独りでに鳴るピアノ②
俺の名前は紫王院柊太。なんだか物々しい名前だが、何のことはない。ただの人だ。読み方は「しおういんしゅうた」という。年齢は28歳で独身。前年まで民間企業で働いていたが、転勤続きで少し面倒くさくなって退職し、介護職員初任者研修の過程を修了して、今は障がい者福祉の事業所で訪問介護員として働いている。
今日は、月の最終日ということもあり、今月の実績表を届けたら、楓主任が言ったとおりに、ショットバー「パープルナイト」に飲みに行こうとしていたところだ。そこに、四谷所長から「お願いしたいことがある」ということで、今、「応接室」で四谷所長と向かい合って座っている。
「所長、お願いしたいことって何ですか?」
俺は何となく嫌な予感がしながら聞いた。
「そうね。仕事の話じゃないのだけど、私の友人が施設長をしているケアハウスがあるのだけどね、その友人からの相談事なのよ。」
四谷所長はそこで一息置いた。
「紫王院君、ピアノが独りでに鳴ることってあると思う?」
おもむろに四谷所長が俺に聞いてきた。
「そんなことあるわけないじゃないですか?何か細工でもされていたら別ですけど。」
俺は四谷所長がこの暑さで気でも触れたかと思って言った。
「そうよね。そういう反応になるわよね。」
四谷所長が困惑して言った。
「実はね、お願いしたいことって、そういうことなのよ。」
「僕に、ピアノが独りでに鳴るようにして欲しいということですか?」
俺はますます訳が分からなくなって聞いた。
「そういうことではないのよ。さっき話した私の友達の施設に置いてあるピアノが夜な夜な独りでに鳴るらしいのよ。友達はそんな音は聞いたことがないって言ってるけど、複数の入居者さんからの訴えがあるらしいのよ。」
「そういうことなら、どこかの祈祷師か霊媒師にでも頼めばいいじゃないですか。」
俺は嫌な予感が当たりそうだったので、話を逸らすように言った。
「そうもいかないみたいなのよ。あまり、話を大きくしたくないみたいだから、紫王院君には『私の知り合いで楽器に少し詳しい』という体で、様子を見に行ってくれないかしら?」
四谷所長が懇願するように俺に頼んできた。
「そんなこと言われましても、サービスもありますしね。」
俺はあまり面倒ごとに関わりたくなかったので婉曲に断ることにした。
「サービスの方は大丈夫よ。こちらで何とかするから、それにタダとは言わないわ。」
四谷所長はそういって茶封筒を俺の前に置いた。
「なんか、断れない感じになっていますね。」
封筒といい、サービスの調整といい、用意周到さがすごいなと思った。
「どうかしら?引き受けてくれるかしら?」
「仕方ないですね。分かりました。出来るだけのことはやってみます。」
俺は、ここまできたら引き受けるしか他はないなと思って仕方なく引き受けることにした。
「その封筒の中に10万円と、施設の場所や概要が書かれた紙が入っているわ。先方には私から連絡を入れておくから、明日の朝10時に先方の施設に行ってちょうだいね。」
四谷所長がほっとしたように言った。
「10万円も!多いですよ。ピアノを調査しに行くだけなので実費だけで結構ですよ。これはお返しします。」
俺は、封筒から依頼書的な紙だけを抜いて封筒を四谷所長に返そうとした。
「いいのよ。いつも無理ばかり言っているから受け取ってね。それに、私や友達の予感ではそんなに簡単には解決しないかもしれないと思っているのよ。それでね、紫王院君には明日から5日間サービスを外しているから出来たらこの5日間で解決してほしいのよ。」
四谷所長は俺が返した封筒をそのまままた俺に渡してきた。
「何か難しい謂われか何かあるのですか?」
俺は少し興味を惹かれて聞いた。
「友達が言うには、そのピアノには少し複雑な経緯があるらしいわ。詳しくは明日、現地に行って聞いてちょうだい。それと、調査費用が足らなかったら遠慮なく言ってね。すぐに用意して振り込むから。」
これは随分と入れ込んだ感じだなと俺は思った。
「分かりました。明日から行動を開始します。」
「ありがとう。よろしくね。」




