11 鍛錬の成果
ランドルト王立士官学校の最底辺、1年のGクラスにおいて、在籍する5人が奇妙な体操をしている、という噂が流れ始めたのが春の終わり頃。
そして、その噂に誰も興味を示さなくなったのは、秋の終わりになった頃だった。
「オラ、飯だよガキ共、食いな」
Gクラス用の学食で料理を作る老夫婦は、入学直後からすると比較にならないほど大食いになった5人の若者に最初は驚いていたものの、やはり自分が作った料理を残さず、それも勢いよく平らげる姿に絆されたのだろう。気弱だが最も大食いのミナと、それに次いでよく食べるリュッケンの皿は無条件で山盛りにするなど、かなり打ち解けてきている。
「アルム、あんたもちゃんと食いな。強くなりたいんだろ」
「……頑張る……超頑張る」
「ほら、だったら肉もう一切れ。ベイン、あんたもだよ。男なんだからアルムに負けてんじゃないよ」
「な……何でみんな……あんなに走った直後に食べられるんだ……」
「おう、遅ぇぞベイン、アルム。先に食ってるからな」
ひょい、とスプーンを挙げて声をかけたリュッケンと対照的にミナはもくもくと大量の食事を胃に流し込んでいる。
「おばちゃん、肉の煮込みおかわり」
「はいよ。たんと食いな」
「あとベーコンも」
「あんたも好きだねぇ。実家でもそんなに食ってたのかい?」
「うん、まぁ……実家ではあんまり食べるものも沢山なかったんだけど、今はほら、訓練きついから食べないともたないの」
料理番のドワーフの女は豪快に笑い、ミナの皿に塊のままのベーコンを豪快に置いた。
「ベイン、少なすぎ。もっと食べて」
「頑張ってるよ……これでも頑張ってるんだ……アルムもだいぶ食べる量増えてるけど、なにかコツとかあるの?」
「ない。詰め込む。吐く寸前まで食べて、消化するまで我慢する」
アルムは、整ったエルフ族らしい見た目とは裏腹に、かなりのゴリ押しタイプである。
「でもよ、アルムもミナも、なんだかんだ20周走れるようになったな。ベインも15周走れるじゃんか」
「みんな、なんで朝からあれだけ柔軟やって、馬歩やって、20周も走れるのか……なんだかみんなとの差が大きくなってきてる気がするんだけど」
いかにも自信がありません、とでもいいたげにスープをフォークでかき混ぜるベインの隣に、体格としてはより小柄なリュウが腰掛ける。
「ベイン、リュッケンとかミナと比べるからおかしな事になるんだ。鍛錬を他人と比べても意味がない。比較するのは過去の自分とだけにしとけ」
「さすがリュウ、良いこと言う。深い」
アルムはいつも通り言葉が少なく、そして短い。
が、この日は全員がアルムの言葉に大きく頷くことになる。
「今のリュウの言葉を名言録に刻んでおく」
「いや、何だよそれ」
「今のは、女が惚れる名言」
「アルム?」
「アルトリリア殿下もオチる」
「落とす気無いんですけど?」
入学と、鍛錬の開始から半年が経つ頃には、Gクラスの教室にアルトリリアやセシリア、シーナにベルナデッタがやってくるのはもはや日常茶飯事になっていた。
王女アルトリリアが特段気にかけている、ということもあってか、教師陣の間でも『今年の1年のGクラスは妙だ』と話題になっていた。
その話題の中心にいたのはマルコ・シーネ教諭である。
全ての教師の中でも唯一と言って良い、Gクラスに対して好意的な評価をしているシーネ教諭は、なんと今月からGクラスの担任に自ら志願していた。
前任の担任、軍学教師のストマック男爵は、度重なる勤務中の飲酒や女子生徒へのセクハラの告発があり、王女アルトリリアの『まさか我が国の王立士官学校に、そんな変態が教師で居続けるなんて、身の毛がよだつ思いですわ』という言葉により、不名誉除隊扱いで士官学校の教師職を解かれている。
