25 朝稽古
令和の日本にあって、『地下格闘技』だの『闇試合』だのといったものが実在する、と考える者は少なかった。
だが、食べること、寝ること、そして生殖といった生物としての本能に根ざしたものは、どうしても尖った者たちが生まれてくる。
それは、己の生存を確保するための手段、『闘争』というものについても同じだった。
もともとは生き残るため、自らの生存を確かなものにならしめるための技術体系だったものが、やがて自ら闘いを求めるようになったのは、人間という生物の根幹にある性情がどうしようもなく獰猛であったからかもしれない。
「ま、そんなワケで武之内流は、ルールも情も無用な実戦的『技術』を追求していったんだ」
小柄な少年、リュウ・ノーチはぱんぱんと軽く手を払って、石床に倒れ込む獣人族の青年を見おろした。
誇り高き獣人族の戦士、リュッケン・クロアは少数民族である獣人族のなかでも、抜群の機動力を誇る赤狼族の族長の息子であり、リュウとは学生寮において同室の親友同士だ。少なくとも、リュッケンはそう考えている。
「相変わらず容赦ねぇよな……何だよ今の技」
「名前があるのは基礎技だけだよ。今のは『小手返しからの脇固めからの肋骨砕き』かなぁ。合同演習んときに上位クラスの拠点でやったけど、リュッケンの体重で膝を脇腹に落としたら確実に殺せる。俺んときは折れたアバラが内臓に刺さって、血反吐はいてのたうち回る程度の軽い怪我だったけど」
「エゲツないにも程があるだろ、本気でやったら死ぬぜ?」
「うん、死ぬね。そういうものだから、武之内流って」
武之内流宗家、武之内隆造は、令和の時代に行われていた、『地下格闘技』の『闇試合』において敗れて死んだ。
齢72歳の老武術家の戦績は、通算82勝19敗。最後の試合であたった相手は、『表』の世界でもオリンピックでフリースタイルレスリング、ヘビー級の金メダルを獲得し、総合格闘技の世界でも3団体のスーパーヘビー級を統一した圧倒的強者である。
さらに、ドーピングという禁忌の手段に手を出して、身長192cm、体重160kgにして体脂肪率わずか9%というバケモノに成り果てていた。
このバケモノと武之内隆造との試合が組まれたときには、世界最高水準の技術と圧倒的な人外のフィジカルを持つ相手に、身長169cm、体重65kgの小兵では数秒ももつまい、というのが当初の下馬評で賭けも成立しない状況であった。
武之内流兵法は、もともとが『小柄で膂力に劣るものが、大柄な甲冑武者を相手取って戦う術』として600年間磨き抜かれた技術である。ドーピングが当たり前の地下格闘技の世界で、何人もの筋肉ダルマを捌いてきた隆造とはいえ、その対応能力にも限界というものがある。
大方の予想を覆し、龍造はロシア人の巨漢の左肘の靭帯と左目の視力を奪った。ほんの数秒で終わる一方的な惨劇を観客は期待していたが、巨人と小兵の死闘はなんと90分に及んだ。
リュウ・ノーチ、すなわちその前身である武之内隆造としての最期の記憶は、自らの眼前に迫る岩塊のような拳が、鼻骨と頭蓋を粉砕し自らの顔にめり込む感触であった。
「死ぬのはやっぱ怖いよなぁ」
「赤狼の戦士は死を恐れないぜ」
「なぁリュッケン、それじゃダメだ。武之内流は生き残るための技術だぜ。『死を怖がるなかれ、されど恐れよ』って言葉、覚えといてくれ」
「何だそれ、怖がっちゃダメだけど恐れよ? ワケ分かんねぇ」
「今はそれでいいからさ」
リュウは大柄な獣人、リュッケンに手を差し伸べると、仰向けに寝転がっていたリュッケンは小さくも恐ろしいその手をとった。
いてて、とつぶやきながら立ち上がると、背の高いリュッケンの顔に朝日が差し込んでくる。
栄光あるランドルト王国王立士官学校、その中でも『最底辺』と呼ばれるGクラスに所属する彼らの、ここ2週間ほどの日課である。
「アルム、大丈夫? 立てる?」
「立つ。平気」
リュウが視線を向けた先に、体操座りのような姿勢で腰を下ろしていた、小柄な赤毛のエルフの少女アルムは、表情を全く動かさずにゆっくりと立ち上がった。
彼女もまたGクラス、最底辺と呼ばれる存在だ。
リュッケンやリュウ、そしてアルムが最底辺クラスに押し込められた理由は単純明白である。
Gクラスにいる合計5名は、いずれもが軍において必須の能力とも言われる、身体強化術が使えない。これこそがGクラスが最底辺と呼ばれる理由だ。
「リュウはドS」
「いや、そうじゃないんだけどさ」
「でも私はリュウなら受け入れる」
「ちょっとアルム?」
「頑張ってMになる」
「いや、ならなくていいから」
リュウはランドルト王国において平民、それも孤児という出自だ。
ランドルト国内では、貴族以外は魔法を使えるものがほとんどいない。魔力を持つか否かは『血で決まる』と言われており、貴族になれるかいなかは魔力を持つか否かで決まる。
例え貴族であっても、魔力を持たないものは家を追放、勘当されることも珍しくない。
その逆もまた然りで、平民がたまさか突然変異的に魔力を持つことになった場合、ほぼ確実に貴族になることが出来る。
だからこそ、ニンゲン族の平民の間では『勘当、追放された元貴族の子女』との結婚を望むものが多い。
継代すれば先祖返りで魔力を持つものが現れるかも知れない、というのがその理由の最たるものだ。
一方、人類の主要種族の中でも魔力において抜きん出ている種族はエルフ族だ。
