31 貧しさ故に
しん、と静まり返ったGクラスの教室には、教壇の椅子に少し物憂げな担任、マルコ・シーネが腰掛けている。
沈痛な表情のまま俯いているベインは、たったままどう言葉を紡げば良いのかを必死で考えていた。
「ま、要するに、これはアレだ」
いつもの軽い口調で沈黙を破ったのは、何のしがらみにもしばられていない平民の孤児、リュウだった。
「よくわからんけど、アルトリリア様に協力しろ、ってハナシだよな?」
「……そう、だと思う」
「ふむ、そうだね。リュウ君の見立てと、それからベイン君が心配しているであろうことは、大方正しいね」
担任のシーネはゆっくりと立ち上がり、教壇に手をついた。まるでホームルームで教え子たちに教えを授ける教師のように。
「さっきから浮かない顔をしているベイン君の懸念を当ててみよう。『王族や高位の貴族がこうして最初に手を差し伸べてくる以上、何か見返りを求めている。その見返りは、合同演習で総合優勝を果たしたGクラスがアルトリリア殿下の派閥に直接入り、力を貸すということ。拒めば何が起きるか分からない上、既にそれぞれの家の事情も調べ上げている以上、家族を人質に取られたも同然なのではないか』——ってところかな?」
「……はい、先生のお考え通りです」
ベインはSクラスのカフェテラスからGクラスの教師に戻る間、必死で考えていた。
もしもこの申し出を受けたら、誰がいつどの様になるのか。断ったらどこにどのような影響が、いつ、どれくらい出るのか。
王族からの『お願い』は、実質的な『命令』である。下位貴族、それも最下位となる準男爵と騎士爵ともなれば、拒むことなど到底許されないことだ。それが、貴族社会の絶対にして暗黙の掟だ。
ベインにとっては渡りに船だった。
ベインの父、ジーケンハウス準男爵は決して傑物とまでは言えないものの、息子の目から見ても尊敬出来る父だ。
細やかな気配りや目配りが出来、注意力が必要な業務に従事している。財務省では一番下っ端、集金係で日々国のあちこちを飛び回っているが、残念なことに身体があまり丈夫ではない。何度か病気で倒れたことがある。
現時点では、まだジーケンハウス準男爵はベインの実家の大黒柱であり、唯一の稼ぎ手だ。もしも身体への負担が少なく、かつ高収入が期待できる仕事を斡旋してもらえるなら、生活は確実に楽になる。弟や妹達も、士官学校ではない魔法学院などへ進学できるかも知れない。
だが、クラスメイトの実家の事情にまで踏み込むことには、強いためらいがあった。
本当に、たかが士官学校でたまたま同じクラスになっただけの自分に、級友の実家の生活まで踏み込む資格があるのか。その覚悟はあるのか。何度も何度も自問自答する内に、とうとうベインの目の前にGクラスの粗末な教室のボロボロな木製の戸が迫ってしまった。
結局のところ、ベインは何も結論を出せないまま、Gクラスの教室へ戻ってきてしまったのであった。
「あ、あのさ、ベイン……」
消え入るような声をあげ、大柄な身体に似合わず小さく手を挙げたのはミナだった。
「その、みんな知ってると思うけど、私んち貧乏で……あの、今ね、私んち、弟が1人と、妹が2人いるんだけど……」
ぐす、と大きく鼻をすする音。
全員が、一番うしろの席に座るミナに振り返る。
ミナは泣いていた。
鼻水や涙を何度も手の甲で拭いながら、それでもうつむくことなく、まっすぐにベインに顔を向けている。
「な、何年か前ね? その……お、弟の上にもう1人いた、男の子が……死んじゃって……病気で、でも、あの、お金がなくて、治療院に連れてけなくて、私、その弟を助けたくて、必死で法術の本を読んで、でも私バカだからうまく出来なくって、何度も何度も法力切れも起こして、でも、その子……結局助けてあげられなくて……」