「さぁて、飯食ったら軽くストレッチして授業だけど……今日ってなんだっけ?」
「俺とアルムとリュウは槍術の講義で? ミナとベインはシーネ先生の魔法陣学だっけか」
「マーゲン先生かぁ、あの先生暑苦しいんだよなぁ。やたら声デカいし」
「わかる。超わかる」
「まぁでもあの先生の槍術は学んどいて損はないかも。武之内流にも槍術はあるけどさ、一応バリエーションとして身につけられるモンは身につけておいて損はないよ」
「そういうモンかぁ。ま、もうすぐアレだろ? 合同演習だっけ。アレ何やるんだろうな」
士官学校では、定期的に全クラスが一斉に校外に出て模擬戦や魔獣駆除、素材採取などを行う『合同演習』が定例行事となっている。
駆除した魔獣の数や種類、収集した素材の希少さ、模擬戦での戦績に応じてポイントが割り振られ、そのポイントは卒業に必要な単位に直結する。
極端な例では、学科の授業で全てのテストが落第点であっても、合同演習で良い成績を残せば進級が可能なほど、成績配分が偏っていた。
これは士官学校があくまでも軍人養成を目的としたものであり、学科の単位がボロボロでも『実技』こそが必要とされているものである、という思想に根ざしたものだ。
行事といえば聞こえは良いが、事実上『上位クラスが下位クラスから成果を横取りするための、上位クラスのためのボーナスステージ』となっている。
「っていうのは、入学の時のオリエンテーションで聞いた内容だよ」
「凄いなベイン、あの退屈な説明聞いてたのか」
「私寝てた」
「聞いてたけど覚えてない……」
「俺もビタ一文覚えてねぇや。やっぱベインって頭良いよな」
「いや、みんなもう少し授業真面目に聞こうよ……」
朝食後、稽古用の木槍を持って訓練場へ赴いたGクラスの3人、リュッケン、アルム、そしてリュウを待っていたのは、EクラスとFクラスの生徒たちである。
すなわち子爵家、男爵家の出自の貴族の子弟たちである。
「おい、Gクラスが来たぜ」
「無能どもが」
「よく恥ずかしくもなく出て来られるよな」
「なんか臭うと思ったら、平民がいるぞ」
と、ぼそぼそとつぶやく声がそこかしこから聞こえてくる。
「……小物」
「だよな、直接面と向かって堂々と言いに来りゃいいのによ」
「ま、良いよ。どうせ直接ものを言えないような、大声で独り言をつぶやくのが精一杯のビビリなんだ。可哀想だから言わせておいてやろうぜ」
恐らく、ほんの少し前までのアルムとリュッケンなら、怒りに顔を歪めながらも手出しが出来ない、といったところだろう。
だが、彼らは既に半年、リュウの指導のもとで鍛錬を続けている。まだ基礎体力向上のための走り込みと筋力鍛錬、それに基礎の基礎となる立ち方、歩き方、受け身の稽古だけだが、基礎体力が格段に向上したことは、彼らの自信につながっている。
「何だと! おい、平民! もう一度言ってみろ!」
「なんだ、貴族ってのは頭悪いんだな。良いぜ。よく聞こえるように言ってやるよ。『どうせ直接物を言えないような、大声で独り言をつぶやくのが精一杯のクソビビリの小物の臆病者で、寝るときにもママが隣にいないからなかなか寝付けないクソガキなんだ』、だっけ?」
「リュウ、色々増えた」
アルムが冷静にツッコみ、リュッケンは必死で笑いをこらえている。
「こっ……この……穢らわしい平民風情が! ハルン子爵家を侮辱するか!」
ハルン子爵家令息、ギルベルトは怒りに我を忘れてしまった。
