29 生徒指導室
「で、何すかシーネ先生、俺なにかやっちゃいました?」
「あ、あの、シーネ先生、マーゲン先生? 僕も特に何も呼び出される心当たりがないんです……」
「いやぁ、僕も詳しくは聞いてないんですがね。リュウ君もベイン君も、何かの注意とか叱責じゃありませんから、そこは安心してください」
夕方の士官学校の生徒指導室には、1年Gクラス担任のマルコ・シーネ教諭と、先程から腕組みをして眉間に思い切りシワを寄せているグレゴリオ・マーゲン槍術師範兼体育教官が椅子に座っている。
まるで怒れるオーガ族のような、幼児が見たら引きつけを起こして泣き喚くであろう表情のまま、ベインとリュウを正面から睨みつけている。
「マーゲン先生、そろそろ事情をお話になっては? 彼らもなにか不祥事を起こした訳ではないでしょうし、呼び出した以上は我々教師にも事情を説明する義務があります」
「吾輩は——」
いつもの怒声ではなく、精一杯抑えた、低く落ち着いた声だった。
数年前まで現役の軍人、それも5000の兵を預かる大佐という立場であったマーゲンは、決して武一辺倒ではない。
若くして戦場に出て以来、直感と本能に基づいたものではあるが、数多くの戦地で戦功を上げ、一代でマーゲン家を準子爵家から伯爵家へと格上げさせた、歴戦の兵である。
そのマーゲンの自負と自信が揺らぎ始めたのは、今年の合同演習がきっかけだった。
「吾輩は、指導者たるもの迷ってはならぬと、そう考えておる。今でもそうだ」
マーゲンは迷っていた。
自らが監督官を務めた合同演習において、Sクラスが優勝しないばかりか、上位クラスも下位クラスもほぼ半壊状態、無傷でいたのは最底辺のGクラスのみ。
さらに、部門優勝も全てGクラスが独占した上、総合優勝まで最底辺であったはずのGクラスだ。
本来ならば、上位クラスに圧倒的有利となる条件、ルール、前提であった。
これでSクラスが優勝しないのはおかしい、絶対にありえない、とまで言われた状況で、その『絶対にありえない』結果になってしまった。
マーゲンもシーネも、さんざん他の教諭から詰問されたものだ。
Gクラスがなにか不正を働いたに決まっている。
卑怯な手を使ったのではないか。
Sクラスに裏切り者がいたのでは。
それらの声を黙らせたのは、士官学校校長にして王国軍総司令官、王弟シュターガー・ランドルトであった。
『不正を働いたから何だ。卑怯な手の何が悪い。戦場では、それらに対応できない方が悪いのだ。合同演習は、戦場を再現することが目的である。そんなことも忘れて高位貴族の子弟におもねるためのものではない。士官学校の教師陣がこの体たらくとは、最近の軍の弱体化の原因がよく分かった。そもそも貴公ら教師陣は、卑怯な手とやらへの対応方法や心構えを教えていなかったのか。それは紛れもなく教師陣の怠慢ではないか』
校長にして軍総司令官の言葉に、反論できるものは誰一人いなかった。
なお、この時校長シュターガーは、リュウ・ノーチという『異物』の存在をまだ知らなかった。
「吾輩は——いや、認めよう。迷ってはならぬと考えつつも、我輩は迷っている」
「へぇ、どうしたんすか先生、なんか変なモンでも食べました?」
「ちょ、ちょっとリュウ!」
「変なものなど喰ってはおらぬ。リュウ、それにベイン、貴様ら合同演習で何をどうやった?」
「さぁ? ベインに聞いてくださいよ。あの時の戦術を立てたのはベインなんだから」
「リュウ……もう少し何ていうかこう、その、助け舟とか出してくれても良いんじゃないかなぁ」
じろり、とマーゲンの鋭い目が、やや気弱そうな——だが身体の軸が明らかに『仕上がりつつある』エルフの少年に向けられる。
頭の先からゆっくりと顔、首、胸、腹、腰、脚、そして足の地への着き方を観察するように視線を降ろしていく。
「ベイン・ジーケンハウス」
