23 クラスは今
「やぁやぁド底辺諸君! おなじみのボクだ! 席に着きたまえ!」
もはや誰も違和感を覚えなくなったベルナデッタ・ステルベン子爵令嬢の挨拶に、リュッケンは『うぃーす』と気怠そうな返事を返して、大人しく自席に戻る。
リュウ、ベイン、アルムもそれぞれのんびりと席に戻ると、教壇に立つメガネ姿のエルフの先輩を揃って見上げる。
「いやぁ諸君、よくやってくれた! キミたちのお陰でボクも実に鼻が高い。ありがとうボクのために!」
「あの、何の話っすかベル先輩」
「ん? ほら、アレだ、合同演習だよ。アレでボクの愛弟子であるベイン君の戦術と戦略の正しさが証明された! つまりボクの正しさが証明されたってワケだ。いやぁご苦労ご苦労、良くやったぞベインくん、ご褒美にボクがキスをしてあげよう」
「え、あ、いや、え、遠慮します……」
「なんだ、キミも男子学生だったら女子の先輩からのキスくらい、喜んで受け取りたまえ。それともなにか? スカートの中が見たいかい? 先に言っておくが今日の僕の下着は赤だ!」
「べ、ベル先輩ッ!? あの、そ、そういうのはその、良くないと思いますっ」
大柄なミナが顔を真っ赤にして立ち上がる。
ノーム族らしく最も身長が高いミナが立ち上がると、教壇に立つエルフ族のベルナデッタよりも視線の位置が高くなる。
「ふむ、ミナ君は相変わらず真面目だな。まぁ良い、それじゃベイン君、今日もセシリアとの剣の稽古の前にボクの私室に来たまえ。胸くらい揉ませてやろう」
「やったじゃんベイン……面倒見て貰えよ、なぁ?」
「一足先に『卒業』か、おめでとうベイン。後で感想教えろよ?」
「リュウもリュッケンも……ボクはその、そういう事はまだ——」
男子3人の会話内容に『ちょっと男子?』とでも言わんばかりの目つきで睨みつけているのは、アルムとミナの女性勢である。
「ベイン、ケダモノ」
「べ、ベイン……まさかホントに行くの? 行かないよね? ねっ?」
「えっと……これ、僕は何も悪くないよね? な? リュッケン、僕じゃないよな?」
「うっせェ、さっさと『卒業』しやがれリア充め」
「末永く爆発しろ。ってかセシリア先輩に言いつけてやろ」
合同演習で史上初の快挙をなし遂げたにも関わらず、Gクラスはあまりにもいつも通りだった。
「さてド底辺諸君、今日も楽しい軍学の授業だ。先日の合同演習のおさらいをするぞ? さぁベイン君、前に出て来てくれたまえ。合同演習での戦術と戦略をそれぞれキミの口から説明してもらおうじゃないか」
「えっ? 僕が講師ですか!?」
「そうだとも。キミ以外に誰がいるという言うんだい? さぁさぁ、面白い話を聞かせてくれたまえよ?」
Gクラスの教室で、いつもどおりの軍学の授業が繰り広げられるなか、Sクラスはまるで葬式のような雰囲気であった。
「すまなかった、リカルド。僕が間違っていた」
唐突に、ロレンツォがすぐ隣の席のリカルドに頭を下げた。
通常ならば考えられないことである。ランドルト王国において、貴族の実質的な最上位となる公爵家の令息が、爵位がひとつ下の辺境伯の家の者に対し、自らの過ちを認め頭を下げるなど、言語道断の事態である。
ランドルト王国には4公家と呼ばれる公爵家があり、キルルージャ公爵家はその中でも王家に並ぶ歴史を持つ、最も古い格式のある公爵家である。
事実上、王族に次ぐ権勢を誇る家柄であり、その跡取りであるロレンツォは、現在王国の宰相を務める現公爵ジョルジオの後を継ぎ、次期宰相間違いなしと噂される人物だ。
そんな男が、親友であるとはいえ格下のステルベン辺境伯家の子息に頭を下げて謝罪をしたうえ、みずからの過ちを認めたのだ。
それも、全クラスメイトの眼前で、である。
Sクラスに所属する者は最低でも伯爵家以上の爵位を持つものであり、15名の生徒は全てが将来国の中枢で要職の椅子が約束されている、そんな者たちだ。
下手に謝罪をしたり頭を下げたりすれば、将来の権勢に悪影響が出る事は間違いない。それだけに、辺境伯家以上の子息は『例え自分が誤っていたとしても、それを認めるな。謝罪など以ての外である』と教育を受ける。
「ロレンツォ様……おやめください! そんな事をするべきではありません!」
「いや、僕は謝罪しなければならない。リカルド、君が戦術の助言をしてくれていたのに、僕はそれを聞き入れなかった。その結果が今年の合同演習だ……Sクラスが優勝を飾れなかったばかりか、表彰者すらゼロだ。父上にも、皆の家に対しても言い訳のしようがない。全ては第1班のリーダーだった僕の責任だ」
Sクラスはしん、と静まり返る。
そんな教室の扉を開いて入ってきたのは、ドワーフ族の老人である。
軍学講師のマルドゥ・テトは、齢500年を超える古典派軍学の研究者であり、同族の英雄コッヘル将軍に心酔するランドルト王国軍学界の重鎮である。
コッヘル将軍語録を聖典とする『コッヘル派』を形成する派閥のトップであり、ベルナデッタ・ステルベンを『異端』として毛嫌いする頑迷な保守派として知られている。
