18 勝者?の余裕
「Aクラスの連中も天幕の設置が終わったようです」
「ふん、やっとか。もう演習開始から2時間だぞ。ずいぶん手間がかかったな、士気が下がってるんじゃないのか」
演習フィールドの西側、上位クラスの拠点では、Sクラスに属する5名の1年生が優雅に紅茶を楽しんでいた。
彼らは当然手ぶらでこの演習に参加しており、茶葉やお湯を沸かす調理器具、ティーセットなどは一切持ち運んでいない。
全てはBクラスやCクラスなど、自らの実家が頂点となっている派閥の貴族の子弟に運ばせている。
貴族社会の頂点にいる彼らにとって、伯爵家や子爵家の子弟など、召使い同然だ。
「それでリカルド、お前の姉のシーナ……だったか、王女殿下の護衛を務めているというが、そのシーナがいう警戒対象というのは、あのリュウ・ノーチで間違いないんだな?」
「はい。姉からも『何があっても戦うな、交戦を免れられない場合は撤退を選べ』と厳命されています」
「気に入らんな。たかだか平民だろう? だが……ステルベン辺境伯家の戦力眼は確かだ。一応警戒するとしよう」
不機嫌そうに2杯目の紅茶を飲み干したのは、キルルージャ公爵家の嫡子、ロレンツォという男だ。
ロレンツォ自身、士官候補生としては飛び抜けて有能ではないが、無能でもないという微妙なラインにいる。軍人としての有能さであればリカルド・ステルベンの方が1枚も2枚も上手だ。
ただ、辺境伯家と公爵家であれば、そこには明白な上下関係が存在する。実力では遥かに上であるはずのリカルドでも、ロレンツォ相手には畏まらなければならない。
「そもそも、我々Sクラスの者がGクラスに警戒しなければならん、ということ自体、屈辱以外の何者でもない」
「ロレンツォ様、警戒することは屈辱ではありません。侮って万が一にも不覚を取ることがあれば、家名に泥を塗ることになります」
「有り得んな。そもそもGクラスは身体強化も魔法も使えないクズどもじゃないか。そんなクズともに敗れるなどまずありえない」
「お言葉ですが、我々の1年先輩、Sクラスのアルバート・ランゲルハンス侯爵子息は、リュウ・ノーチに再起不能になるまで壊されて、回復できず退学に追い込まれています。最大限の警戒をすべきかと」
リカルドは容易に引き下がらない。
ステルベン辺境伯家では、幼少期から軍人としての心得を叩き込まれる。
どれだけ戦力差があろうとも、侮ってはならない。わずかでも警戒を要する要因があるならば、出来る限り警戒せよ。
万全の警戒を敷いたうえでの敗北は次に繋がるが、相手を侮った末の敗北は、武人の恥に他ならない。
上官の勘気を恐れ、正当な意見の具申を引っ込めるのは軍人として有ってはならぬことである。
リカルドの父、現ステルベン辺境伯は、シーナとリカルドの姉弟に繰り返し教えを施している。
現役の軍人の父の教えが、リカルドに油断を許さない。
が、中央貴族であるキルルージャ公爵家は軍属ではなく文官の家柄だ。戦争の現場など見たことも近づいたこともない。ただ、何人の兵が失われ何箇所の拠点を攻略したのか、その数字でしかなかった。
「まぁリカルドがそういうなら、一応の警戒はさせるとしよう……そもそもそのアルバート・ランゲルハンスは本当に強かったのか? 私にはどうにも理解できん」
「いやぁ、別にどうってことなかったかなぁ? ぶっちゃけ弱かったしさ?」
「そうだろう? やはりおかしいと思っていたんだ。あの2年生のアルバートとかいう侯爵家の者も、女遊びに浪費にといい評判を聞かなかった」
「そうであってもです。リュウ・ノーチは、身体強化術を重ねがけした上級生を再起不能にしたんです。やはり最大限の警戒をするべきでは」
「そうそう。油断大敵っていうだろ、警戒はしといた方が良いって。やっぱナメた相手にボコられるのって最高にカッコ悪いしさ」
「うむ、やっぱりそうだろう。言葉遣いはなってないが、貴様も分かっ——」
振り返りざまに口を開いたリカルドが、全身を硬直させた。
「よっ、お前がリカルドだろ? やっぱシーナ先輩に似てるなぁ。お前んちの姉ちゃん、美人だよなぁ。で、そっちは? Sクラスの一番上?」
ロレンツォはまだ優雅に紅茶をのみ、8枚目のクッキーに手を伸ばしている。