よりによって、『身体強化術を重ねがけしたAクラスの上級生、侯爵家令息のアルベルトを一方的にボコボコにした挙句再起不能に追い込んだ』リュウの襟首を掴んでしまった。
「あーぁ、やっちゃった。襟首掴んじゃったぜアイツ」
リュッケンは知っている。
リュウの襟首を掴むということが、どれくらい危険なことであるのかを。
アルムはもぞもぞとポケットを弄り、小さな手袋をひょいと取り出した。
「リュウ、はい。手袋」
「お、アルムありがと」
「貴族をナメるな! 無能な平民が!」
ギルベルトが拳を振り上げたと同時に、リュウはちらりと余所見をする。視線の先には槍術教師のマーゲンの姿があった。ちょうど訓練所に入ってくるところであった。
べち、といういささか情けない音を立て、ギルベルトの拳がリュウの額に当たる。
よりによって、人体の中でも特に骨が頑丈な箇所である。
ろくに鍛えられていない拳で、ろくに鍛錬を積んでいない殴り方で、硬い石壁を思い切り殴りつけたようなものだ。
この時点で、ギルベルトの利き手の小指の骨にはヒビが入っていた。
「何をしとるかァ!」
訓練場に響き渡るマーゲンの怒声。
普通の女子生徒なら震え上がるであろう声を聞き届け、マーゲンがどすどすと歩み寄る姿を認めてから、リュウはアルムから受け取った手袋をギルベルトに投げつける。
ばし、と勢いよくギルベルトの顔面に手袋が叩きつけられた。
貴族における決闘の合図である。
「む、リュウ・ノーチ、貴様一体何をしている!」
マーゲンの言葉に、リュウはわざとらしくコホンと咳払いをして、使い慣れない仰々しく丁寧な言葉で応える。
「マーゲン先生、今ご覧になってた通り、俺は今、平民という身分を理由にこの男に一方的に殴られました。士官学校の『学生は身分に関わらず平等である』に反した行為です。それに平民には平民の意地があります。この横暴に対して自分の立場と名誉と尊厳を守るために、この男に決闘を申し込みます」
「ふむ。確かに吾輩もこの目で見ておった」
ギルベルトの顔から血の気がひいたのは、利き手がズキズキと痛むからだけではない。
ランドルト王国の貴族社会において、『正当な理由を持って下位の身分の者から挑まれた決闘からは、逃げることは許されない』というのが絶対のルールだ。
ましてや、ここは軍人養成を目的とした士官学校である。決闘は禁止されるどころか、むしろ教師陣からは『なかなか骨があるやつだ』と好印象を持たれるものですらある。
「ギルベルト・ハルン、一応は貴様の言い分も聞いておこう。先に手を出したのは、貴様だな?」
「私は至近距離で見た。コイツがリュウの襟首を掴んで、顔を殴った」
「俺も見たぜ。穢らわしい平民、ッて言ってたな」
アルムとリュッケンの証言に加え、Eクラス、Fクラスの面々も遠巻きに声を上げる。
「そうよ! ギルベルト君は貴族の名誉のために当然のことをしたのよ!」
「平民が士官学校に居ること自体間違いなんだ! やっちまえギルベルト!」
「子爵家の誇りを見せてやれ! 身の程を思い知らせてやれ!」
彼らは、リュウとアルバート・ランゲルハンスとの戦いを見ていたはずだ。
だが、半年が経ち、その間リュウに関して目立った噂がでなかったためか、多くの1年生はリュウ・ノーチという名前を忘れ始めていた。興味を失っていた、と表現した方が適切であろう。
ギルベルトも、リュウのことは『確か、何かやったとかで名前を聞いたことがあるが、どうせ大したことはない』と高をくくっていた。
「うむ、では臨時授業だ。これよりギルベルト・フォン・ハルン子爵令息と、平民リュウ・ノーチの決闘を行う」
惨劇の時間が、始まろうとしていた。




