第47話 生放送の処刑台と、女神の入場
緊急記者会見の開始まで、残り数時間。
高野清太郎のマンションのリビングは、静かな、しかし確かな熱気を孕んだ戦場と化していた。
四面のハイエンドモニターが放つ青白い光の前では、クロエ・マクスウェルとフレイヤ・ヨンスドッティルが並んでキーボードを叩いている。二人の天才によるサイバー空間での最終ルート構築は、すでに秒読みの段階に入っていた。彼女たちの指先が奏でる打鍵音は、まるで難解なオーケストラのスコアを二人で連弾しているかのように、寸分の狂いもなくシンクロしている。
「メインサーバーへのバックドア、最終ロック完了。生放送のネットワーク回線への割り込みも、これでいつでもいけるわ」
「こちらの強制送金プログラムもスタンバイ完了よ。彼が海外のダミー口座にプールしている隠し財産、いつでも世界の慈善団体へバラ撒いて、口座残高をゼロにしてあげる」
クロエの透き通るような青い瞳と、フレイヤのエメラルドグリーンの瞳が交差し、互いの仕事を無言で称え合う。
ダイニングテーブルでは、西田奈央子が分厚い書類の束を一つ一つ、冷徹な目で確認していた。これまでに清太郎たちがかき集め、彼女のリーガルマインドによって違法収集証拠の壁を完全に抜け、法的に無謬となった告発状と証拠の数々。それらを最高級のレザー製アタッシュケースに収めると、金属の留め具がカチリと冷たい音を立てて閉まった。
その傍らでは、山内久美子がコンパクトミラーを開き、自身のメイクの仕上がりを念入りにチェックしている。西川朋美は銀鼠色の着物の帯を美しく締め直し、流れるような所作で裾の乱れを整えた。菊池真矢は動きやすさを重視したレザージャケットのフィット感を確かめながら、肩甲骨周りの筋肉をほぐすように軽くストレッチを行い、小松美鈴は自身の機材と、後で使用する極小のマイクロドローンのバッテリー残量、そしてプロポの通信状況を鋭い目で最終確認していた。
それぞれが、己の戦場に立つための「最強の勝負服」を身に纏い、出陣の時を待っている。
「ねえ、これ絶対ルカちゃんに似合うと思わない?」
張り詰めた空気の中、ふと久美子が楽しげな声を上げた。彼女の手には、どこで買ってきたのか、白いレースがあしらわれたフリフリの王子様風の首輪が握られている。極度の緊張が続く中、ほんの少しの息抜きを意図した彼女なりの気遣いだった。
「あら、可愛い。ちょっと失礼して」
フレイヤが悪戯っぽい笑みを浮かべ、カッシーナのソファの上で丸くなっていた黒猫のルカを抱き上げた。ルカが「ミャ?」と首を傾げる間に、その首にレースの首輪を巻きつける。
「可愛い王子様の完成……って、あれ?」
フレイヤがルカをテーブルの上に下ろした瞬間、ヒロインたちの目が点になった。
フリフリのレースと青いリボンという、どう見ても愛玩用の甘い装飾。しかしルカは嫌がって暴れるどころか、首輪をつけられた途端にスッと姿勢を正したのだ。前足をきっちりと揃えてピンと伸ばし、胸を張り、琥珀色の瞳で真っ直ぐに前を見据えている。その堂々たる佇まいは、甘やかされた王子様というよりは、主君の傍らに控えて死地へと赴く忠義の「武士」のような、異様な威厳を放っていた。
「……なんか、逆に武士みたいになってない?」
真矢が呆れたように呟き、そのギャップに全員から小さな笑い声が漏れた。極度の緊張感が、ほんの少しだけ柔らかく解きほぐされる。
その喧騒から少し離れたオープンキッチンで、清太郎は一人、無言で作業を続けていた。
彼の手にあるのは、一枚の純白のディナープレート。
清潔なリネンのクロスを使い、彼は皿の表面を撫でるように、しかし確かな力を込めて磨き上げている。一切の曇りも、指紋の欠片すらも残さない。
「Mr.エリート、ずいぶんと余裕ね」
クロエがキッチンカウンターに寄りかかり、その滑らかな手つきを見つめた。
清太郎は手を止めることなく、磨き上げた純白の皿を、窓から差し込む光へと静かにかざした。透き通るような白磁の表面には、一筋の歪みもない。
「どれほど極上の食材とソースを用意しても、それを盛り付ける皿が歪んでいれば、すべては台無しになる」
清太郎の端正な横顔に、穏やかな、それでいて底知れぬ冷たさを秘めた微笑みが浮かぶ。
「……彼が全国ネットの生放送という『最高の皿』を自ら用意してくれたことに、感謝しなければなりませんね。我々が用意した真実を盛り付けるには、これ以上ない舞台です」
皿をキャビネットに納め、清太郎はキッチンを出た。
彼が纏う安物のネイビースーツには、今日も一切のシワがない。
「行きましょうか。帝都物産の、最終決算の場へ」
★★★★★★★★★★★
午後二時。
帝都物産本社ビルの大講堂は、激しいフラッシュの雨に白く泡立っていた。全国のテレビ局のカメラがずらりと最後方に陣取り、日本中の視線がこの空間の熱気に注がれている。
その壇上の中央、並び立つマイクの奥で、大黒龍太郎は殊更にその巨躯を小さく見せるようにして俯いていた。