もともとノーム族は、魔力よりも癒しの力と呼ばれる『法力』に恵まれた種族だ。
ミナが癒しの術、法術を使えることにこれまで誰も疑問を持つことはなく、また法術を学ぶきっかけも誰も気にしていなかった。
「お金があれば、お金さえあれば、弟も助けてあげられたのかなって……そ、それでね、あの……先月お母様から、手、手紙が来て……」
ぼろぼろとミナの大きな目からとめどなく涙が溢れ始める。
声は嗚咽混じりで聞き取りづらいものだったが、Gクラスは誰一人として笑ったりするものはいない。
「お母様、お母様のお腹に、その、あ、赤ちゃんが、子供が出来たって……リュウが、ほら、あの、えっと……アルバート先輩をボコボコにした時の賭けで、お金がすっごい入って、それで弟も妹もちゃんと学校に行けるようになって、お母様も病気治って、それで、赤ちゃんが出来て……でも、子供が生まれたらまたお金が必要で、今のままじゃ次の子もまた病気になっちゃうんじゃないかって、それがすごく怖くって」
「そうだったのか……ミナ、確かにあんとき結構ガッツリ俺に賭けてもんな」
「ごめんリュウ、あの、私、リュウに賭けて、勝てたらお父様とお母様と、弟も妹も少し生活の心配しなくて済むかもって、そのことばっかり考えてて……」
「良いさ。賭けで儲けたあぶく銭だからね、何に使っても別に文句は無ぇよ。にしても……ミナ、キツかったよな。そんな事情があったなんて」
「ミナはイイ子……」
なぜかアルムもジト目のまま涙ぐみ、精一杯手を伸ばして長身なミナの頭を撫で始める。
「だ、だからさ、あの、ベイン……その、勝手なことだっていうのは分かってる。分かってるの。分かってるけど……私んちだけでも、アルトリリア様のハナシ、受けちゃダメかな……」
「え? ミナだけじゃないだろ? 俺も乗った」
軽い調子で手を挙げたのは、いつものリュウである。
「いやぁ、俺もさ? 孤児院から家出みたいに出て来ちゃったけど、こないだ院長先生から手紙来てさぁ。ほら、あのアルバートの件、新聞に載ったらしいじゃん? アレで『あのクソガキ本当に士官学校に行ったのか!』って居場所バレちゃってさぁ」
けらけらと笑うリュウのあまりの軽さに、さっきまで泣きべそをかいていたミナもつい吹き出してしまった。
「やれ生きてるなら知らせろとか、時々でも手紙くらいよこせとか、父さんも母さんも——院長の司祭もシスターも、兄ちゃんも姉ちゃんもどんだけ心配したと思ってんだ、みたいにめっちゃ長い手紙でさ? まぁ寄付金とかも少ないみたいだから、チビ達も相変わらず腹空かせてるみたいでさ。ほら、やっぱ年長者としては、ちょっとくらいカッコつけてさ? 弟とか妹に『リュウ兄ちゃんかっけー!』とか言われたいじゃん?」
ミナの嗚咽は既に止まり、リュッケンやベインと共に明るく笑い声を挙げている。
相変わらず無表情なアルムは、静かに手を挙げる。
「私も乗った。リュウの実家ともなれば、未来のヨメである私の実家も同然。私の分はリュウの実家への援助で」
「おや、アルム君とリュウ君はもうそういう仲なのかな?」
なぜか楽しげなシーネ教諭が身を乗り出すと、アルムはいつもの無表情なドヤ顔で、なぜかダブルピースをして見せる。
「押し倒されて胸を鷲掴みにされて、お嫁にいけないカラダにされた。責任を取ってもらわないと、私は一生独身待ったなし」
「いや、アルム? あれ稽古だったろ?」
