30 士官候補生
明るく広いSクラス専用の訓練スペースで、ベインは深々と頭を下げていた。
向かい合うのは嬉しそうにタレ目をさらにタレさせているセシリア・カンフル辺境伯令嬢。
セシリアはつい先日、ついに史上初となる『士官学校在学中のグランドマスター級の認可』を得ており、同時に序列7位の『剣聖』の称号まで手に入れていた。
「やぁん、ホントに嬉しいわぁ! おめでとうベインちゃん!」
「ありがとうございます。セシリア先輩のご指導がなければ、シルバー級になんて絶対なれませんでした」
「すごぉい……やだ、どうしよ、自分のことより嬉しい……あぁん、もう我慢できない! ね? ぎゅってしていい? 良いわよね?」
「え」
がば、何の遠慮もなく、セシリアは少しばかり背の低いベインを抱きしめて頬ずりを始めた。
総じてエルフ族の女性は愛と性に対して非常にオープンであり、また『エルフ娘の深情け』という、『エルフ女の愛情の異常なほどの強さ』を示す諺まであるほどに愛が激しい傾向にある。
それはベルナデッタも、そしてアルムも同様であった。
「お稽古始めたばっかりの頃は、あんなによちよち歩きの子猫ちゃんだったのにねぇ? あぁん可愛い、食べちゃいたい……ね、ベインちゃんって婚約者とか、いるぅ? カノジョさんは? 年上のおねえさんってどう思うぅ? 男の子だもん、おっきなおっぱい好きよね? あ、もしかしてお尻派? それとも貧乳派?」
「い、いや、あの、せん、先輩?」
「うふふふ……おねえさんねぇ? 真面目に頑張る子猫ちゃんってだぁい好き……ほら、大丈夫よぉ? 怖がらないで? おねえさんがなぁんでも教えてあげ——」
「そこまでになさい、セシリア。ここは神聖な学舎でしてよ?」
唐突に、訓練所のドアの辺りから、呆れ返ったような声。
もはやベインも聞き慣れた、ランドルト王国第13王女、アルトリリアの声だ。
「あぁんもう、リリアさまったら意地悪ぅ」
「構内でのみだらな行為はダメですわよ? 少なくとも私の目が届かないところでおやりなさい」
「い、いやアルトリリア殿下、そこはもっとこう、ちゃんと止めませんか?」
「私も人の恋路にちょっかいを出すような野暮な真似は致しませんわ。ベイン君は然るべきところで、人目につかないように美味しく頂きなさいな」
「え、あの、殿下?」
「んふふふふ……だってぇ? ベインちゃん? どうするぅ? どこで食べられたいぃ? 大丈夫よぉ、優しくしてあげるから」
ベインと鼻の頭どうしがくっつきそうな至近距離で、セシリアはぺろりと舌なめずりをする。
これは喰われる——そう覚悟を決めるまもなく、訓練所にはシーナとベルナデッタも入り込んできた。
「何だ何だ! ベインはボクの弟子だぞ? つまみ食いはよしてくれたまえ!」
「やーだぁ、ベインちゃんは私の弟子だもぉん」
「ボクの弟子だ!」
「や。あげなぁい」
美しいエルフの少女二人に奪い合われるという、およそ男子の9割強なら羨ましがるシチュエーション。
リュッケンがもしこの場にいれば『クソが、さっさと爆発しやがれ』と漏らし、リュウなら『末永く、幾久しくもげろ畜生』と謎の呪いの言葉を吐いていたことだろう。
「ベイン! 大体キミは、一体何時になったらボクの部屋に夜這いにくるんだ! 何のために女子寮の抜け道を教えたと思っている! せっかく毎晩ヤらしい下着をつけて待っているというのに、キミは女に恥をかかせるつもりか?」
「おい待てベル、お前、私と同室だろうが……私の居る部屋に夜這いに来るだと? しかも抜け道とはなんだ抜け道とは。最近妙に似合いもしない際どいのばかり身に付けてると思ったら、一体何を考えている!」
