26 不穏な空気
「やぁやぁおはよう、ド底辺の諸君! ボクだ!」
ガラガラぴしゃんと凄まじい音と共に、もはやおなじみになった挨拶をしながら教室の戸を開いたのは、士官学校3年生Sクラスのベルナデッタ・ヘルセネン。
現在士官学校に通う王女アルトリリアの側近兼護衛であり、同時に王国軍参謀本部において筆頭軍師を務めるヘルセネン子爵の一人娘である。
常に挙動不審、奇人変人としても知られるが、彼女を有名にしているのは、天才的な軍学、軍略の才覚である。
なんと士官学校入学前には戦史研究における論文を発表し、軍学の授業では以前教師を務めていたストマックという男を論破し、さらに軍学部門において入学以来一度も首席の地位を明け渡したことがないという天才である。
彼女は、軍学教諭が最近相次いで退職したこともあり、Gクラスの軍学の授業を臨時講師として受け持っている。
「さぁ、今日もド底辺らしく、ボクのおいしいバイトの金ヅルになってくれたまえよ?」
「あ、あの、ベルナデッタ先輩、言い方」
現在、ベルナデッタの直弟子として軍学を教わっているベインは、まるで頭痛をこらえるような仕草をしながら教壇にいる小柄な少女に声をかけた。
「なんだ、合同演習でいい成績を取ったからと言って、Gクラスが最底辺なのは変わらないぞ? 才能もカネもコネもない貧乏人が這い上がるには努力しかない! 血反吐ぶちまけるまで努力するんだ諸君!」
「ベル先輩、デリカシーって知ってます?」
「君は相変わらず失敬だな、リュウ。ボクだってデリカシーくらい知っている。最近王都で人気のアレだろう? あのサクサクしてて、柑橘系の香りと抑えめの甘味がタマらないアレだ」
「それ絶対、俺らが知ってるデリカシーってやつじゃねぇな……」
「最近になってりんご味も出たそうだ。貧乏人のキミ達にはなかなか手が出ないお値段らしいぞ?」
リュウとリュッケンはいつも通り、軽い調子でツッコミを試みるが、ベルナデッタの圧倒的ボケの前には火力が不足していた。
ツッコミに対してさらにボケ倒すという荒業で、1年生コンビは簡単にねじ伏せられてしまった。
「さてとだ。今日の軍学の授業では実に面白い話が出来るぞ。期待していたまえ」
「……なぁリュウ、なんかヤな予感しねぇ?」
「する。めっちゃする。むしろヤな予感しかしない……」
「わかる。ベル先輩が楽しそうなときは、大体ろくなことがない」
授業中の私語は、リュウケン、リュウ、アルムにとっていつものことだ。
ベルナデッタもすっかり慣れっこで、問題児3人の軽口など鳥の囀りほども響かない。
「あの……ベルナデッタ先輩、その『実に面白い話』って、ひょっとして今朝の新聞に出てたやつですか?」
「おっ、ベイン君、さすがはボクの弟子だ。ちゃんとニュースにも目を通しているね? 良いぞ良いぞ。今度ボクが可愛がってあげよう。今夜にでもSクラス女子寮に夜這いに来たまえ」
当然のことながら、士官学校男子寮は女子生徒の立ち入りが原則禁止されているし、夜の女子寮に男子生徒が上がり込むなど言語道断。
見つかれば問答無用で退学ものだが、毎年潜入を試みる者が後を絶たない。
「ベイン、まさかベル先輩とそういう仲なのっ!?」
「ベイン、最低。このケダモノ」
「ち、違っ、え? ちょっと待って? ねぇミナもアルムも何言ってるの!?」
「ミナもアルムも、安心したまえ。ボクは処女だ。今のところは、だがね? 今夜ベイン君が僕を襲いに来れば話は別だ」
「行きませんから! だからベルナデッタ先輩、その『面白い話』! 帝国の話ですよね!?」
Gクラス随一の常識人であるベインは、同時にクラス随一の苦労人でもある。
なぜか被害者のような表情で『やれやれ、これだから』と呟いて、ベルナデッタは黒板に大きく地図を描いた。かなり雑で、大雑把な地図だ。
「諸君はどうせ新聞も読んでないだろう? ベイン君を除いてね。諸君にとっても無関係なものじゃないニュースだ」
