28 勤勉な弟子
からん、と軽い音を立て、石の床に木剣が落ちる。
「はぁい、今日はお・し・ま・い♡」
「あ……ありがとう、ございました……」
黒髪の美しいエルフの娘が木剣を鞘に納める動作をして、ペコリと頭を下げる。
現在、グランドマスター級に最も近いと言われるセシリア・カンフルは優雅に髪を払い、最近指導を始めた若きエルフ族の少年に歩み寄った。
「大丈夫ぅ? どこか怪我したぁ?」
「い、いえ、大丈夫です」
「そ? 良かったぁ。ベインくんって、身体強化使えないのに丈夫よねぇ?」
「は、はぁ……」
士官学校1年生のベイン・ジーケンハウスは魔力を持ち、初歩的な魔法を使うことが出来るものの、身体強化術を使うことが出来ない。
これは、士官学校の学生としては致命的な『弱点』となる。そのために、彼は問答無用で最底辺となるGクラスに配置されていた。
だが、先だって行われた合同演習では、見事な知略を用いてGクラスを総合優勝へ、さらにGクラスのメンバー全員を部門別最優秀賞に導いている。
虚弱にして脆弱に見られていた貧乏貴族の長男坊は、実はとんでもない才能を秘めていた。その才能を見抜いたのはただ一人、同じGクラスにいる異分子、リュウ・ノーチという少年だ。
ベインの才能、それは『地道に、地味な努力を延々と続けることが出来る』というものだ。
Sクラスの『優秀』とされる貴族の家の子息が、ただの1日で泣いて逃げ出すと言われるほどに厳しいセシリアの稽古。
そんな厳しすぎるほどの指導にも喰らいつき、今やベインは剣術においてはブロンズ級の上位、もう少しでシルバー級の認定試験を受けられるか、といった腕前にいたっている。
現在、士官学校の1年生でブロンズ級の水準までいたっているのは、ベインただ一人である。
「んふふふ、おねえさん頑張ってる子はだぁい好き。基本はもうちゃんと出来てるし、何より身体の使い方が抜群に上手だわぁ。これもやっぱりリュウ君の指導の賜物? かしら?」
「はい。そうだと思います」
「あらぁ、あっさり認めちゃうのね? 男の子は『いや、自分の才能です』って言いそうなのに。ね?」
「事実、僕たちが動けるのはリュウのおかげです」
現時点において、Gクラスで最も厳しい鍛錬を自らに課しているのはリュウ、その次がベインだ。
ちょうどベインがセシリアの剣術指導を受けているまさにその時、アルム、リュッケン、ミナの3人はリュウと共に柔軟運動を続けていた。
毎日必ず入念なストレッチを行っていたおかげか、身体が比較的柔らかかったミナは、開脚どころか立った状態でのI字バランスが出来るようになっている。
アルムにいたっては軟体芸のようなポーズも出来るようになり、関節の可動域は驚異的に広がっている。
もともと身体の柔らかい獣人族のリュッケンも、赤狼族としてもあり得ないレベルの関節の柔らかさを誇るようになっていた。
「みんな柔軟もかなり効果が出てきたな。やっぱり身体が柔らかくないと怪我につながるからな。馬歩の鍛錬もだいぶ出来るようになって来たし、そろそろ次の段階に進んで良さそうだ」
リュウの言葉に、リュッケンは目を見開き、アルムはピクリと片眉をあげる。
ミナだけは少し不安そうな表情をリュウに向けた。
「次の段階はだいぶ難しいけど、今までの鍛錬が必ず生きる。ちょっと概念的なところを説明しないといけない。ミナも諦めずについてきてくれよ?」
「う、うん。頑張る……」
リュウは3人の前でだらりと手を下げ、完全に脱力したかのような姿勢で立った。
「3人とも、俺の真似をして。立ち方はもう教えたよな? 足を肩幅に開いて、重心を脚の間、中央に持ってくる。かかとの骨から足首、膝、股関節、腰、背骨、その上に頭を乗せる感じだ」
「おう、この立ち方な」
リュッケンは一瞬でリュウの指示する立ち姿になる。
意外なことにミナもリュッケンと同じタイミングで、武之内流『直立ち』を成功させる。
アルムもすぐに真っ直ぐに立ち、完全に脱力した状態で『骨の上に立つ』という姿勢をとった。
「この状態で、力の向きを感じ取るんだ。今、力が上から下に向いてるのが分かるよな?」
「分かる。なんとなく」
「俺も分かるぜ」
「え、えっと……一応私も分かる……気がする」
「その向き、力の流れが、武之内流でいう『力脈』だ。その力脈は力の大きさ、向きを感じ取ることで利用する。これが武之内流の『柔』の基礎だ」
武之内流の柔、つまり柔術は、投げ技や関節技、寝技と言った技術体系の総称だ。
「じゃあアルム、ちょっと俺と組もう。んでミナとリュッケンは、俺とアルムの真似を」
「分かった。脱ぐ?」
「え、ちょ、アルム、何で?」
「全部は恥ずかしい」
「いや、脱がなくていいから。ちょっとここに立って。んでミナとリュッケンも向かい合って立つ。それで互いの右手を出して、顔の高さで手の甲どうしを触れ合わせる……いや、アルム? 手の甲。指は絡めなくていいから」
「リュウ、照れなくて良い。私とリュウの仲」
「照れてるんじゃなくて、今やってるのは稽古。良い?」
「……焦らしプレイ?」
「プレイって何プレイって。……ほらミナ、見てないで。何顔紅くしてんの。アルムも指を離す。手の甲な? で、手の甲どうしをくっつけて、お互いにゆっくり押し合う。押されたら引き、相手が押し切ったと思ったら押し返す。だからアルム、手の甲」
