨みつける。
「小僧、貴様どうやら礼儀を知らんと見えるな」
「知るかよそんなもん。俺は貴族じゃないんだ。貴族のお行儀とか知ったことかよ」
「よし、そこに直れ小僧、叩き斬ってくれる」
「へぇ?」
リュウは、まるで獲物を見つけた獰猛な肉食獣のように嗤った。
軍歴32年、当年50歳になるベテランの軍人アルフォンス・ステルベンの全身が硬直する、などという事態はこの日が初めてのことである。
「よせリュウ! 落ち着いてくれ! 父上も、納得行かないところもありましょうが、こいつはアルトリリア様より無礼御免の赦しを得ております。どうか抑えてください!」
剣術士としてハイマスター級を修め、さらに将軍として軍を率いてすでに20年。
強大な軍事力を持ち、義兄弟の間柄であるカンフル辺境伯家と組んで王家に反旗を翻せば、ともすれば玉座を奪えるのではないか、と噂されるほどの戦上手である。
その歴戦の将が、あろうことか15歳の少年の眼光に全身を硬直させた。
ほんの2秒程度であろうか、ごくわずかな時間の硬直。
その間、アルフォンス・ステルベンは自らの死を実に15通りも直感として感じ取っていた。
「なんだ、叩き斬らないの?」
「リュウ、煽るな。父上もどうぞ落ち着いてください。今はこのようなことで揉めていられる状況ではないはずです」
「う、うむ……そうだな、シーナの言うとおりだ」
やや青ざめた顔でどす、と椅子に腰を降ろした辺境伯は、薄っすらと額に汗をかいている。
並の騎士や兵士であれば縮み上がってしまうような眼光でリュウを睨みつけるが、わずか15歳の少年は一切動じる様子が無い。
「辺境伯、シーナの言うとおりですわね。今は些末なことにこだわっていられる状況ではありませんわ。それでリュウ、ベイン? なにか考えつくものはありませんか?」
「え、俺に魔法の事とか聞きます? 魔法使えないのに」
「そうでしたわね。ではベイン、あなたはどう思います?」
即座に考えることを諦めたリュウと違い、ベインはじっと俯いて何事かを考え続けている。
「おい小僧、殿下がお尋ねだろう。早く答えんか」
「辺境伯、お待ちなさい。彼はベルナデッタも認める戦略眼を持っているのです。急かして答えを出すことは得策ではありませんわよ」
「ま、まさか、ヘルセネン子爵の令嬢が認めた、ですと?」
「そうですともオジサマ。ベイン君はボクの可愛い弟子にしてボクの処女を奪う予定の男です。ただの少年じゃありませんよ」
「しょ——あー……ベルナデッタ嬢、キミも子爵家の一人娘だ。レディとして、使う言葉は選んだ方が良い」
「言葉を選んで戦争に勝てるなら、いくらでも選びますよ。それでベイン君? なにか思い付くことはあったかね?」
ベインはじっと地図を見たまま、視線を動かさない。
ただ、口はわずかに動いた。
「辺境伯閣下。僕はベイン・ジーケンハウスと申します。ジーケンハウス準男爵家の長男で、今年王立士官学校Gクラスに入りました」
「む……うむ。アルフォンス・ステルベンだ。貴様は礼儀をそこそこ弁えておるようだな?」
「軍事機密に深く関わると思いますが、いくつか質問をさせてください。よろしいでしょうか」
「ふむ。よろしいですかな、アルトリリア殿下?」
ここで難色を示すようなアルトリリアではない。
当然のように大きく、悠然と頷いて見せた。
「いくつか段階を分けましょう。魔法の発動そのものが出来ず、身体強化が全く使えない、コレを段階Aとします。魔法の発動は出来るがその威力が弱まり、身体強化がほぼ使えない状態を段階B、魔法の発動は出来て威力は弱まるけれど、身体強化はほぼ使える状態を段階C、魔法の発動は出来て威力は通常通りだけれど、身体強化が使えない状態を段階D、魔法の発動、身体強化ともに通常通り使える状態を段階Eとします」