目頭に押し当てられた純白のハンカチが、悲痛さを演出するように微かに震える。マイクを通したその掠れた声は、日本中のテレビ画面の向こうへと、緻密に計算された悲哀を届けていた。
「この度の一連の不祥事につきましては、すべて私の不徳の致すところであります……」
大黒は頭を深く下げたまま、言葉を絞り出す。
「武藤専務、そして西園寺常務をはじめとする一部の役員が、私の目を盗み、会社にこれほど甚大な損害を与えていたこと。それに気づけず、彼らの暴走を止められなかった私の責任は、極めて重いと痛感しております」
会場を埋め尽くす記者たちの間に、どよめきが走る。
逮捕された側近たちにすべての罪を擦り付け、自身は「信じていた部下に裏切られた悲劇の経営者」を演じ切る。額に浮かぶ脂汗も、震える声も、すべてが彼という巨大な虚構を維持するための茶番劇だった。
「社長ご自身は、西園寺常務らの不正な資金操作を、本当に一切ご存知なかったということですか!」
最前列の記者が鋭く問い詰める。
「はい……。恥ずかしながら、彼らを完全に信頼しきっておりました。会社の数字を預かる者たちが、私を、そして株主の皆様を裏切っていたとは……」
大黒は再び深く頭を下げた。
マスコミの空気は、大黒の思惑通りに少しずつ同情的なものへと傾き始めていた。経営トップの監督責任は問われるだろうが、彼自身が不正を主導したという見方は薄れていく。
(よし、いける。このまま乗り切れば、トカゲの尻尾切りは完成する)
大黒が頭を下げたまま、心の中で安堵と冷笑を噛み締めた、まさにその瞬間だった。
その時、大講堂の最後方にそびえる重厚な両開きの扉が、静かに、だが確かな重みをもって押し開かれた。
逆光を背負って現れたその端正な影に、会場の喧騒がふっと凪ぐ。
緻密なディンプルを刻んだネクタイを締め、安物のネイビースーツを見事に着こなした高野清太郎が、一定のリズムで歩みを進めた。
そして彼の背後に、圧倒的なオーラを放つ七人の女たちが続く。
クロエのモノトーンのクールな装い、フレイヤのストリート系のハイブランド、真矢の獰猛な輝きを放つレザー、美鈴のアクティブなスポーティウェア。そして久美子の洗練されたコンサバティブ、朋美の妖艶なシルクの和装に、奈央子の端麗なタイトスーツ。
それぞれの美学が、一つの強大な軍勢となって、そこへ並び立った。
大講堂を埋め尽くしていたはずの喧騒と、耳を刺すシャッター音が、彼女たちの放つ圧倒的な威圧感に押し潰されるようにして、不自然なほど静かに、潮が引くように凪いでいった。マスコミ関係者たちが、息を呑んで道を譲る。
「な……っ!」
異様な静寂に気づき、壇上の大黒が弾かれたように顔を上げた。ハンカチを取り落とし、その目に隠しきれない恐慌の色が浮かぶ。
「た、高野……! なぜ貴様がここにいる! つまみ出せ! 会見を妨害する不審者だ、いや、会社乗っ取りを企むテロリストだ!」
かつて自身が地下へと追いやったはずの経理マンの姿に、大黒はマイク越しに引き攣った顔で絶叫した。
その声に呼応し、記者たちの後方や壁際に紛れ込んでいたガタイの良い男たちが動いた。大黒が念のために配置していた、裏社会の手合いが混ざった私服警備員たちだ。
彼らが実力行使に出ようと、清太郎たちに向かって飛びかかろうとした瞬間。
カメラのフラッシュの波に紛れ、美鈴の手から数機の極小マイクロドローンが放たれた。プロポを握る華奢な指先がミリ単位で動き、テレビカメラの死角だけを縫うようにドローンが旋回する。ドローンから放たれた強烈な閃光が男たちの顔面スレスレを掠め、彼らが思わず目を庇ったその一瞬。
真矢が低く滑り込んだ。
美鈴の陽動によって生じた死角へ的確に踏み込み、先頭の男の腕を掴み上げる。てこの原理を使った無駄のない動きで関節を極め、同時に膝の裏を容赦なく蹴り抜く。
男が声を発する間もなく、絨毯の上に沈む。続く二人目、三人目も同様だった。美鈴の精密なドローン操作が警備員たちの連携を完全に寸断し、その間隙を突いて真矢が一瞬にして音もなく彼らの関節を外し、無力化していく冷徹な処理。
すべては生放送のファインダーに収まらない死角で、僅か数秒のうちに完了していた。
「早くやれと言っているだろうが!」
壇上で大黒が怒鳴るが、彼の雇った男たちはすでに床でくずおれている。
完全に静まり返るマスコミの波が、まるで海が割れるように左右に道を開けた。
その中央を、ピンヒールの鋭い足音を響かせて、西田奈央子が進み出る。
彼女は深紅のルージュを引いた唇に、絶対的な自信に満ちた冷笑を浮かべていた。一分の隙もなく仕立てられたタイトスーツが、彼女の毅然とした佇まいをさらに際立たせる。
マイクを持たずとも、彼女の凛とした声は、大講堂の隅々にまでクリアに響き渡った。
「帝都物産筆頭株主の代理人として、特別背任の疑いがある代表取締役に対し、公開質問の権利を行使します」
法という絶対的な盾と、有無を言わさぬ圧倒的な威容の前に、警備員もマスコミも完全に動きを封じられた。
生放送のカメラが、硬直する大黒と、完璧な布陣で処刑台の前に立つ彼女たちを、全国のネットワークへと克明に映し出し続けていた。




