27 国境を守る盾
ランドルト王国において、貴族は多くの特権を有している。
領土からの徴税権がその最たるものだが、領土を持たないいわゆる『中央貴族』は官職への優先的な斡旋があり、軍への入隊の際は将校待遇が約束される、といったものが代表的だ。
もちろん爵位や領土によって差はあるが、平民とは比べ物にならないほどの恩恵が、王国政府からもたらされていた。
事実上の貴族と認められるのは男爵以上の爵位からであり、騎士爵家や準男爵家はこれらの特権を有していない。
その一方で、『貴きものの義務』はしっかり課されているため、騎士爵や準男爵に叙せられることは名誉ではあるのだが、その分出費がかさむ事態に直結する。
ベインやミナの実家が貧しいのも、この『権利はないのに義務はある』という状況のせいだ。
原則として貴族はそのすべてが『国防に貢献する』という義務を負っている。
王国の東方を守護するステルベン辺境伯を始めとする『辺境伯』は、文字通り国軍の要となる存在だ。
「シーナは実家に戻らなくていいのぉ? オジさま、今大変なんじゃなぁい?」
Sクラスだけが利用可能なカフェテラスで、黒髮の妖艶なエルフの女がとびきり甘いミルクティーを飲みながら、間延びした声を漏らす。
向かい側に座っているのは、身長2メートル近い長身に鍛え上げられた体躯の持ち主、ノーム族のシーナ・ステルベンとリカルド・ステルベンの姉弟である。
3年生のシーナは、妖艶な黒髮のセシリア・カンフル辺境伯令嬢と共に、王女アルトリリアの護衛をつとめる実力者だ。
「父上からは特に何も指示は出ていない。が……身体強化術を封じられた、といったことは話しておられたな」
「姉上、その報告は本当なんですか? 魔法も、身体強化も使えないなんて、どういう状況になればそんなことになるんでしょうか……どうにも信じられない内容ですが——」
「リカルド、とりあえずの段階で現場からの報告を疑ってかかるのは悪手だ。反証が出るまでは、現場からの報告というものは、まずは聞き入れるものだ」
「そうだぞリカルドくん。指揮官がいちいちビビらない。上のモンがオタついてたら、現場は混乱じゃすまないぞ? 君も次期辺境伯ならもっと度量というものを見せたまえよ」
姉シーナと、対照的なくらい小柄なベルナデッタに窘められて1年生のリカルドはすこししょげかえってしまった。
「い、いや、そうなのですが……すみません」
本来であれば、士官学校Sクラスと言えども、1年生が3年生のエリアに入り込むのは、よほどの緊急事態でもなければ見咎められるものだ。
リカルドにとっては幸運なことに、そしてランドルト王国にとっては不幸なことに、今はまさにその緊急事態が起きたばかりである。
「帝国との国境に位置する三角地帯……いわゆる『ステルベンの角』は奪われはしたが、その後戦線は膠着状態にあるとのことだ。ステルベンの角から撤退した地域では、普通に魔法も身体強化も使えるらしいな」
緊張の面持ちのリカルドとは対称的に、ベルナデッタは悠然と背もたれに全力でもたれかかり、実にだらしない格好でサクサクとした歯ごたえと柑橘の香りで評判の焼き菓子をひょいひょいと口に運んでいる。
ベルナデッタがリュウ達の前で『デリカシー』と呼んだ菓子、正式名称は『ラングドシャ』である。
「ベル、そんなにお菓子ばっかり食べてると太りますわよ?」
「大丈夫大丈夫、ほら、頭脳労働って見た感じよりエネルギー使うから」
王女アルトリリアに対しても、全くかしこまった様子のないベルナデッタの素行の悪さは、士官学校でも一時期問題になったことがある。
伝統と栄光ある士官学校の生徒にあるまじき態度に言動、素行であると教授会でも取り沙汰された。
だが、ベルナデッタが2年次に発表した『古代戦史研究の実戦的価値と現代戦における有用性について』という論文がある。