かかかか、と勢いよく様々な地名を地図に書き込んでいく。
が、ベルナデッタの書き殴る字はお世辞にも読みやすいとは言い難いものだ。
「端的に言おう。我が国と東側で国境を接する隣国、エントラッセン帝国との間に紛争が勃発した。まぁここ十数年、ただでさえ悪かった帝国との関係は冷え込んでいたからね。ぶっちゃけた話『いつ、どちらからおっ始めるか』の問題だったんだ」
「いや、ベル先輩……『おっ始める』って——」
「で、だ。今回もどっちからどういう理由でどんなふうに仕掛けたかは分かってない。ぶっちゃけ両方の国で『相手が先に手を出した、こっちは防衛しただけだ』って言い合ってるからね。まぁ戦争によくあるプロパガンダってやつだね。さぁベイン君、キミはこの紛争の戦端がどう開かれたか、わかるかね?」
ベインは腕組みをして、珍しく真剣な顔で黒板に描かれた雑で下手くそな地図を見上げている。
「……ベルナデッタ先輩、部隊の配置は——」
「ここに書いてるとおりだよ。ちなみにボクの実家の父からは何も聞いてない。新聞の報道から判断したけど、まぁ確実に合ってるだろうね」
「なるほど。それじゃあ——」
ベインは静かに立ち上がり、チョークを使って几帳面な字と矢印をいくつか書き込んでいく。
何度か手を止めて指をくるくると回しながら何事かを考え、また書き込みを続ける。
ベルナデッタはその書き込みを満足げな顔で眺めてしきりに頷いていた。
「帝国から、ですね」
「御名答。さすがはボクの弟子だ。ますます僕の処女をあげたくなったよ」
「あの、だからベルナデッタ先輩……」
「エルフ女の愛は激しいからね? いつでもボクの部屋のドアをたたき給え。まぁ、シーナも同室だけど気にしないでいい」
「気にしますよ……あと、行きませんからね」
ぱんぱんぱん、と軽く手を叩いて、ベルナデッタは心の底から満足げな笑みを浮かべて、控えめな大きさの胸元を強調するようにボタンを2つ外した。
が、ベインの視線は黒板に向いていて、小柄なベルナデッタの色仕掛けには気付かない。
「恐らくですが、東側国境の突端部分、『ステルベンの角』からでしょう。ランドルト王国側の領土が、エントラッセン帝国側に食い込んでいるところ。帝国からすれば、自国の領土に入りこまれているように見えるけれど、その反面3方向からの包囲攻撃がしやすい。おまけに王国側は背後が川です。となれば、帝国側は重装騎兵か重装盾兵を使って王国軍を川に追い込み、正面を向いたまま退却する王国軍の側背を左右両翼から騎兵で急襲。混乱が起きたところで帝国の重装騎兵が突撃をして部隊を分断して、この三角形の突端の領土を切り取った——ってところでしょうか」
「ふむ。実に合理的で容赦ない、ボク好みの戦略だね。さて、ボクの処女を奪う予定の可愛い愛弟子の見解が正しいかどうかだが、ここに参謀本部に届けられた報告の写しがある」
ひらひら、とベルナデッタは薄い紙が収められているであろう封筒をポケットから取り出した。
「え、何すかベル先輩、それ」
「ん? リュッケン、キミもオトメの秘密に興味があるのかい? ミナという可愛いカノジョがいながら、浮気は感心できないよ?」
「な」
「べ、べ、ベル先輩っ!?」
「おいマジかリュッケン、お前、ミナと!?」
「さすがリュッケン、ケダモノ」
真っ赤になって慌てるミナ、驚きの表情を浮かべるリュウ、そしてなぜか冷静沈着にジト目でリュッケンを睨みつつリュウの腕を掴むアルム。
封筒の中身が何なのかを確かめたかっただけのリュッケンにとっては、とんだ藪蛇である。
ちなみにミナとリュッケンは現在、『まだ』両片想いの状態であるのだが、これはまた別の話。
「まぁ、ボクの授業中でなければ好きなだけイチャつけばいいけど、今は大事な話だ。欲望は抑えておいてくれたまえよリュッケン」
「い、いや、ちが、ちょ、べ、ベル先輩!?」
獣人族は体毛のために顔が紅潮しているか分かりづらいが、ミナは実に分かりやすい。