「えっ? あ、は、はい」
「貴様、随分と鍛えておるな? シヴォルト流剣術か」
「シヴォルト流……?」
ベインがちら、とすぐ横のリュウに目線を向けるが、リュウは口パクで『俺も知らね』と答えるのみだ。
「正統剣術の源流のようなものだ。3年次のセシリア・カンフルが修めた剣術だな」
「あ、じゃ、じゃあそれだと思います。僕もセシリア先輩に剣術を教わっていますから」
「ほう、どれくらいだ」
「えーっと……まだそれほどでもないです。合同演習前からですので——2ヶ月とか3ヶ月とか」
「ほう?」
「へぇ」
マーゲンの眉がピクリと上がり、シーネが短い感嘆の声を挙げた。
セシリアは美しい見た目に加えてたおやかな挙措動作、おっとりとした性格に反して、ひとたび剣を持てば『鬼』と呼ばれるほどの強さを誇る。
これまで、彼女の美貌や雰囲気に惹かれて、未来の剣聖候補に稽古をつけてもらおうと下心をもった男子生徒が、それこそ何人も彼女の前で剣を構えた。
が、1分以上立っていられたものはごくわずか、2回以上セシリアの指導を受けようと自主的に通ったものは片手の指で数える程度。
セシリアの稽古に1ヶ月以上ついていけたものは、マーゲンやシーネが知る限り一人もいなかった。
「ベイン・ジーケンハウス、ついてこい。リュウ、貴様もだ」
「はい」
「うぃーす」
マーゲンに連れてこられたのは、教員専用の訓練施設である。
現役の軍人も講師を務める士官学校では、教員用訓練エリアがもっとも設備が整っている。
また、本来ならばランク認定試験は軍の施設か、冒険者ギルドの専門官が常駐する場所でしか受けられないが、士官学校では特例として審査官の資格を持つ教員が認定試験を実施出来る。
「吾輩は槍術においてはハイマスター、剣術もマスター級を修めておる。プラチナ級までの審査官の資格も持っておる。これよりベイン・ジーケンハウス、貴様の剣術の腕前を見せてもらう」
「え? いや、あの、マーゲン先生?」
「さぁ、ランク認定試験の作法だ。所属と名、それに現在のランクを名乗れ」
「いいじゃんベイン、試験受けてみなよ。今の実力を客観的に見るってのも大事だぜ?」
リュウはまるっきり他人事である。
諦めたかのようにため息をついて、細身の両手用木剣を手に持ったベインは、セシリアと同じシヴォルト流剣術の礼の姿勢を取った。
「ランドルト王国王立士官学校、1年Gクラス、ベイン・ジーケンハウスです。クラスはありません」
「ふむ。ランドルト王国王立士官学校教官、グレゴリオ・マーゲン。剣術中級審査官である。これよりベイン・ジーケンハウスの認定試験を開始する」
マーゲンは片手剣を下段に構え、左手にはバックラーと呼ばれる小型の盾を持っている。
相手の攻撃をいなしつつ、主に突きで相手の急所を狙うスタイルであり、士官学校でも基礎剣術として学生たちが最初に学ぶ技術だ。
一方のベインは、細めの長い木剣を両手で持ち、切先を目の高さに構えている。
その構えには、リュウの目で見ても隙を見いだせなかった。
「へぇ」
「ほぉ、やりますね、ベイン君は」
「え、シーネ先生も分かるんですか」
「まぁ多少は。ほら、僕もね? 一応は教師ですから」
にこ、と笑みを向けたシーネはまたすぐに顔をマーゲンとベインの二人に向ける。
「まずは型……と言いたいところだが、両手剣と片手剣では型も違うな。乱取り稽古でよかろう。かかってくるが良い」
「分かりました。では、お願いしますッ!」
ベインはふっと全身の力を抜き、身体の重心を一気に下に落としたかと思うと、強く踵を踏み込んだ。
まるでバネ仕掛けのように、ベインのやや細身の身体が突然トップスピードで間合いを詰める。
「ぬうっ!?」
ノーム族で身長230cmを超えるマーゲンと、身長170cmそこそこのベインとでは体格が違いすぎる。