この論文が『非常に実践的で有用極まりない』とステルベン辺境伯軍で話題になり、ベルナデッタ考案の戦術が実際に採用された功績もあり、『彼女を下手に叱責した挙句、万が一にも他国に行かれたりでもしたら、下手をすると国の存亡に関わる』として、子爵家令嬢としては異例のSクラス編入が決定している。
「とりあえず戦線は膠着なのよね? 帝国軍の動きはぁ?」
「はっ、セシリア先輩のご実家、カンフル辺境伯家からの援軍もあり、現在は国境手前の川を挟んでの睨み合いが続いている状態とのこと。父上は帝国軍の渡河を食い止めています」
「あらぁ、うちのお母様も行ってるんだぁ……大変」
大変、の言葉にまるで実感の籠っていないセシリアの生家、カンフル辺境伯家は、王国の北方の守りを司る。
領土も隣接するステルベン、カンフルの両辺境伯家は、代々の当主が義兄弟の契を交わしたり両家の子女どうしが結婚するなど、強い結びつきを保っている。
セシリアとシーナも、種族は違えど又従姉妹の関係だ。
「じゃあ、とりあえずは戦線膠着まで持っていけたんだし、目下の課題はその『魔法が使えない』のと『身体強化が使えない』ってところか」
「はい……父上からの情報ですと、三角地帯の奥に行けば行くほど、魔法が使えなくなった、という前線兵の報告があったそうです」
「ふぅん、なぁるほどねぇ……その魔法が使えないってのはさ? 魔法は発動するけど無効化される感じなのか、そもそも発動が出来ないのか、どっちなのかな?」
「後者だそうです。ある一定のラインから進むと、弱い術しか発動しなくなり、最終的には術が全く発動しない、と……」
「身体強化はぁ? 前線の騎士にとって身体強化は要でしょ? アレ使えなくなると大変よぉ?」
エルフでありながら魔法を使わず、剣で戦うセシリアにとって、身体強化術が使えるか否かは死活問題だ。
身体強化術は、前線の軽装歩兵、重装歩兵、軽装騎兵に重装騎兵と、ほぼすべての兵科で『出来ることが大前提』のスキルである。
筋力を大幅に増強することが出来、その割合は最大で筋力を3割増強させることが出来る。
おまけに『重ねがけ』をした場合、3回も重ねれば筋力を事実上2倍に向上させることすら可能である。
魔力の消費が激しいことから、低倍率を長期間かけるか、または重ねがけを短時間だけ使用するかは状況によって異なるものの、ここ500年ほどは戦場において身体強化術を使わないものは『ただの的』や『喋る人形』と同等であるとみなされている。
それだけに、Gクラスのベインやリュウ、リュッケンにミナ、アルムといったメンバーが身体強化術を使えない、というのは、軍人として致命的である。
その事は、今まさに校庭を走らされているGクラスの面々もよく理解していた。
「まぁミナはまだいいと思うんだよなぁ。ノーム族は普通に筋力強いしさ? それに俺等獣人族だって普通の腕力ならエルフとかよりはるかに強いだろ?」
「そう。そこなんだ。種族によって基準になる力が違うだろ? 厄介だよなぁ。あと、俺の見立てじゃ身体強化術には『落とし穴』がある」
「そこォ! 私語を慎めェい!」
「は、はい! すみません!」
「はぁい!」
「ハゲが何か言ってる」
「アルム、ハゲにハゲって言ったらハゲなりにハゲてること気にするかもしれないだろ? ハゲなんだから」
「リュウ・ノーチ!! アルム・ファーマシー!! 貴様らは10周追加ァ!」
マーゲンの怒声への返事の仕方も個性丸出しで、走り込みを10周追加されたリュウとアルムはまったく堪えていない。
Gクラスの5人は、ほぼ無人の運動場を延々と走らされていた。
同じ下位クラスであるDクラスやEクラス、Fクラスの者たちはすでに苦しげに座り込み、あるものは倒れ込み、またあるものはトイレへ駆け込んで嘔吐している。
この日、屋外の体育教練では『身体強化を長時間かけ続けるための訓練』と称しての走り込みが行われていた。
最初の数周は威勢の良かったDクラス、Eクラスも、5周を走り終えたあと辺りから急に失速し始め、10周走りきれたものはほんのわずかである。