シーナは、士官学校3年生において風紀委員を務めている。かなり真面目な堅物と呼ばれるだけ性格だが、そんな彼女が素行不良で知られるベルナデッタと同室なのは、学校側の配慮でもある。
あまりにも自由奔放なベルナデッタの行動に少しでもブレーキがかかれば、という思惑があったのだが、残念ながらシーナではほぼ全くブレーキがかからない。ベルナデッタ・ヘルセネンは、止めた程度で止まる女ではないのだ。
そもそもエルフ族の女性は、種族全体の傾向として愛と性に関して大変におおらかである。
男性が少なく女性の方が多いという種族の特性もあり、一夫多妻制が当たり前に存在する種族であるため、『夫の愛人の数は、それだけ魅力的な男を射止めた妻の価値を示す基準の一つである』といった風潮すらある。
特にセシリアの生家カンフル辺境伯家は、代々女性が当主をつとめる家ということもあり、非常に女性が強く、愛情表現が激しい家風で知られている。
「はいはい、賑やかなのはそこまでにしませんこと? 今回ベイン君をここにお招きしたのは、ベルの良からぬ企みを助けるためではありませんわよ?」
ぱんぱん、と軽く手をたたき、呆れ果てた顔のアルトリリアが会話を強制終了させる。
まったくもう、となぜか楽しげに声を漏らしてテーブルの上に地図を広げる。
「さ、ベイン・ジーケンハウス君、これをご覧になって」
明らかに最高軍事機密である。紛争地帯『ステルベンの角』の地図、それもどの国のどの部隊がどこに、どれくらいの数どの向きで布陣しているかを示すものだ。
「ででで殿下!? 僕は何も見てません! えっと、あの、すみません、失礼しま——」
「待てベイン。今オマエ、見たよな?」
長い腕を伸ばしてベインの服の後ろ襟を掴んだのは、シーナだった。
にや、と不敵な笑みを浮かべ、さらにノーム族の膂力でしっかりと襟を掴んでいる。こうなると、鍛えているとはいえベインが逃げ出す事は難しい。
「貴様、確かに見たよな? 我が国の最高軍事機密を」
「み、見てません、忘れました、綺麗さっぱりひとつ残らず全部忘れました!」
「そうか? 本当か?」
ぐい、と力付くでシーナがベインを抱き寄せるようにして向きを変える。
顔が地図の上に乗るようにして、まるで小さな弟を膝の上に乗せる姉のような格好だ。
「ほ、本当です! あの、本当に僕は何も見てません」
「おや、目を閉じてるのか? 良いのか? せっかくセシリアが胸を丸出しにしているというのに。おや? ベルナデッタ、お前スカートを脱いで何をする気だ? 今日は下品なレースの黒なのか、似合わんな」
「え」
ベインも、エルフ族の思春期の男子である。
閉じた目の向こう側で、美貌の先輩が胸を露わにしていたり、幼い見た目ながら日頃接している女性がスカートを脱いでいる、などと言われては目を閉じたままではいられない。
反射的に目を開けてしまったが、当然セシリアもベルナデッタもしっかりと衣服を整えたままだった。
「いやん、ベインちゃんたらえっちぃ。もう一瞬早かったら色々見れたかもしれないのにぃ」
「なんだ、やっぱりキミもオトコだったな? そのくせ夜這いには来ないのか、このヘタレめ」
「……シ……シーナ先輩、騙しましたね……」
「普段Gクラスがやっているだろう。騙される方が悪い。さぁ、我が国の最高機密を見たからには付き合ってもらうぞ? 合同演習個人総合優勝、ベイン・ジーケンハウス」
謀られた——ベインの軍略勘が、一瞬で事態を把握した。
周囲は既に人払いが済んでおり、同じテーブルについているのはアルトリリア王女に剣聖セシリア・カンフル、王女の盾シーナ・ステルベンに軍略の天才ベルナデッタ・ヘルセネンの4人だけ。
そこにベインが加わったということは、やることはひとつだ。
