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領収書、拝見します。〜左遷された天才経理の裏帳簿ハンティング〜  作者: 伊達ジン


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第48話 女神たちの断罪と、退路の完全遮断

「た、高野……! なぜ貴様がここにいる! つまみ出せ! 会見を妨害する不審者だ、いや、会社乗っ取りを企むテロリストだ!」


 帝都物産本社ビルの大講堂。数百人のマスコミ関係者とテレビカメラが並ぶその空間に、大黒龍太郎社長の裏返った絶叫が響き渡った。

 日本の商社業界を牽引する巨大企業のトップが、額から脂汗を滝のように流し、血走った目で壇上から指を差す。その姿は、かつて見せていた重厚な威厳や余裕など微塵も残っていない、ただ追い詰められただけの無様な男のものだった。


 しかし、無数のフラッシュが激しく焚かれる中、清太郎の佇まいはどこまでも静かで、その内側は凪いでいた。

 彼を排除しようと数人の屈強な警備員が動いたが、全国ネットの生放送のカメラが一斉に回っている前で、丸腰の相手に力ずくで手を出すことはできない。少しでも暴力的な振る舞いを見せれば、それこそが会社の致命傷になりかねないからだ。何より、清太郎の背後に並び立つ七人の女性たちが放つ、研ぎ澄まされた刃のような威圧感が、警備員たちの足を本能的にすくませていた。


 ふと、清太郎の脳裏に数時間前のマンションでの光景が蘇った。

 決戦へと赴く直前、久美子がどこからか買ってきたあの白いレースがあしらわれたフリフリの首輪を巻かれたルカは、嫌がるどころかスッと姿勢を正して妙な威厳を放っていた。時折、慣れないレースの感触に短い前足を上げてカリカリと引っ掻き、不思議そうに何度も首を傾げるものの、やはりその凛とした佇まいは小さな武士のようで。その愛らしくも可笑しい仕草に、極限の緊張状態にあったヒロインたちから、ふっと自然な笑みがこぼれたのだ。

 あの小さく、あたたかな日常の体温。それを守るためにも、10年という歳月をかけて歪みきったこの盤上を、完全に清算しなければならない。


 清太郎は壇上の大黒を見据え、マイクを通さずに、しかし講堂の隅々まで届くようなよく通る声で告げた。


「テロリスト、ですか。随分と物騒な言葉を使われますね。私はただ、経理部の一員として、この会社の『数字のズレ』を正しに来ただけです」

「黙れ! 貴様の言うことなど誰が信じる!」


 大黒はマイクを両手で力任せに握りしめ、顔を赤黒く腫れ上がらせて喚き散らした。


「私は裏金など一切知らん! 武藤専務をはじめとする一部の役員が、私の目を盗んで勝手にやったことだ! 私は彼らに利用され、騙されていた被害者なのだ!」


 無様な保身。その醜悪な言葉が講堂に響いた瞬間、清太郎の傍らに立っていたクロエ・マクスウェルが、呆れたように細い息を吐いた。


「なら、この数字はどう説明する気?」


 クロエの手元にあるタブレットの画面が軽くタップされた。

 直後、大講堂の正面に設置された巨大なメインスクリーンが、ざらついたノイズと共に暗転する。

 会場の記者たちが一斉にどよめく中、スクリーンに真っ白な光が灯り、複雑なネットワーク図が鮮明に描き出された。


 それは、武藤専務が横領したとされる裏金の流れだった。

 帝都物産の口座から引き出された巨額の資金が、いくつものダミー法人やペーパーカンパニーを経由し、複雑に分散されていく。しかし、クロエの構築した追跡プログラムは、そのすべてのトランザクションの終着点を一本の太い赤い線で繋ぎ合わせていた。


「タックスヘイブンに設立された、複数のペーパーカンパニー群。その実質的支配者の登録名義は、すべてあなたよ、大黒社長」


 クロエの透き通るような声が、冷たく事実を突き刺す。


「武藤専務が会社の金を盗み、最終的にあなたの個人の財布に流れ込んでいる完璧なマネーフロー。システムは嘘をつかないわ」


 全国の視聴者が固唾を呑んで見守る中、マスコミのシャッター音が、一気に激しさを増した。記者たちが一斉にメモを取り始め、カメラのレンズが大黒の顔に集中する。


「ね、捏造だ! そんなデジタルデータ、いくらでもハッカーが作り出せる! 証拠にはならん!」


 大黒はマイクスタンドをなぎ倒さんばかりの勢いで身を乗り出し、唾を飛ばした。

 株主総会における西園寺の時と同じ、見苦しい強弁。しかし、今回は規模が違う。密室の株主総会ではなく、日本中の目がこの瞬間に注がれているのだ。


「ええ、証拠はないわね」


 その強弁を遮ったのは、フレイヤ・ヨンスドッティルの甘く、小悪魔的な声だった。

 彼女は手元のスマートフォンを弄りながら、プラチナブロンドの髪を揺らして一歩前に出た。


「今のあなたにとっては、ただのデータにすぎない。だってあなたの隠し財産、たった今、世界の恵まれない子供たちのための慈善団体に『全額、強制送金』の設定をしてあげたから」

「……な、何を言っている」


 スクリーン上の映像が切り替わり、大黒の個人口座の残高を示すカウンターが大写しになった。

 数百億という莫大な数字。それが、生放送のカメラが捉える中、凄まじい速度で減少し始めた。

 数千万、数億単位の資金が、フレイヤの構築した追跡不可能なルートを通って世界中の赤十字やユニセフ、孤児院などの口座へと秒単位で振り分けられていく。


「や、やめろ……! 止めろぉぉッ!」


 大黒の悲鳴にも似た絶叫が響くが、数字のカウントダウンは止まらない。

 かつての西園寺と同じ手口だ。だが、今回はこの国の財界トップの一人である大黒の全資産が、衆人環視の生放送という逃げ場のない処刑台の上で、全世界へ向けてリアルタイムに解体されているのだ。西園寺の失脚事件を知る一部の記者たちが、「まさか、あの時と……」と息を呑む音が聞こえた。


