19 機動力オバケ
「なぁ聞いたか? どうやら上位クラスの拠点構築でなにかトラブったらしいぜ。のんびり拠点づくりとか魔石集めしてる場合じゃ無くね? 攻めるなら今しかないぜ?」
そんな噂が下位クラスの拠点に流れ始めたのは、なんと合同演習開始初日の日没後のことだ。
下位クラスの男爵家のひとつに、軍において偵察や斥候を得意とする家の出身者がいた。
その男爵家令嬢は、実家から持ち出した高価な遠望の魔道具を使い、上位クラスの拠点をじっと観察していたのだが、ふとした拍子にその拠点の一角で乱闘騒ぎが起きたのが見えた。
下位クラスはまだ拠点構築中であり、D、E、Fクラスいずれもまだテントを張ったりと忙しい状況だ。
Gクラスは早々に棄権した、という噂も流れており、誰一人Gクラスの動向に気を配っている者などいなかった。
だからこそ、この噂を流していた覆面の男が、赤狼族の戦士の息子リュッケンであるなど、誰一人気づくはずもなかった。
噂を聞きつけたDクラス第1班のリーダーは幸か不幸か、父も兄も、叔父も、祖父に至るまで軍人という軍人一家であった。
軍学の授業において、すでに退職したストマック教師から『お前はなかなか見どころがある。その調子で軍学の聖典、栄光のランドルト王国戦史を研究するのだ』とお褒めの言葉を頂いている。それ以来彼は、書籍『栄光のランドルト王国戦史』を読み耽る毎日を送っていた。
そんな彼が好きな言葉が、雷光将軍とまで呼ばれたドワーフ族の大将軍、コッヘル将軍が語ったと言われる『好機と見たら、すかさず全軍で動くべし。兵は何よりも神速を尊ぶ』というものだった。
そう、軍の運用には速度こそが重要。
見慣れない覆面の男が語っていたという噂や、偵察兵の女の報告が、上位クラス内での仲間割れの発生を示唆しているではないか。
おまけに上位クラスの者たちはどうせ優雅に紅茶でも飲んでいるに違いない。油断しているはずだ。
これは、千載一遇の好機である。
長い歴史を持つランドルト王立士官学校において、合同演習で下位クラスが上位クラスを打ち破った事例はほとんどない。
「これはチャンスだ! 士官学校の歴史に、俺達が名を刻むんだ!」
どこかで、大柄な男がそう叫んだ。
周囲から歓声が挙がる。
勝手に下位クラス総司令官を気取っていたDクラス第1班のリーダーの号令を待たずして、多くの者たちが我先にと拠点を離れて駆け出していく。
「あっ! おい! 待て! 抜け駆けするな!」
Dクラス第1班のリーダーも、自班のメンバーを急ぎ招集して拠点から駆け下りていった。
ほぼ無人となった下位クラスの拠点で、木の上から身軽に飛び降りた覆面姿の獣人族の大柄な男、リュッケンは短剣を鞘に収めながら、呆れ返った声を漏らした。
「マジかあいつら、本当に全員で行きやがった……ホントにベインの言うとおりになったな……」
リュッケンは、リュウとアルムが上位クラスへ潜入するために、拠点としたゴブリンの巣穴を出発するよりも早く、ベインからの指示を受けて動いていた。
ミナの夕食を食べる前に、ベインからもたらされた密命は、実に巧妙だった。
『下位クラスの拠点に忍び込んで、上位クラスで仲間割れが起きてる、っていう噂を流して欲しい。下位クラスが動きそうになったら、出来るだけ扇動してほしいんだ。下位貴族はいつも上位貴族から締め上げられてるからね。歴史に名を刻むんだ、とか言えば興奮して乗ってくるかもしれない』
『そんな、上位クラスで仲間割れが起きてるなんて噂、信じるかぁ?』
『大丈夫だよ。上位クラスでの揉め事は、リュウとアルムが起こしてくれる』