「さぁて、これからボク達3年女子で、可愛い1年生の後輩男子を囲んでのイチャイチャお茶会が始まる——とでも思ったかい? ベイン君」
「思わないですね……」
「あらぁ? 思わないのぉ? 始まるかも知れないのよぉ?」
「いや、絶対始まらない感じですよね、コレ」
「うふふふ、私、聡い殿方は好きですわよ? ベイン・ジーケンハウス、あなたもリュウ・ノーチに負けず劣らずの傑物ですわね。ベルが絶賛していただけのことはありますわ」
「え? ベルナデッタ先輩が?」
なぜか、この上なく得意げなドヤ顔でベルナデッタはふんぞり返った。
「あぁ、このボクだ。断言するが、キミは長ずればこの国の命運を左右するほどの前線指揮官、さらに長ずれば国家の大戦略に深く食い込む軍略家になる。ボクの処女を賭けてもいいぞ」
「その賭け、ベルナデッタ先輩が楽しいだけですよね」
「その通りだとも。何かいけないことでもあるのかね?」
「僕にメリットがなさすぎませんか?」
「そんなことはない。ボク達は実家が国の中枢に食い込んでいる、いわば名家だ。ボク達とコネを持っておけば、困窮したジーケンハウス家の力になれるかも知れない。例えば、ベイン君の父君に今よりずっと実入りの良い仕事を紹介する、とかね?」
ぴくり、とベインの眉が動く。
ベインが士官学校に入ったのも、貧乏な実家でせめて幼い弟や妹がひもじい思いをしないで済むよう、口減らしのために自らが家を出たのだ。
父、ジーケンハウス準男爵は財務省の下っ端役人で、ほぼ使いっ走りのような仕事ばかりをさせられており、ベイン入学前にも言いがかりをつけられて全く関係のないトラブルの責任まで取らされた。
「例えばだ、ベイン君。軍略の勘に優れたキミの父君ともなれば、同じようにひらめきや戦略的な物の見方が得意『であると考えるのが合理的』だと思わないかい? だとすれば、財務省の下っ端なんていうのは、国家にとって人材の能力を活かす機会を失っているに等しい。ですよね? 殿下?」
「えぇ、全くもってその通りですわ。優秀な人材を、爵位だの平民だのというくだらない理由で、無条件で見下して能力を発揮できる機会を奪う。これは紛れもなく国家の損失にほかならないのです。おわかりになりまして? ベイン・ジーケンハウス?」
「……あ、あの、それは……父が、もっとその……給料の良い仕事につけるように、口利きをする……というものですか?」
「有り体に言えば、そのようになりますわね。そしてこれが」
アルトリリアがテーブルの前に数枚の紙を並べ始める。
1通はベインの父、ジーケンハウス準男爵に宛てたもの。
1通はリュッケン父、赤狼族族長のクロア騎士爵へ、赤狼族の文字で書かれた独特の様式の書状。
1通はミナの生家、サージェリー準男爵家への公職斡旋状。博愛的なノーム族にピッタリの、孤児院経営の統括事業であり、王国政府からの給金は、現在のサージェリー準男爵がついている農務省の最底辺の給料よりも3倍程度に増える計算だ。
そしてもう1通は、リュウが育った孤児院への寄付の目録。
「アルム・ファーマシーはご実家を追放、勘当されておりますわね。心情は複雑でしょうから、ご実家への援助ではなく、アルム本人への見返りを提供する用意がありますわ」
「で、殿下……これは、僕に……僕らに何をしろと……」
「うふふふ、やはり聡い子ですわね、ベイン・ジーケンハウス?」
にこ、と嬉しそうに微笑んでアルトリリアは書簡を全て重ね、ベインの目の前に差し出した。
「端的に言いますわ。Gクラスの5人に、私の下について欲しいのです。私についてきてくれれば悪いようにはしませんわよ? あなたたちの心配事を、ほぼ全て解決して差し上げますわ」