「どうしたリカルド? 何をしている。それに何だこの言葉遣いのやつは。何クラスだ、どこの家の者だ。まったく、親の顔が見てみたいものだな」
「に、逃げ——」
「はいそこまで。動いたらとりあえず殺す。許可なく喋っても殺す。その場から動くな。声も立てるなよ?」
リカルドとロレンツォの全身に鳥肌が立った。
あまりにも非現実的な状況だ。
天幕を整備し終えたばかりで、これから『拠点の証』を探しにいこうとしていた矢先のことだった。
演習が始まってまだ2時間弱。下位クラスなど準備すらままならず、未だにテントを設営できないでいる、というのが遠望鏡を用いた偵察の報告だった。
「どこの誰かは知らないけど、その様子じゃお前が上位クラスのリーダーかな。とりあえず両目と背骨と骨盤、それに両腕両足の骨と靭帯くらいはもらっとくか。一生起き上がれなくなるだろうけど、食ってくには困らないんだろ?」
「ま、待て!」
「誰が喋って良いって言った? 殺すよ? ってか『お願いですから殺してください』っていうくら痛めつけてあげようか?」
今度は、リカルドとロレンツォ2人の背中どころか全身から、冷たい汗が吹き出してくる。
リカルドは、軍人の家に生まれたものの直感としてイヤでも理解できてしまった。
目の前にいるのが、リュウ・ノーチであり、物騒極まるセリフを吐いているが、その通りに実現可能である事を直感的に理解した。
「い、いつからだ? ……いつから、どうやってここに居る……?」
「どうでもよくないか、それ? 現に俺はこうして大将首を穫れる場所にいるんだからさ? とは言っても、何もハナシもしないのは面白くないな。あ、大声出そうとしたら、その前に殺せるからそのつもりでね」
ロレンツォの口からは、ガチガチと歯がなる音だけが聞こえてくる。明らかな不審者の侵入を許しておいて、ただ怯えた表情を見せるだけだ。
明らかに、将の器ではなかった。
リカルドは震えながらも、リュウに向かって小さく手を挙げた。発言の意思表示だ。
「お、良いね。ちょっとは肝が座ってんじゃん。喋っていいぜ、でも大声出すなよ」
「……僕はリカルド・ステルベン。ステルベン辺境伯家の者だ。君が……Gクラスのリュウ・ノーチだな?」
「あぁ、そうだよ」
リュウはことさらにゆったりとした動きで、腰を抜かしてへたり込んだロレンツォに向かって歩み寄り、しゃがみこんだ。
「で? コイツ誰?」
「こ、コイツ……この方は、ロレンツォ・ド・キルルージャ公爵令息。Sクラス第1班のリーダーだ」
「へぇ、じゃあ、とりあえずこいつを殺せば、Sクラス第1班は機能不全に陥るわけだ」
リュウの手には、いつの間にか刃渡り20センチ程度のナイフが握られている。
すでに勝負ありの状態だ。生殺与奪の権は、この場においては完全にリュウが掌握していた。
「ま、待ってくれ! リュウ・ノーチ、我々は君と敵対する意思はない。どうだ、手を組まないか。Gクラスの君たちは下位クラスからも切り離されていると聞いた。頼るよすがも無いだろう。我々Sクラス第1班と密約を交わしておけば、悪いようにはしない」
「ふーん、具体的には?」
リカルドはチラリとロレンツォを見下ろす。
哀れな公爵令息は、血の気の引いた虚ろな顔で、まだ歯をガチガチと鳴らし続けたまま腰を抜かしていた。
「具体的には……そ、そうだな。魔石ポイントを融通する。上位クラスで獲得した魔石ポイントから、下位クラスでもFクラスを上回る分量を融通しようじゃないか」
「なるほどぉ……お坊ちゃん、残念だったなぁ? あんたの命の重さはその程度なんだってさ? 知っての通り俺は平民だからね、お貴族様のお坊ちゃんを一人殺すくらい、別にどうってこと無いんだよ。それにこの合同演習じゃ『不幸な事故』っていうのがしょっちゅうあるんだろ? 事故って怖いよなぁ? 例えば、この場で俺が手をすべらせて——」
「待て! わ、分かった、下位クラス全体が集めた分と同じだけ! とりあえずそれだけだ! それだけは最低限保証する! その上で、合同演習が終わったあと、ステルベン辺境伯家とキルルージャ公爵家から相応の礼をさせてもらう! 貴族の威信と誇りにかけて誓う!」