Fクラスにいたっては、8周走りきれたものは一人もいない。
そんな中、最底辺であるはずのGクラスだけは、5人が全く変わらぬペースで走り続けていた。
何しろGクラスの面々は、運動が苦手なベインとミナですら毎日朝に30キロもの走り込みをしているのだ。1周400メートルの校庭を10周余分に走る程度、もはや誤差の範囲内である。
「で? 身体強化の落とし穴って?」
下位クラスのものが全員へたり込み、何人かは医務室へと運び込まれた中、Gクラスの5人は延々とのんきにお喋りをしながら走り続ける。
特にリュウは時折数歩前に出て、後ろ向きに走れるほどの余裕の見せようである。
「身体強化ってさ、まずあそこでへばってるあいつら見ればわかるけど、効率悪いんだ」
「アイツらは虚弱」
「だな、まさかこんなお散歩程度でへばるとは思ってなかったぜ。ザコいな。普段から身体強化にばっか頼ってっからだよ。マジ虚弱ってか貧弱だよなぁ」
「リュッケン・クロア! 貴様も10周追加ァ!」
三度、マーゲンの怒声が飛ぶが、リュッケンも全く動じない。
「うぃーす。んで? 効率の他の問題は?」
「単純だよ。身体強化は筋力を強化するけど、骨とか腱とか、筋肉を支える部分は強化しないんだろ? そんなの、俺に言わせれば危険すぎる」
「筋肉を、支える?」
「そ。俺はずっと前、筋肉だけを強くする、まぁアレだな、身体強化をガンガンかけたようなやつを見たことがある」
リュウの前世、武之内隆造は何度もドーピングを施した男と戦ってきた。
その中には、異様に膨張したステロイド使い特有の筋肉を持った怪力の闘士もいたが、その男は単純にパワーだけの男であった。
「筋肉だけじゃ強くなれない。その筋肉を使って動かす骨も、筋肉と骨をつなぐ腱も、そして骨と骨を支え合う靭帯も、少しずつつでもちゃんと強くしないといけない。筋肉だけ強くするというのは、例えて言えばそうだな……」
「弓を引く力だけを強くして、弓と弦を弱いままにするようなもの?」
「そうそれ! まさにそれだよアルム。さすが!」
「リュウに褒められると照れる」
ほぼ表情が動かずジト目なままだが、よくよく観察するとアルムはほんの少し口角を上げている。
「力に耐えきれる内は良いんだ。矢は速く、遠くまで飛ぶ。でも、何度も何度も矢を放ち続けるとどうなる?」
「ま、まさか……リュウ、ひょっとしたら……弦が切れるとか?」
不安げなミナも、今では前衛3人組にちゃんとついてくることが出来るようになっている。もちろん、ベインも同じだ。
「いや、ミナ。それだけじゃない。最悪の場合は弓が折れる。つまり、人類の身体で言えば骨が折れる……そう言うことだろ? リュウ?」
ベインの問いかけに、くるりと身を翻して後ろ向きに走るリュウが頷いた。
「その通り。さっき話した筋肉だけを強くした奴は、自分の筋肉の力に骨が耐えられなかった。結局、自分でベッドから起き上がることもできなくなってたよ」
「うげっ……マジか、身体強化って危なくね?」
「ベインは知ってるかも。エルフの諺に『強すぎる弓は射手を殺す』ってある」
「あぁ、知ってる。そうか……身体強化術は、ある意味両刃の剣なんだな」
「そういうこと。でもベイン、アルム、ミナ、それにリュッケン。俺達がやってきた事を思い出してくれ」
後ろ向きのまま、余裕綽々で走るリュウに4人が視線を向ける。
ニンゲン族の小柄な少年は、自信に満ちた不敵な笑みを浮かべていた。
「俺達は、ちゃんと弓も弦も鍛えてる。骨も、腱も、筋肉も、靭帯も、全部毎日鍛えてる。だから、大丈夫だ」
「リュウ・ノーチ! いい加減に私語を慎めぇい! 前を向いて走らんかァ!」
「はいはいわかりましたぁー、さーせんしたー」
「……筋肉ダルマハゲのくせに」
「貴様らァ!!」
この日、時間ギリギリまで走り込みをさせられていたGクラスだけが、D、E、Fクラスのほぼ全員が立ち上がれない中を、まるで散歩でもするかのように悠々と運動場を歩いて去っていった。