 そして数秒後。

 スクリーンの残高は、冷酷な『0』という数字を叩き出した。


「これで、あなたの口座残高は完全にゼロよ」


 フレイヤはスマートフォンをポケットにしまい、妖しく微笑んだ。

 海外逃亡のための最後の命綱が、日本中の視聴者が見つめる前で完全に消滅した瞬間だった。


 大黒の巨大な身体が、支えを失って壇上で大きくよろめいた。


「あ、ああ……私の、私の金が……! 違う、私には関係ない! 私はフィクサーなど会ったこともないし、裏金など……!」


 資産を失い、完全に理性を飛ばしかけている大黒に対し、今度は西川朋美と山内久美子が優雅な足取りで進み出た。


「社長。まだご自身が『何も知らない被害者』だと仰るおつもりですか?」


 朋美のまとう上質なシルクの着物が、フラッシュの光を柔らかく反射する。彼女の柔和な微笑みの奥には、銀座の夜を支配する者の冷徹な観察眼が光っていた。


「あなたが武藤専務と与党幹事長に裏金を渡した夜。銀座のサロン『ル・リアン』のVIPルームで、誰がロマネ・コンティのグラスを注いだか、私たちが知らないとでも?」


 その言葉に、大黒の動きがピタリと止まった。


 久美子が、手にしたファイルを静かに開く。


「秘書課に提出されたその日の武藤専務のスケジュールは、『終日、都内で外部との打ち合わせ』となっていました。ですが、実際には午後七時に裏口から黒のハイヤーに乗り、あなたの待つサロンへ向かわれていますね」


 久美子は、マスコミのカメラに向かって数枚の写真を掲げた。そこには、サロンの裏口へ入る大黒と武藤の姿がはっきりと写っている。


「さらに、これはその夜、サロンの支配人が記録していた注文明細と、あなたの私設秘書が支払った現金の領収書のコピーです」


 朋美が一枚の和紙を取り出し、言葉を継ぐ。


「人間の欲望の記録は、デジタルより雄弁ですわ。あなたが『会ったこともない』と主張するフィクサーの方々と、どのような密談を交わし、どのタイミングでジュラルミンケースが渡されたか。すべて、この音声データに記録されています」


 朋美の合図で、クロエが音声を再生する。

 講堂のスピーカーから流れてきたのは、紛れもない大黒自身の濁った声と、政治家への露骨な賄賂の受け渡しを示す生々しい会話だった。


「ひっ……!」


 大黒は喉の奥で短い悲鳴を上げ、後ずさった。

 デジタルの壁を越えて突きつけられた、言い逃れのできないアナログな証拠。酒と色香、そして人間の隙を突いて集められた絶対的な真実が、彼の足元を完全に崩落させていた。


 とどめを刺すように、奈央子が鋭い足音を響かせて前へ出た。

 彼女は携えてきたアタッシュケースを壇上の端に置き、躊躇なくそのロックを外した。

 そして、ケースから取り出した分厚い告発状の束を大黒へと突きつけ、冷ややかに微笑んだ。


「これらの証拠はすべて、違法収集証拠の壁をクリアし、法的に有効な形で保全されています。デジタル上の送金記録、サロンでの音声データ、関係者の証言、すべてが合致し、一つの強固な事実を形成しています。そして先ほど、これらを東京地検特捜部に新たな告発状として提出してまいりました」


 マスコミのフラッシュが、もはや狂ったような瞬きとなって大講堂を白く染め上げる。生放送のカメラは、奈央子の手にある告発状と、青ざめた大黒の顔を交互に映し出していた。


「あなたの雇う企業弁護士団がどう言い逃れようと、特別背任および贈賄の容疑での立件は免れません。大黒社長、あなたの逃げ道は、法の下に完全に塞がれました」


 大黒はもはや言葉を発することすらできず、壇上の床に膝を突いた。

 権力という名の鎧を剥ぎ取られ、資産を奪われ、退路を絶たれた男の姿は、ただの哀れな老人にすぎなかった。


 清太郎は、崩れ落ちた大黒を静かに見下ろした。

 彼の目には、哀れみも優越感もない。ただ、為すべきことを終えた静謐さだけがあった。


「巨大な組織の頂点に立つのであれば、その重さに耐え得るだけの器が必要でした」


 清太郎の静かな声が、無数のシャッター音の隙間を縫って、大黒の耳に確かに届いた。


「あなたは、自身の保身と欲望のために、その器を自ら叩き割ったのです」


 奈央子の突きつけた分厚い告発状の前に、大黒の逃げ道は完全に塞がれた。

 しかし、血走った大黒の瞳の奥には、まだすべてを諦めきれない、獰猛な執念の光が鈍く燻っていた。

 この10年間、嘘で塗り固められてきた権力。その中心に君臨し続けた巨魁が、己のすべてを失ったこの極限の状況で、素直に首を差し出すはずがない。

 自身の直接の署名が入った決裁書は存在しない――その一点を盾にした最後の悪あがきが、大黒の喉元までせり上がってきていることを、清太郎は静かに見透かしていた。


 生放送のカメラが無数のフラッシュと共に彼らを冷徹に映し出す中、清太郎はただ静かに、追い詰められた獣が最後の牙を剥くその瞬間を待ち受けていた。


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