生まれながらに強大な魔力を持つと言われ、永遠とも言える長い寿命でさらに魔力の器を大きくしていく事ができる。
ランドルト王国の王家も、侯爵家以上の高位の貴族も全てがエルフ族であるのは、ひとえにこの膨大な魔力量が理由となっていた。
そんなエルフ族でも、極稀に魔力を持たない『忌み子』と呼ばれるものが生まれることがある。
アルム・ファーマシーは、貴族の最下位にあたる騎士爵家の六女として生まれたが、彼女こそがその『忌み子』であった。
同族からも蔑まれ、虐げられ、家畜のように扱われてきた彼女は、家からは追放され行く宛も失い、ほぼ消去法で『衣食住と訓練、さらに卒業後の軍への就職は保証される』という王立士官学校を行き先に選んだ。
弓の技を磨いたアルムは、エルフ族らしい身のこなしの軽さと器用さを活かし、リュッケンと共にリュウに武之内流の手ほどきを受けている。
「まさかリュウがM?」
「違うから。ミナは大丈夫か? 立てる?」
「う、うん、大丈夫……よいしょっ」
アルムと共に腰を下ろしていた大柄な少女もゆっくりと立ち上がる。
頑健で、膂力と体力に優れる種族、ノーム族のミナ・サージェリーは、Gクラスの中で最も大柄で、最もパワーに恵まれ、そして最も心優しい少女である。
身長は実に2メートルを超え、体重に関しては『女の子にそういうこと聞く!?』と断固として教えようとしなかった。
ミナは貧乏準男爵家の長女であり、弟や2人いる妹たちが少しでも楽に暮らせるようになるため、自ら口減らしのような形で士官学校へと入学した。
人一倍大柄な彼女は、食事量もエルフ族で小柄なアルムと比較すると数倍の量を必要とする。
事実、サージェリー準男爵家は、ミナが士官学校へ行き寮に入ってからというもの、食費がかなり楽になっている。
「ミナもだいぶ杖術が上達してると思う。俺じゃあの鉄杖は扱えないしな」
「えへへ、そうかな?」
「あぁ。あとミナに足りないのは自信くらいじゃないか?」
「ミナは優しすぎ。あと自己評価がドン底」
「だって……」
ミナの両親は、最初彼女が軍の士官学校へ行きたいと言い出したときには猛反対したものだ。
何しろミナは優しすぎる。戦争に行く軍人など到底務まらないだろう、というのが何よりの理由である。
だが、優しい彼女は、自分1人が家を離れて家族が少しでも楽な暮らしができるならば、と両親の反対を押し切って士官学校に入っている。
ミナは身体強化術を使えないものの、回復や治癒のための法術に適正があり、クラスで唯一法術を使うことが出来る。
リュウはもともと孤児であり、孤児院を家出同然に飛び出して士官学校に平民枠で入学しており、勝手に『帰る場所などもう無い』と考えている。
リュッケンは族長である父から『一人前の武人になるまで帰ってくるな』と言い渡されている。
アルムにいたっては、家族からも追放されており、帰る家など最初からありはしない。
ミナは家族を思えばこそ、士官学校を辞めて実家に帰るなど、考えることすら出来なかった。
「みんな、朝食できてるって。早く来なよ」
そしてもう1人、Gクラスに所属するのは、食堂につながる通路から顔をのぞかせた男。ミナと同じ階級の準男爵家長男、ベイン・ジーケンハウスだ。
Gクラスにおいて『魔法』を使えるのは、Gクラスのリーダーであるベイン1人だけである。
彼はリュウの武之内流武術の基礎の他、彼を気に入った上級生から、直接剣術の指導を受けている。朝の稽古も前半の基礎鍛錬だけ参加して、残りは軍学と魔法の自習に当てていた。
「今日はオークのスネ肉の煮込みだってさ。みんな好きだろ?」
「やった! 俺2回はおかわりするぜ!」
リュッケンがクラス1の健脚を活かして食堂へと駆け込んでいった。
「あ、ちょ、ちょっとリュッケン!? 待ってよぉ! みんなの分まで食べちゃダメだからね!?」
大柄なミナが大きな歩幅でそれに続き、リュウとアルムはのんびりと歩いて食堂へと向かう。
1ヶ月前に行われた、王立士官学校の最大のイベント『合同演習』において、学校の歴史上初となる『底辺クラスの総合優勝」を成し遂げた彼らの、朝のいつものルーティーンである。
「リュウ、私の稽古はもっと激しくて良い」
「大丈夫か? アルムもあんま無理するなよ?」
「大丈夫。リュウは私に何しても良い」
「いやアルム、言い方」
「興奮した?」
「してない」
「……ちっ」
アルムはいつもの『ジト目無表情』のまま、ふい、とリュウから視線を外す。
合同演習の後、アルムは異様に積極的にリュウにつきまとうようになっているが、クラスメイト達は見て見ぬふりを貫いていた。
「見ててリュウ。私がオトす」
「お、そっか。じゃあアルム、今度から寝技とか絞め技とかも教えようか」
「寝技? 大歓迎!」
ジト目を珍しく見開いて、アルムがリュウに顔を近づける。
二人のやり取りを、すっかり見慣れたベインがため息交じりに眺めていた。
「ね、ねぇアルム、多分だけど、いま二人の間に誤解があると思うんだ」
「大丈夫。私はリュウをよく分かってる」
「い、いや、だからさアルム?」
軽口を叩き合いながらGクラス用の食堂へと向かう3人に、Gクラス寮の寮監でもあるドワーフ族の老夫婦の声が飛んでくる。
「何やってんだい! さっさとしないとリュッケンとミナが全部食っちまうよ!?」
小柄な三人は、慌てて石造りの廊下を駆けていった。