「あぁそう。じゃあその旨、今この場で一筆書いてもらおうかな。その内容によっては、コイツは置いてってやるよ」
「……なんだ、それは……?」
リュウが取り出したのは、小さく地味な旗である。
赤字に白い十字が描かれたもので、机の上に飾る程度の大きさだ。
「あれ? 聞いてなかった? 合同演習の拠点陥落条件って、旗なんだってよ? 旗を奪っちゃえば、拠点陥落判定なんだってさ。マーゲン先生に確認してなかったのか?」
「そ、それが拠点の旗……? か、返せ! それを返すんだ!」
突如ロレンツォが我を取り戻した。
1年Sクラスの中では最上位となる公爵家のロレンツォは、士官学校の教師ですら顎で使うことが出来るほどの影響力と、独自の情報網を持っている。
彼の情報網は、『合同演習における拠点の象徴は旗である』というネタを掴んでいた。当然この情報はロレンツォに伝えられているが、具体的にどのような旗なのかは聞かされていなかった。
「まだだよ。2人でGクラスに何をプレゼントしてくれるのか、その約定を書いて署名したら、俺も驚いてこの旗忘れていっちゃうかもね?」
「くそっ……卑怯な真似をしおって! 貴様に貴族の誇りというものはないのか!?」
「え、それド平民の俺に聞いちゃう?」
ぐぬぬ、といかにも悔しそうなセリフを口にして、ロレンツォとリカルドの2人は、書面に先程の約束をしたためる。
公爵家と辺境伯家からの『謝礼』についても、リュウから『あれれー? ゼロが少ないんじゃない?』『公爵家のカッコ良いとこ、見てみたかったなぁ』『辺境伯家って上位なんだろ? 良いよなぁ、美味いもの食ってんだろ』と散々囁かれて、結局はかなりの額になってしまった。
例え当主でなくとも、子弟であっても、家名を記した文書に署名をした時点で、その文書は『貴族が家を代表して、その誇りと威信にかけて発行したものである』という意味を持つことに鳴る。
それが例えば賊に襲われて脅されながら書いたものであろうが、合同演習で突然目の前に現れた凶賊に、拠点の旗をダシに脅されて書いたものであろうが、である。
「これでいいだろう! さっさとその旗を返せ!」
「どれ? 文書を改めるよ」
少々わざとらしく、時間をかけてリュウはリカルドとロレンツォが署名をした文書をじっくりと読み込んでいく。
「あー、それから後ろから狙ってる2人。死にたくなきゃやめた方が良いよ?」
そんな無防備に見えたリュウに背後から迫っていたのは、侯爵家の子弟である、Sクラス第2班の2人だ。
「ん。確かに。じゃあほら、なんかよく知らないけど、よほど大事なんだろ? その旗」
「あ、あぁ……」
ぽい、とリュウが小さな旗をリカルドに投げて寄越すと同時に、背後にいる侯爵家の子弟2人が同時にリュウに襲いかかった。
「やめるんだ!」
リカルドの制止は、ほんの少しだけ遅かった。
大柄なノーム族のデルマトロ侯爵家の三男、ルイージは一瞬で両眼の視力を失い、同時に右腕の肩、肘、手首の関節を極められたまま顔面を地面の岩に叩きつけられ気絶した。
細身のエルフ族、ミ・ファ・マーレ侯爵家の六男であるフィンウは、両耳を平手で強く叩かれると同時に、一切の聴覚を失った。平衡感覚も同時に失った彼は、リュウの見事な投げ技、武之内流『小手崩し』により、両肩の関節を脱臼し、仰向けに倒れ込んだところにリュウの踵蹴りを顔面に、さらに膝を脇腹にまともにくらい、折れた肋骨が内臓に刺さったのか、痙攣と吐血を繰り返している。
「だから言ったのに。まぁ、この文書もらったからね、すぐに死にゃしないけど、棄権して治療受けた方が良いんじゃない? 手加減はしたけどさ?」
ひらひら、とステルベン辺境伯家とキルルージャ公爵家のサインが入った紙を軽く振りながら、日が落ちた森の中へ消えていくリュウの姿を、ロレンツォとリカルドはただ黙って見送るしかなかった。
このとき、模擬戦でも初陣である彼らは気づいていなかった。
リュウからほんの少し離れた場所にいた、森の狩人アルムが潜んでいたこと。
リュウが投げてよこした旗が、手先の器用なミナが即興で作った『ただのダミー』であること。
そして本物の拠点の旗は、アルムがさっさと拠点から運び去っていたことに。