『なるほど。で、ミナはベインの護衛と、ここの守りってわけだな? よっしゃ分かった。ちょっくら行ってくるぜ。あ、あとミナ! 俺の分の晩飯、大盛りな!』
そう語って、持ち前の脚を活かして上位クラスまでの距離よりもはるかに遠くにある下位クラスの拠点に、リュウ、アルムの2人が上位クラスの拠点へたどり着くのとほぼ同時にたどり着いたのだ。
「んで、コイツだな。この旗を頂いて、ンでミナの作ったこの旗……って凄ぇなあいつ、器用なんだな……」
少しだけ名残惜しそうな表情でミナが作った偽物の旗を、元の本物の旗があった位置に戻すと、リュッケンはついでとばかりに、陣幕を物色し始めた。
栄養価が高くついでに価格も高い、下位クラスの陣幕に置かれていたチョコレート菓子を袋いっぱいに詰めると、鼻歌を歌いながら無人の陣を見渡した。
通常、守るべき拠点があるとしたら、相手拠点を奪いに行くにしても『留守居役』を置いて行くのが定石である。
が、下位クラスの者たちは文字通り誰一人残さずに全軍で拠点を出撃してしまった。
「あいつら、軍学の授業聞いてねぇのか」
実のところ、ベルナデッタ・ヘルセネンが軍学の講義をしているのはGクラスだけである。
教師陣からすれば『Gクラスの授業など、教師ではなく同じ学生にやらせればいい』という意味合いもあったのだが、この対応が下位クラスとGクラスとの間に決定的な差を生み出していた。
下位クラスを担当していたのはストマック教師の後釜として配属された高齢のドワーフ族の男だったが、彼はストマック以上の『栄光のランドルト王国戦史』信奉者であった。
それも、原理主義的と言えるほどに頑迷にこの『物語』の記載が、一字一句全て事実を記したものであると信じ込んでいた。
ベルナデッタが『あんなのただの絵物語、おとぎ話だ。幼児の読み物としては楽しいかも知れないが、資料的価値はゼロだよ。むしろ事実の歪曲、捏造をしている分マイナスとしか言いようがないね』とこき下ろす書籍を、である。
「ま、良いか。アイツらが何聞かされてようが俺の知ったこっちゃねぇや」
リュッケンはその健脚と身軽さを活かし、森を凄まじい勢いで駆けていく。
ゴブリンの洞窟に戻る途中、慣れない森の中を進む下位クラスに追いつくと、ベインから授けられた戦術を実行する。
「上位クラスの奴らは酒を持ち込んでるらしいぞ! 今がチャンスだ! 身体強化を使え、急ぐんだ!」
周囲から歓声のような声が挙がる。
周囲の下位クラスの者たちは次々に身体強化術を自らに駆けると、森の中を力任せに進んでいく。
「こっちだ! こっちに近道があるぞ!」
リュッケンが全速力で南へ向かうと、大勢が後ろに続いてきた。
西側にある上位クラスの拠点まで、大幅な遠回りとなるルートである。
15歳や16歳といった年齢の少年であっても、身体強化術を自らに使えば、相当なスピードでの行軍が可能だ。
だが、身体強化術の要となる魔力は、訓練を積まなければ増やせない。そして身体強化術は本来非常に『燃費』が悪いものである。
十分な訓練を受けたプロの軍人であっても、全身に付与する身体強化術は12時間が限界と言われている。
腕や脚など、部分的にかける強化であっても、連続して24時間以上使用すると身体に深刻なダメージが出るため、禁忌とされていた。
もともと身体強化術は、体力や筋力に劣る魔道士達が、戦士や騎士たちの行軍に追いつくために編み出した術である。
筋力を一時的に向上させる術ではあるが、残念な事に骨や腱を強化する事は出来ない。
長時間の術の使用が禁忌とされているのは、増強された筋力に腱や骨の強度が追いつかず、骨折や靭帯断裂といった深刻な影響が自らの身体に現れるためだ。