「乙女の純潔の危機。リュウの目はメスを襲うケダモノの目だった。私には分かる」
「アルムの言い分はともかくとして、俺も乗ったぜ。さっき父上への手紙も見たけど、『長年の献身に感謝するとともに、建築資材援助と領内の乾燥地域への灌漑設備の寄付』なんてのもあったからさ。俺の実家って王国の北の方でさ、結構乾燥してんだよ。畑なんかもあるけど、ちょいちょい干ばつで枯れちゃうしさ、水を引く設備なんだろ? 灌漑って。そういうのがあれば赤狼の村に来る商人が高値で売りつける野菜とか麦とか買わなくて済むかもしれねぇし。乗らねぇ手はねぇだろ」
「じゃ、決まりじゃね? 満場一致で」
「異議なし。ミナは?」
ミナは笑いながらも涙と鼻水を拭いながらしきりに頷いている。
「ま、待ってくれみんな! よく考えて欲しい。王族からの『依頼』は事実上の『命令』だ。アルトリリア殿下は今回かなり強引な手を使ってきてる。今後もこれと同じようなことがあるかも知れない。そうなった時、僕たちはもっと大きなものを差し出さないといけないかも知れないんだ」
「うん、だな。それで?」
少し慌てた口調のベインに、いつも通り軽い口調でリュッケンが背もたれに大柄なカラダを預けながら答える。
「軍人になるって、そういうモンじゃね? そもそもさ、王族の事実上の命令ってなったら、普通は何の見返りもなしに一方的な命令とかもあるんだろ? 今回アルトリリア様は、ちゃんと俺らの実家のことも調べて、んで『欲しいもの』をちゃんと考えてくれてんじゃねぇか。俺は誠実な姿勢だと思ったけどなぁ。アルムはどうよ?」
「同感。リリア様は、私の実家の事は何も書いてなかった。望みの褒美を与える、って書いてた。私が実家から追放されたことも、ちゃんと調べてくれてる。リリア様はいい人」
「だよなぁ。まぁ結構無茶苦茶言うし、シーナ先輩は堅物だし、セシリア先輩はエロいし、ベル先輩はとんでもないけどさ、俺はいい人達だと思うぜ?」
「ね、ねぇリュウ、それアルトリリア殿下達のフォローになってないよ……?」
ぱんぱんぱん、と軽く手を叩くシーネ教諭は、この上なく満足そうな笑みを浮かべている。
教壇で大きく伸びをしてベインに視線を向けると、不安そうな教え子を安心させるように鷹揚に頷いてみせた。
「よし、じゃあ決を取ろうか。Gクラスとして、アルトリリア殿下の『ご提案』に賛成の諸君は挙手を。ただし、挙げた手には責任という重みが乗ることをちゃんと自覚した上で判断するようにね?」
音もなく、5人全員が手を上げる。
最も長くためらったあと、何度も深呼吸を繰り返して最後に手を挙げたのは、ベインであった。
この日から程なくして、ジーケンハウス準男爵は突然、財務省から軍の参謀本部での経理課勤務を命じられることになる。
サージェリー準男爵は、王家が主体となって行っている福祉政策、孤児や傷痍軍人のための孤児院の運営事業でエリアマネージャー格の仕事を任され、さらにクロア騎士爵が治める小さな村には、最新の灌漑用水車と水路の敷設が始まった。
そしてランドルト王国王都の片隅、スラムの一角にある、とある孤児院にサージェリー準男爵が交付金増額の報せを携えて訪れた際、心優しきノーム族の準男爵が見たものは、壁に大きく張り出されたとある新聞記事。
その記事には、リュウ・ノーチという孤児院出身の平民が、侯爵家の子息を決闘で打ち負かしたという大スクープが一面に掲載されていた。
孤児院の院長は、困ったような顔で、だがこの上なく誇らしげにこう語っていたという。
『バカな子ほど可愛いと申しますでな。まぁ相変わらず色々やらかしとるようで、将来が楽しみですわい』