本来ならば間合いを詰めること自体難しいところだが、ベインは武之内流の『直立ち』と『縮地』をすでにマスターしている。
今のベインであれば、例えマーゲンが槍を構えていたとしても、両手剣の間合いに踏み込むことは容易であっただろう。
脇を締めて、高い柔軟性と強靭な足腰、そして鍛え抜かれた体幹の軸の回転を活かした逆袈裟の斬り上げは、敢えなくマーゲンの盾にいなされてしまう。
長剣は一般的に、躱されたあとの隙が大きくなることが大きな弱点のひとつである。
この弱点があるために、近代剣術では小回りが効き刺突中心となる片手の小剣とバックラーの組み合わせが基本とされていた。
だが、シヴォルト流剣術は正統剣術の源流とされる古い流派である。
小剣、片手剣、大剣への対処法も型として既に存在する。
武之内流のリュウとおなじく、セシリアは基本を何よりも大事にするスタイルだった。
長剣で小剣を相手にし、いなされた時、躱された時の術理についても基本の型として受け継がれている。
ベインは、そういった基本の型稽古を、気が遠くなるほどの回数繰り返している。
「ほう、中々練り上げられておるではないか、ベイン・ジーケンハウス」
ベインは、ほぼ無意識の内に『躱された後の型』に移り終えていた。
変形の上段の構えで、剣の切先を下にだらりと下げた、防御の構えである。
「では次は吾輩の番である。凌いでみせよ!」
地響きのような踏み込みの音。
短い小剣が鋭く空を切る『ぴゅん』という軽い音。
ベインの長剣は絶妙な角度で、怪力のマーゲンの斬撃をいなし、柄の部分を使って鳩尾への攻撃に移る。
後ろに大きく飛び退いたマーゲンがバックラーを心臓の位置に上げ、片手剣で上段から振り下ろす。
「あと4手——いや、5手で詰みか」
「リュウ君、詰みというのは?」
「あぁ、ベインが勝ちますよ。ほら、マーゲン先生の突きを体捌きで交わす。ベインが上段の突き。マーゲン先生がバックラーでいなす。ハゲ先生が横薙ぎに切る。体制不十分。ベインが躱して、振り終わりを狙って長剣の突き——」
リュウの解説の通りの動きだった。
マーゲンの喉元に、長剣の切先が突きつけられている。
「リュウ君、今さり気なくマーゲン先生の名前を1回言い間違えましたね?」
「あれ、そうでしたっけ?」
「うん、まぁ良いんだけどね。さて……審査の結果はどうなったかな?」
「どうなるんすかね。俺よくわかんないですけど」
マーゲンとベインは向かい合い、開始のときと同じく礼をする。
「貴様の手並み、見せてもらった。軍と剣術士協会への登録もあるのでな、結果は後ほど知らせる。楽しみにしておれィ」
そう言い残すと、マーゲンはどこか嬉しそうに口ひげに隠れた口角をやや上げて、職員室へと去っていった。
この日の夕方、Gクラスで終了のホームルーム中、マーゲン教諭が突然教室に入り込んで、シーネを教室の隅に追いやると、いつもどおりの鬼のような顰め面で一同を睨みつけた。
「総員起立! 気をォ付けィ! 傾聴!」
ふんぞり返ったマーゲンの声は、傾聴せずとも嫌でも耳に入る。
「……っせぇな」
「ハゲは加減を知らない」
「やべェ、耳キーンってなった。獣人は耳と鼻が良いんだよ……」
「そこォ! リュウ・ノーチ! アルム・ファーマシー! リュッケン・クロア! 私語を慎めェい!」
リュウとアルムとリュッケンの、教師に対してあまりにも敬意を欠いた発言はもはやGクラスの名物である。3人の発言にマーゲンが激しくツッコむまでが1セットになりつつある。
「ベイン・ジーケンハウス。貴様を本日より、剣術シルバー級と認定する。より一層精進に励め。なお、1年次でのシルバー級認定は、現3年次のセシリア・カンフルと並ぶ快挙である。覚えておくが良い」
数秒の沈黙の後、Gクラスに隣接する廊下には、若者たちの歓声に続き、マーゲンの『私語を慎まんかァ!』という怒声が響き渡った。