骨、腱といった部位を強化するには、地道な鍛錬が欠かせない。だが、身体強化術を使う士官学校の学生達は、地味で地道、おまけに痛みを伴う基礎鍛錬や柔軟といったものを徹底的に避けていた。
『基本的に、僕たちもだけど貴族は特に苦痛を嫌うからね。それに派手好きな貴族達は、目立たない地味で地道な、泥臭い鍛錬をするよりは身体強化を選ぶ事が多いんだ。リュウが言うとおり、基礎鍛錬を続けている僕たちは、時間制限のある身体強化術に頼らなくても良い』
ベインがリュッケンに出した指示は、扇動と旗のすり替え、そして下位クラス全体を弱体化させるために、わざと遠回りルートで上位クラスの拠点へ移動させることだ。
「ははっ、やっぱアイツ凄ぇや。俺じゃ絶対思いつかねぇな」
リュッケンの健脚は、身体強化を脚に施した下位クラスの行軍スピードを遥かに凌駕していた。
森の中でエルフ族と獣人族を追いかけて、追いつける者など存在しない。
身体強化を適切に使用できればまだ話は別だが、士官学校の1年生ともなるとまだまだ術は未熟である。
毎日20キロもの走り込みで鍛え抜いた赤狼族の戦士の脚をもってすれば、未熟な『甘やかされたお貴族様の坊っちゃん嬢ちゃん』を森の中で置き去りにすることなど、容易いことだった。
演習フィールド北側の丘にある教師たちの幕舎では、豪将マーゲンが相変わらず苦虫を噛み潰したような顔で腕を組み、傲然と森を見おろしていた。
眼下に広がる森では、多くの下位クラスの学生たちが木々の間を右往左往している。
なぜか多くのものがまっすぐに西を目指さずに、大きく南へ迂回していたが、歴戦の将であるマーゲンにはその戦術的意図が見いだせずにいた。
「もう双方の陣の攻防が始まっているようですね。てっきり最初は魔獣狩りに精を出すものと思っていましたが」
Gクラスの担任、シーネはマーゲンの隣に歩み寄り、並んで森を見おろした。
ところどころで炎の魔法が発動しているのか、火の手が上がっているのが見える。夜の闇の中で、木々の間をトーチライトの魔法の光が移動しているのも見て取れた。
いずれも、実際の戦場では『最低の悪手』と言われる動きだ。
夜の闇に乗じての隠密行動で、わざわざ自分の居場所を知らせるような火の魔法やトーチライトの魔法の使用は、控えめに言って自殺行為である。
遠隔攻撃スキルを持つものからすれば、的がわざわざ自分の居場所を教えてくれているようなものだ。
「まったく、ストマックのヤツは一体何を教えておったのか」
「後任は確かマルドゥ・テト先生でしたか。ドワーフ族の御老体でしたね」
「同じドワーフの英雄、コッヘル将軍に心酔するあまり、戦術論もコッヘル将軍の語録ばかりを使っておるようだが……」
「控えめに言って古いですねぇ。精神論ばっかりですし。教師としても軍人としても、もはや退役して頂いたほうが軍のためでは?」
「貴様と意見が合うのは業腹だが、吾輩もそう思う」
「ですよねぇ。……しかし今年の1年生は元気が良いですね。まさか開始初日の夜に夜襲とは、実に活きが良い」
「ふん、まずは地形を読み、進軍ルートを吟味し、斥候を放って状況をつぶさに観察する。情報収集に労力を惜しんではならんのだ。偵察しておらん場所に軍を動かすべからず、軍学の基本中の基本がなっておらん。これは後々教員会議で議題とせねばならんな」
「同感です、マーゲン先生。まさかこの合同演習の『勝利条件』となる旗のことを確認しに来たのがGクラスだけ、というのも問題ですね」
「あぁ全くだ。これだから今年の1年生は弛んどると言ったのだ」
この2人の教師も知らなかった。
この時すでに、合同演習の歴史上最短での『上位クラス拠点の陥落』となってしまっていたことに。