「ほぉン? 何じゃ? 何を落ち込んでおられるのかの? キルルージャ公爵令息?」
「マルドゥ先生、僕は今から、教師であるあなたに対して大変失礼なことを申し上げねばならない」
「ほぉン? 失礼なこととはまた異なことを。公爵家の跡取りであるあなた様ならば、たかだか引退した子爵に過ぎぬこの老いぼれに、どのような言葉で何を言ったとてそれは失礼などにはあたりますまい?」
「ありがとうございますマルドゥ先生。では遠慮無く」
ロレンツォは立ち上がり、教壇に立つ小柄なマルドゥの丸く太った身体を見下ろすと、すっと指で入口の扉を指した。
「マルドゥ先生、あなたを更迭します。あなたが教える古典派、原理主義コッヘル派軍学は、合同演習において何の役にも立たなかった。この事は我々上位クラス拠点と下位クラス拠点両方が、初日に事実上陥落させられたことからも明らかだ。下位クラス拠点も、実質Gクラスに落とされたも同然だ」
「な、なっ? ……何、な、何を、一体——」
「軍学の授業は今後、筆頭軍師であるヘルセネン子爵が主張する『実践派』の軍学を学ぶことにする。これは僕から今夜にでも父上に具申するつもりだ」
「ほ、ほぉン!? れ、令息? それは、このワシの軍学が、学ぶに値せんと、そう仰っておるのかな?」
「ご理解いただけたようで安心しましたよ、マルドゥ先生。では、これまでのご指導に感謝します。どうぞ職員室へお戻りを」
「し、しかしじゃな? ワシの、伝統を重んじるコッヘル主義軍学はこれまで——」
「どうぞ、お戻りを。マルドゥ先生」
公爵令息は、頭を一切下げなかった。
詫びの言葉の一言もなかった。
ロレンツォのこの姿勢は、公爵家のものとしてあるべき姿とも言える。
つまり、イレギュラーでもなんでもない『公爵家の命令』としての更迭宣言だということを意味している。
「せ、せめて理由を、ワシが更迭されねばならん理由は一体何なのですかな?」
「理由はいくつかあります。まず1つ、今回の合同演習において、同じ段階まで学んでいるはずの、よりにもよってGクラスに対して先生の教えは何ひとつ役に立ちませんでした。兵は神速を尊ぶべし、好機と見たら全力で攻めかかるべし、という教えは完全に裏目にでました」
「そ、それは運用の問題でありましてですな? コッヘル主義の第一に、正々堂々と、正面から叩き潰し威光を示す重要性を——」
「先生もお聞き及びでしょう。今年の合同演習、表彰は全てGクラスが独占しました。マーゲン先生、シーネ先生をはじめとする講師陣の講評では、『個別の武力差ではなく、勝敗を分けたのは戦術とその運用である』という結果が出ています」
「まさか、まさかロレンツォ様は、ワシの軍学が、古いと? もはや通用せぬと? そう仰りたいのですかな?」
「そのとおりです先生。我々Sクラスは、伝統あるこの『S』の威厳を取り戻さねばならない。そのためには、最新の軍学を学ばなければならないのです。したがってマルドゥ先生、あなたには教壇を降りて頂きます」
「ワシは……ワシは、ワシの人生を賭けた、コッヘル主義軍学は……」
「これまでのご指導、ありがとうございましたマルドゥ先生。では、出口はおわかりになりますね?」
この日、老ドワーフの軍学者、マルドゥ・テトは王立士官学校学長を兼任する王国軍総司令官、王弟シュターガー・ランドルトに辞表を提出、その後一切表舞台に出る事はなかった。
老教師を見送ったロレンツォは、Sクラス15名の前で再度頭を下げた。
「諸君、申し訳ない。今回の合同演習の大失態は、全てこの僕、ロレンツォ・ド・キルルージャの責任だ」
「ロレンツォ様、それは——」
リカルド・ステルベンが立ち上がろうとするが、ロレンツォは視線だけでその動きを制する。
この辺りの威厳は、さすが最上位の貴族の一員といったところだろう。
「僕は宰相の息子として、公爵家の跡取りとして決して犯してはならない過ちを犯した。それは慢心という過ちだ。正直に言おう、僕は侮っていた。せいぜい警戒すべきはAクラス、Dクラス以下の下位クラスなど存在しないも同然であると考えていた」
Sクラスに所属する若者は、全員が一言も反論出来なかった。全員が同じ事を考えていたためである。
「僕は本日この場で、考えを改めた。奴らは危険だ。警戒すべき脅威だ。脅威に対して、僕はまだまだ未熟だ。だからこそ、より良い師に学ばねばならない。より勤勉に、より気高くだ」
ふぅ、とロレンツォは大きく息を吐き、視線を窓の外に向ける。
その先には、日当たりの悪い場所に建っている粗末な木造の校舎があった。
「見ているが良い、Gクラスの底辺ども……我ら栄光あるSクラスが、このままで終わるなど夢にも思わないことだ」
王女アルトリリアの側近、シーナ・ステルベンの弟リカルドは、ロレンツォの幼馴染でもある。
兄弟同然の仲でもあるロレンツォの悲壮な決意を秘めた表情を、リカルドはじっと見上げていた。