日頃の武之内流の稽古からすれば、あまりにも穏やかでゆっくりした動き。
それこそ、どこか遠くの国のダンスのようにも見える動作だ。
「この時に、相手の力の流れを感じ取るんだ。どれくらいの力が、どの方向にどのタイミングで流れるのか。それを感じ取る」
「そうすると、どうなる?」
アルムがじっと至近距離にいるリュウに視線を向ける。
腕を軽く曲げた状態で、互いの手の甲が触れ合う距離だ。それこそ手を伸ばせば互いの顔に指が触れるほどの間合いである。
「そうだな……アルム、逆らうと危ないから、何もするなよ? 身を委ねて」
「え」
少しあっけにとられた状態のまま、アルムがゆっくりと手を押し出すと、まるで魔法のようにアルムの身体が宙に浮き、頭と脚が逆さになるほど見事に弧を描く。
リュウが軽く手首を返すと、音もなくアルムの身体が空中でさらに回転し、脚からふわりと着地した。
すと、と穏やかな音の直後、リュウは手首を返してアルムの手を軽く握る。
直後、ぺたんと尻もちをついたアルムは、まるで抵抗できない様子で軽々と仰向けに倒れ込んでしまった。
「お、おいリュウ!? お前今何やったんだよ!?」
「これが、武之内流の柔の技だよ。アルムの力の向きを感じ取って、押す力を利用したんだ。アルムの力に自分の力をほんの少し添えて、力の向きを変えた。そうすると、簡単に投げたり抑えたり出来——ってアルム? どした? 大丈夫か?」
既にリュウが手を話しているにも関わらず、アルムはなぜか頬を少し紅く染めて仰向けのまま寝転がっている。
「……リュウに押し倒された。今胸も触られた。揉まれた。もうお嫁に行けない」
「ちょ、アルム……?」
「これはもう、リュウに責任を取ってもらうしか」
「えっ、やだ……おめでとうアルム、結婚式には呼んでね?」
「当然。ミナは妹同然。ブーケはあげる」
「アルム、はい起きて」
「ん」
起きて、と促したリュウに向かって、アルムはまるで抱っこをせがむ子どものように寝転んだまま両手を広げて伸ばす。
「んっ」
「いやアルム、『ん』って?」
「起こして、ダンナ様」
「うわマジかよリュウ……」
「ちょっとリュッケン、見ちゃダメ! そっとしといてあげよ? ね? ほら、私達はあっちでやろ?」
ミナはなぜか少し頬を赤らめて、リュッケンの手を握り引っ張り始めた。
「待ってミナ。アルムもダンナ様じゃなくてさ? 真面目にやろ?」
「……おかしい、リュウに私の渾身の色仕掛けが通じない」
「……アルム?」
「リュウはお尻派だったはず。まさか胸派に改宗?」
「アルム、はい起きて」
「ミナ聞いて。酷い、私リュウに騙された。弄ばれた」
「アルムさぁ……」
「私もうお嫁に行けない。リュウに責任取らせたい。手伝って」
「うんうん、大丈夫だよアルム。私はアルムの味方だから。ね? リュッケン? そうだよね?」
いつの間にか巻き込まれたリュッケンは、ちゃっかりミナの手をしっかり握り、アルムのすぐ後ろに回り込んだ。
「リュウ、あなたの子なの」
「アルム?」
「あっ、動いた……」
「何が動くんだよ。ほら立って。ったく、技教えるのやめるよ?」
「ごめん、冗談」
ほぼ無表情のまま、アルムはぺろりと舌を出して片手でコツンと自分の頭をかるく叩く。実にあざとい『てへぺろ』である。
「あのさアルム……なんか最近変だよ?」
「変じゃない。リュウの事が好きなだけ」
「からかってる?」
「からかってない。本気」
「言い方ストレート過ぎない?」
「私は愛に正直な女」
「正直にも程があるんだよなぁ……」
「リュウに褒められると……照れる」
「いや、今のは褒めてない」
まるで夫婦漫才のようなやり取りをしながら、ようやくアルムは立ち上がり、またリュウとゆったりとした舞踊のような動きを繰り返す。
リュッケンとミナも2人をチラチラ見ながら、その動きを真似し始めた。
「……あっ」
「ん? どうしたミナ?」
ゆったりと押して引く、という動きを繰り返す中、突然ミナが声をあげた。
「リュッケン、セクハラ」
「おい、俺何もしてねぇよ」
「ミナがえっちぃ声出した」
「違うの、えっとね……何ていうのかな? なんか分かった気がする」
リュウの視線が、ゆったりとした動きを繰り返すミナとリュッケンに向けられた。
ミナの動きは、ぱっと見た限りほんの数分前までと変わらないように見える。が、武之内流の宗家としての経験を持つリュウの目は、ほんの僅かな違いを見抜いた。
「ミナ、リュッケンの力の向きに逆らわずに、自分の力を加えて、体の軸を中心に回転させる感じで引いてみるんだ」
「うん、こう?」
ぶわ、とリュッケンの長身の身体が宙に浮いた。
「うおわっ!?」
「あっ、りゅ、リュッケン!?」
とっさにミナがリュッケンに手を伸ばして、ノーム族特有の怪力で宙に浮いたリュッケンの身体をぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫!? ごめんね? ごめんねリュッケン! 怪我してない? どこか痛くない? 法術かけよっか?」
リュッケンの長い鼻は、ミナの豊かな胸元に埋もれてしまっており、声が出せなくなっている。
この光景を遠目に見ていたグレゴリオ・マーゲンは、意外なことに寮内での不純異性交遊を咎めることはなく、ただリュウとアルムの奇妙な動きにじっと見続けていた。