短めの尖った耳の先まで真っ赤にして、両手で顔を覆って俯いてしまった。積極的なアルムと違い、ミナは元来非常に大人しく奥手で心優しい少女なのだ。
「な、何でそんなモン、ベル先輩が持ってんですか!? それ国家機密じゃないんすか!?」
「ん? あぁそうだね、国家機密だ。重要な軍事機密情報だね。これは今朝東方の紛争地域の方面軍司令官を務めている、ステルベン辺境伯、つまりシーナの父君からの連絡書の写しだ。」
「あ、あの、ベルナデッタ先輩……? 今さらですけど、なんで先輩がそんな重要な国家機密のメモを持ってるんですか……?」
「おやベイン君、君は随分とボクのプライベートでナイーブなオトメの秘密に興味があるようだね? 良いだろう、教えてあげるとも。これは今朝たまたま実家に忘れ物を取りに行ってね。思いつきで忍び込んだ父上の部屋で、偶然見付けた書簡だ。何かの拍子にボクの鞄に入ってしまったらしい。いやぁ、不幸な事故だね」
ドヤ顔でふんぞり返るベルナデッタだったが、要は『参謀本部に勤める父の重要書簡を拝借してきた』という、どう考えても褒められたものではない事情だ。
ベインは頭を抱えてうずくまってしまった。
「あぁやっぱり……ベルナデッタ先輩についての、悪い予感と嫌な予感だけは当たるんだ……」
「機密漏洩……軍法会議待ったなし」
「大丈夫だ諸君、心配しないでくれたまえ。封書は開けられていた。つまり内容はもう父上は把握しておられる。それに——」
冷静沈着に恐ろしいことをつぶやくアルムに、ベルナデッタは子供のような嬉しそうな笑みを見せた。
瞬時に安心したような顔のリュッケンとミナは、ベルナデッタが『これは既に公開されている情報だ。機密情報だった、という表現のほうが正しい』とか言って全員を安心させてくれるものだと思い込んだ。
が、当然、ベルナデッタがそんな優しい事を言う女ではない無いということくらい、リュウとベインは百も承知である。
「諸君、心配するな。何をやってもバレなければ良い」
「ダメだこの先輩、最悪だ……」
「ベイン、お前はこうはなるなよ? な? 下手すりゃ連帯責任だぞ?」
「ど、どうしよう、どうしよう、こんなの絶対軍法会議だ……」
リュッケンもリュウもベインも、さすがに頭を抱えてしまった。
ベルナデッタの天才っぷりは、父であるヘルセネン子爵も、学友でもあるアルトリリア王女も、そして士官学校学長を務める王弟シュターガー・ランドルト大公も認めるところである。
が、同時にこの破天荒な行動も、誰もが知るところだ。
「大丈夫、リュウ。遠くに逃げよう。2人で遠くに逃げて、そこで静かに暮らそう」
「アルム、お前……っていや、そうじゃなくてさ。ベル先輩、その紙、そもそも軍事機密って何が書かれてるんですか」
「ん? 知りたい? 知りたいよね? 当然知りたいと思った。そうだろうとも。さぁ諸君、耳の穴かっぽじってよくきき給え。先程のベイン君の見解は——」
ばさ、と乱暴に封筒の中身を広げて、最高軍事機密文書を堂々と黒板に叩きつける。
「全て的中、大正解だ! さすがボクの弟子! よしよし、今日はご褒美だ。特別に女子寮への抜け道を教えてあげよう!」
「い、いらないですってば!」
ベインは慌てた様子で立ち上がり赤面するが、リーダーの痴態を見逃すGクラスメイトではない。
「べ、ベイン……そんな、女子寮に忍び込むつもり……わ、私達、まだ1年生だよ? えっちぃのはまだ早いよぉ……」
「さすがベイン、ヤらしい」
「違う……違うんだ、これは僕じゃない。聞いてくれミナもアルムも、全部ベル先輩のせいじゃないか」
「うっせぇ、さっさと爆発しやがれこのリア充め」
「せいぜい可愛がってもらえ。あとで話聞かせろよ?」
そこには記されていた報告書には、ベインが予想した通りの展開が記されている。
ただひとつ、ベインもベルナデッタも予想できなかった一文が、最終行に乱暴な字で書き殴られていた。
『魔法が発動せず、身体強化術が使用できない状態に陥った』