「ふむ。もっとも重症なのが段階A、ほぼ影響がないのが段階Eということだな」
「はい。この地図と先ほどの閣下のお話からすると、『ステルベンの角』にあたるこの三角形の地域、最も帝国側に深く食い込んだ場所で段階Aに陥った、ということですが、段階B以降はどういった配置になりますか?」
ふぅ、と大きくため息を吐いて、アルフォンスは困った表情をアルトリリアに向ける。
部隊配置や、その部隊がどのような影響を受けたのか、といった情報は軍事機密だ。例え士官候補生とは言え、おいそれと明かして良い情報ではない。
「構いません辺境伯、ベイン君の軍略は本物ですわよ。何しろ士官学校の歴史上初めて、Gクラスを総合優勝に導いたくらいですもの。これは筆頭軍師のヘルセネン子爵でもなし得なかった快挙ですわ」
「……左様でありますか。では——」
テーブルの上に広げられた地図の上に、アルフォンスは色分けされた駒を並べ始める。
「仮に赤い駒を段階A、オレンジ色の駒を段階B、黄色を段階C、緑をD、青をEとしよう。これで並べて見てよいのだな?」
「はい閣下。お願いします」
「まったく……これで一体何が分かるというのだ……」
ブツブツとぼやきながらも、アルフォンスは地図上に駒を並べる。
いくつか並べ終えた段階で、まだ途中にも関わらず歴戦の辺境伯の手が止まる。
ベルナデッタは眼鏡の奥の目を大きく見開いて、嬉しそうに、だがまるで獲物を見つけた肉食の捕食者のような笑みを浮かべた。
「ベイン君、キミは……さすがは僕の愛弟子だ」
「これは……色が……?」
地図上で、色が美しいグラデーションを描いている。
王国から帝国側へ、三角形を描く形で大きく食い込んだ『ステルベンの角』の3箇所の角に当たる部分に赤い駒が集中し、内側に行くに従って青へと向かっていく。
だが単純に三角形の辺、つまり国境線から遠ざかれば青に近づくというものでもない。グラデーションは、どこか水面に描かれる波紋のようにも見える。
「カルロス! カルロスはいるか!」
突然、辺境伯が声を上げた。
ドアを開けて入ってきたのは、壮年の軍人である。
「お呼びでしょうか、閣下」
「全部隊の、小隊単位の配置と、魔法と身体強化の使用状況についての報告書を全て持ってこい! 今すぐだ!」
「いえ閣下、それには及びません」
辺境伯の怒声にも、ベインはまったく怯まない。
士官学校に入学したばかりのベインであれば、負け犬根性のようなものが染み付いてしまいすぐに自分の意見を引っ込めていただろう。
だが、今のベイン・ジーケンハウスには自負と自信があった。
リュウの厳しい鍛錬と指導に耐え、それ以上に厳しいセシリアの指導に耐えてシルバー級剣術士の認可を得た。
それよりも、合同演習で士官学校の歴史上初となる、Gクラス総合優勝の実績がある。
自負と自信を支えるのは自身が積み上げた修練の層の厚さだ。
ベインはGクラスの中でも、誰よりも修練と努力の層が厚い男だ。彼の自負と自信は、決して自惚れなどではない。
「おそらくは——」
ベインの手が大きな円形の駒を持ち上げ、グラデーションが描く円の中心に当たるであろう3箇所にそっと置く。
ベルナデッタは満足げにうんうんと繰り返し頷いて、愛弟子を嬉しそうに見上げる。
「この場所に、何かがあると思います。魔法を使えなくさせる、身体強化を使えなくさせるための、何かが」
ぱんぱん、と手を叩く音で、アルフォンス・ステルベン辺境伯は我に返った。
音の発生源へ全員が目を向けると、そこにいたのはこの上ないドヤ顔で地図を見下ろす王女アルトリリア。
「見事ですわ、ベイン君。では、今年の合同演習総合優勝チームの実力、早速ですけれど、存分に見せて頂けますかしら?」
アルトリリアの視線が次に向いたのは、Gクラスの機動部隊、リュウ、アルム、リュッケンの3人であった。




